第3章 *2*

 鼻歌混じりに二件の配達を終え、次はユイナの家だと軽快に歩いていたサミルは、視界の端に見覚えのある黒髪の少女をらえて立ち止まった。

(あれは……)

 すっかり暖かくなった春の風に、長く綺麗な黒髪をふわふわと可憐かれんに揺らし、とうかごを片手に路地を一人で歩いていくのは――フィラナだ。

 火事の直後、サミルがありったけの想いを込めて送った種の返事は、まだ貰えていない。

 フィラナを心配していることや、できればまた会いたいと思っていることを、種には込めてみたが、それがちゃんと伝わったのかどうか、不安で仕方なかった。

「フィラナ!」

「……!?」

 思い切って呼びかけてみると、振り返ったフィラナはサミルを見つめて驚きに目を丸くした。そしてすぐに慌てた様子できびすを返すと、逃げるように駆けていってしまった。

「……フィラナ、もう私のこと、友達だとは思ってくれないのかなぁ」

 走り去っていった方を見つめながら、サミルは肩を落としてつぶやいた。

「だめだめ、今は仕事中なんだから!」

 サミルは後を追いたい気を必死で押し殺し、すぐに気を取り直すと、次の配達先であるユイナの家へ向かった。

 

「こんにちは~! ユイナさん宛ての書簡をお届けに参りました~」

 その家は、イース地区にほど近いノウ地区、田畑が広がる地域にぽつんと建っていた。

 庭先はたくさんの花々に彩られ、温かくて上品な雰囲気が漂っている。板張りの壁には、青々あおあおとしたつたが絡みつき、明るい日差しを浴びて輝いていた。

(あ、なんだか懐かしくていい匂い……)

 土と緑の匂いに鼻をくすぐられ、サミルはふと故郷が恋しくなる。

 ぼんやりと庭を眺めながら家の中からの応答を待っていると、少しして扉が開き、中からユイナが出てきた。

「おや? あんた、サミルちゃんじゃっけ? 配達もしとるのかい?」

「はい、今は想伝局員の審査中なので、色んな仕事をさせてもらってて……っと、これ、息子さんからお手紙が来てますよ」

 差し出された書簡を受け取ったユイナは、わずかに残念そうな表情になるも、目尻にしわを寄せて優しげに微笑んだ。

「届けてくれてありがとうねぇ。ああそうだ、今日はちょうど娘夫婦が来ていてね、ケーキを焼いたんじゃよ。良かったら少し食べていかないかい?」

「でも、まだ仕事中ですし……」

「そんな固いこと言わんでな、今日はあたしゃの誕生日なんじゃよ。サミルちゃんには世話になったしねぇ、ここで食べるのがダメなんじゃったら、持って帰りなさいな」

 ニコニコとそう言うと、ユイナはサミルの腕を取って、家の中へと招き入れた。

「あ、ありがとうございます……」

 サミルは笑顔で応えつつ、サッと懐中時計に視線を走らせ、次の配達指定時刻までどれくらいの余裕があるかを確認する。

(うん、少しくらいなら大丈夫……かな)

 踏み入れた家の中に視線を戻すと、まさにユイナの誕生日を祝っていた最中だったのか、テーブルの上には美味しそうなフルーツケーキと、甘い香りのするお茶が用意されていた。

 ユイナの他に、娘夫婦とおぼしき男女と小さな女の子もいる。

(なんだか私、団欒だんらん中に邪魔してしまったんじゃないかしら?)

 サミルがその状況を見て不安になったその時、ふと耳に猫の鳴き声が飛び込んできた。

 しかし、部屋の中にその声のぬしと思われる猫の姿は見えない。

 にゃあにゃあと、まるで何かを訴えるように必死に鳴いているその声に、サミルは急に胸が締め付けられたように苦しくなる。

(……もしかして、これって)

「あの、突然変なことを聞くんですが、ユイナさんって猫、お好きですか?」

 気がつくと、サミルの口から、そんな問いがこぼれていた。

 そして、その質問に、家族たちとユイナの驚いたような視線が一斉に向けられた。

「え、ええ……少し前まで母さんはここで猫を飼っていましたけど……それが?」

 ユイナの代わりに答えた娘が、不思議そうに首を傾げている。

(あぁ、やっぱり。それじゃあこの声は、その亡くなった猫のものなんだ。でも、どうしよう……)

 さすがにこんなにたくさんの人が見ている中で、彩逢使さいおうしの能力は使えない。

 けれど、先ほどからずっと鳴き続けている猫の『想い』に気付いてしまったからには、もう無視もできない。

 ――考えた末、サミルは良い方法を思いついた。

「あの……私、ユイナさん宛てに来ていたもう一通の荷物を途中で落としてしまったみたいなので、ちょっとその辺りを探してきますね!」

 そう言うと、サミルは急いで家を飛び出した。誰も追いかけてこないのを確認すると、すぐに周囲に猫の気配がないかさぐり始める。

 目を閉じ、耳を澄ましていると、猫の鳴き声は庭の方から聞こえてくることに気がついた。

(ごめんなさい、ちょっとお邪魔しまーす!)

 サミルがコソコソと身をかがめながら庭に入っていくと、やがて小さな鉢植えの前に座っている、真っ白で綺麗な雌猫めすねこの姿が見えた。

貴女あなたが私を呼んだの? 名前は……って、猫に聞いてもわからないかしら……)

 時間もないので手短てみじかにいこうと決め、サミルは白い猫に向かって両手を広げる。

(貴女、ユイナさんに伝えたい想いがあるんでしょう? 私がちゃんと伝えてあげるから、こっちへおいで?)

 ――にゃおーん。

 白猫はサミルが言ったことをすぐに理解してくれたらしい。嬉しそうな鳴き声を上げると、すぐに足下にすり寄ってきた。

(よしよし、良い子ね。貴女の大切な想いは、サミル=シルヴァニアが責任を持って、必ずユイナさんに伝えるわ――)

 そう唱えると同時に、白猫は光に包まれ、やがて一粒の小さな白い種へと変わった。

「よし、これをユイナさんにさりげなく渡せば……っと」

 サミルが立ち上がって歩き出そうとした瞬間、視界がぐらりと揺らいだ。

 能力を遣った影響が色濃く残っているものの、あまり時間はないので立ち止まっているわけにはいかない。

「……大丈夫、これくらいで何よ。私はもう昔みたいに軟弱じゃないんだから!」

 自分を奮い立たせるようにそうつぶやくと、サミルは気を引き締め直し、ユイナの家の扉をもう一度叩いた。

「おや、落としてしまったものは、もう見つかったのかい?」

 心配そうな表情を浮かべて出てきたユイナに、サミルは笑顔で頷き返す。

「ええ、見つかりました。これ……なんですけど」

「あれまぁ、真っ白な種なんて、めずらしいわねぇ。これも、息子から?」

 手に取った種を見つめるユイナに、サミルは「いいえ」と首を振りながら、そっと目を閉じ、込められた猫の想いを開放させた。

 途端、ユイナの目の前には、白い猫と過ごしてきた日々が次々と映し出されていった。

 それはほんの数秒の出来事で――しかし、最後に聞こえた「にゃあん」という鳴き声が、サミルには不思議とお礼の言葉のように聞こえた。

「まぁ、今のは一体何かしら? ミイちゃんが私に……」

 ユイナが突然上げた驚きの声に、家の中から娘が顔を出した。

「母さん、どうしたの?」

「やだ、あたしゃ、昼間から夢でも見たのかねぇ? 今、ミイちゃんがそこに来てねぇ、『お誕生日おめでとう。ながいこと私のことを可愛かわいがってくれて、ありがとう』って喋って……」

 そう娘に説明するユイナの頬には、一筋の涙がつたっていた。

「母さんったら……本当にミイのことが好きだったのね。きっと、ミイも母さんのことが大好きだったのよ。それでお祝いに来てくれたんじゃない?」

「そうじゃね……そうだったら、嬉しいねぇ。おや、そういえばこの種、ミイによく似た色だね?」

 サミルの瞳にだけは、笑いあう母娘おやこの足下に、すり寄っているミイの姿がうっすらと見えていた。

「それでは、私は届け終えましたので、これで失礼しますね」

「あら、ちょいとお待ちなさいな。ほらこれ、ケーキ包んどいたから、後でお食べ」

「……はい、ありがとうございました!」

「こちらこそ、ありがとうねぇ」

 見送られながらユイナの家をあとにしたサミルは、身体こそわずかにダルかったが、心はスッキリと軽かった。

(やっぱり、私は想いを伝えた後に見られる、あの人たちの笑顔が好きだな――) 

 しかし、サミルがそんな幸せな気分にひたっていられたのは、この時までだった――。

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