第4話 嘘つき/Liar
「はい、これでおしまいですっ」
ちょんちょん、と薬を含ませた綿で私の傷口を拭いて、クリュセは処置を終える。
最近は彼女もずいぶん看護の腕を上げてきて、何かと忙しいニーナの代わりに傷を診てくれることも多くなってきた。
「どうかな。私もだいぶ元気になったと思うんだけど、そろそろ働いても──」
「それを判断するのはわたしの仕事じゃないので、お母さんに聞いてくださいね」
ずっと休んでいるのも、ずいぶんと飽きてきた。クリュセならあるいはと思って聞いてみると、するりとかわされた。まあ、魂が見えるという彼女のことだから、私のそんな思惑までバッチリ見透かされてるのかも知れない。
「全然見透かしてないですよー」
「見透かしてるじゃないか!?」
思わず叫べば、クリュセはクスクスと笑う。
「別に魂が見えると言ったって、心の内側を読めるわけじゃないですよ。顔色を読むのとそう大差ありません」
「だけど実際、今私の考えてることを言い当てたじゃないか」
ニーナといいクリュセといい、何らかの魔法を使っているとしか思えない精度で私の考えを察してくる。
「それはお父さんがわかりやすすぎるだけですよ」
クリュセはぽんと私が横たわるベッドに腰掛けると、私の顔を覗き込んだ。
「今もお母さんたちのこと、どうしたらいいかで悩んでるんですよね」
「そうなんだよ……」
ここ数日の悩みをズバリと言い当てられて、私は思わず頭を抱えた。
「もういっそのこと皆選んじゃえばいいんじゃないですか?」
「私が率先して法律を破るわけにはいかないだろ」
一夫一妻制を正式に定めたのは、六百年くらい前だろうか。それまでのヒイロ村は性的に大らかな文化で、多夫多妻に近い状況だった。けれどある時に性感染症が大流行して、ブチ切れたニーナが半ば強引に決めてしまったんだっけ……
まあ貨幣制度が出来てちょうど貧富の差が問題になり始めていたところだったから、結婚できない男性が余ってしまう対策にもなったし良かったとは思うんだけど。
まさか巡り巡って自分が困ることになるとは、思ってもみなかった……
「それじゃあ」
すっとクリュセが身を寄せて、悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「いっそわたしと結婚するなんていうのはどうでしょう?」
そして朗らかに、そんな事を言ってのけた。
「ど、どうしてそうなるんだ!?」
「だって問題は、誰を選んでも角が立つってことですよね」
全員を選ぶことは出来ない。けれど、誰か一人を選ぶことも出来ない。
「だったら誰も選ばなければ対等じゃないですか」
「それは……まあ、そうかも知れないけど」
婚姻関係と言っても、結局それは紙一枚の事だ。四人とも、今更そこに拘りはしないだろうとは思う。ただ私が誰か一人を選ぶとすれば、そこに格差が生まれてしまう。誰も選ばずただ一緒にいるというのは、ありではあると思う。
「だからってなんでクリュセを選ぶって話になるんだよ」
「そこに空いている椅子があれば座りたくなるのは当然の気持ちでしょう? その点、そこに座ってるのが娘のわたしであれば、可愛いマスコットみたいなもんですから諍いの種にもなりづらいかと」
一理ある……のだろうか。まあでも確かに、他の誰か一人を選ぶよりは丸く収まりそうな気はしないでもない。クリュセは愛され上手というか、そういう立ち回りが非常に上手いし。緩衝役になってくれそうな気はする。
「その案には重大な欠点がある」
けれどそれを選ぶわけにはいかない理由が、私にはあった。
「クリュセに好きな人が出来たとき、結婚できないじゃないか」
愛娘の将来を潰してまで、己の安寧を取るつもりはサラサラない、という事だ。
「えー、そんな時は来ないから大丈夫ですよ」
「今はそう思ってたって、未来にどうなるかなんてわからないよ」
私はクリュセの髪をさらりと撫でる。
「クリュセはこんなに可愛くていい子なんだから、今に結婚したいって男がごまんと現れる。その中には、クリュセが好きになるような相手だってきっといるさ」
「……この見た目を好きになる男の人って、ちょっぴりどうかと思うんですけど」
己の身体を見下ろして、クリュセはぽつりと呟く。
もうけして成長することのない、幼子のような身体。
「見た目だけじゃない。中身だってそうだよ。クリュセはとっても優しいし、穏やかで、思いやりに満ちて、明るくて、素敵な女性だ。ちゃんとそれをわかってくれる男は絶対いるよ」
「……本当ですか?」
不安そうな、切なそうな表情で私の顔を見上げるクリュセに、自信を持って頷く。
「勿論、本当だよ」
「お父さんもそう思ってくれるんですか?」
「思ってもみない事を言ってたら、クリュセにはわかるだろ?」
そう言うと、クリュセは私を見定めるようにじっと見つめ、唐突に破顔した。
「……じゃあ、わたしと結婚するってことで何の問題もないですね!」
「どうしてそうなる!?」
私は再びそう叫んだ。
「だって今、言ってくれたじゃないですか。お父さんもわたしと結婚したいって思ってくれてるって。それとも嘘だったんですか?」
「いや、それは……」
クリュセが魅力的な女性だということも、いつか求婚する男が現れるだろうということも、心の底からの本心だ。だがそれは、その男に私自身がなるという意味ではない。
「だいたい、そもそもクリュセは別に私のことを好きじゃないだろ?」
「え? 大好きですよ」
「そういう好きじゃなくって……その、恋愛的な意味でだよ」
流石に、愛しい娘からそんな目で見られていれば私だって気付く。……と思う。多分。
「まあそれはそうですけどね」
頷くクリュセに、私はほっと胸を撫で下ろす。
「だって恋って結局は子孫を作るため。生命を繋ぐための身体の機能ですから。わたしには、もう出来ないことなんです」
そして、思い切りハンマーで殴られたような衝撃を受けた。
「だからもう、わたしが人を好きになることはないんです。誰からどんなに好きになってもらっても、わたしはその人に恋することは、多分ないんです」
クリュセの表情からは笑みが消え、彼女は真剣な面持ちで言葉を綴る。
「お父さん。結婚するのに、恋は必要ですか? わたしは、あなたに恋してません。けど、誰よりも、愛してます。わたしという存在が消えてしまうまで、きっと一番愛してる相手です。それは……わたしの存在全ての中で一番強い想いは。それでも、あなたに届くには足りませんか……?」
クリュセの表情は変わらない。何の感情も浮かばない、能面のような表情。
きっとそれは、彼女の本当の表情なのだ。
喜びに笑みを浮かべ、悲しみに涙し、怒りに顔を歪める。
そういった心と身体の結びつきは意識せずに表れる自然なもので、だからこそ既に死んだ肉体に宿る彼女には、存在しない。
クリュセがいつも笑顔を浮かべているのは、いつも楽しいからじゃない。彼女が、そう見せたいから。その形を作っているからだ。
だから私には、クリュセのその表情は泣き顔に見えた。
クリュセは本気で泣くことなんて出来ない。泣くほどに心が乱れているなら、身体を制御して涙を流す余裕なんて、どこにもないからだ。
「なーんて、冗談ですよ」
私が答えるよりも先に、クリュセは笑顔を作ってパッとベッドから退いてみせた。
「えへへ、びっくりしま……」
彼女の身体を追いかけるように腕を伸ばし、ぎゅっと背中から抱きしめる。
熱を持たない、ひんやりとした、その身体。
「……した」
疑問文になるはずだった彼女の言葉は、語尾の音を失って肯定文になる。
「……クリュセって他人の嘘を見抜く割に、嘘つきだよな」
「そりゃあ、誰もわたしの嘘は見抜けないんだから、つき放題ですよ」
そう言ってから、クリュセは一つ間違いに気がついて、言い直す。
「……つき放題の、はずだったんですけどね」
「クリュセは自分で思ってるほど、嘘が上手じゃないよ」
私の指摘に。
「まあ、お父さんの娘ですから」
クリュセはそう言って、笑った。
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