第1章 *1* 

想伝局員そうでんきょくいん試験・一次審査結果通知】

 サミル=シルヴァニア殿

 貴殿きでんが今年度想伝局員試験一次審査を通過されましたことを此処ここにお知らせ致します。

 二次審査は、詩樹暦しきれき六二四年四月二日 午前八時より、ユウファ中央想伝局そうでんきょくにて行います。

 なお、審査開始時刻に遅れた場合は、その時点で『不合格』となりますので、ご注意下さい。

 ~ウェール国 王立想伝局 人事課~           

 

 ******


「いやーっ、遅刻しちゃう!」

 ある春の日の朝。ウェール国王都ユウファで最も大きな通りに、悲鳴のような叫び声をあげながら駆けていく少女の姿があった。

 花の香りを含んだ風にあおられ、赤紫色のベレー帽が飛びそうになるのをサミルは片手で押さえながら、なおも走り続ける。

 首筋あたりでフワフワと揺れている銀髪が、朝陽あさひを浴びて輝き、通りすがりの者たちの目を奪ったのは一瞬のこと。

 すぐに、薄茶色のポンチョにハーフパンツという地味な少年のような格好に、誰もが残念そうに苦笑した。

 そんな周囲の視線など、サミルは気にしない。今はそれどころじゃないからだ。

 審査に遅刻して、即刻『不合格』の烙印らくいんを押されることだけは、なんとしてでも避けたい。

 そもそも、早朝の誰もいない時間に泉湯せんとうでサッパリしてから……などと考えたのが間違いだったのだろうか。いやしかし、さすがに野宿したそのままの格好で審査会場に行って、臭いと思われるのは嫌だった。

 ぐるぐるとそんなことを考えながら、サミルは遠くに見える大時計台を見上げた。

 王都中央の小高い丘に建つウェール城の大時計台の針は、八時二分前を指している。

(よしっ、大丈夫! まだ間に合う!) 

 目指すは、大通りに面した白石造りの建物――ユウファ中央想伝局。

 ウェール国で最も大きく、一番最初に建てられたといわれている歴史ある想伝局だ。

 想伝局というのは、書簡しょかんや荷物などの運搬・配達を国を越えて行っている機関である。

「あ、あった、ここだ!」

 入り口脇に植えてある春詩樹はるしきの大木が、淡い紫色の花を咲かせているのが目印だ。

 詩樹の木は、国によって異なる色……詩樹鳥しきちょうの羽と同じ色の花を咲かせるのが特徴で、想伝局の徽章きしょうにもなっている。

 五段ある階段を三歩で駆けあがったサミルは、胡桃くるみ色の扉を勢いよく押し開けた。

 と同時に、八時を告げる大時計台の鐘の音がカラーンと鳴り響いてくる。

「……ま、間に合った?」

 扉を開けたすぐそこは吹き抜けの玄関ホールのようになっていて、正面には二階へ続く階段がある。ホール左手の開け放たれた戸の向こうには、書簡や荷物などを受け付ける窓口が見えた。

「キミは一次審査の通過者かな?」

 きょろきょろと見回していたサミルがその声に振り返ると、階段の上で青年が爽やかな笑みを浮かべて立っていた。

 想伝局員の特徴でもある深緑色のベストとズボン、同色のネクタイとベレー帽が良く似合っている。シャツの色は自由だが、その青年は清潔感のある白いものを着ていた。

 帽章ぼうしょう春詩樹はるしきの葉をかたどったもので、階級によって色や形が微妙に異なっているらしいのだが、サミルはまだよく知らない。ただ、彼の付けている銀色の葉が、あまり見かけないものであることは確かだった。

「あ、はいっ! 二次審査の会場はここで良いんですよね?」

「おう、こっちだ。受ける気があるなら早く来い」

 ウェール国ではあまり見かけない浅黒い肌にがっしりとした体格の青年は、そう言って二階の方へと手招きしている。

 慌ててついていくと、二階廊下の突き当たりの部屋に通された。

 その部屋はどうやら応接室のようで、磨きのかかったマホガニーの長机と、見るからに座り心地の良さそうなソファが置かれていた。

「待たせて悪かったな。これでようやく揃ったな」

 その声に、ソファに座っていた人物がスッと立ち上がって振り返り――瞬間、サミルは見覚えのあるその青年の姿に息を呑んだ。

(あの夜の――)

「あ、座ったままで構わないぞ。さて、じゃあ、二次審査の説明をするから、キミもそこのソファに座ってくれるか?」

「えっと……もしかして、二人だけなんですか?」

 そこにいた青年のことにも驚いたが、二次審査を受ける人の少なさに、サミルは戸惑いを隠せなかった。ここは城下で一番大きな局だから、審査を受ける人もたくさんいるのだろうと、勝手に予想していたのだ。

 そもそも、一次審査の筆記試験が行われた会場は、城下一広いといわれていた集会場の大会議室で、五十人以上の人たちがいたのだ。その中で、まさか審査を通過したのが二人だけなんて――有り得ない。

 サミルの正直な感想とわかりやすい反応に、想伝局員の青年は口元をほころばせた。

「二次審査の会場は各地に振り分けられてるからな、審査を通過してるのが二人というわけじゃないぞ。それに、どの局もこの位の人数なんだが……二人だと何か問題でも?」

「……いえ」

 正確には、問題があるのは人数ではない。サミルが腰を下ろしたソファの隣で無言のまま座っているもう一人の受験者が問題なのだ。

 せめて、一次審査会場で友人になったがここにいてくれたら……と思い、すぐにその考えを打ち消す。

 彼女は審査に落ちてしまったし、それ以前に、たとえ再会したとしても、もう友人としては接してくれないかもしれない。そのことを思い出し、少し憂鬱ゆううつな気分になる。

 サミルはそんなことを考えながらチラリと隣の青年の顔をうかがい、小さなため息をついた。

(気づかれてはいない……わよね?)

 まさか、満月の夜に出会った彼と、こんなところで再会するとは。

 次に会ったら殴ってやる……などと考えていたものの、いざ会えてもそんなことは到底とうていできるわけがなかった。何しろ、相手は人間姿のサミルを知らないのだから……。

 それにしても、彼の雰囲気が、この前の夜とは少し違う。緊張しているのだろうか、無愛想ぶあいそで冷たそうで少し怖い。それに……綺麗な銀色に染まっていた印象的な前髪の一部が、今は真っ黒だった。

(よく似てるけど、実は別人とか? 兄弟……なんてことはないわよね?)

「おい、お前、俺に何か文句でもあんのか」

「え?」

「さっきから人の顔をチラチラ窺いやがって」

「あ……いや、そのー……そう! 綺麗な髪だなぁと思って!」

「はぁ?」

 サミルの口から出た苦しまぎれの言い訳に、彼は怪訝けげんそうに眉を寄せる。

 その気まずい雰囲気を打ち消したのは、想伝局員の青年だった。

「おっ、確かにつやつやだなお前の髪! そりゃ、見惚みとれるのも無理ないな、うんうん。 って、そっちのじょうちゃんだって、めずらしくて綺麗な銀髪じゃねぇか!」

 はっはっは、と明るく笑い飛ばした青年に、サミルは一瞬ポカンとした。

(嬢ちゃん……って)

 王都へ来てから、少年にしか見られたことなかったのに……というか、わざと身なりも少年っぽく装ってきたというのに、ひと目で見破られたことは意外だった。

 その鋭い観察眼かんさつがんあなどれない。

 獣人だということもバレないようにしなくちゃと、サミルは改めて気を引き締めた。

「……そんなことより、二次審査の説明を願えますか? 審査官殿しんさかんどの?」

「おお、すまん。というかオレは審査官じゃないからな、二人ともそんなに緊張しなくていいぞ」

「別に、俺は緊張なんて……」

「私は緊張なんてしてな……」

 同時に反論したことに、つぶやいた本人同士が驚き、審査官ではないという青年が吹き出す。

「お前ら、気が合いそうで良かったなぁ。さて、じゃあ、まず自己紹介からな。オレは、君たちの『指導役しどうやく』を任されたグランディ=ミントスだ。気軽にグランって呼んでくれて構わないぞ。これでも想伝局員歴は十年以上だからな、分からないことがあったら何でもオレに聞いてくれや! あ、仕事以外のことでもいいぞー」

 その軽い口調に、サミルは肩の力が少し抜けた気がした。

 明るく気さく、面倒見の良さそうな性格のようで、指導役に選ばれているのもうなずけた。

「じゃ、次はキミね。名前と年齢、希望の職種しょくしゅを教えてくれる?」

「サミル=シルヴァニア、十七歳です。広域配達員こういきはいたついんになるのが小さい頃からの夢でした。よろしくお願いします」

 指名されたサミルは立ち上がって姿勢を正すと、帽子を片手で軽く押さえながらぺこりと頭を下げた。

「おー、よろしくな。へえ……広域配達員か。『女なのに』とか反対されなかったか?」

「……え、ええ、まぁ」

 確かに、窓口で働いている女性想伝局員はたくさんいるけれど、配達員をしている女性はほとんどいないと云われている。

 なぜなら、徒歩や馬などでの移動が体力的に厳しいということもあるが、配達するのが治安の良い場所だけとは限らず、少なからず危険が伴うからだ。しかも、町内だけの配達を請け負う『地域配達員ちいきはいたついん』ならまだしも、街や国を越えて配達して回る『広域配達員』となれば、その危険度はさらに増す。

 実際、サミルも母親や村の人たちに猛反対され、心配もされていた。

「でも、私は『なる』と決めたので頑張ります」

「よしよし、やる気は合格だな。つっても、俺が審査するわけじゃないけど。じゃあ、次」

「セオ=リウェル 、十六歳。俺も広域配達員希望です」

(あれ? この前の夜に呼ばれていた名前と違う?)

 サミルの疑問をよそに、グランディは興味深そうに目を光らせ、小さく頷いた。

「ほほぅ……お前さんもか。こう言っちゃ何だが、観光気分で、色んな国に行けるからとか、そんな甘い考えを持ってるならやめておいた方がいいからな」

 確認するように向けられたグランディの視線は真剣で、サミルは思わずドキリとした。志望動機のひとつに、色んな国を見てみたいということも含まれていたからだ。

 しかし、想伝局の広域配達員を目指している理由は、ただの好奇心だけではなかった。

 それはどうやら隣に座っているセオと名乗る青年もだったようで……。

「こりゃ失敬しっけい。二人とも、その辺の覚悟はできてるようだな」

 グランディは自分の言葉を恥じるように言うと、小さくため息をついた。

「あの……質問、よろしいでしょうか?」

「おっ、なんだなんだー?」

「えっと、グランさんは、ガレス=シルヴァニアという広域想伝局員のこと、知りませんか? 噂だけでもいいんですけど。銀髪で、今年三十五歳になる男の人なんですが……」

 唐突なサミルの質問に、グランディは顎に手を当て首をひねる。

「ガレス? 聞いたことないな。この辺を回ってる奴にいないのは確かだが」

「そうですか……」

「悪いな……ん、待てよ? シルヴァニアっつーと、もしかしてそいつはキミの家族か何かかい?」

「はい、あの……父、なんですけど」

 ガレスはサミルが幼い頃からずっと広域想伝局員として各地を回っていたせいで、年に一度、冬の終わりに村に帰ってくる時以外は会うことができずにいた。そして今年はめずらしく、いつもの時期に帰ってこなかったのが心配の種の一つだった。

 しかし、単に父親に会いたいだけなら、想伝局員になる必要などない。

 サミルはそんな父と、幼い頃に交わした、『とある約束』を果たすために、今ここにいるのだった。

「あー、なるほど。そういうことなら、他の局の連中とかにも情報ないか聞いておくよ」

「ありがとうございます!」

「おっと、雑談はこの辺にしとかねーと、そっちの彼に怒られそうだな」

「ええ、具体的に二次審査はここで何をすればいいんです?」

 グランディはセオの問いに頬をかきながら苦笑し、肩をすくめた。

「まずはだなぁ……」

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