第五章:始まりの時代
竜歴1080年
第1話 残滓/Residue
「あれです、お父さん!」
「うわぁ……あれは酷いな」
クリュセの小さな手のひらを握りながら空を飛びつつ、眼下に広がる光景に私は思わずそう声を漏らした。小高い丘の上に集まり、ヒイロ村の戦士たちと戦っているのは、何十何百という異形の集団。
私がゴブリンと名付けた小鬼たちだった。
「一体どこからあんなに湧いて出てきたんだ?」
子供くらいの背丈を持つゴブリンたちは、成長が早く繁殖力も高い。放って置くと瞬く間に増えてしまうから、逆に見かけたら多少無理をしてでも出来る限り駆除することにしている。絶滅させることは無理にしたって、これほどの数が一体どこに隠れていたのか。
私はその中に見慣れた赤いポニーテールを見つけ、その背後へと忍び寄るゴブリンたちに目を見開いた。
「ユウカ!」
急いで急降下しながら彼女の名前を呼ぶが、間に合わない。ゴブリンが鋭い鉤爪の生えた太い腕を振り上げて――
「あ、お兄ちゃん。なあに?」
空から飛来する私を見上げつつ、ユウカは振り向きもせずに背後に迫ったゴブリンを三匹纏めて切り捨てた。
「いや、その……なんでもない」
どうやら私の心配は全く無用のものであったらしい。
剣部ユウカ。ヒイロ村を支え続けている剣部一族の末裔にして、その中で唯一のハーフエルフである彼女は、脈々と受け継がれてきた剣技をその長い生の中で更に昇華させ、剣聖と呼ばれるほどの腕を持っているらしい。相変わらず、背中にも目がついているとしか思えないような動きだ。
「あ、お父さん、あれ見てください」
クリュセが一人で急降下した私に追いついてきて、ユウカの背後を指差す。その先で、一頭の獣が大地を駆けていた。
真っ白な毛並みの、虎のような動物だった。遠目で遠近感がうまく掴めないが、周囲のゴブリンと比較するにその体高は二メートルを超えているだろう。
それはゴブリンたちを跳ね飛ばしながらまるで風のような速度でこちらへと駆け寄ってくると、私に向かって大きく跳躍して飛び込んできた。
腕を広げてそれを迎えると、白虎は寸前で青い髪の女の子の姿に変化して、勢いそのままに私に抱きつく。
「お疲れ様、リン」
「もうちょっと驚いてよ、もー。せんせーったら張り合いがないんだから」
不満そうに唇を尖らせるのは人魚の少女、リン。と言っても今の彼女を人魚と呼んでいいのかは少しばかり疑問の余地が残るところだ。変身魔法を極めた彼女は息をするかのようにその姿を変えて、人魚の姿なんてすっかり見なくなってしまっている。
移り気な彼女は見た目の年齢すら一定せず、今日は十代の少女の姿を取っているけれど、二十代の美女の姿を取ることもあれば、幼い女の子の姿になっていることもある。本当の姿は、もはや本人にもわからないらしかった。
……とはいえ。
「そりゃあ、どんな姿になっても目は変わらないからね」
「動き方のクセが同じだからわかるよ」
「リンねえの魂は見間違えようがないです」
順に私、ユウカ、クリュセの判断基準である。付き合いの長い私達にとっては、リンを見分けるのはあまり難しいことではなかった。
リンは照れくさいような、それでいて不満なような表情を浮かべると、小鳥の姿に変じて私の肩に乗る。
「しかしキリがないな、これは。本当にどこから出てきたんだ?」
ユウカとリンの活躍で私達の周囲からは敵がいなくなったが、戦いは終わる気配を見せない。剣部に率いられたヒイロ村の精強な戦士たちは小さなゴブリンたちを相手に苦戦することはないけれど、とにかく数が多い。倒しても倒しても、次から次へと出てくるのだ。
「調べますね」
クリュセが跪き、地面に倒れたゴブリンの死骸に触れて目を閉じる。
「……あっちに、まだたくさん集まってます」
そしてすぐに目を開くと、立ち上がって彼方を指し示した。
「よし。じゃあ、行ってくる。二人は他のみんなの手助けを頼めるかい?」
「せんせーとクリュだけで大丈夫?」
肩の上で、小鳥の姿のリンがさえずるような声で問う。
「どっちかというと私はリンの方が心配だよ。……魔術も使えないのに」
変身魔法を極めたリンは、その代償として他のあらゆる魔法の才能を失った。今の彼女は炎を出すことも、空を飛ぶこともできない。まあ、火を吹く竜に変身したり、宙を舞う鳥に変身したりはできるので、大して困ってはいないようなのだけど。
「それを言ったらぼくだって魔術なんて使えないよ、お兄ちゃん」
「ユウカにはそもそも魔術なんていらないだろ」
なにせ黒曜石を挟んだだけの石剣一本で竜でも殺せそうな剣聖様だ。ユウカに関しては微塵も心配していない。
「本気で戦ったらリンちゃん、ぼくと互角くらいだと思う」
「……そんなに?」
一方で、猛獣に変身できるようになったと言ってもリンは戦いの専門家ではない。だから傷を負うこともあるかも知れないと思ったんだけど、ユウカがそう太鼓判を押すのであれば間違いないのだろう。
「じゃあ――後は頼んだよ」
私はそう言い残すと、クリュセとともに空を舞う。
「あ、あれ……?」
私と手をつないで空を飛ぶ愛娘が首を傾げたのは、それから数分後のことだった。
「おかしいですね。この辺りのはずなんですけど……」
パチパチと目を閉じたり開いたりを繰り返しながら、クリュセは地表を見下ろす。彼女は一度死を経験し、魂だけの存在となって自分の遺体に取り憑いている状態……いわゆるリッチのような存在だ。
故に、生き物の魂を直接感じ取ることができ、その繋がりを呪物として位置や方向を割り出すこともできる。……のだが、その精度はさほど高くはないらしかった。
「魔法が失敗しちゃったんでしょうか」
私達が今飛んでいるのは小高い丘の上で、柔らかそうな草の広がるそこには隠れられそうな場所はない。いくらゴブリンが小柄と言っても、これほど見晴らしのいい場所で見過ごす程に小さくはないはずだ。
「何匹くらいいるの?」
「すっごくたくさんです。百や二百じゃきかないくらいのはずなんですけど……あれぇ?」
無人の草原を見下ろして、クリュセはしきりに首を傾げる。だが私はその様子にかえって状況を理解した。
「なるほど、そういうことか」
クリュセの魔法は、精度こそ低いものの極めて高性能だ。かなりの距離があっても発見できるし、障害物にも影響されない。
その性能が、良すぎたのだ。
「赤き炎を宿すもの、生命の熱を見渡すもの、金色なりし竜の瞳よ。生命の灯火を我に知らせよ」
呪文を唱えるとともに、私の視界が青く染まる。そしてその中に、無数の赤い光点が溢れ出した。
――やっぱり。
クリュセの魔法は失敗したんじゃない。地下に隠れているゴブリンたちまで見通してしまっただけだ。
熱源を赤い光として見通す竜の瞳は、サーモグラフィーのようなものだ。クリュセの魔法と違って現実の地形や器物の形も、その輪郭くらいは見出すことができる。そして洞窟の中に隠れたゴブリンたちの姿も、はっきりと見つけることができていた。
私はその光を見据えながら、私は手にしていた杖を構える。
「
ぽう、と杖の先に、指先ほどの小さな白い光が灯った。
「
それは炎でありながら熱を持たない、純粋な破壊の力だけを取り出した小精霊。
「
半円を描くように杖をぐるりと振れば、光はまるであぶくのように無数に湧き出し、私の眼前に帯状に並ぶ。
「
そして、引き金の言葉とともに無数の光球は尾を引きながら丘の斜面に空いた小さな穴に飛び込むと、その中に隠れ住んでいたゴブリンたちの尽くを撃ち抜いた。
「すごいすごい! 流石お父さんです!」
パチパチと手を鳴らして喜ぶクリュセ。私の視界に映るその姿は、周囲の風景同様に青く染まっている。その色は、今死んだばかりのゴブリンたちよりもよほど冷たいことを表していた。
十代前半程度にしか見えない幼げなその姿が成長することも、もうない。
あのときに私にこれだけの力があったなら、彼女をこんな身体にしてしまうことはなかっただろうに。無意味だとはわかっていても、私はそんな事を思わずにはいられなかった。
「さあ、帰りましょう!」
そんな気持ちを知ってか知らずか、クリュセは私の手をぎゅっと握ると、にこやかにそういった。
* * *
「また、勝手に魔物退治にいったのね」
ゴブリンたちを殲滅し家に帰り着いた私たちを待ち受けていたのは、険しい表情で仁王立ちするニーナであった。
「あの、勝手というか……わたしのお仕事ですから」
「それは良いわ。でも、行くときは私に一言告げてから行きなさいって言ってるでしょ? ほら、身体見せなさい」
ニーナに鋭い口調で言われ、クリュセは両腕をあげてくるりと回る。
「ニーナ、大丈夫だよ。今日クリュセは敵に近づいてもいないし」
「あんたは黙ってて」
ピシャリと言い放ちながらも視線を逸らさずに、クリュセが三回転ほどしたところで彼女の身体に傷一つついてないことを確認し、ニーナはため息をつく。
肉体的には死んでしまっているクリュセは、痛覚が殆ど無い。そのせいで本人も気づかないうちに怪我をしてしまっていることがよくあった。
本人に言わせれば、しっかりと固定した魂は怪我をしたところで抜け出ていくようなことはなく、むしろ逆に腕がもげようが首が飛ぼうが死ぬことはないから普通の人間よりもよほど死ににくい……とのことなのだけど、そのせいか少し傷つくことに無頓着なところがある。
魔術で傷は治せるとはいっても、いい気持ちはしないのは私も同じだ。ニーナが過剰に気にするのもわからなくはなかった。
「……ごめんなさい。気をつけます」
万歳するようにあげた両手をもう下ろして良いのかどうか計りかねながらも、クリュセは素直にそう謝る。
「まあまあ、お姉ちゃん。そんなに心配しなくても、今のお兄ちゃんなら大丈夫だよ。実際、全部傷一つなくやっつけたんでしょ?」
そこにユウカが割って入り、そうニーナを宥めてくれた。
「せんせーのアレ、卑怯なくらい強いもんね」
リンもそれに加わる。
アレというのは私が使った魔術……魔法の弾丸のことだ。
アルジャーノンとの戦いで、私は己の無力さを痛感した。どんな攻撃をも弾くと思っていた鱗は魔法を帯びた矢の前には無力で、そして人の姿をした私はどうしようもなく脆弱だった。
そう悟った私が作り出したのが、魔法の弾丸だ。
敵を確実に殺傷するための魔術。そんなものを作り出すのは酷く気乗りしないことだったが、大切な人を危険に晒すことに比べれば何倍もマシだ。
そして皮肉なことに、火竜としての私の魔力は、その扱いにこの上なく向いていた。
「あんな大魔術を百も千も同時に撃ってケロっとしてるような人だもん。心配するようなこと何もないでしょ」
他のものを傷つけず、延焼させず、自在に動いて目標に必ず当たる弾丸。それはまさしく、ドイツの民間伝承に伝わる『魔弾』のような魔法だった。まあ、伝承の魔弾は必ず望まない場所に当たってしまう弾も交じるという話だから、縁起が悪すぎて
どのようにそんな事を可能にしたかというと純粋な力技で、直径十メートルもの巨大な魔法陣に膨大な魔力を注ぎ込んで作り上げたその魔術は、魔法陣の大きさから定義すると第二十階梯ということになる。
扱えるものは殆どいなくて、使えたとしても一発撃てば昏倒してしまうというような代物だった。
「……そうだとしても……心配なのよ。こいつはどこか抜けてる所あるから」
ニーナが不満げにいうと、なんとも言えない空気が流れた。私が抜けているのは事実だが、ニーナも心配しすぎでは、と言いたくても言えない。そんな感じだ。
「その気持ちはわかるけど、ニーナ先生も心配しすぎだと思う」
と思っていたら、リンがずばりとそれを口にした。相変わらずの歯に衣を着せない物言いに、ニーナはうっと呻く。心配し過ぎという自覚はあるのだろう。
「それよりぼくは、ゴブリンが巣を作ってたっていう方が気になるな」
気を使ってか、ユウカが話題を変えた。
「巣と言ってもただの洞窟か何かに住み着いただけみたいだよ。彼らが穴を掘って作ったってわけじゃない」
「あ、なんだ。そうなのかぁ」
ユウカの反応は、安堵と落胆が半々になったようなものだった。
私にはその反応の持つ意味が、よく分かる。
もしゴブリンたちが自力で巣を作り上げるような事があったとしたら、今よりももっと危険な外敵となるだろう。けれどその一方で、彼らとの関係性が改善する可能性も開ける。
「まったく本当に……」
私は深々とため息をついて、言った。
「厄介なものを残していってくれたものだよ、アルジャーノンは」
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