第二話 まどろみの中で
夢を見た。とても懐かしい、そして悲しい夢だ。
僕には幼馴染がいた。家が隣で小さい頃からよく遊んだ、同い年の女の子。
沙耶は正義感の強い女の子だった。たとえ力が及ばなくても弱きを助ける事に躊躇しない性格だった。それは傍から見てても心配になる程で、時にはハラハラする場面もあった。
ある時の学校の帰り道、彼女はいつも通り僕と一緒に歩く。道中の彼女は話が尽きないとばかりに話題を振りながら笑っている。
だが僕には分かっていた、それが空元気だと。
「なあ、最近何かあったろ」
「えっいや、何もないよ」
彼女は誤魔化す時左手を胸のあたりまで挙げる癖がある。僕はいつも見ているのだ。
「隠せると思うなよ。いじめられてんだろ」
「あ……」
沙耶の表情が沈む。彼女にそんな顔をさせる存在に無性に腹が立つ。
「心当たりはあんのか」
「あのね、新学期の始めくらいにいじめられてる子がいたから助けたの。多分それでだと思う。ターゲットが私になっちゃって……」
「やっぱり、そんなこったろうと思った」
沙耶は快活だし人当たりも良い。いじめられる要因があるとすれば周りの女の好きな子が沙耶を好きだったとかで逆恨みを買ったか、彼女の性分で逆恨みを買ったか辺りだと思っていた。
「あのなあ、人助けは結構だがよ。それで恨まれてたら世話ねえだろうが。他人ばっかり助けて肝心のお前は誰が助けるんだよ」
「そんな事言ったって無理だよ……。見ちゃったら見て見ぬふりなんて出来ないもん……」
「だーかーらー、まず自分の身を優先しろってんだ」
「無理だよ! その子見捨てろっていうの!? そんな卑怯者になるくらいなら私がいじめにあったほうがましだもん!」
感情的になったのか、沙耶が涙目で叫ぶ。
言い過ぎた、そんなつもりじゃなかった、そんな言葉がもごもごと口から出かけたが思い直す。そんな言葉を言ったらこの頑固者は死んでも自分の信念を曲げない。大した心根だと思うしそんな沙耶を悪しからず思ってはいるが少しは自分の身を案じて欲しい。
僕は沙耶の顔から目を背け前を見る。口からは代わりに恥ずかしい言葉が漏れ出た。
「そ、それなら俺がお前を守ってやるよ」
照れくささで耳まで熱い。沙耶の前では思わず強気になってしまう。そんなキャラでもないのに口調も少し乱暴に。
沙耶から何の反応もないので恐る恐る視線を戻す。沙耶は涙目のまま呆けた顔で僕を見上げていた。
「だから! クラスが違うからいっつもは無理だけど、休み時間には必ず行くし、朝も放課後も迎えに行く。先生にも手を回して何とかしてもらう。これから何かあったら俺に言え!」
「ほんと?」
「本当だ」
「これからずっと?」
「これからずっとだ」
沙耶の目の涙が大粒になっていく。沙耶は服で目を擦り鼻をすすって再び僕を見る。
「約束ね!」
その笑顔を崩さないように。その高潔な魂が壊れないように。
そんな彼女を守れるような自分に……。
僕はそう誓いながら小指を差し出した。
「ああ、約束だ」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
あれから時が流れた。相変わらず僕らは一緒に帰る。
沙耶はもういじめられる事はないようで僕といる時は笑顔を絶やさない。その笑顔が本物だということは見ていれば分かる。
なによりだ。
だが今日は少し沙耶の口数が少ない。ぽつりぽつりと話はするのだがいつものキレがない。どうしたのか、と聞こうと口を開きかけたところで冷たい風が沙耶の髪を舞い上げる。
「さみっ」
身が縮こまる。もう冬なのだ、寒いのも当然か。
「寒いな、なあ沙耶」
横を見たら沙耶がいない。振り返ると沙耶は少し後ろで立ち止まっていた。
どうしたんだろう。そういえば近頃何かやっていたようで少し寝不足気味だったな。疲れたんだろうか。
「どうした沙耶、ねみいのか? そんなとこで立ち止まってるとこごえ」
「あのね!」
沙耶は僕の言葉を遮って切り出す。寒いというのに顔を真っ赤にして。
「寒いと思ったから、これ、ずっと編んでたの。ほら、もうすぐクリスマスでしょ? だから……」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
手編みのマフラーは呪いのようなものだ。
身に付けると愛に包まれていることを実感せざるを得ない。
それが例え過去のものだったとしても。
「さみいな」
いつものマフラーを口元まで覆うようにずり上げる。
あの時僕は裏返った声でありがとうと言ったっけ。
葬式の時沙耶のお母さんは「どうか沙耶の事は忘れて、たー君は幸せになって」と言ってくれたけど。
(おばさん、忘れるなんて無理だよ。だってこんなにあいつの思いがこびり付いている)
沙耶の命日が近づくといつもこんな気分になる。灰色がかった景色の中で押しつぶされそうな胸の痛みにもがく。
こんな気持ちの時は火が欲しい。深い郷愁の念を火にくべ燃やし尽くしてしまいたい。
僕は懐のポケットを弄る。求めた煙草は無かった。最後の一本をさっき吸ってしまった事に思い至り拳を握る。そこらを彷徨く能面のような顔と意味のないざわめきが現実と怪奇の境界をぼやけさせる。
実家を離れただ生きるために続けたフリーター生活は心まで荒ませてしまった。大概の事は時が優しく洗い流してくれると言うがこんな僕も救ってくれるのだろうか。
いっそ死の救いを求めたい。だが実行する気力すら沸かなかった。
否。考えがよぎったことはある。だがそんな時に限って沙耶の顔が思い浮かぶのだ。あいつだったらどう言うだろう。こんな事をする僕をあいつは許さないだろう。そう思うと自殺など出来はしなかった。
結局、形見となったマフラーを巻いて仕事に行くのだ。別に深い意味は無い、ただ他のマフラーを買うのも面倒くさかっただけだ。
嘘だ。この期に及んであいつの思い出に浸りたかったのだ、僕というやつは。
ああ、それにつけてもヤニが欲しい。
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