第2章 *7*

 サミルが初めてロードンていに荷物を届けた日から一週間が経とうとしていた。

 その間、ほぼ毎日、大小様々な荷物の配達を任されたサミルだったが、いい加減耐えかねたのか、溜まりに溜まった怒りが、とうとう限界を超えて溢れ出した。

 仕事帰りに寄ったリルカの店で、夕飯を食べ終えた時、サミルは突然、愚痴ぐちり始めた。

「あんのエロハゲ親父おやじぃ! 今日もホントに最低だったぁ!」

 店内には、シェルスがちまたに流したという『美味しい評判』を聞きつけてやってきた客たちがたくさんいる。最近では、昼間は一人では手が回らないほど繁盛はんじょうしているらしい。

 そんな中、忙しそうに行ったり来たりしていたリルカが、サミルの異変に気がついたのは、ちらほらと客が帰り始めた頃だった。

「さ、サミルちゃん……どうしたの?」

 からになったお皿を重ねて片付けていたリルカは、サミルの口から飛び出した乱暴な言葉に、驚きの視線を向けた。

 これには、隣でまったりと食後のコーヒーを楽しんでいたセオやシェルスも目をみはる。

「もぅ、聞いてよ、リルカしゃん! 私そろそろ吐き出さないとやってられない~!」

「え、ええ、聞くのは全然構わないけど……大丈夫?」

 見れば、サミルの頬がいつもよりほんのりあかく染まり、瞳はうるんだようになっている。

「もしかして、サミルちゃんって、お酒に弱かったりする?」

 今日のメニューがウェール国の特産品であるキルシェ酒で煮込んだ、やわらかい鶏肉と野菜のシチューだったのを思い返し、まさかと思いつつリルカは苦笑した。

 一方、サミルはリルカの問いに首を傾げながら、そういえばなんとなく体がフワフワとしたような、奇妙な感覚がするなぁと思いつつ答える。

「お酒ぇ? 私、お酒なんか飲んだことないですよぅ。そんなことより、リルカしゃん、聞いてくらさいよぅ。最近、毎日のようにぃ配達に行ってるお客さんがですねぇ、ホント嫌なヤツでぇ」

 微妙に呂律ろれつが回っていなかったり、話し方がいつもと違う――明らかに酔っていた。

 肉を煮込むときにお酒を入れると柔らかくなると、祖父が書き残したレシピを見つけて試してみたリルカだったが、まさかこんなことになるとは思ってもみなかった。

 リルカは、どうしたものかとセオとシェルスに助けを求める視線を向ける。が、二人とも苦笑いを浮かべて、肩をすくめただけだった。

「それでぇ、今日なんてそのエロハゲ親父、なんて言ったと思いますぅ? 『想伝局員そうでんきょくいんになりたいなら、ワシから友達の局長に頼んでやろうかぁ?』って! そんなの、人に頼んで想伝局員になれても、全っ然、嬉しくないしぃ、意味ないしぃ」

「サミルちゃん……」

「それにぃ、ひっっどい趣味してるくせに『自分はこの国の王妃様に、センスを認められてる』だの『どこそこの国には偉~い貴族の友達がいる』だの……すごいのはその友人たちで、エロハゲ親父自身はちっとも偉くも凄くもないってーのぉ!」

 ここぞとばかりに、日頃の鬱憤うっぷんをぶちまけることができたサミルは、次第にスッキリとした表情になってきていた。

 かと思うと、睡魔すいまに襲われたのか、そのまぶたが少しずつ下りていく。

「大体ぃ……獣人じゅうじんの毛皮収集なんてぇ……さいてい……」

 サミルはついにはブツブツとつぶやきながら、そのままテーブルの上に突っ伏してしまった。

 やがて、静かな店内に規則正しい寝息が聞こえ始めた頃、それまで黙って聞いていたセオがため息をついた。

「ったく、何が『大丈夫』だ……」

 そのつぶやきには、苛立いらだちとかすかに怒気どきが含まれている。

「ねえちょっと、セオくん、そのハゲ……変なお客さんってどうにかならないの? いくら仕事といっても、これじゃあいくらなんでも、サミルちゃんが可哀相かわいそうよ……」

 リルカの意見に、セオは返事をするかわりに再び深いため息をついた。

 セオだって、そんなことは言われなくても分かっている。

 毎日平気そうな顔をして配達に出て行っては疲れた顔をして帰ってくる彼女は、見ていて痛々しかった。

 そう、セオは気付いていたものの、当人が何も言ってこないので、どうすることもできなかったのだ。

 それにしても、まさかこんなに溜め込んでいたとは――。

 しかし、どうにかできるものなら、指導役であるグランディがとっくに対処しているはずだった。

 局長の友人だから何も言えないのか、あるいは、ロードンに王妃との伝手つてがあることとなんらかの関係があるのか。

 いっそのこと、ロードンが何か悪事でも働いてくれれば、身分の高さに関係なく動ける王立警備局おうりつけいびきょくの手によって、世間的にぎゃふんと言わせてやることができるのに――。

 ふとそんな考えが浮かんだセオは、サミルが寝入る前につぶやいていたことを思い出した。

「なぁ、シェルス、獣人じゅうじんの毛皮収集というのは、確か……王立警備局の取り締まり対象に含まれていなかったか?」

「ええ、一応は含まれております。しかし、収集家にはそれなりの身分や権力を持った者が多く、金で事実を隠蔽いんぺい……警備員が買収ばいしゅうされていることが多く、実際は野放しになっている状態なのだとか……」

「……使えないな」

 シェルスの答えに、セオは舌打ちした。

 そこへ、サミルたち以外の客を全部見送り終えたリルカが戻ってきた。

「ちょっとそこのお兄さんたち~、怖い顔しちゃって、何か物騒ぶっそうなこと考えてたりしないわよね?」

「……どうにかできないか、と言ったのはそっちだろう? それより、店の外に店員募集の貼り紙があったが、大丈夫か?」

 窓の方へと視線を向ければ、小さな紙が貼られているのが見える。

 もう少し大きくした方が目立つのではないかと思われたが、リルカはあれで十分満足しているようだった。

「ええ、おかげ様で昼も夜も繁盛はんじょうするようになってきたから一人じゃキツくてね。そろそろ店員を増やそうと思って……」

「まぁ、もし誰も来ないようだったら、その時はシェルスの姉たちに頼めばいいさ」

「せ、セオ様! そんな無責任なこと言わないで下さいよ!」

 ガタンと立ち上がって大声を出したシェルスに、リルカとセオが揃って人差し指を立てる。

「しーっ。サミルちゃんが起きちゃうわよ」

「も、申し訳ございません……」

 謝りながら再び腰を下ろしたシェルスは、目を覚ます様子のないサミルにホッと胸をなでおろす。

「さて、そろそろ店を閉めようと思うんだけど……こんなに疲れてるサミルちゃんを起こすのは、ちょっと躊躇ためらわれるわよねぇ」

 言いながら、リルカがチラッとセオに視線を送る。

「……ったく、こいつはどこまで人に迷惑をかけたら気が済むんだ……」

 セオは呆れた様子でため息をつきながらも、当然のことのようにサミルをそっと抱き上げた。

「セオ様、なんでしたら私が……」

「構わん、こいつを運ぶのはもう慣れたからな」

「……左様でございますか」

 その二人の会話と、抱えられて帰っていくサミルの姿に、リルカは優しげに目を細める。

「……がんばって、サミルちゃん」

 その小さな応援は、そよ吹く春の夜風に溶けていったのだった――。

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