竜歴523年

第26話 喪失/Lost

「支給量の改定を要求する」

「また?」


 いつもと全く同じ口調でそう言い出したアルに、さしもの私も呆れ声をあげた。


「先月も増やしたばかりじゃないか」

「ワタシたちの仲間は増加している。同等の支給量では不足する」


 それに対するアルの反応は淡々としたものだ。何の臆面もなく、ただ事実だけを述べた。


「要求だけをされても困るんだ。仕事を手伝ってくれる約束はどうしたの? 君たちは何もしてくれてないじゃないか」

「そのような約束は、していない」

「なんですって?」


 それまでベッドに寝転がっていたニーナが、聞きとがめて上半身を起こした。


「最初に約束した時、承知したって言ったじゃないの」

「肯定する」


 アルは頷き、ニーナの言葉に答える。


「竜は『何か村の仕事を手伝ってくれれば嬉しい』と述べた。ワタシはそれを承知した」

「じゃあ……」

「この内容に、ワタシたちが仕事に助力する必然性はない」


 きっぱりと言い放つアルに、私もニーナも唖然としてしまった。

 ここまで来ると逆にいっそ清々しい。


 最近段々と、アルの性格が分かってきた。彼……もしかしたら彼女かもしれないが、とにかく鼠たちは徹底した効率主義者だ。極めて合理的な判断しかしない。

 つまりは、「嬉しい」なんていう曖昧な言葉を使った私が悪いのだ。


「なるほど、確かにそうだ。じゃあ、こうしようか。仕事を手伝ってくれないなら、支給量を増やすことはできない」

「作業内容を述べよ」


 具体的な話をすれば、すぐさまそう返ってくる。

 この鼠たちは、あるいは私なんかよりもよほど頭がいいのかもしれない。


「そろそろ種まきの時期だ。それを手伝ってくれればいい。そうだな……畑十枚分手伝ってくれるんなら、支給する麦の袋を月に一袋増やそう」

「……承知した」


 立ち去っていくアルの後ろ姿を見送って、私は大きく息を吐いた。


「なんか、疲れるな……」


 小さな鼠の相手をした気疲れというだけではない。

 最近の私は心身ともに疲れていた。

 それというのも、単純に人手不足問題が復活してしまったからだ。


 姿を消したシグは結局そのまま、戻ってこなかった。

 紫さんは無事に麦の収穫を終え、約束通り森へと帰ってしまった。

 ルカはこんな時に帰郷するなんて、と当初は遠慮していたけれど、半ば無理を言って帰ってもらった。そんなことを言っていたらいつまで経っても帰ることなんか出来ない。


 留学生の半数が姿を消してしまったからだろうか。

 リンとユウキも、どことなく元気がない。


「また新しく、留学生を入れるかな?」

「面倒はあんたが見るなら良いわよ」


 たった一人、全く変わることのないニーナに、私は思わず笑みを漏らした。


「せんせー!」


 そんなことを思っていると扉が勢い良く開け放たれて、リンが駆け込んできた。

 少しは元気が戻ってきたんだろうか?


「ウタイが……」


 私の楽観的な考えに相違して、リンは表情を歪めて泣きそうな声で私の袖を掴む。


「ウタイが、死んじゃうって」



 * * *



 竜の姿でリンとユウキ、そして急報を知らせに来てくれた人魚を背に乗せて、私はウタイの棲む海へと急いだ。

 私の翼でも、三十分はかかる距離だ。そこへわざわざ海から川を遡り、伝えにやってきてくれたのだという。当然かなりの時間がかかっている。


 果たして間に合って、くれるか。


 祈るような気持ちで空を飛び……海岸に辿り着いた私が見たのは、岩礁の上でのんびりと日に当たるウタイの姿だった。


「ウタイ! 大丈夫なのか?」

「あら……先生。あなたまで来てくれたの」


 十三年ぶりに会うウタイの姿は、相も変わらず美しかった。

 口調もしっかりとしていて、とても死にそうには見えない。


 けれど、まるでウェディングドレスのように広がっていた優美な腰ヒレはボロボロに崩れ、随分と小さくなっている。


「ウタイ!」


 リンが私の背中から飛び降り、トビウオのように海面から跳ねてウタイに抱きついた。


「どうだった? 陸の上は」

「楽しかったよ! すごくいろんなものがあって、せんせーはやさしくて、ごはんはおいしくて、シグは面白くて、ユウキは強くて、ルカはたまに怖いけど、紫はすごくって、ニーナは楽しいことたくさん教えてくれて、それで、それで」


 懸命に陸での経験を話すリンを、ウタイは目を細めて聞きながら、彼女の髪を撫でる。

 その仕草を見て、私は彼女が本当に長くないことを悟った。


「一体、どうして……何か、病気なのか?」

「いやね、先生」


 ウタイはくしゃりと顔を歪め、答える。


「私はもう、曾孫がいるくらいのお婆ちゃんなのよ。むしろ長すぎたくらい」


 そう言う彼女の姿はどう見たって三十いくかどうかといったところだ。

 けれど、リンの頭を撫でる手は、まるで枯れ木のようだった。


「だけど最後に、リンのこんな立派になった姿を見られるなんてね」


 その手が、リンの大きな腰ヒレを撫でる。


「うん! 魔法で、大きくしたんだよ! もうちゃんと自分で歩けるの! ウタイと一緒に、歩けるんだよ!」

「そう……」


 ウタイは嬉しそうに笑みを浮かべ頷く。

 けれど彼女のボロボロになったその腰ヒレでは、もう歩くことは出来ないのは明白だ。


「よく聞きなさい、リン」


 ウタイはリンの顔を両手で挟み、目を見つめていった。


「あなたにはこの先、とても素敵なことと、とても辛いことの二つが一緒に訪れるわ」

「一緒に……?」


 確信を秘めたウタイの言葉に、リンは不思議そうに問い返す。


「ええ。けれど、その時あなたはあなたの好きなようにしなさい。心の声をよく聞いて……自分の思うままに、振る舞うの」

「してるよ……?」


 うん、確かにしている。思わず頷きそうになってしまった。

 リンほど自由闊達に生きている子を、私は知らない。


「そうね。あなたはきっと大丈夫。私の自慢の、曾孫なんだもの」


 そんなリンにウタイはにっこり笑って、そう言った。


「ねえ、先生」


 彼女はリンの頬から手を離すと、私にゆっくりと向き直る。


「最後くらい、遊びに来てくれたって良いんじゃないかしら?」

「……そうだね」


 私はユウキと人魚に降りてもらうと、人の姿に変身して海の中へと足を踏み入れた。

 全身を浮遊感が包み込み、視界が泡と水に覆われる。

 私が竜だからか、それともウタイが魔法で何とかしてくれたのか。息苦しさはまったくない。


 と、水中を揺蕩う私の腕をウタイが引いた。


 思ったよりも強い力で引っ張られ、彼女の手のひらが私の頬を挟んだかと思えば、次の瞬間には柔らかな感触が唇に押し付けられていた。


「こんなお婆ちゃんに、申し訳ないわね」

「年齢なら私だってそう変わりはないさ」


 おどけて言うウタイに私は首をすくめてそう返す。やはり彼女がなんとかしてくれたのだろう。水中だと言うのに、互いの声は明瞭に伝わる。


「それに、初めて告白するけれど――実は私は、年上が好みなんだ」

「あら――」


 クスクスと笑うウタイの顔に、リンの顔がダブって見えた。

 いや、違う。これは……出会ったばかりの頃。まだ少女だった頃の、ウタイの顔だ。


「ありがとう。幸せだったわ……私の、初恋の人」


 そう囁いて、するりとウタイは私の腕から離れる。


「ウタイ……」

「……そんな目で見なくったって、そうすぐ死にはしないわよ」


 そのまま泡となって消えてしまうのではないか。

 思わずそんな予感を抱く私に、ウタイは呆れたような口調で言った。


「さあ、先生。あなたはもう行ってちょうだい」

「え? いや、しかし……」

「行って」


 戸惑う私に、ウタイは強い口調で言った。


「行こう、お兄ちゃん」


 岩礁の上から、ユウキがそう声をかける。


「……わかった」


 思ったより元気そうだし、死期が迫ったと言っても一年、二年の話なのかもしれない。五百年以上生きてる人魚なのだから、そのくらい長くても不思議ではない。

 もしかしたら案外持ち直して、更に数十年生きるかもしれないし。流石にそんなに村を留守にしているわけにもいかない。


「リン、私の鱗は持ってる?」

「うん」


 そう尋ねると、リンは髪の辺りをガサゴソと探って、赤い鱗を取り出した。特別教室の生徒たちには一人一枚与えている、私の鱗の欠片だ。


「使い方はわかるね? ……何かあったら、教えておくれ」

「ん……わかった」


 リンはそれを胸に抱き、こくりと頷く。


 そして私はユウキを乗せて再び竜の姿に戻ると、リンを残して空高く翼をはためかせた。


「焦ったけど、おもったよりも元気そうで良かったよ」

「うん……」


 来た時の半分くらいの速度で飛びながらそう語りかけると、気のない返事が戻ってきた。


「大丈夫かい、ユウキ? 少しどこかで休憩していく?」


 考えてみれば、私の背中にずっと乗り続けるというのもなかなか大変な話だ。

 しっかりとした椅子のある飛行機でさえ結構辛いのに、リクライニングどころか壁すらない。風吹きすさぶ中、角や棘に掴まっているというのはかなり体力を使うのではないだろうか。


「ううん、大丈夫」


 だが案に相違して、ユウキは首を横に振った。

 元気はないが、かと言って疲れたような様子も見られない。


「そう? 何かあったら、声をかけてくれよ」

「うん」


 そう答えたきり、私と彼女の間の会話は途絶えた。

 ううむ、間が持たない……


 往路ではリンたちもいたし、何より焦りのあまりそんな余裕はなかったけれど、二人きりになると途端に沈黙が気になってしまう。

 何か話さなければ、と思うが、話題が全く思いつかない。


「ねえ、お兄ちゃん。あの、ウタイって人……昔からの知り合いなんだよね」


 焦りながら話題を考えていると、不意にユウキの方から話しかけてくれた。


「ああ、そうだね。彼女がちょうどリンくらいの頃からの知り合いだよ。だからもう、五百年近くになるかな」

「五百、年……」


 ユウキにはピンと来ない長さだったのだろう。彼女はぼんやりと反芻する。


「お兄ちゃんは……どのくらい、生きられるの?」

「わからない」


 ふと投げかけられたその言葉に、私は正直にそう答えた。


「わからないって?」

「寿命で死んだ竜を、知らないんだ。誰も」


 不死身ではない。竜だって殺せば死ぬ。実際に目にしたこともあるから、それは確かだ。

 けれど老いがあるかどうかは非常に怪しいところだった。

 寿命で死ぬどころか、加齢とともに老い衰える竜すら知られていない。


 竜は基本的に群れを一切作ること無く不干渉だから、気付いてないだけという可能性も無くはないけれど。


「まあ少なくとも、二万年くらいは生きるのは確かだよ。私の祖父に当たる竜がそのくらい生きてるらしい」

「二万……」


 完全に想像力の限界を超えたらしく、ユウキは呻くように呟く。

 私だってそんな長い年月は想像の埒外だ。


「ねえ、お兄ちゃん……あたし」


 何か意を決したように、ユウキが真剣な声色で私を呼んだ、その時だった。


『聞こえる?』


 私の耳に、どこからともなく声が聞こえた。

 竜の耳でも発生源の位置を特定できないその独特の感覚は、鱗を通した通信魔法だ。


「どうしたの、リン?」

『リンじゃない、私よ。ニーナ』

「ああ、なんだ、ニーナか」


 まさかもうウタイに何かあったのか、と身構えた私は、ほっと胸を撫で下ろす。


 けれどそんな私の安堵を粉砕するかのように。


『早く戻ってきて。――鼠が、襲ってきた』


 ニーナは焦りを滲ませた声で、答えた。

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