電霊

夜間飛行

まえがき

ああ それが何の「はじめ」かわからぬうちに

たちまち去った警告の時代よ


おお 訪れたとみるまに

すばやく過ぎ去った予言の時代よ


鮎川信夫


この物語は25年の昔、パソコン通信富士通ハビタットの仮想世界でアバター「夜間飛行」によって掲示板に長期連載されたホラー「電霊」の再録ととその註解である。アバターの読者のためにアバターの作家が書いた猟奇殺人事件。夢の中で見た夢。 果てし無く続く首のない死体の群れ。犯人を追いかけてリージョン・チェンジを繰り返す中央軍特攻警察の戦士たち。Dream in Dream・・・。


ハ ビタットは元々はルーカスフィルムが開発しアメリカで86年から2年間にわたって試験運用された元祖MMORPG(大規模多人数同時参加型オンラインRPG)である。このジャンルのゲームの元祖ということはゲーム史の上では重要なポジションにあるが、アメリカでは商用化困難と考えられ試験運用が終わると放棄されたため、やがて忘れられた。

人気がなかったというわけではない。ヘビーユーザーに支持されサービスは多くの加入者で賑わっていた。しかしユーザーにとって負荷は半端ではなかった。対応機種はコモドール64のみで、プレイするにはクオンタムリンクというパソコン通信ホストに加入しなければならず、さらに時間単位の従量制の課金で、深夜週末のみの稼動であったにもかかわらず月に千ドルを超える出費は珍しくなかった。

サービス側にとってはユーザー間の人間関係をめぐるトラブルが多発し、悩みの種になった。運営の負荷の大半が深刻なユーザートラブルの解決のために費やされた。本格運営に移すにはリスクが高すぎると考えられた。

ハビタットの運営チームはサービスの終了後に「仮想空間の 設計者にはコンピュータだけでなく、経済学や社会学の知識もあることが望ましい」とルーカスに愚痴をこぼしたという。

このルーカスフィルムから権利を買い取り、商用化の道を切り開いたのが日本のIT企業富士通であった。89年10月から90年1月までモニター版の試験運用を重ねた結果、日本での商用化は実現可能と判断された。

89年当時日本は世界一の経済大国であった。大納会に日経平均株価は過去最高の3万8,915円の終値をつけていた。この国の金融資産総額でもって全米の土地を買い漁れば、寸土も残さず買い尽くせると試算された。アメリカで果たせなかった夢も日本なら形に出来る。夢を形に。全能感がこの国の隅々にまで満ちあふれていた。

1990年1月26日「富士通ハビタット」本運用開始。2月10日商用化開始を祝って「建国の儀」がオラクルの泉で執り行われた。この日が仮想世界ハビタットの建国記念日とされている。

「電霊」の連載期間は1991年6月1日から11月4日の4カ月間である。同時代の読者には自明の背景が四半世紀後の現在は自明ではない。例えば事件の鍵を握る企業秘密の日本語OSソフトウェアはフロッピー・ディスク(FD)に収納されている。当時は書き込み可能な可搬性の電子媒体はFDしかなかったのだが、今やFDは製造中止になって久しい。

  3.5インチのプラスチック容器に収納された1枚の磁気ディスクの記憶容量は1.44MB、企業秘密というほどのファイルであればその容量は大きく、おそらくFDD百枚以上に分割保存しなければならないだろう。今やその煩雑さを想起できる読者は数少ない。

 当時を知らない若い世代のために、「電霊」のテキスト1話につき一つの脚注を加え註解した。時代背景に興味のない読者は読み飛ばしていただいて構わない。

  まえがきが長くなった。それでは血にまみれたホラー「電霊」の世界にようこそ。


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