21話 手にした日常は…
その年のウィルゼールの徴用試験はフリューゲル子爵の護衛が決まり、それが女の亜人とあって兵士の間では話題になっていた。
八百長、色仕掛け。当時の試験を見ていた者に聞けばすぐに否定されるような憶測が飛び交っている。
「う…ん……」
その当事者であるフィリアはその日の夜、明かりが灯された部屋で目を覚ました。薄い青を基調にした落ち着いた雰囲気、すぐにリムの部屋だと気づいた。
「リム…さん?」
「あっ、起きた?」
それを証明するように、リムが机に向かい何かの作業をしているのが見える。そしてフィリアに気が付くと作業を切り上げて話しかける。
「負けちゃったんですね……」
「え?何が?」
「護衛の試験に決まってるじゃないですか」
自分の口から言わせようとするのかとフィリアはリムに怒り交じりに呟く。リムは何を言っているのかと首を傾げるがすぐに答えに行き着いた。
「……ああ!それもそっか。あれじゃ分かんないもんね」
フィリアの勝利は流れている噂のようなものではないが偶然だった事も殆ど事実。フィリアはアマトに擦り傷を付けた時、腕を捻られ逆の方向を向いていた。それからアマトの一撃で気を失ったのだから分からなかったことも無理はない。
「おめでとう。あなたは大陸史上初のフリューゲル子爵の護衛だよ」
そんなフィリアを盛大に褒め称え、二人しかいない部屋で大袈裟に拍手する。
が、フィリアは夢現なのか顔を向けたきり全く反応しない。それがむなしくさせたのかリムはゆっくりと動作を止めていく。
「あまり喜ばないね」
「実感がないので」
あの時、アマトの衣服に傷を付け、勝利した後のことはフィリアの記憶にない。全身の緊張の糸が切れたように雨ざらしの地面に倒れこんだ。
「ま、とりあえず起きてアマト君に挨拶ね」
「はい」
「案内しようか?」
「大丈夫です」
淡々と二人の会話は進む。ここまででフィリアは表情はおろか眉一つ動かさない。そしてその真顔のままフィリアは部屋を出て行った。
「さあて、どうするかしら?」
リムにとってもフィリアの勝利は本当に予想外だった。だがそれは嬉しい誤算というものでこれからの展開に期待を隠せないでいる。
リムは今の自分の顔を、他の誰にも見られるわけにはいかなかった。
「頑張ってよね、アマト君の為に」
☆☆☆
屋敷の使用人やすれ違った兵士は皆が皆フィリアを見るたび周りとひそひそと話を始める。
本来なら不快感を覚えるものだが今のフィリアは一切気にしない。と言うよりアマトを探している彼女はそんな事に構っている暇はない。
「あ、君!」
その中で声を掛けるものもいた。ロイとリンディス、試験の終始を見届けた二人だ。
「アマトを探しているなら一番上の階だよ」
「本当ですか?」
ありがとうございますと礼を述べようとする直前、リンディスが口を挟んだ。
「違いますよ、1つ下です」
「は?執務室は4階だろ?」
「ノルンさんが子爵様を捕まえてるのを見ましたから……あっ」
リンディスは確かに真実を伝えた。だが時にそれが裏目に出る時もある。それが今だ。
「どうも……」
目に見えてフィリアの機嫌が悪くなっている。二人は触らぬ神に祟りなしと追う事をしなかった。
「アマトさん……」
去っていくフィリアの後ろ姿を見ながらロイは愚痴をこぼす。
「何だよ、良い女は皆アマトアマトってさぁ」
「仕方ないでしょう。ロイさんモテないんだから」
「俺がモテないのとアマトがモテるのは関係ねえだろ!大体リンディス!お前だって悪趣味祟って男に見向きもされないんじゃねえか!」
「別に良いですよー、いざとなれば子爵様の愛人になりますからー」
唐突に馬鹿にされ憤慨するロイと今しがたのロイの嫉妬交じりの愚痴を詰るような言葉で煽り返すリンディス。
こうなったらフリューゲル領の人間は長い。
二人がそんな事をしている間にフィリアは無意識のうちにアマトの残り香を亜人の嗅覚で追っていた。
「アマトさんの匂い……」
少々危ない言葉をこぼしながらフィリアはある部屋の前で立ち止まる。扉の隙間から覗いた先に予想通りアマトとノルンが共にいた。
『あんな馬鹿なことが……』
馬鹿なことはその光景だ。
『……よし、出来た』
『何かの間違いだ……』
間違いはその光景だ。
『……さぁ脱げ』
『ありえない……』
ありえないのはその光景だ。
『ほら、早く、ありのままを受け入れろ』
部屋はノルンの物だろう。そう思わせる上質な家具が多く見受けられる。だが何よりフィリアの目を釘付けにしたのは、下着姿にアマトの手首を縄で縛ったノルンが彼の首筋を舐め取っている光景だった。
『ありのまま……か、そうだな』
「そうだじゃなぁぁぁい!!」
思い立てばすぐ行動に移すのが今のフィリア。扉を蹴破りその部屋の倒錯した雰囲気を破壊する。
「……折角いいところなのに」
「今日からアマトさんの護衛になりました!フィリアです!」
後ろでノルンが何か言っているがフィリアは気にしせずアマトに挨拶する。
アマトもまた少し反応に困りながらも最後には手を差し出した。ありのままを受け入れる。先程の噛み合っているようで噛み合っていなかったアマトとノルンの会話がアマトの背を押す事になったのだがそれはアマトにしかわからない事だった。
「よろしく頼む」
望んでいた言葉、その一言で努力が報われたことをフィリアは実感出来た。
かつて、海岸で旅に誘われた時と同じように差し出された手を、今度しっかりと見据え、両手で強く握り返す。
「はい!」
そして迷いの無い笑顔で応えた。
「おいコラ」
「はい?ああ、ノルンさん」
感動を台無しにされたフィリアと官能を台無しにされたノルン。二人の間に火花が散る。だか欠伸をしたノルンが先に折れ、あっさりと決着が着いた。
「……興が削がれた、寝る」
寝巻きすら用意せずにシーツに潜り込む。いくら容姿が優れていても行動がこれではダメ女の烙印を押されても仕方が無い。下着姿でベッドに入りながらもその全身はアマトの腕を抱きしめて離そうとしないノルン。
「分かった分かった。僕も眠るよ」
駄々をこねる子供をあやすようにノルンに寄り添うアマト。その腕は未だに縛られたままだ。
「私も良いでしょうか!」
それを見過ごすはずも無いフィリア。三者三様だがとても一般には公開できない奇妙な絵面だ。
「……ごめ「ありがとうございまーす!」」
同意を求めながらも初めから答えを聞くつもりすらなく、ベッドに入り空いているアマトの右腕に全身を絡ませる。
「ふへ、フヘヘへへヘ」
「えへ、えへえへへへ」
眠りに就きながら不気味な笑い声を両腕から聞かされたアマトは数日間同じような状況に苦しめられる事になるのだが、それはまた別の話。
☆☆☆
フラーズ王国北東の街ウィルゼールを治めるフリューゲル子爵、その邸宅に用意された調理場に二つの影がある。
「……あとは」
「チクショー!何が護衛だ!全然アマトさんに会えないじゃないですか!」
フィリアがアマト・フリューゲルの護衛としてウィルゼールに定住すること一週間。彼女はひたすら雑事の練習の日々を送っていた。
ここでの護衛の役目とはただアマトの周囲の危険から身を守ることではない。
アマト自身は拒絶していたがそう言った点でフィリアはまさに適格な人材だった。
問題は経験のみ。そのための練習なのだが、料理、洗濯、ここまでは今までのフィリアの経験が生かせる。だが護衛としてアマトの側に立つ以上、貴族の従者として最低限のマナーと教養を身に付ける必要があり、それがフィリアを足止めしている。
「……ひどい話だ」
「ですよね!」
「……お前が苦労することはどうでもいい。なぜ私が指導係なんだ」
それを監視しているもう一人がノルン。一番暇だから、という彼女からすれば理不尽な理由でこの役割を周りから押し付けられたのだった。
「……そうだ、お前護衛辞めろ」
「嫌ですよ!思い返せばどんだけ苦労したと思ってるんですか!?」
そんな経緯のためかノルンは可及的速やかにフィリアの教育を終わらせようとしている。もちろんその中にはフィリアのドロップアウトも最短距離として含まれている。
「……ティーカップの置き方が雑」
「またぁー!?」
二人のこんなやり取りも遂に二ケタを超え、お互いにうんざりし始めていたた。
(……このわんわんさえいなければ今頃アマトとにゃんにゃんしてるのに」
「聞こえてますよ」
「……」
最近の自分はこんな役ばかり押し付けられる、と愚痴るノルン。
自身に関わった感動をすぐに台無しにされる、と愚痴るフィリア。
アマトの側にいたい。役に立ちたいと両者が考えている点から考えると存外に相性はいいのかもしれない。
「……カップの飲み口は飲んだ後にふき取ること、間接でも接吻は許さん」
「あナルホド!その手があった痛ぁい!」
☆☆☆
「はい、あーん」
「あーむ」
フィリアとノルンが訓練で四苦八苦している頃、日々の業務も終わらせ暇人となっているアマトはこれ幸いとダグ、リンゼ兄妹と戯れていた。
この一週間、空いた時間の昼過ぎには日課のように顔を見せており、ダグとリンゼもすっかり周囲の人間と打ち解け、実質アマトの養子のような扱いを受けている。
一方のアマトも困惑しながらもそんな周囲の反応を強く否定することは無く、父親代わりとして自分なりにできるだけのことをしている。
(子を持つとはこういうことなんだろうな)
「そうね、あ・な・た♪」
「心を読むのだけはやめてくれないかリム?」
その部屋にリムもいた。勿論二人もよく懐き、親子のやり取りをする関係にまで発展している。この構図だけ見れば小姑を厄介払いして水入らずの時間を楽しんでいる計算高い女に見えるかもしれない。そして実際その通りだった
「でもあの二人には少しだけ悪いことしたかな」
「何が?」
「まだ分からなくていいよ」
他愛もない会話を繰り広げる。そんな時間がどれほど幸せなことなのか、正常が異常という世界を知ったここにいる四人はよく分かっている。勿論フィリアやノルン、ロイ、グリフィスもだ。
だからこそ平穏の一瞬一瞬を噛みしめている。
「ずっとこうしていられたらいいんだがな」
無意識のうちにこぼれ出たのか自身で驚き口を押さえる。
「アマト君?」
リムもアマトがそのようなことを口にするのが意外だったのか意表を突かれた表情になっている。だがアマトは戦いの中で生きている。それは出来ないことは当然分かっている。
「そろそろ戻らないと」
時が来ればアマト・フリューゲルに戻らなければならない。
それをむなしいことだと思えるようになったのは今ここにいる二人と、フィリアのおかげだ。今度は心の中にその思いを留める。
「……うん」
「いって…らっしゃい…です」
後姿のアマトに向けたダグとリンゼの言葉に振り返ることは無かった。
「ロイとグリフィスを呼んでくれ、話がある」
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