第31話 波の精霊馬/Each-uisge
「せんせぇ、できたよぉー!」
「こっちもなんとか準備出来たみたいだ」
大きな船を引きずってくるルフルに、私はそう答えた。
精霊を使って船を走らせる算段をつけてから、殆ど丸一年。
ようやく、準備が整った。
ルフルが乗れるサイズの船を海岸まで持ってくるのはなかなか大変なことだった。
そのまま持ってくるのは彼女自身を運ぶよりもよほど大変なのは目に見えていたので、材料やパーツごとに水路で運び、人魚たちの里の隣で数ヶ月かけて組み上げた。
その間の食料や生活品はケンタウロスたちが街道を通って運んできてくれたもので、いうなれば長年に渡るルフルの活動の集大成のようなものだった。
「それじゃあリン……よろしく頼むよ」
「うんっ!」
ルフルとティア、それに私。
船に全員が乗り込んだのを確認し、リンは海岸まで引かれた魔導線に手を添えた。
「汝、流れるもの、形なきもの、冷たきもの」
万物には、様々な側面がある。
「疾く馳せるもの、進むもの、我らを運ぶ穏やかなる波よ」
あらゆるものを焼き尽くし破壊する炎が、人の身体を温め美味しい料理を作ってくれるように。気まぐれに見える海の波にも、その中には必ず私たちに都合の良い流れが存在する。
「我が前に姿を見せよ! 汝が名は――」
そこだけを、切り取る。
「
リンの呪文とともに魔導線を通じて海底の魔法円に魔力が流れ込み、突如として大波が立ち上がった。
うねる海水は馬頭となって、白く泡立つ波の先端がたてがみとなる。
ついで海中から前足と胴体が生まれたかと思えば、魚の尾を持つ下半身が水面に跳ねて、再び沈んだ。
リンは腰ヒレをはためかせると、船の先端に取り付けられた鎖をぐるりと波馬の首に巻き付けて、端をもう一度船に結びつける。
「アハ・イシュケ。この船を引いて、進んで!」
リンの命令に従って、波馬はぐんと進み始めた。
精霊とは、この世界に存在する自然現象を己の好きな形に切り取った、切り絵のような存在だ。水の精霊と聞いて私は思わず気まぐれで移り気な美女の姿を思い浮かべていた。水車が全く動いてくれなかったから、なおさらだ。
けれど、そんなイメージに囚われる必要はまったくなかった。リンが巨大なウンディーネを作り上げたように、自分の必要な性質だけを取り出してしまえばよかったのだ。
アハ・イシュケというのはスコットランドに伝わる馬の姿をした怪物で、海水の中に棲んでいると言われている。ケルピーという名前の方が有名かもしれないが、ケルピーは淡水に棲む水棲馬で、厳密には別の怪物だ。
別に名前は何でも良かったのだけれど、リンにイメージを伝えやすかったので名前を借用させてもらった。本来は背中に乗った人間を海に引きずり込んで殺してしまうという縁起でもない怪物の名前なのだが、その辺りは伝えてないので大丈夫だろう。
それは、海に立つ波の中でも、自分たちに都合の良い方向への波だけを切り取った精霊だった。波は水中に生じることはなく、水面にだけ発生するものだ。だから、アハ・イシュケが私達を水中に引きずり込んでしまうことはない。泡立つ白い波のたてがみは、絶対に水面に出ていなければならないからだ。
「このペースで行けば、丸一日くらいで着きそうかな」
「そんなにかかるの?」
波の長さを見ながら言うと、ティアがうんざりした表情で聞き返した。空を飛んでも何時間もかかる距離なんだから、仕方ない。
「アハ・イシュケが消えちゃうまでは特にすることもないし、ゆっくりしてよう」
そう言って、私はごろりと寝転んだ。川の流れや帆で船を動かせないというのは不便だが、悪いことばかりじゃない。勝手に流されたりしないから、波馬さえ真っすぐ進んでくれれば航路を間違えるということがないのだ。
「じゃあ、あたしご飯とってくるね!」
「えっ?」
止める暇もなく、リンは海中に飛び込んだ。
「リン!」
速度が安定している上、周囲に比較対象がないからわかりにくいが、波馬はかなりの速度で進んでいる。リンが立てた水柱はあっという間に後方に遠ざかり、消えてしまった。
「……助けてくる!」
「待ちなさいよ。先生までいなくなったら私たちはどうしたらいいわけ!?」
船の縁に足をかける私の服を、ティアがぐいと引っ張って止めた。
「リンは行き先の場所わかってるんでしょ? だったら、最悪でもそこで待ってれば泳ぐなり飛んでくるなりするでしょ」
「ああ……それもそうか。ごめん」
どうやら私も冷静さを失っていたようだ。泳いで追いつけなくても、リンは空を飛べるんだった。
リンが大量の魚を抱えて戻ってきたのは、それから二時間後のことだった。
「そういえば船って進むんだった。すっかり忘れてたよ。探しちゃった」
「そもそも、食料はちゃんと往復分積んでるよ。そう言っただろ?」
「あれ、そうだっけ。ごめんね、せんせー」
取ってきた魚を焼きながら軽い口調で言う彼女に、私はがっくりと肩を落とした。この二時間、どれだけ心配したことか、この子はわかってるんだろうか?
「若返ったからかな。最近、子供の頃のリンに戻ってきてる気がするよ」
忘れっぽいところとか、フリーダムなところとか。
だいぶ落ち着いてきたと思ってたけど、あれはもしかしたら老化だったのかも知れないな……
「あははは。せんせー、なんかちょっとシグっぽい」
「ああうん……彼には本当に同情を禁じ得ないよ」
今にして思えば、良くこの子の相手をしててくれたなあ、と思わざるを得ない。
まあそう思うのも、私の方の問題かもしれないけど。
「そうそう。上陸した後のことなんだけど」
結局リンが取ってきた魚で食事を終えて、一休みしているときのこと。
不意に、ティアがそう切り出した。
「ルフル、あれ出して。……そうそう、これ被っておいてね」
ルフルが取り出したのは、フード付きのマントのようなものだった。ティア以外全員分、サイズを合わせたものが用意してある。
「これは?」
「隠形の布。これを被って魔法をかければ、私の隠形を他人にもかけられるの。あんたたちはともかく、ルフルは目立ってしょうがないし」
なるほど。それは……正直、考えてなかった。洞窟と村の間にはそれなりに距離があるから、こっそり行けば大丈夫かと思ってたけど、こんなものがあるなら尚更安心だ。
「へぇー、すごく便利だね。明日、また使い方教えてね」
感心した様子で布を裏返したり肌触りを確認したりしながら、リン。
「使い方も何も、被ればいいだけよ。魔法は私がかけるから」
「あ、そうなんだ」
言いつつ、リンはマントを羽織ってフードを被る。
「試してみましょうか。その身を影のごとくせよ。草木の声、猫の足音、魚の吐息、虫の鼓動」
呪文を唱えながら、ティアはリンの周りをクルクルと回る。するとその羽根から金の粒子がパラパラと舞い散って、リンの身体を包み込んだと思った瞬間、そこにはあらゆる気配が消えた。
「……え、あたし今これで消えてるの?」
「声は聞こえるのか。うん、全く見えないよ」
さっきまでリンがいた辺りに手を伸ばしても、触ることも出来ない。
「あー……先生」
手探りでリンを探していると、ティアが言いにくそうに咳払いをした。
「見えないし触ってないように思えても、いないわけでも触ってないわけでもないからね」
「え?」
パサリと音を立てて、リンのフードが外される。
「せんせー……その、ちょっと恥ずかしい」
顔を真っ赤にしながら言う彼女の胸に、私の手は思いっきり当たっていた。
「ご、ごめん!」
慌てて私は手を引っ込める。
「とまあ……見えてなくてもそこにいることがバレたら攻撃は当たっちゃうから、気をつけてね」
気を取り直すように、ティアが言う。
誰よりも私が、酷い攻撃を受けた気分だった。
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