竜歴872年

第34話 白紙/Restart

「ん、しょ……んしょ」


 あたしは床を這うようにして、両手の力だけで廊下を進んでいく。

 せんせーがくれた車椅子は便利なんだけど、段差を上がれないし、ちょっとうるさい。

 今みたいに静かに動きたいときには、使わないようにしていた。


「ふう……ついた」


 そうして辿り着いたのは、謎の部屋。だあれも使ってないのに入っちゃいけないっていう、不思議なお部屋だった。


 扉には鍵がかかっていたけれど、問題ない。腰に下げた袋の蓋を外して魔法を使えば、お水がふわふわとたゆたって万能の鍵になってくれる。あたしは難なく扉を開けると、誰かに見られる前にお部屋の中に滑り込んだ。


「わぁ……」


 そこに広がっていた光景に、あたしは思わず歓声を上げる。

 鮮やかな青と緑で統一され、貝殻やサンゴで飾り付けられた可愛い調度品。

 それはまるであたしの為に誂えたかのようにあたしの好みにぴったりだったからだ。

 大人になったらこんな部屋に住みたい。そんな空想を、そのまま形にしたかのようだった。


 どんな人が住んでたんだろう。あたしはそれが気になって、机の引き出しを開ける。

 すると、その中身は信じられないくらいぐっちゃぐちゃだった。


 赤みを帯びた石ころとか、何かの葉っぱとか、水色の押し花とか、よくわからない動物の銀色の毛とか……何だか、ゴミなのかそうじゃないのかわからないものが、雑多に押し込まれてる。


 外からぱっと見える範囲は凄く綺麗にしてるのに、見えないところはこんななんて。あたしは少しだけ、この部屋の主に幻滅した。


 他に、何かないかな……そう思って机をあさっていると、奥の方から、何だか分厚い赤い本が出てきた。


「うわぁー……」


 何気なくそれを開いてみて、あたしはさっきとは真逆の意味で声を上げる。引き出しの中にも増して、ぐちゃぐちゃだったからだ。本って普通は、左上から横に書いてあるか、右上から縦に書いてあるものだと思う。


 その使い方が、めちゃくちゃだった。文章ごとに、縦に書いたり、横に書いたり、斜めだったり、はたまた上下ひっくり返ってたりする。


 内容も、酷い。多分最初に書いたのは、これだろう。竜歴六百三十七年、三月二十五日。あの人から本を貰った。嬉しい。今日から早速日記をつけることにする。


 そして、その真下にあるのが、これだ。竜歴六百四十年。四月一日。デコつよい。

 ……日記のはずなのに、一回目と二回目の間が三年も飛んでる。っていうか、デコって何のことだろう……


 その他も、日記の他に些細なメモ書きだとか、絵だとか、地図だとか、よくわかんないものが入り混じってたりするし、かと思えば見開き丸ごと使って『こんにちは』とか書いてあったりするし、使い方が自由すぎる。


 ……けれど、あたしはそんなメチャクチャな本から、目を離せないでいた。絵なんて殆ど無い……あっても文章とは何の関係もない落書きだけの本。順番はバラバラだし、読みにくいし、何を言ってるのかわからないことも多いけれど……


 けど、そこに書かれてたのは、誰か知らない女性の生の声だった。言いたくても言えない、誰にも相談出来なかったであろう言葉が、正直に綴られている。


 特に気になるのが、文章中に何度も出てくる「あの人」だ。

 これを書いた人は、多分、「あの人」のことを好きなんだと思う。

 けど「あの人」には他に好きな人、「あの子」がいて……


 本を書いた人にとっては、「あの人」も「あの子」もとっても大事で。

 想いを告げたくても告げられない。一緒にいると苦しい。だけれど自分のことを見てほしい。


 そんな気持ちが文章の端々から伝わってきて、あたしはドキドキしながら夢中で文字を追った。


 そして最後のページに辿り着いた時、あたしは衝撃に身を震わせた。

 「これを読んでいる、小さくて可愛い女の子へ」と書かれていたからだ。

 まるで、あたしがこの本を読むことをわかってたみたいだ。

 たぶん、偶然だろうけど……


 そこにはなんだか、ティア先生が言いそうな、細かい注意書きが沢山並んでいた。

 ティア先生は身体がちっちゃいせいか、言うこともいちいち細かい。おっきくて優しい、ルフル先生の方が好きだ。


 でも一番大好きなのは、ユウカ先生。すっごく強くて格好良くって、オトナの女の人って感じがする。逆にあんまり好きじゃないのは、せんせーかな。赤いせんせー。なんだかいつもニーナ先生に怒られてるし、情けない感じがする。

 よくわかんないけど、ニーナ先生に怒られてるせんせーを見ると、何故かムカムカしてくるのだ。それに一番弱そうだしね。


 ……ここに並んでる注意書きを守ったら、ユウカ先生みたいになれるかな?

 ふと何故かそんなことを思って、あたしはそれを読んでいく。

 ちゃんと整理整頓することとか、身だしなみはきちんとすること、とかに混じって、魔法の使い方や、やった方が良いことなんかが書いてあった。


 まあ、意味が全然わかんないのも多かったけど。

 声を代償にしない人化魔法の研究? なに使うの? そんなの。


 ……よくわかんないけど、整理整頓辺りから頑張ってみようかな。

 そう思って本を閉じようとしたその時、ページの端に、よく見ないと気づかないくらい小さな文字が書いてあるのを見つけた。


 「今日、あの人に」という一文が二重線で消されていて、その下に更に小さく「これはあたしだけのもの。悔しかったら思い出すか、同じことしてもらって」と書いてある。


 ……何のことなのか、さっぱりわからない。わからないけど……その文字を見た瞬間、あたしの胸はどきりと高鳴った。


「ずるい」


 そんな言葉が、意味もわからず口をついて出る。

 ずるい。ずるい。ずるい。何がなのか、誰がなのか、全然わからない。なのにただその感情は、あたしの心を支配して。


 何か言いようのない……小さな灯火のようなもの。そんな何かが胸の中に灯るのを、あたしははっきりと感じていた。

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