第23話 保護/Protection

「アイ、聞こえるかい?」

『……せん、せ、い?』


 鱗を通した通信魔法。

 そこから聞き覚えのある透き通った声が聞こえてきて、私は安堵した。

 白竜が討たれたというシオウとマシロには結構な距離があるが、万が一ということもある。

 あの夢で見た白竜は少なくともアイではなかったらしいと確認できて、私は胸を撫で下ろす。


「連絡が遅くなってすまない。……久しぶりだね、元気かい?」

『はい。連絡、嬉しいです』


 ユウキの件で、私はかえって吹っ切れた。

 もしアイが討たれていれば、マシロの国だって困るだろう。

 どのみち確認は必要だったのだ。


「アイ……いや、そういえば君の名前も聞いてなかったね」

『ミョグスニョーフェルリドグン、といいます。でも、せんせいにアイと呼ばれるの……嫌じゃないです。なんだか、安心します。……それに竜の名前は、長くて使いにくいですから』


 確かに長い。どうやら色を問わず、竜の名前は皆こんな感じらしい。

 お互いに呼びあう機会なんて殆どないからか、それともその記憶力の高さゆえか。


「じゃあ、これからもアイと呼ばせてもらおうか」

「はい」


 答えるアイの声は、どこか嬉しげだった。私の気のせいかも知れないが。


「最近はどう? あれから人間はきた?」

『きました。竜も、何度かきました』


 またずっと、百年あのなにもない雪山で寂しく暮らしていたんじゃないだろうか。

 そう思っていただけに、返ってきた答えに私は酷く驚いた。


「なんだって? 大丈夫だった?」

『大丈夫です。みんな、返り討ちにしました』


 どこか誇らしげに、アイ。どうやら彼女は白竜としてはだいぶ強い部類らしい。

 いくら有利な雪山に住んでいると言ったって、白竜は五色の竜の中で一番小さく弱い。

 そういえば、ギルタが火竜以外はたいてい五百年も生きられないと言っていたが、アイは少なくとも六百歳は超えている。つまりそれだけ、大きく強いということだ。火竜でも来ない限りは安心なのかも知れない。


『ただちょっと困ったことがあります』

「何?」

『撃退した竜たちが、山の麓に住み着いてるんです』

「なんだって!?」


 囲まれている、ということだろうか。それは呑気にしている場合ではない。

 竜はその見た目に比べてかなり食料は少なくて済むが、だからといって飲まず食わずで生きていられるわけじゃない。アイだって、ホームたる雪山を降りて食べ物を探しに行かないといけないことだってあるだろう。


 そんなところを襲われたら、ひとたまりもないんじゃ……


『寂しいのは嫌でしたが、増えたら増えたで、うるさかったり、喧嘩の仲裁をしたりするのが大変です』

「……なんだって?」


 私は先ほどと全く同じ言葉を、間抜けに繰り返した。


「喧嘩の仲裁?」

『はい。すぐ喧嘩するんです、あの子たち」


 それは、まるで。


「子って……?」

『人間に追い出されるような竜は、だいたい百年も生きてない小さな子ばかりですから』


 保母さんみたいな口調だった。


「もしかして。……面倒、見てるのかい?」

『そんな大仰な事はしてませんが……人と諍いを起こさないように気をつけてはいます』


 アイのその物言いは、竜としてはおかしなものだ。


「……つまり君は、人を脅威だと捉えているんだね?」

『そうですね。今は大丈夫ですが、じきに竜が勝てなくなるときが来るでしょう』


 多分、そんな風に考えている竜は他にいない。

 白竜が討たれたことを聞いても、幼い竜たちが住処を追われていると知っても、それはただその竜が情けないと考えるだけだろう。


 魂と記憶は違う。クリュセはそう言っていた。

 けれど全く何も覚えていないわけじゃない。

 人の強さ、恐ろしさ……その可能性のことを、アイは肌の感覚として記憶しているんだろう。


「なら、やっぱりうちの村に来ないか? ここでなら、人と争う羽目になることもない」

『たくさんの竜で押しかけたら、流石に迷惑でしょう?』


 そんなに保護してるのか。

 まあ確かに、今でさえヒイロ村には二頭も竜が住んでいるのだ。

 今は私が人の姿になって竜気を抑えることによってストレスを回避しているけど、もっと増えたら流石に問題は起こるだろう。


 アイが平気なのは、多分その竜たちを我が子のようなものと見なしているからだ。子を育てる母竜だけが、他の竜を己の縄張りに入れることを受け入れられる。


『それに……わたしには、やらないといけないことがあるんです』


 私の素朴な疑問は、アイのどこか儚げな言葉に意識の片隅へと追いやられた。


「前もそう言っていたね。それが何なのか聞いてもいいかい? 何か、力になれるかも知れない」

『…………待っているんです』


 私の問いに、逡巡するようにほんの少し押し黙った後、アイはぽつりとそう答えた。


「何を?」

『わかりません。誰かなのか、何かなのか……』


 もどかしげな声色で、彼女は答える。何となく、私はそれが転生に関わることなのではないかと直感する。

 だとしたら……思い上がりかも知れないが、それは私のことなのではないだろうか?


「何を待っているのかわからないから、もうすでに出会っているんじゃないか?」

『いいえ』


 そう思って尋ねると、清々しいほどにきっぱりと否定されてしまった。


『来れば、わかる。それだけは、はっきりしているんです』


 どうやら思い上がりだったらしい。アイとは最後の一瞬まで、竜の姿で接していた。人間の姿じゃなかったからわからなかった、なんてオチも多分ないだろう。


 しかしそうであれば、彼女は一体何を待っているんだろうか……?

 想像もつかなかった。


 あるいは。


 あるいは……もしかしたら、アイは、私ではなく別の人物を待っているのかも知れない。

 彼女は多分、何度か転生を繰り返した末に竜に生まれ変わっている。


 その人生の中で……人として生まれ、人と惹かれ合い、そして、来世を誓いあった事が、あったのかも知れない。


「……わかった」


 何を、今更。私はかぶりを振りながら、答えた。

 例えそうだとしても、そうでなかったとしても、私には関わりのない話。その、はずだ。


「けれど気をつけてくれ。確かに君の言う通り、いつか人が竜に勝つ日が来るだろう。君の山も、いつまでも安全ではないかも知れない」


 そういえばマシロの国は今どうなっているのだろうか。アイシャが無事に王になった話は聞いたけど、今はもう流石に生きてはいないだろう。今度ちょっと情報を集めてみるか。


『はい……あの』


 いいづらそうに、アイは問うた。


『……また、こうして、お話してくれませんか?』


 こちらを伺うような声に、心臓がどくんと一度脈打つ。


「……そういえば、どうして連絡してこなかったんだい?」


 私はその問いに、質問で返した。


『だって、せんせい。また来ると言って、来てくれなかったじゃないですか』


 拗ねたような声色で、アイ。


『だから連絡しても連絡がつかなかったら……そう思うと』

「そ、それは、ごめん」


 言い訳のしようもなかった。

 結局、私たちが考えていたのは同じことだ。

 決定的な事実がわかってしまうのを恐れ、踏ん切りがつかず、曖昧なままにしていた。


『今度から、もっとお話してくれるなら、良いです』


 そう言われ、私は押し黙る。

 ニーナに隠れてアイとこそこそ連絡を取るというのは、なんというか、非常にまずい気がする。

 いや、別に後ろめたいことをしているわけではけしてないんだけれど……


『せんせい?』


 考えた末に私は覚悟を決めて、答えた。


「そこに、他の人が混ざってもいいかな?」

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