第11話・焚き火
一年前には考えられなかった力強さで、チームは試合を押しつづけた。合宿の地獄を生き延びた身だ。痛みを痛みとも感じない。オレもまた、折れた鎖骨が気にならないほど、プレーに集中していた。常に渾身。フルタイム全力。三年めにしてはじめての勝利を信じて疑わなかった。終了まであと10分、というところまでは。
戦況は膠着していた。何本かのこざかしいPKを決められ、僅差まで詰め寄られていた。明らかにこちらの出足が鈍っている。途切れなく全力すぎた。スタミナを配分していなかったのだ。あれだけ有利に動かしていたモールが、あっけなく押し返される。権現森は最前線で、体を張って踏んばりつづける。歯を食いしばりすぎて、奥歯を砕く音までが聞こえた。身を粉にして戦いつづける態度こそ、やつのキャプテンシーなのだ。そうしてようやく確保したボールが、ノリチカに渡る。一か八かのギャンブル走行。自分の足だけを信じて、突き抜けられると信じて、ただただまっすぐに走る。だが、試合の最終盤だ。ここまで足を使いすぎた。回転数が上がらない。ステップを切れば抜ける、と誰もが思った。が、ノリチカのあまり配線が複雑でない頭には、真っ向勝負しかなかった。まともにタックルを食う。雪崩に巻き込まれるように、短い足が紫紺の悪魔たちの下敷きになった。それきり、この切り札は機能しなくなった。試合が暗い方向に向かっていることは、誰の目にも明らかだった。
あそこでいっこステップを切ってさえいれば・・・海までの道のり、ノリチカは何度も何度も、何度も反芻していたにちがいない。が、口には出さない。まっすぐに走る!と決めたのだから、自尊心に賭けて貫き通したのだ。ノリチカはどこまでもバカな男だった。臨機応変という言葉を知らない。美意識は尊重してやりたい。が、あの局面だけは、と頭をかかえたくもなる。
「よし、ついたぞ」
新聞紙から、めらめらっ、と軽薄な炎が上がり、やがてその火は細枝から太い流木へと移動していった。しばらく待つと、火が安定して熾きとなり、オレたちはそのぬくもりをたのしんだ。
日はとっぷりと暮れた。焚き火が四つの顔を照らし、ゆらゆらと影を動かして、心を落ち着かなくさせる。暖気だけが、お互いの間のせまい空間を循環する。その空気は、四人を押し黙らせた。みんなの瞳に小さな炎が映り込んでいる。まるでまじないにかかったみたいに、しゃべることができなくなる。
太陽と入れ違いに、月が昇る。大きなお新香のような月だ。その煌々とした月明かりは、闇が支配する砂浜をほのかに照らした。ぱちん、と音がして、熾きの小さな柱が崩れ落ちる。火が心細くなってきたので、焚き木を全部くべた。火が消えたら、この夜が終わる。それはすぐそこに迫っていた。だけど、誰も帰ろうとは言いださない。
「もう少し、流木を集めてみるか?」
権現森が言った。
「もう真っ暗だし、無理だよ」
オレの処断はみんなにもわかりきっているはずのものだったが、再びその場に沈黙を迎え入れることになった。そのとき、おもむろにノリチカが立ち上がった。
「だったらみんな、かばんの中にある燃えそうなもの、出せよ」
「へっ?」
三人はぽかんと、このバカの放った言葉の意味を考えた。
「だからさ、いろいろあるだろうが、マキ代わりになるものが」
「だって、カバンの中は、ユニフォームとかだけだぞ」
「ウソつけ、権現森。おめーあれ持ってたろ、ラグビーの戦術書」
それを燃やしてしまおうという魂胆らしい。ずいぶんな物言いだ。
「あるけど、高いんだよ、これ」
「もう使わねーだろうが」
言われた権現森は、はた、と気づいた。
「そういえば、開いて読んだことねーわ、この本」
「よしよし」
ノリチカは本を引ったくると、躊躇の素振りも見せず、火に放り込む。心許なかった焚き火が、じわじわと元気を取り戻していく。
「そうだっ。あたし、いいもの持ってる!」
いろはは自分のリュックを手で探り、目薬を取り出した。
「これは燃えるはずだよ。だって『火の中に放り込むな』って書いてあるもん」
「おお、化学の実験」
いろはは、目薬を焚き火の中に投げ入れた。全員が中腰に後ずさり、爆発に備える。
「・・・ど、どうだ?」
派手に身構えたはいいが、化学の反応はなかなか起こらない。しばらく待っても、変化なし。
「なんだよ、期待させやがって・・・」
しかし、ノリチカが恐る恐るに覗き込んだ途端、じゅっ、と容器が溶ける音がした。その舜後、
ぼわっ。
手品の見せ場のような大きな炎が上がった。
「うわーっ!」
飛び出した火玉は空中で膨らみ、そのまま風船を割るように巨大に開花した。鼻先で起きた炸裂に、四方に飛び退く。一瞬の出来事だった。やがて最終形のキノコ雲が現れ、小さなスペクタクルが終わった。
「わー、おもしろいねえ!」
「すげー!」
「もっとないのか?なんか出せよ、みんな」
全員がいっせいに、自分のかばんの中に鼻先を突っ込む。いろはが最初に声をあげた。
「わーい!アーモンドポッキーがありましたっ!」
「燃やすのか?それ」
「これは燃えないよう。食べるの」
「『小枝』の方が燃えやすそうだ」
「そっか。今度からそっちを常備しようっ」
「ええい、ヤンジャンを燃やすか。まだ読んでないけど」
「あ、グラビアだけ取っといてくれ」
「生徒手帳ってさ、いらなくね?」
「ノリチカがそんなもの持ってるなんて、なんでだ?」
「このプチ罪悪感。まるで焚書ね」
「なにそれ?」
「ばか。教科書を読みなさいよう」
「そうか、ここに教科書があったらなあ」
「どうするつもり?」
「もちろん焼いちまうんだよ」
燃料追加のたびに火はゆらゆらと明るくなり、四人の顔が穏やかに浮かび上がった。ノリチカの彫りの深い顔は剽悍さを増し、権現森の端正な顔は苦悩みたいな陰影を際立たせる。なんだか少しずつかっこよく見える。劇性効果だ。いろはもまた、キラキラと輝いて見える。足下の焚き火のせいもある。が、しかしそのせいばかりじゃないことは、自分の心の中でもそろそろわかってきている。
火はいっとき盛大には育つが、与えたものを貪った後は、たちまちしょんぼりとやせた。片っ端から燃えるものを放り込んでも、消化がはやすぎる。タオルまで燃やすと、もうバッグにはユニフォームが残るきりとなった。
「もうねえのかよ?」
無い。それでもかばんに鼻先を突っ込む。ほの暗くなりつつある熾きを前に、意味のない躍起がつづく。ばかばかしいとは思いながらも、この時間にすがりついていたい。が、無いものは無い。再び沈黙が訪れようとした、そのときだった。いろはが、
「しょうがないなあ。わかったよ、ひと肌脱ぐか」
そう言って、濃紺のソックスを脱ぎはじめた。突然のことに、男子たちは息を呑む。
「燃やしちゃえ」
思いきりよく、火の中に投げ入れた。チリチリと燃えるスコアブックの上にソックスは落とされ、不思議な色の煙を吐きつつ、身悶えながら焼けていく。それは奇妙に艶めかしく、そして匂いもどこかしらかんばしく感じられた。
「もえろ~、もえろ~。ふふふ」
男子高校生たちは反応できない。いろはの行動は、どうしようもなく性的なものをイメージさせ、忌々しい衝動を掻き立てた。
「・・・そうだな、それもアリだな」
妄想を振り払い、ようやく現実に引き戻される。動揺を押し隠しつつ、負けじとソックスを脱ぐ。そして、無造作に火の中に放り込んだ。逡巡しているヒマはない。オレたちは常に心のどこかで、生きる上でまったく意味のない勝負をしているのだ。
「制服シャツと、ユニフォーム。どっちかを燃やすって手もあるぜ」
ノリチカが、さらにハードルの高い提案をする。それを聞いて権現森は、黙って制服シャツを脱ぎはじめた。
「お、おいおい、冗談だよ」
「いや。考えてみたら、夏服なんてもう必要ないもんな」
権現森は、まったく頓着を見せない。そのままシャツを丸めて、火に放り込んだ。大きな炎が上がって、再びお互いの顔を照らしはじめる。
「ジャージーは燃やせないからな・・・」
ぼそりとつぶやく。そのときいろはは、見たことがないほどのやさしい目をした。
「よかった・・・」
言葉を継ぐ。
「みんなのゼッケンの裏には、お守りが縫い込んであるんだよ、一年のあのポジション発表のときから・・・知ってた?」
いろはの語りかけで、四人はまたひとつのまん丸のパズルになっていた。
塩気まじりの夜風は、思ったよりも素肌に冷たかった。夜気がゆっくりと降りてくる。制服シャツも、ベルトも、試合用のヘッドキャップも、ソックスも、パンツも、リストバンドも、みんな燃料にした。もう燃やすものは完全に無くなった。
「これでおしまいかな」
「もうなんにもないよ」
「裸一貫になったぜ」
上半身裸のまま、焚き火が徐々にやせ細っていくのを見つめつづける。火の終わりは、今日という日の終わりを示す。「終わり」という言葉に、奇妙な深刻さを感じる。
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