魂鎮めの森

 黒い空に絡め取られるように、まるで磔にされているように、静かに中空に存在している女。

 静かに俯き目を開ける様子もなければ、動く様子もない。呼吸さえあるのか怪しい。だがその顔色は、とても死んでいるようには見えない。

 頭上に固定された両腕は、手首から先がうずもれるようにじわじわと見えなくなっている。両脚も太ももの中ほどあたりから、空に飲み込まれていた。

 その女から発せられているものか否か、網目のように縦横無尽に走るサイケデリックな光の筋。その細い、ゆっくりと色のうつろう斑の網は、空を覆うのみならず、遥か下方にまで広がっている。空間を球状に取り囲んでいるように思えた。

 瑠璃は静かに女を見上げて歩みを止める。

 女は──瑠璃たちの始祖だと聞かされている。まるで鏡を見ているような錯覚を覚える顔立ちが、それを裏付けているように思えた。

 彼女の最初の記憶──炎に包まれる王都──よりはるか昔から、女はこの森を守っているらしい。

 瑠璃は特に意図もなく振り返り、広大な森を眺めた。

 足下ではしっかりとした大小の根が絡み合っているのが見える。その遥か下に光の網。

 この森には地面がない。……見えないだけであるのかもしれないが、足裏に触れる感触すらないものが、果たしてあるのかどうかなどということは、考えるだけ無駄であろう。

 木々の枝には様々な色の淡く光る卵のようなものが、いくつも垂れ下がっていた。大きくても人間の頭大。それらは、周りにふわふわと同色の光を漂わせ、幻想的な光景を作り上げていた。

 ただし近づくとその中で異形のものたちが丸くなっているのが見える。アヤカシだ。慣れない者がもし不用意に近づいたとすると、恐らく悲鳴でも上げることになるのだろう。

 そのアヤカシたちはすべて、安らかな夢の中にいる。

 ここは──……現世で神剣によって葬られたモノたちが、その荒ぶる魂を鎮めるために、都合の良い夢を見続けさせられる場所。


《魂鎮めの森》である。


 時折光の卵が、ゆっくりと拡散するように消えていくことがある。それがアヤカシの成仏のカタチだった。

 その魂が百の廻りへと還ることを許された証。

 願わくば二度と再びアヤカシになど成らないように──……。

 瑠璃はもう幾度捧げたかも分からない祈りを胸に、黙祷を捧げる。

 アヤカシは、ひとのせいで捻じ曲げられた様々な魂が変質して生じるものだ。始祖がこの森を作り、神剣を子々孫々伝え、アヤカシをこの場に送る循環を構築したのも、そのことへの懺悔なのかもしれない。あるいは……自己陶酔の使命感。

 そんな、始祖を侮辱するような邪推が頭を横切ったことで瑠璃は苦く笑う。

 神剣を受け継ぐ一族は、二千年ほど前に陰謀によって滅ぼされた。血筋は途絶え、帝国は守り手を失う危機を迎える。

 神剣は太陽の巫女と月の巫女の一族にしか従うことはない。

 そのため始祖姫は、強行とも呼べる手を打った。

 一族の最後の時を生きたあのくにの、二十五人の太陽と月の神徒たちの魂は、アヤカシを鎮める運命に囚われることになってしまった。

 死せばこの森に魂が回収され、永遠に転生を繰り返すシステムの構築。名も姿も変わろうと、逃れることのできないある種の檻。

 ただそれでも、共に生死を繰り返す仲間たちの大部分に好意を持っている彼女は、別段怨み言などいだいてはいない。

 にも関わらずの邪推は、先程までの生に対する少しばかりの当て付けなのかもしれなかった。

「……一体どうなるのかなあ……」

 その科白せりふには少しばかりの自嘲が含まれていた。

 その自嘲の科白が終わるか終わらないかの時に、一瞬の閃光とともに凄まじい音が鳴り響く。見えない地面が揺れるような気さえした。

(な、何が起きたの!?)

 雷、なのだろうか。このようなことは起きたことがない。

 胸騒ぎを抱え、瑠璃は雷らしきものが落ちた場所へ転移した。

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