第21話 離別/Separate
「うわ! 本当に萎びてる!」
「萎びてて悪かったですねぇ」
両手を上げて大袈裟な動作で驚く群青に、水色は不満げな声色でそう返した。
「……聞き及んではいましたが……実際に目にすると、中々衝撃的ですね」
群青ほどではなくてもショックを受けたのは同じらしく、紫さんがいいにくそうにそう口にした。
それは、そうだろうな。
ユウカを産んで三十年。水色の姿は誰の目にもはっきりとわかるほどに老い衰えていた。
美しいのは変わらないが、しかしそれでも顔には幾つものしわが刻まれ、シミも浮かんでいる。
その隣に座っているユウカとは、対象的だった。ユウカの姿は三十を数える今も、十六、七くらいから全く変化ないように見える。ニーナが言うにはその成長の仕方自体は、エルフと全く同じらしい。
けれど全てがエルフと同じというわけでもなかった。
「彼女には……花名はあるのですか?」
「ないわ」
紫さんの問いに、ニーナがきっぱりと答える。
私の呼吸が炎であったように、エルフたちには生まれ持った魔法の形がある。
水色であれば、水色の花を咲かせる枝。紫さんであれば、紫色の花をもつ茨。
そう言った生まれつきの魔法を、ユウカは持っていなかった。
「それでは、やはり……彼女は、エルフではないのですね」
「そう、だろうね」
「兄貴、それは」
頷く私の言葉を流石に聞き咎め、ユタカは私に遠慮しながらも鋭い声を発した。
「ユタカ。君の気持ちはわかるけれど、事実は事実だ。ユウカは人でもなければ、エルフでもない」
肌の色や人種、文化。そんなもので差別するのは愚かしいことだろう。
……けれど、老いることもなく、自分の花を持たない。そんなユウカをどちらかとして扱うのはかえって不幸を招くだけだ。
「その両方の良い点を併せ持った、人とエルフの自慢の娘だよ」
私の言葉に、ユタカの表情は安堵を得てぱっと明るくなった。
「併せ持つ……ですか?」
「紫さん。エルフで三十歳というと、どんなことが出来る?」
私の問いに、彼女は少し考え答える。
「そう、ですね……ほんの子供です。あまり出来ることは多いとは言えません。大人の姿になって、ほんの十数年ほどしか経っていないのですから」
そう。二十歳くらいまでの間は、人とエルフの成長速度に差異はない。けれどそれは肉体面に限った話だ。
三十年なんてエルフにとっては瞬く間に過ぎ去る時間。三十歳なんてそれこそ赤子のようなものだが、人間にとってはそうではない。
「ユウカは、今や剣部の中で誰よりも強い。誰よりもっていうのは、今生きている剣部の中でって意味じゃない。歴代の剣部の、誰よりもだ」
紫さんが息を呑んだ。歴代で最強という事は、ユウキより――ダルガより、強いということだ。その意味の重さを、紫さんは、あるいは剣部たち自身よりもよく知っている。
「三十という年齢はね。人間にとっては成熟するのに十分な時間であり……そして同時に、肉体の衰えが隠しきれなくなる年月でもあるんだよ」
母である水色から受け継いだ、膨大な魔力。
父であるユタカから習い受けた、剣技の冴え。
そしてそれを縱橫に使いこなす天賦の才と、衰えというものを知らぬ肉体。
人としての時間を生きながら、エルフとしての強靭さを持った存在が、そこにいた。
「なるほど……それは、我々にとっての福音となりうることかも知れません」
そっと目を閉じ、紫さんは静かに言葉を綴る。
「ですがやはり……いえ、だからこそ。我々はこれ以上交わるわけにはいかないのでしょう」
「……そう、ですね」
ため息とともに、私は答えた。
こうなる日が来ることは、二十年以上前から……水色がエルフでなくなったと知った日からわかっていたことだった。
一人子を産めば、エルフはエルフではなくなってしまう。生まれた子もエルフではない。
それはつまり、エルフにとってみれば人と交われば死ぬということだ。
水色自身はその運命に悔いも恐れもないだろう。
けれど、エルフという種そのものにとってみればそうは言えない。
下手をすれば、滅んでしまう可能性すらはらんでいる。
水色の件は、彼女だけに起こった特異な例というわけではない。
寿命を失うということがわかった後でも、子は成さないまでも、エルフと人のカップルは村の中で何組か出来ていた。
――幸せそうに齢をとっていく水色の姿を、皆が目にしていたからだ。
それを知らない森のエルフたちが断絶という道を取るのも、仕方ないことと理解は出来た。
「……で。わざわざあんたが来たってことは、まさか私を連れ戻しに来たんじゃないでしょうね」
「いいえ」
じろりと睨むようにして聞くニーナに、紫さんが首を横に振ったので、私はほっと胸を撫で下ろした。
「ニーナ様の身は約定により、先生の手に委ねています。それを違えることはありません。……それに、ニーナ様が望まないのであれば、無理やり連れて帰ることが不可能だということもわかっています」
視線を私にちらりと向け、紫さんはそう言う。
……まあ、そうだろうな。六百年前ならいざしらず、今の私はほぼ成熟した火竜と言っていい。サイズはまだまだ大きくなるようだけれど、エルフ全員を相手にしたところで遅れを取ることはないだろう。戦うなんて事にならなくて、本当に良かった。
「それだけではありません。人とともに生きることを選んだ者たちを、私たちは否定しません。きっとそれもまた、エルフにとって必要なことでしょうから」
紫さんはユウカに微笑みかける。
彼らは、馬鹿じゃない。むしろ人よりもずっと聡明だ。
ほんの七百年前は言葉すら持っていなかった人間たちがあっという間に発展し、高度な文明を得るに至った。その意味をちゃんと把握している。森に篭もればやがて追い抜かれ、取り残されていくであろうことも理解しているのだ。
「よって我らは、里を二分します。これまで通り、あなた達と共に生きる者と……これまで通り、森で暮らすものとに」
なるほど。つまり、緩衝地帯を作るということか。
森に住むエルフがいる限り、種としてのエルフが絶えることはない。
人と交わるエルフがいる限り、文明に置き去りにされてしまうこともない。
それは上手い手だと素直に思う。思うが……それを告げる紫さんの声色は悲哀に満ちていて、私はそれを悟ってしまった。
「紫さん。あなたは……森へ、向かうのですね」
「私は守りの司ですから」
目を伏せ、紫さんは微笑む。
――それはひどく儚く、悲しげな微笑みだった。
「お別れです、先生、ニーナ様。……と言ってもお互い衰えを知らぬ身。いつか……悠久の時の果てに、再びお目見えすることもあるかもしれませんが」
それが望み薄であることは、お互いにわかっていた。エルフというのはどうにも偏屈で、そして頑固だ。そうと決めたのなら、きっとやり通すだろう。
「どうか、お元気で」
「ええ……先生も」
私が右手を差し出すと、紫さんはそれを両手で包み込むようにして握った。
そこにどれほどの想いが込められているのか。結局、私にはわからないままだ。
「じゃあ群青も、森に行くのか?」
「ああ。当たり前だろ」
いつも通りの尊大な態度で、群青は頷く。
そんな気はしていた。彼女は自由極まりないその言動に似合わず意外と保守的で、人との別れを嫌う。自分の見知った人間が生きている間は、決して村を訪れようとしなかった。
まあ、人間の寿命をよくわかってないから、しょっちゅう計算ミスはしてたんだけど。
「そうか……もう会えないとなると、寂しくなるな」
何かと騒がしくはた迷惑な彼女だけれど、なんだかんだ言って長い付き合いだ。もうこの顔が見れなくなると思うと、胸を締め付けられるような思いがする。
「え? いや、私は普通に来るけどな」
なんでだよ。
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