8話 子爵、婚約者と語らう

「……アマト、話がある」

「こっちにも話があるが、それより優先すべきことかそれは?」


 ノルンは玄関で迎えるなり剣呑な雰囲気を纏っている。それを直接向けられたアマトは茶化すような口調で対応する。アマトからもノルンに話があったのだからこれ幸いとその話に乗ることとなる。


「……そう」

「絶対に?」

「……絶対に」


 アマトは少し考えた後その目線に何かを感じたのか首を縦に振った。


「ああ、いいだろう」

「……こっちに」


 そう言ってノルンはまた宿の主、ソールの部屋へとアマトを入れる。

そこでアマトはフィリアが気絶している姿を目の当たりにする。やや慌て気味に駆け寄るが、息があることを確認すると安心したふうに息を付く。


「随分きれいだな、まるで死に顔じゃないか」

「……その方が良かった」

「何か言ったか?」

「……気のせい」


 軽口を叩きながらフィリアをベッドに寝かせてから会話ができる態勢に入るアマト。


「これでよし。それで、話は何だ?」

「……その亜人」

「フィリアか?」

「……何故一緒にいる?」

「またそれか。昨夜言った通りだろう」

「……あの時の奴隷とは聞いてない」


 ノルンの言うことが分からず首を傾げたアマトだったがすぐに何を聞こうとしていたのか理解する。


「成る程、そういう訳か」

「……アマト、教えて」

「あの時も今日のような晴れが曇りか微妙な天気だったな」


 面と向かって話すにはいささか暗い話だと判断したアマトは窓の外を見ながらノルンに背を向けて語りだす。ノルンもまた自身の中で感じた違和感の正体を理解できる予感がした。フィリアの運命が大きく変わった日、アマト自身は何を見て、何を感じたのか。


「ガイリア侵攻には慎重に慎重を重ねる必要があるものだった。」

「……結果論では成功だった」

「周りから見ればな、だが私の目的はガイリア南部の土地だった。大義名分が仇になったわけだから実質敗北と言ってもいい」


 昔のことを今更悔みはしないがと続けた後に話を切り替える。その結果の副産物について。


「だが奴隷から解放された連中からは『フリューゲル子爵様万歳』、『救いの主だ』などと神を崇める様な態度を取られた。」

「…………」

「そのことで一時的にとはいえ憂さ晴らしと同時に気持ち良くなっていた自分がいたんだろう。変な高揚感に身を任せて俯いていた彼女に手を差し出した結果がアレというわけだ」


 そういって額をさする。そこにはまだ微かに傷跡が残っていた。


「……でもアマトが悪いことはない」

「当然だ。私は悪意を持ってやったわけではない。だから、何故彼女があんな行動を取ったか分からなかった」


 話しながらベッドに座り込み眠っているフィリアの髪をなでる。まるで親が愛しい子にするような優しさにあふれた表情とともに。


「だが、フィリア本人から過去を聞いてようやく分かったよ。他人からどんな扱いを受けて来たか、何を考えて生きてきたか。そしてあの時、僕が手を差し出した姿が、この子にはきっと、今まで自分を弄び続けた外道の手と同じように映ったんだ。ようやく自由の身になれたのにまた地獄のような日々が始まるのかとね」


語るうちに素の状態のアマトが露わになっていく。ただ事実を淡々と語るだけのフラーズの一貴族ではなく、時折見せた慈悲の深いおおよそ人殺しの兵器には生まれない人格。


「……贖罪のつもり?」

「違うと言えば嘘になるな。今語った話も僕の想像が入っている部分がある」

「……」

「真実は彼女の心の中だ。だが彼女は現実にここにいる。本当に大事なことはそこなんだよ」


 そういって話を切る。アマトは隠していた思いを打ち明けてどこか清々しい表情をしている。一方のノルンは何とも言えない複雑な表情をしていた。


「……理解は出来た」

「またかい」

「……納得は出来ない」

「またかい」



 ☆☆☆



 日が沈む頃にフィリアは目を覚ました。その寝覚めは正しく最悪の一言に尽きる。

 眠りに落ちた先にフィリアを待っていたのは過去のフラッシュバック。父親との離別、集落の大人からのひどいいびり、思い出したくもない奴隷時代、そしてノルンの言葉で補完された空白の時間。ノルンの言葉はすべて真実だった。自分が何をしたのか、フィリアは第三者の目線で見た、見えてしまった、フィリアの爪がアマトの額を抉るその瞬間を。その後に記憶の中のフィリアは錯乱したのか逃げ去るように走り出していった。

 多くのバイアスがかかっているとはいえそんなものを見てしまっては気分が良くなるはずもない。


「やあ」

「あ、アマト…さん」


 ベッドのすぐ隣でアマトがフィリアの目覚めを待っていた。

 それまでなら敬愛する相手に素直に感謝の意を示せるだろう。しかし、自分の真実を知ってしまった今では、自身の存在意義が根元から崩れた今ではそれが出来ない。フィリアという存在はアマトのそばに在ってはいけないのだとまたしても内向的な思考に支配される。


「あ、あの…私は」

「ちょっと待った。ノルン」

「……」

「ノルン…さん?」


 部屋の扉を足で蹴り飛ばす勢いでノルンが入ってくる。それまでの服装の上から料理に使う白い服を着重ね、両手に三人分のスープを乗せたトレーを持っている。


「……食え」

「え?」

「……少し早いけれど、夕食」


 話しつつ机の上にスープを並べていく。

その姿には直近まで見せていた怒り、憎しみが一切感じられない。


「……お前を信じる」

「そんっ、どうして!?」


 いったいどういう心境の変化なのか、気を失っていたフィリアには全く状況が呑み込めなかった。


「気にするな、ということだ」


 横からアマトが割り込むついでに頭をなでていく。アマトの顔を直下から見た時、アマトの額に自信が付けてしまった傷の後を見た。しかしそれ以上に顔を覗き込んだ時のアマトの表情はフィリアの心に強く印象付けられた。その瞳が、笑みが、すべてを語っている、『君はここにいていいんだ』と。

そうしてまたしてもフィリアは救われた。もはや疑問を持つことはない。アマトの微笑みにフィリアは満面の笑みで応える。


「アマトさん…ノルンさん………本当に、ありがとうございます!私頑張ります!」

「あ、うん。そんな変に気を張らなくていいんだよ?」

「……いいから食え」


 目で見て取れるほどに活気を取り戻したフィリアの姿に仏頂面を続けていたノルンからも思わず笑みがこぼれた。


「……はい!いただきます」


 今度こそフィリアの心に迷いはない。自身の過去を振り切り、今まで以上にアマトへ恩返しをするという決意を胸に抱きながら、ノルンの作ったスープに口を付けた。


(塩辛っ!)

「いただきます……しょっぱい。ノルン!塩はだ!に突っ込んだのか!?」

「……失礼な物言いを…………何故だ?」

「今言ったろう!?」


 何とか顔に出さなかったフィリア、遠慮なしに作り手に突っ込むアマト、自分の失敗を冷静に分析するノルン。

 三者三様の新しい旅がどんなものになるのかに、フィリアは心を躍らせていた。


 フィリアの心機一転とノルンの塩スープの夜から一晩が過ぎ、フィリアが目を覚ました時には日の差し込む爽やかな朝だった。しかしアマトは部屋には居ない。またかと思いつつ、フィリアは1階へ降りる。

 やはりと言うべきかアマトはノルンの部屋の前で椅子に腰掛けている。


「おはようございます。今まで何処に?」

「やぁおはよう。いやノルンが眠らせてくれなくてね」

「……そういうこと」


 直近の部屋からノルンが出てくる。それまでフィリアが見たことないほど顔は紅潮し、どことなく衣服は崩れ、鼻につく臭いを纏っていた。


「……そうですか」

「……嫉妬ジェラシい?」

「いーえ全然?絵本でも読んでもらっていたんでしょう?」


 フィリアの中にはもうノルンへの遠慮は無い。


「……正直になれ」

「それじゃあ、『私はあなたが好きです』これでいいですかノ・ル・ン・さ・ん?」

「あのさ、もう少し歩み寄ろうよ二人とも……」


 互いに挑発を繰り返す二人にいつの間にか蚊帳の外に追いやられていたアマトが割って入る。


「……分かりました」

「……却下」


 真逆の反応を同時に返した二人はまたそれをきっかけにお互いに笑顔で牽制し合う。

これからの旅は大丈夫なのだろうか、そんな懸念をしている最中に玄関の扉が開く。


「只今戻りました!アマト様、私事に力添え頂いたこと誠に感謝いたします。……アマト様?」


 勢いよく扉を開け言葉を発したのはソールだった。口ぶりから察するに私用は終わったのだろう。ならばこの宿に三人がいる理由はもうない。


「……行こう、まずはザンドラへ」

「……」

「……はい」


 ようやくコーロニアから離れ旅を始める一行だったが


「ん?ん?なんかよくわからんけどさようならー!」


 ただ一人、この宿屋の主人である中年男だけは空気に混ざれないまま、楽観的にアマトたちの出立を見送ることしかできなかった。



 ☆☆☆



「そうそう、あまり強く握らずに」

「こ、こうでしょうか?」

「ああそうだ。覚えがいいな」

「あ、ありがとうございます」


 コーロニアを北東へ抜けて数刻、フィリアはアマトから馬車の扱いについてマンツーマンでの手ほどきを受けていた。

 アマトの教え方はどちらかといえば感覚に頼った部分が多く、フィリアの歓声と相性が良かったらしい。


「これなら大丈夫だろう。それじゃあ何かあったら言ってくれ、僕は少し休むから」

「眠れなかったですもんね」

「ああ、まったく困ったもんだ」


 ほらきたと頭の中で用意していた文章を情感を込めて発するフィリア。遠慮がなくなったことの表れだが、両方にやや極端なのはフィリアの特徴だろう。


「その、どっちから?」

「ん?……ああ、ノルンから誘ってきたけど?」

「仲が良いんですね」

「まぁ、一応婚約者だから」

「……え?それで?」


 そして予想外の答えに噛みながら狼狽える。婚約者、その言葉の意味するところはフィリアにも十分理解できる。だが今の言い方ではしかし婚約者=情事の相手でとして認識しているようにしか聞こえない。


「ゴホン、それで流されるままに?」

「え?ああ、婚約したなら定期的にするんだと」


 その返答にフィリアは思わず前のめりに倒れた。昨日だけでも抜けた部分を露呈していたアマトだったが、仮にも貴族であり大の男が情事に関してここまで疎いとは思いもよらなかった。

ノルンと事に及んでいながら子宝は畑の作物から現れるとでも思っているのだろうか?


「あ、あのぅ…それは婚約者じゃなくて結婚してからなんじゃ……?」

「違うのか!?」

「い、いえ!多分そうなんじゃないかなと」

「…………知らなかった」


 ここだけは概ねフィリアの予想通りだった。


「……寝る」

「……お休みなさいアマトさん」


 御者台から馬車の中へと入ろうとするその時のアマトは表情に見て取れるほど疲れが噴き出している。これ以上追及するのは可哀想だろうとフィリアは判断した。


「……」

「じゃあ僕は眠るから何かあったら教えてくれ」


 空間の隅で丸まるノルンを一瞥するがもはや怒る気にもならないのだろう。最低限の頼みだけをして端にもたれかかる。


「……無理」

「そうか」




 ☆☆☆




「アマトさん、馬を止めるのはどうすれば…………」


 アマトが眠ると言って馬車の中に入ってしばらく、彼に馬車の止め方を聞きたいと思い後ろを覗き込むが既にアマトは目を閉じていた。これでは仕方ないと思いつつその傍らで同様に目を瞑っているノルンに羨望を抱いた。


「いいなぁ……いやダメなのかな?」


 休んでいる両名への嫉妬か、アマトとに身を寄せて眠るノルンへの嫉妬か、そんな気持ちが声になって漏れた瞬間だった。自分の目と鼻の先ほど近くを何かが横切った。いや、フィリアはその一瞬の絵が目に焼き付いた。それは吹き矢だ。

 何が起きるのかは分からない、だが何が起こったのかは理解できる。


「うわっ!ちょ、アマトさん!助け」


 馬車の中で眠りこけていたアマトに助けを求めようとしたとき、一本の矢が一方の馬の脚に命中した。その痛みに耐えかね暴走した挙句、もう一方も転倒しないように加速する。馬車の扱いが素人に毛が生えたレベルのフィリアでは何とか落馬しないだけで精一杯だった。


「何だ何だ危ない動きして」

「……ぶつけた」


 うつぶせの状態で馬車から姿を現すアマトとノルン。アマトは手綱に手を伸ばし二頭の馬を何とか制止させる。


『降りてこい!いるのは分かってんだよ!』


 荒々しく落ち着きのない男の声だった。


「はぁい、どなた?」

「テメエらだなウチのお頭を殺したのは」

「……ああ、そんなことあったかな」


 その会話でようやく思い至った。コーロニア近郊で出会った野盗の仲間だ。哀れにもアマト・フリューゲルをそうとは知らずに狙ってしまった、よくよく考えれば道化もいいところだ。


「そんなことだと!?」

「それで君が今群れのボスをしているんだろう?成り上がれて良かったじゃないか。感謝はされても恨まれる理由はどこにもないと思うが?」


 アマトは理詰めでこの局面を乗り切ろうとしているのだろうか、否、完全に相手の感情を逆撫でしている。アマトにとってこの旅で最も懸念すべきことは自身の存在が他者に知られてしまうこと、ならば可能性はすべて排除する。それがアマトの考えなのだろう。


「そんなに挑発しちゃダメですよ!ただでさえ血が昇ってそうなのに……」

「いいから、さあどうする。今ので自分がどんな立場にいるのか、それは誰のおかげか分かっただろう?」

「ふざけんじゃねぇ‼︎親分と連中の仇討ちだ。ブッ殺せ!」


 その言葉を合図に草むらに隠れていた連中を含めて馬車に襲い掛かる。目視できるだけでもおよそ50人。こうなれば仕方がない。アマトは臨戦態勢に…………入らなかった。


「ノルン、任せる」

「……承知した」


 代わりに戦いの準備に入ったのはノルンだった。馬車の上に飛び乗り懐から杖の様なものを取り出す。フィリアはアマトに異議を唱えようとしたが考え、自粛する。ノルンはもともと『フリューゲル子爵』の部下なのだ。数をそろえようとも野盗ごときに後れを取るはずがない。でもどうやって?


「何してやがる、たかが女一人に!」

「で、でもこれじゃ近付けねぇよッ……!?」


 思考の海に潜っていたフィリアはどれほどの時間が経っていたのか気付かなかったが既に大多数の敵が血を流して倒れている。何が起きたのか初めは理解できなかったが馬車の上に立つノルンを見てようやくわかった。


 『魔導』 この世界で生きているものなら大なり小なりあらゆる動植物のに体内に含まれる『魔力』を利用し、様々な用途へ転用する技術。今回のノルンが使用する場合は攻撃、炎を纏う球体を杖の先から大量に生み出し各個撃破していく。その攻撃の前では木製の弓矢など何の意味も持たない。圧倒的、ただただその言葉がふさわしい。


「……あと半分の半分」

「クソが!こうなったら」


 ヤケを起こしたのかリーダー格の男が馬車の車輪に向け突っ込んでくる。単なる死にたがりじゃないかとフィリアは何のアクションも起こさなかったがアマトは違った。


「悪いがこの馬車は手に入れたばかりでね、盗人ごときに壊されるわけにはいかないんだよ」


 男の突撃をただの特効ではないと感じたのか、アマトが眼前に立ちふさがりナイフを突き立てる。しかし相手もそれなりの腕はあるのか隠し持っていた短刀でつばぜり合いに持ち込む。体中に怪我をしているアマトに力比べは不利に働いたのかナイフが宙に放たれる


「もらった!」

「またまた残念」


 男が確かに弾いたはずのナイフは自由落下をはるかに超える速度で脳天に突き刺さる。相手は何が起きたのか気付くことは無かっただろう。

 一方のノルンもすべての敵を排除していた。辺り一面に焼け爛れた死体が散乱している。


「……終わった」

「す、凄い」

「……讃えよ」


 全身がTの字になるように腕を広げそう言い放つノルン。事実今回の勝利がノルンの貢献がほとんどであることは間違いなかった。


「凄いですアマトさん!」

「……待てコラ」


 しかしフィリアはアマトに称賛の言葉を送っていた。


「でも、こんなに死体だらけで大丈夫でしょうか」

「気にしなくていいよ。この道はほとんど人が通らないししばらくすれば骨だけになるだろう」


 フィリアに笑顔を向けながらそう言い放つ。そして一行は旅を再開した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る