第10話 エースに出会って


「おーい、俺たちこれから銭湯いくから、ちなっぴと天泰も一緒にいこうぜ!」

「兄貴って結構、人生を謳歌してるよね」

 まあ確かに、水鏡町にある銭湯はどこも安いからふらっと行きたくなるんだけどさ。ヘタにガスで沸かすより安い気がするもん。

 ナナカマドを出た俺たちは、通りで車座になった。風嶺ちゃんがおずおずと手を挙げて、

「あの……すいません、わたしはちょっと疲れてしまったので帰ります」

「解散!」パンパン、と熱也が手を叩き、その横腹を地夏が横から「ぎゅう」っとつねった。

「うぐあーっ! な、なにすんだよ、ちなっぴ!」

「……べつに」

 地夏はぷいっと横を向いている。熱也は「なにこいつ……」とジャングルに生息する危険な生物でも見るような目をしていた。気持ちは分かる。

「あ、あの。天泰さん。わたしと、あと美鈴さんは先に帰ってますから……」

「おう。じゃ、美鈴さん。風嶺ちゃんを無事に送り届けてくださいな」

「まかせろ!」自信満々の笑みを浮かべ、ドォン! ……と胸を叩く美鈴さん。普通するか胸を叩いてそんな音? 肋骨どうなってんだよ。

 ナナカマドでしたたかにひっかけたビール大ジョッキ六杯でふらついているアホメイドを「美鈴さん、大丈夫! 傷は浅いです」などとワケわからんセリフを吐きながら介抱していく妹の姿にいろんな疑問や不満を感じながらも、俺は二人を見送った。

「可愛いなあ」

 俺の横で小さく手を「バイバイ」している熱也のダラけた顔にイラッとする。

「おいコラ兄貴、やらねーぞ、うちの可愛い妹は」

「ケチケチすんな」

「とても大切だからケチるんだよ。そっちのバケモンとは違」腕をねじ上げられ「ごめんなさいぼくお口チャックするね地夏さん」

「……はあ」

 俺の腕を放して、なにか意味ありげなため息をつく地夏。なんスか。なんなんスか。

「先輩、よく、こんなアホな弟を我慢できましたね」

「いやあ、それも俺の人徳ってやつ?」

「オイコラ」

 照れ臭そうに頭に手をやる熱也のコウモリっぷりに俺はイライラ。

「ま、こんなんでもいいとこあるんだぜ。俺のために棒アイスを凍らせてくれてたりするし」

「それは自分のためだしあんたは俺の分まで喰っちゃうし」

「あっはっは」

「あっはっはじゃねぇ。アイス返せよ!」

「そんなことより」キリッと顔を整えた熱也、

「ホレ、銭湯いこうぜ。おーい、新倉、金貸してくれ」

「あんた金ねーのに銭湯行こうとしたの!?」

 ステップ踏みながらしかめっつらの後輩(新倉)に金を借りに行く熱也を「…………」と遠い目つきで見ている地夏のそばに、俺はツツツと近寄った。耳たぶ噛みそうなほど近くで囁く。

「あんな兄貴で、よく我慢できますねぇ」

「……あんたの育て方が悪かったのよ」

「アホか」俺は弟だっつの。

「それよりお前もいくだろ? 銭湯。どうせだから入っていけよ。うちの親父、一番風呂が好きだから、どうせお前も後回しにされてんだろ?」

「な、なんで知って……! って、当たり前か。あんたの父さんでもあるんだもんね」地夏は肩をすくめ、ハチマキのような白リボンをさっと手でかきあげた。

「しょうがないな……ねえ、天泰」

「あんだよ」

「……銭湯って、混浴じゃないよね?」

「そんなイケナイものが、いくらなんでも現代文明に残ってるわけねーだろ!」

 なに恥ずかしそうにしてんの? そんな破廉恥な地域出身だなんてバレたら結婚差別されるわ。

「よかった」

「べつに見られて困るほど胸ねえーだろぐっぼぁ!?」

 いやー。

 すくいあげるボディブローって、身体マジで浮くんだね。


 ○


 当然だが、銭湯っていうのはコンビニほどたくさんはない。ま、水鏡町にあるコンビニ自体が一軒しかないから、銭湯だって一軒しかないわけだ。むしろいまだに残ってるのが奇跡というか、「オレ、なんだかんだ湯を沸かせねえまま八十になったわ」「オレもー」というモウロクジジィどもがいなければとっくの昔に潰れていただろう。とはいえ、学校から一番早く熱いお湯にありつけるので、運動部なんかは結構いまでもお世話になっていたりする。あれ? 案外安泰? まァそれはともかく。

『湯の湯、おきしじぇん』というたぶんかつてはハイカラな気がしたんだろーなと考古学的なシンパシーを感じちゃうのれんの前に、なにやら妙な集団がたむろっていた。

 俺らも弱小野球部+その弟と妹、というかなりイロモノの集まりなので人のことを言えないんだが、それでも俺らは人様の邪魔になる道のど真ん中にヤンキー座りなんかしたりはしない。しかも執事服なんかを着こなしてもいなければ、そのボス格が野球のユニフォームに艶やかな金髪をなびかせていたりもしない。

 つまり、連中はそういうヘンなやつらだったわけだ。

 地夏が横で「なにアレ」とか呟いている。

 俺はため息をついた。

「おーい、邪魔だぞ」

「……なんですって?」

 振り返った金髪ユニフォームは、ちょっと目元のきつい美少女だった。目力が馬力ぐらいあるというか、完全に道端で座り込んでるアッチが悪いのに、なんかよくよく考えてくるとコッチが悪かったような、そんな気分になってくる理不尽で凛とした眼光。

 少女は立ち上がり、俺たちミズコー野球部一同の前で腕を組む。鼻を鳴らすと、わずかにカールした金髪がそよいだ。

「あーら、誰かと思えば、ヘナチョコ野球部のみなさんじゃあぁぁぁぁぁぁぁぁりませんか? もしかして、あなた方ですの、このわたくしに『邪魔だ』とかなんとかぬかしたのは?」

「……天泰、なんなのこの人?」

「んー……隣町のハナコー野球部の、マネージャー」

「うしろにいる、なんか執事っぽい人たちは?」

「ハナコー野球部」

「……あれ、ごめん、あたし、常識がワカラナイ。イガグリボウズでもなければ、コーコーキュウジにもミエナイんだケド?」

「地夏さん、カタコトになってんぞ。……あのマネージャーは峰光院鏡華といってな、地元の代議士の娘さんで、とっても偉いんだ。具体的に言うと、あいつがいなければ、この地方の国営バスの本数は半分になると言われている」

「……つまり?」

「あいつがいないと、新倉はバス通学ができない」

 スッ……と花が風にそよぐように、雨滴が土に吸い込まれるように、新倉が片膝を突き胸に手を当て、頭を下げた。

「お嬢様、今晩もお顔色が麗しゅうございます」

「に、新倉!?」と地夏は「あわあわ」と両手を噛んでいる。

「そ、そんな……あのアホの新倉が爽やかな紳士に……!」

「これが、金の力さ……」

「……あなたたち、なにかイチイチ言い方がムカツキますわね」

 純白のユニフォームに身を包んだ鏡華は、眉尻をぴくぴくとひくつかせている。そしてまだユニフォーム姿の(部員はだいたい着替えないでそのまま帰る)熱也たちを見て、「ぷぷっ!」と口に手を当てる。

「あらあら、泥まみれになって。もしかしてまじめに練習なさっていらしたの? 凝りもせず? どおぉぉぉぉぉぉぉせ、今年も地区予選初戦敗退、いわゆる『アリガト枠』のミズコォォォォォがぁぁぁぁぁぁ?」

「おう。練習は大事だからな! えへへ」

「兄貴、いい加減に褒められてないって覚えろよ」

「……なに? あんたたちって、あんなのにいつも絡まれてんの?」

 なぜか不機嫌そうな地夏に、俺は頷く。

「ああ。なんか学校が一番近いからか、峰光院のやつ、俺たちを目のカタキにしてやがるんだ。一説によると、学校のそばで犬に脱糞させて放置しているのもあいつらしい」

「わたくしじゃねーですわよそれは!!」

 顔真っ赤で俺に踊りかかってきた鏡華を「お忍びください! お忍びくださいーっ!」と必死で黒服執事の高校生男子たちが取り押さえている。……その中の一人と目が合った俺は、格差社会の悲しみを見た気がした。思わず涙。

「なんで泣いてんのよ天泰」

「天泰は涙もろいんだよねー」と茶樹が野球部員の隙間から顔を出してきた。ちょっと眠いのかうつらうつらしている。こどもか。

「わたくし、エチケットにはうるさいんですの。言いがかりはやめていただけます!?」

「でもウンコ座りしてたじゃん」

「き、汚い言葉を使わないでくださいまし! 耳が穢れます! 斉藤、耳掃除!」

「はっ!」

 斉藤と呼ばれた黒服執事が立ったまま、お嬢様の耳を綿棒でほじり始めた。

「あふぅ……」

 お嬢様、気持ちよさそう。

「……いいですか、みなさん。今晩のところは見逃して差し上げますが、わたくしは身分ある家の生まれ。本来なら一般庶民たるあなた方とは同じ頭の高さではないのです!」

「ウンコ座りしてたじゃん」

「しつこいですわねしてましたよ疲れてたから!! あだっ」

「お嬢様、動かれますと鼓膜をヤッちゃいます」

「き、気をつけなさい斉藤。……んっ……」

「それでいいのか、きみの貞操観念」

「貞操観念て……」と地夏。

「天泰のえっち」と茶樹。

「新倉、スマホで録画してくれてる?」とうちの兄貴。どアホウ。

「……とにかく!」

 鏡華は時々斉藤のテクにびくびくっとしながら、

「あなた方のような、偽野球部にわたくしたち栄光あるハナコー野球部は、ぜぇーんぜん興味、ありませんの! ですから、なるべく視界に入らぬよう、雑魚は雑魚らしく、井の中の蛙に甘んじて、ちっぽけなグラウンドから出ないでいただけます? 正直、あなた方を見ていると、あんっ、む、虫唾が走るんですわ!」

「いま走ったのは虫唾かな?」と俺は鏡華をまわりをぐるぐる。

「ほんとはちがうんじゃないのかな?」と熱也が鏡華のまわりをぐるぐる。

 そんな俺たちの挑発に、耐性と免疫を持たないお嬢様が大噴火した。

「こ、こ、このフラチモノぉーっ! う、うわあああああああああん」

「きょ、鏡華さまーっ!」

 唐突な屈辱と高まってしまった快感に耐え切れなくなったのか、鏡華が走って逃げ出してしまった。それを慌てて追っかけるハナコー野球部執事団。……あいつらも大変だなあ。

「ふう、なんとかいなくなってくれたな」

「ああ、毎回毎回、しつこくって敵わんなあ」

 ふいーやれやれ、と改めてスポーツバッグを提げ直し、銭湯の中へ入っていこうとするミズコー野球部。

 でも今夜は、

 地夏がいたのだった。

「……ねえ、先輩。いまみたいなこと、いつも言われてるの?」

「え?」

 言われた熱也がポカンとしている。こころなしかメガネも半分ズレている。

「えーと、まあ、なんていうか……きっと友達がいないんだよ、あの子。な?」

「な、じゃない」ギロリと睨み、

「……悔しくないの? あんなこと言われて」

「それは……」

「ねえ、先輩。さっきの球、……高校生には、打てないですよね」

 沈黙。

 それは、重苦しいほどの。

「あたし、野球って詳しくないけど。……打たれなければ、負けないんじゃないですか?」

「あー、ちなっぴ? それはな……いつでもあんな上手く投げられるわけじゃないし……」

「練習しましょう」

「……投げれたとしてもな? うちはその、ボールを受けてくれるキャッチャーというものが、いまは一年の新倉しかいなくてな、そのー、後輩にあんな危ない球はだな、投げてはいけないというかだな」

「新倉、捕れ」

 地夏の命令口調に新倉は「おう」と静かに頷く。熱也が「あう」と言葉に詰まった。

 いまやすっかり静まり返り。

 円陣の中で言葉にあぐねるチームのエースの次の言葉を、誰もが等しく待っていた。熱也の頬に汗が伝っていく。

「あー、俺は、だな。ちなっぴ。その……」

「今年も大会、あるんでしょ? 甲子園」

「こ、甲子園? お前なに言って……あれはだな、全国大会であって、地方の予選を勝ち抜かないと出れないんだ。だから……」

「べつにそこまで行けなんて言ってません。……馬鹿にされて悔しくなるレベルになれって言ってます」

「だからちょっと待てって! み、みんなもなんなんだ? なんでなんも言わないの? 地夏、かなりメチャクチャ言ってんぞ? 俺の味方はどこよ!」

 新倉が腕を組んだままそっぽを向いていて、少しだけニヤついているのが、俺からは見えた。

「隣町の高校ってことは、ミズコーとハナコーって、ぶつかるんじゃないですか?」

 なぜか毎年、初戦でうちと当たるんだよなー、と高崎先輩があくびをしながら言った。地夏がまるで打ち合わせていたかのように「得たり」と頷き、

「じゃあ、きっと今年もぶつかりますね。初戦? ってやつで」

「そうかもしれないが……野球はピッチャーだけでやるものじゃないんだって」

「じゃ、バッティングも練習しましょう」

「し、してるよ! なあ、みんな! ……え、ええ?」

「ねえ、先輩」

 地夏がコツ、とローファーの底で、熱也の前のアスファルトを叩いた。

「あたし、無能なやつって、キライなんです」

「……お前、きつい性格してるなあ」

「それはどうも。……でも、あたしは自分が間違ってるとは思いません。

 なにかできる力があるのに、それを隠して、こそこそしてる。

 そういうのって、最低だと思うし、究極的にダサイです。まさに、さっきのヘンテコ金髪女の言うところの、……『虫唾が走る』ってやつ。本当に、無力ってどうしようもなくて、他人の足を引っ張るってことで……

 だから。

 あたし、先輩の球、見ましたから。忘れません。見せてくれて、ありがとうございます」

 地夏が、鷹のような眼光で、うろたえる熱也を射抜く。

「だから、勝ちましょう。あんなこと言われて、黙ってるなんて、男じゃない……あたし、決めました」

 そう言って、熱也に背を向け、自分を取り囲むミズコーナインの九人(+女子マネたちと稲荷弟の、俺)に地夏は、ハッキリとこう言った。

「あんたたちの腐った性根と負け犬根性、あたしの虫唾が走らないようにしてあげる。そのなんとかっていう大会だか試合だかまでの間……

 あたしが、あんたたちの『コーチ』になるっ!」

 そう言って、高々と稲荷地夏は、拳を夜空へ突き上げたのだった。

 それに対して、ぱち、ぱち、ぱち、と。

 拍手が起こる。弱く、小さく、だがやがて、大きな奔流に。

 隣で寝ていたオヤジが怒鳴り込んでくるほどの拍手喝采に、俺の兄貴は呆然としていた。

「な、な、な……なに言ってんだ? あの子。だって、全然、野球なんて知らないのに、こ、こ、コーチ?」

「残念だったなー、兄貴」

 俺はミズコー野球部の輪から外れて、熱也の肩をポンと叩いた。

「あんたの負けだ」

「え、ええー?」

 まだまだ納得していない熱也のようだったが、そんなことは、関係ない。

 夏が始まるのだ。

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