第7話 そんなこんなの日曜日
「あらためて見ると、でっけぇなぁ……何階建て?」
「四階建てです。地下二階で」
「シザーマンとか出てきそう」
「ちょ……ちょきんちょきん!」
なぜか緊張しながら指をはさみの動きにする風嶺ちゃん。いいんだ。無理して話を合わせようとしなくていいんだ。俺は妹の底知れぬ優しさにそっと涙しながら、大人が五人がかりじゃないとぶち破れそうにない扉を開いた。
屋敷の玄関は小さな家一軒ぐらいなら立ちそうな面積の絨毯が敷き詰められ、どう見ても靴を脱がない仕様になっている。アメリカかよ。二階へと続いている大きなT字型階段の手すりの上に鷹の像が置いてある。
いきなりそれが動いて、俺の顔に襲いかかってきた。
「ぐ、ぐあーっ!」
「あ、天泰さーん!」
「なにすんだこのヤロー!」
俺は手荷物をぶん回して鷹を追い払った。ヤロー、よく見ればうちのみかんの木を何度もいじめていたあのにっくき鷹公じゃねぇか。おとなしくしてやがったから分からなかったぜ。
「コラ、ジョニー! 天泰さんの目を食べようとしちゃダメだよ」
「俺、目を喰われそうになってたの?」
思ったよりピンチだったし、そんな危険物を飼わないで欲しいし。
風嶺ちゃんはヨタヨタと鷹に近づいていって、「めっ」とその頭を軽くチョップした。
「天泰さんは今日から家族になるんだからね、ジョニーはおとなしくしてて」
「その鷹、ジョニーって名前なの?」
「はい!」
風嶺ちゃんがジョニーをぬいぐるみのように抱き締めながら、笑顔で俺を振り返る。
「海外から来た子なので、名前を少しヒネってみました」
「風乗りジョニーか」
俺は美少女に抱かれて置物のようになりながらその慎ましい胸の感触に恍惚としている鷹のくちばしを指で弾いた。
「このヤロー、うらやましいぞ。……イテテテテテ!!」
「ジョニー! 天泰さんの人差し指はスモークベーコンじゃないよ!!」
「あ、これわりと食べようとしてるんだねほんとに」
俺は血まみれになった指をジョニーのくちばしから引っこ抜き、指でふーふーした。血ぃ止まんない。
「だ、大丈夫ですか天泰さん! いますぐ手当てを……あわわわ」
「あらあらあら、どうしたの?」
と、早苗さん……俺の実母がひょこっと顔を出した。エプロン姿に手にはミトン、なにかミルクとタマゴを混ぜたようなものが入っているボウルを掴んでいる。どうでもいいが、そのボウル絶対熱くないよね。
「ママ! ジョニーが天泰さんを食べようとして……あっ」
ジョニーが風嶺ちゃんの腕の中から逃げ出し、天井そばの止まり木へと逃げ出した。……早苗さんが怖いらしい。
「あらほんと? きっと食べちゃいたいほど可愛いってことね」
「ボケはいいんでマキロンと絆創膏もらえます?」
お宅の絨毯が俺の血でさらなる真紅に染まる前に手当てしたいんですけどね。
「うふふ、ごめんなさいね。こっちよ。もうすぐクッキーが焼けるから待っててね」
「俺の見立てでは、まだ焼いてもいないように見えるんですが」
「大丈夫、料理は加熱よ!」
「独り暮らしの大学生みたいなこと言い出したぞこの人」
などと言っているうちに、俺は鷹見家のリビングに案内された。
……うわあ。
なんか、全体的に家具がデカイ。ソファとかコの字型のいいやつで「いつでもホームパーティできます」みたいな顔してるし、テレビは液晶どころか壁に埋め込む式。これ建築してるときに配線を壁の中に突っ込んだってこと? やべぇな。食器棚は新倉んちにあるやつと一緒だ。あいつんちにあるやつは銀色の食器ではなく銀髪の美少女のフィギュアが突っ込まれていたが。どうでもいいが、あいつは物欲をもう少し抑えないと破産すると思う。
「広いなあ」
「駐屯基地よりは狭いわよ?」
「基地と自宅を比較するっていう発想がまずヤバイよね」
なんか俺の実母、結構アホなんじゃなかろうか。風嶺ちゃんが「あ、あの、あの!」と早苗さんのフォローをしたげにぴょんぴょん爪先立ちになっているのがとても可愛い。テイクアウトしたい。
「はい、天泰ちゃん。マキロンと絆創膏」
「あざっす」
俺はぺこっと頭を下げて早苗さんから救急箱を受け取った。
天泰ちゃん……とりあえず、俺の実の母は、実の息子を「ちゃんづけ」から始めようと思っているらしい。見上げると「うふふ」と笑っている。でも結構、いま俺の名前呼ぶの緊張したと思うんだよな。たぶん、初めて呼ばれたし。
そんなことを考えながら指にマキロン塗ってると、妙な気持ちになってきた。
「……お金持ちだなあ」
「えーと……」
俺の呟きに風嶺ちゃんが申し訳なさそうにオロオロしている。べつに悪いことじゃないんだけど、やっぱりこのご時勢、気が引けちゃうのかな。ま、今日から俺もこの家の一員(暫定)なんだし、いいんだけどさ。
……しかし、この一ヶ月、「クソが!」と思い続けていた家の中でマキロン塗ってるって、俺の人生もワケわかんねぇ方向に突っ走り始めたなー。
「ねえ、風嶺。ママがクッキーを焼いてる間に、天泰ちゃんに家の中を案内してあげたら?」
「あ、うん! わかった! いきましょう、天泰さん」
「そうだね、このままここにいたら一酸化炭素中毒になってしまう」
黒煙を噴き始めたオーブンから逃げるように俺は風嶺ちゃんと共に廊下に出た。擦りガラスの向こうが噴煙で見えなくなる。
「うちのママ、クッキー作るの得意なんです」
「風嶺ちゃん、君は騙されている」
あんな火力でオーブン使うのは火葬場だけだよ。
……そんな罰当たりなツッコミは胸の中に秘めつつ、俺は鷹見家の中を案内された。
「ここがお姉ちゃんの部屋です」
「え、いきなりそこ?」
廊下をぷらぷらしていたら、いきなり風嶺ちゃんが「ガチャリ!」と一室の扉を開け放った。
「えっ、えっ? だ、ダメでした……?」
「いや、ダメって言うか……」
地夏のやつがこれを知ったらまず俺をブチ殺してくると思うし。普通は案内しないよね、姉の部屋とか。
なんとなく、地夏が風嶺ちゃんに「イラッ」としている気持ちがほんのちょっとだけ分かった気がする。ちょっとだけね。
「まあ、それはともかくとして、覗きますか……」
なんだかんだ同年代の女子の部屋だ。茶樹んとこはたまにいくが、部屋っていうか洞窟みたいになってるし、俺が貸したきり返ってきてない漫画だらけでもうほとんど俺の倉庫みたいになってるしで、新鮮味などなにもない。
なので結構、期待して地夏の部屋を覗いたのだが……
「……フツーだな」
十二畳の部屋をフツーなどと言ったら三畳の部屋に住んでる人たちに殺されそうだが、それを省けば内装は質素で、地味だ。安物のパイプベッドやらシステムチェアやら、そんなもんが置いてあるだけ。遮光カーテンだけがわずかにピンクで女の子っぽいが、それもかなり淡い。
「荷物、ほとんど持ってったんだな。当たり前か」
「あ、いえ。お姉ちゃん、あんまりモノを持たない人だったから……ほとんど変わってない、と思います」
「マジで?」
俺はスライド式の本棚をゆさゆさ動かしながら風嶺ちゃんを見た。
「子供の頃から、べつべつの部屋で暮らしてんの?」
「はい。小学一年生になると部屋をもらえるので。あ、前の家ではってことですけど」
「そっか、そうだよな。ここは建ってから一ヶ月だもんな」
そういう意味では、地夏の部屋に生活感がまるでないのも当然なのかもしれない。よく嗅ぐと新しい家のにおいがする。モデルルームとかでにおうやつ。
「俺の部屋もこんな感じ?」
「はい。間取りは一緒です。というか、この隣の部屋です」
「へぇー」
廊下に出て俺の部屋を見てみると、ほとんど地夏の部屋と一緒だった。これからこの部屋を俺色に染めてやるんだぜ、などと思いながら手荷物を放り込む。
「じゃ、いろいろ案内してよ、風嶺ちゃん!」
「はい!」
風嶺ちゃんは喜び勇んで廊下をずんずん進んでいく。
「ここが、パパとママの秘密の寝室です! 壁紙がピンクです!」
「風嶺ちゃん、ちょっとこの屋敷の見取り図をパパの部屋から持ってきてくれる?」
このままいくと「ここがパパのベッドの下です!」とか言い出しそうだったので、俺は廊下の真ん中に風嶺ちゃんが持ってきてくれた見取り図を広げ、赤ペンで順路を書いた。
「この通りに案内してくれる? ゴールはリビングで」
「わ、わかりました! 風嶺、がんばります!」
「うん、よろしく」
とりあえず、実の両親が使い込んでると思しきウォーターベッドのある部屋に案内されるのは二度とゴメンだよ。あれ、たぶん回るぞ。
○
「えーと次は……」
「風嶺ちゃん、見取り図が逆だよ」
「えっ、あっ! す、すみません……」
手に持った紙に火が点いたかのように慌てふためきながら、風嶺ちゃんは涙目で俺にぺこぺこしてくる。なんだかいじめてるみたいで切ない。
「たぶんね、横に曲がるたびに見取り図をそのまま真っ直ぐ持ってるから道に迷うんだと思うよ」
ていうか自宅じゃん、君の。
……まあ、確かにお城みたいな家で、俺もしばらく暮らさないとどこになんの部屋があるのか覚えられそうにないけど。なんか、距離感としては学校に近い。階段はレリーフとか彫ってあってうちのミズコーとは天と地の差だけれども。
「次はどこだっけ?」
「あ、お風呂です」
トトト、と風嶺ちゃんがリズムよく廊下を駆けていく。育ちのいいお嬢さん風の、薄いワンピースにスケスケのカーディガンを羽織っている黒髪の美少女の後ろ姿は、俺にロリ少女への道を目覚めさせそうになる。あとシスコンロード。
「お風呂は一階にあります。リビングからすぐ来れるので便利です、ちょっと曲がり角が暗くて怖いけど」
「お風呂って結構大きかったりする?」
「はい、三十畳ほど」
「戦車でも洗えるじゃん」
俺がくだらないことを言うと風嶺ちゃんが「ぷふーっ!」と噴き出した。なにごとかと思った。
「か、風嶺ちゃん?」
「そ、それは『戦車』と『洗車』をかけてるんですね!? 天泰さん、面白いこと言いますね!」
「ごめんべつにそんな意図はない」
「えっ、ええっ!? そ、そんなあ……」
「なんかむしろ凹んだ」
偶発的に発生するダジャレは健全な青少年のプライドを著しく損ねるのだよ。あーやべちょっと泣きそう。……でも改めて考えるとちょっと上手いこと言ったかも。
「天泰さんって、なんか、よくニヤニヤしてますね……」
風嶺ちゃんが近所をうろついている不審者を見る目つきになったが、ふるふるっと首を振ると笑顔を取り戻した。お、偉い。お兄ちゃんをキモチ悪がらないよう努力するのは妹の大切なシゴトだよ。
「それでは、いざ、温泉へご案内します!」
「温泉なの?」
このへんは掘っても掘ってもお湯が出ねぇってうちの……というか稲荷の爺さんが愚痴ってたらしいんだけどな。
などと考えながら、俺は擦りガラスを開けて脱衣所の中へ入った。
すると、
「…………」
「…………」
一糸まとわぬ女性が、頭に濡れタオルを巻きつけて牛乳を飲んでいた。
当たり前だが、三次元はすべからく無修正。
全部見えてる。つぼみもしげみもなにもかも。
「山の幸かよっ!」
俺はピシャァンとガラス戸を閉めた。
「ど、どーしたんですか天泰さん!」
まだ中を見ていなかった風嶺ちゃんが俺を心配そうに見上げて来る。俺は額に手を当てて答えた。
「なんか真っ裸の女の人がいた」
「えっ、ええっ!! なんでそんな……あっ、ああっ!」
風嶺ちゃんの顔が「!!」とビックリマーク色に染まった。それと同時に俺が閉めたはずの擦りガラスが「バァーンッ!!」と派手に開いた。割れるわボケ。
「よっ。あんた誰?」
小学校の頃、俺が蹴り過ぎてぺしょんぺしょんになり始めた柔らかいサッカーボールみたいなおっぱいを手ブラで隠した二十歳前後の女性が、にこやかな笑顔で立っていた。
「み、美鈴さん!! なにやってるんですか!!」
「え、風呂借りてた」
美鈴と呼ばれた女性は「きょとん」とした顔で風嶺ちゃんを見下ろしたが、きょとんしたいのは俺だ俺。
「おい、あんた! おっぱいだけじゃなくて下も隠せよ!」
相変わらず丸見えだよ!
「あ、忘れてた。いっけねぇー」
頭に巻いていたバスタオルをモタモタと外して腰に巻こうとする美鈴さん。そのときにびしょぬれのタオルから水滴が俺とか床とか風嶺ちゃんとかにぶっかかってて、正直俺はこういうズボラな女の人はどうかと思った。ちんちんがピクともしねぇよ全裸がいるのに。
「も、もう美鈴さんったら! 男の人がいるんだから早く隠して……!」
「なんだよ風嶺、べつに見られて恥ずかしいものなんてついてねーぞ?」
「ちんちんないから恥ずかしくないもんって言い出すやつ初めて見たわ」
この女、かなりヤベェ。
やっとバスタオルを正しく胸からふとももまで巻き直した美鈴さんは、脱衣所にあるらしい小型冷蔵庫から新たにイチゴ牛乳の瓶を取り出してフタを「きゅぽんっ」と開けながら、俺を斜に睨んだ。あらためて見ると、ボサボサの髪をウルフカット気味にザク切りにした美人だ。婦警のコスプレでもさせたら似合うかもしれない。
「で、お前はナニモンだ! さては泥棒だな? よし、殺す」
「落ち着こう」
俺は両手を挙げて丸腰を主張した。風嶺ちゃんががばっと俺をかばってくれる。
「こ、この人はわたしのお兄ちゃんです! ほら、今日来ることになってた……」
「そーだっけ?」
「ねえ風嶺ちゃん、この裸の女の人は誰なんだい?」
警察に通報したいんだけどいいのかい。
「この人は、うちのメイドの灰村美鈴さんです……」
「め、メイド!?」
俺はあらためて美鈴さんを見た。美鈴さんは、「ん、なんだよ」みたいな顔で睨んできたが、「!」とビックリマークを頭から弾きだして、脱衣籠の中からなにかをゴソゴソと取り出して頭に乗せた。
……俺、こんなにもメイドカチューシャが似合わない女を初めて見たわ……高い戦闘能力が透けて見えてて魚人のエラかなにかにしか見えねーよ。てかなにそのドヤ顔? 腹立つ。
「いまなんか言ったか?」
「なんも言ってないでぇーす!」
俺は美鈴さんに胸倉を掴まれて降参する。ていうかマジでなんも言ってねぇし。不意のエスパーやめてよ。
「あー、そうか。そういや地夏と入れ替えで誰か来るって旦那様が言ってたっけなぁー」
「そんなバイトのシフト変更じゃないんだから……」
「お前、名前はなんていうんだ? あたしは深田恭子!」
「なんでそんなクソな嘘つくの? 稲荷天泰だよ」
「そーかアマヤスか! なんか美味そうな名前してんな」
「ツッコミが追いつかねぇんだけどこの人」
誰か助けて。
「あたしはこの家の専属メイドだ! 週に二日、六時間でバイトしてて、今日はオフだ!」
「家にいろよ」
「お前のパンツも靴下もいずれあたしが洗ってやるから、その日を楽しみにして待ってろよ! ってわけで、じゃーな、あたしは湯冷めしそうだから帰る!」
ペタペタと廊下を歩いていく美鈴さん。相変わらずバスタオル一丁だが、いいのだろうか。服を着る風習、ないんだろうか。
歩く風紀法違反の湯上りで火照った白い肩を見つめながら、俺は風嶺ちゃんに尋ねた。
「……きみ、もしかして苦労人?」
「えへへ……」
「褒めてない、褒めてないぞ妹よ」
ヤバイ人たちから身を守る術は自分で覚えていかないと。
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