1部 邂逅、化生とともに
1章 始まり、漂流男と放浪女
1話 月夜の海岸
とある深夜、月明かりが木々の隙間から差し込む林道を歩く少女がいた。
薄いピンクの長髪に狼のような耳が付いている亜人と呼ばれる種族の少女、名前をフィリアという。
その身形はお世辞にも良いとはいえず其処彼処に穴が開いたボロボロの衣服を纏い足を覆うものは無い。そして両腕には鎖の切れた手枷が付けられている。十人が見れば九人は奴隷として見るだろう。
そしてその見立ては決して間違っていない。フィリアはかつて奴隷だった。一口に奴隷と言ってもさまざまな種類があるが、少女は便宜上戦争奴隷であった。
戦争奴隷、文字通り他国との戦争の際に駆り出される奴隷である。戦争奴隷の運用は所有する貴族によって異なる。兵糧や武器の運搬などの後方での支援に充てる者、肉壁として最前線に立たせる者、フィリアの場合は後者だった。
しかし今は自由の身、束縛するものは無い。
(また戻ってきた……)
それが良いことかと聞かれれば絶対にそうだとは言い切れない。流離の旅人といえばそれなりに格好はつくが 実際には生死の境を行ったり来たりのその日暮らし、水以外口にできないだけならまだまし、空腹に耐えかね石や泥を喰らったこともあった。生理的な欲求すら満たせない、生きているだけ無駄ではないかと考えた時も一度や二度ではなかった。
そんな日々でも二月以上続けば慣れてしまうもので、未だに雨風をしのぐ場所すら見つけられず、手持ちの食料が底をつきかけていてもフィリアはまあいいかといった気分でいる。
(まぁいざとなれば海の水でもなめればいいかな)
御覧の通り、すでに食欲に関する感覚が麻痺しかかっている危険な状態である。
そして結局食料を調達することは叶わず、頭で考えていた通りに林道をそれ、砂浜に出た時、フィリアは偶然にも古びた小屋のようなものを遠くに見た。幻視ではないかと目をこすりもう一度確認するが建物は消えていない。
思わぬ幸運に内心小躍りする。このところ野外でのわずかな仮眠しか取れなかったフィリアは睡魔と高揚感の相反するものに見舞われた。
考えるより先に体が動いていた。思考が追い付いても駆け足を止めることはなかった、ここで動かなければ阿呆だ。この先の幸運もすべて見逃すだろう。
そんな刹那的な思考で動くフィリアだったが目的の灯台が手のひらより大きく見えるようになってきた時、一瞬寒気が走り立ち止まった。その原因は分からない。あえて言うならば直感のようなもので感じ取ったと表現するのが正しいか。
林の方向から地面が振動するかのような大きな咆哮が響き渡るのを感じた。
咄嗟にフィリアはより近くにあった岩場に林道から隠れるようにしゃがみこむ。
一瞬遅れて全身が凍り付く生気のようなものを感じた。その原因はすぐに分かった。岩場の隙間から林道の方向を覗き見ると、その上方から巨大な影が降り立つ。
(な…何、あれ……)
その影が月明かりに照らされ全体像が現れる。その姿は間違いなく『怪物』と呼べるものであった。生物であることは間違いない。しかしあまりにも異質、フィリアが丸呑みにされてしまいそうなほどの体躯をした四足の獅子。それだけでなく犬のような頭部が両端についた三つ首、さらに翼が生え、尾の代わりにヘビが頭を見せている。
遠目に見ても伝わる圧倒的な威圧感、見つかれば絶対に助からないだろう。そんな後ろ向きな確信がある。
(……)
だから今は『見』に徹するしかない。ここは海岸、あの怪物が求めるようなものは何もない。そのはずであるのにその怪物は周辺を徘徊するばかりで一向に去ろうとしなかった。ますます分からなくなる。何が目的なのか、そもそもなぜ海岸に降り立ったのか。
しかし、フィリアはそういった思考にふけって現状維持することに限界を感じていた。
最早根競べの域に達するほど時間は立った。ここまでくると希望的観測にすがることは出来なかった。
フィリアがこの状況を脱するために考え付いた案は四つ。
1、怪物の頭部が林道を向いた瞬間に駆け出し灯台の中に逃げ込む。
最も現実的な策である。足には自信があるし、目測でも距離は大分離れている。
懸念として、逃げ込めてもそこに籠もる日がどれだけ続くか分からない。
2、林道に駆け込み、視界の悪さを利用して逃げる。
既に博打要素が強すぎる。それでも次善の策である。
3、海を潜って逃げる。
もし、相手が潜ることも出来てしまったなら?一巻の終わりだ。そもそも自分は泳げない
4、戦う。
一言、論外である。
結局策は一つしかないようなものだった、1を取るしかない。
死にたくないのに死ねるものか、そう心の中で自らを奮い立たせその時を待つ。
そしてその時は程なくして訪れた。林道に怪物の気が向く瞬間、一気に駆け出した。後ろから咆哮と風を切る音が聞こえる。
だが大丈夫、間に合う、間に合うはず。
そして間に合った。灯台の入り口にフィリアは手を伸ばした。
「…………は?」
しかし無慈悲などんでん返し、「古びた」小屋は入り口が錆び付き開かなかった。
「なんで⁉開いて!この……ひらけ!!」
ほとんど悲鳴に近い大声を上げるがそれで事態が好転するはずもなく、フィリアの視界は反転した。砂浜に投げられたのだ。周りには何もない。手持ちの荷物は怪物の足元、チェスで言うところのチェックメイトに等しい。それを頭の中で悟ってしまえば諦めるのもすぐだった。気力がそがれ、尻餅までついてしまう。
最早フィリアは無力な獲物でしかない。容赦なく野生の殺意が襲い掛かる。
「よせ…その……を………な……い」
今夜最後のどんでん返しが起きた。フィリアと怪物の間隙を一筋の閃光が貫いた。何事かと光の出先を見ると一人の人間が立っていた。全身像は外套に覆われて顔も見えなかった、かすかに聞こえた声から男性であることと右手に大型の銃を持っているのが分かった。これで怪物の殺意の矛先があの男に行くのではないかとフィリアは考えたがしかし、全く襲い掛かる気配がない。それどころかそれまでの荒々しさは消え、よく躾けられた犬のようなおとなしさを見せている。
何がどうなったのか、全く理解できなかった。ただ一つ分かったのは自分は救われたということ。ならばその例は尽くさなければならないと思いその人の元へ駆けて行った。そして手の届く距離まで来た時、突然男は地面に倒れ伏した。
もう驚くことにすら疲れた。慌てず、しかし急いで男を抱きかかえる。よくみると外套からが焦げたような臭いがする。外套を取れば衣服もボロボロで下は膝上まで燃えカスになっている。
だが訳が分からない状況であっても命の恩人に変わりない、助けなければ。見える部分の傷を一通りみてまたも驚く。なぜこれで生きているのか、いたるところから出血していて持ち合わせている薬草すべて使っても足りるか分からない。とにかく傷をすべて見るため外套を取り払う。すると必然的に露わになる素顔。
『美しい』
全身が白亜の肌に包まれたいわゆる白子というのだろう。男の容姿を形容するに相応しい言葉はこれ以外になかった。美男子、美青年、どちらでもない性を超越した彫像に近い清浄さ、神々しさがあった。
それを見たフィリアは今夜最大の衝撃を受ける。だがその容姿に見入った理由は美しいからではない。その顔を知っていたからでった。
「アマト…フリューゲル……」
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