番外編③ アタシはアタシの花でありたい

「花言葉?」

 アタシは、ピクニックにやってきた公園に咲いていた赤いツツジをお母さんと眺めていた。


「そう、赤いツツジは確か……『恋の喜び』」

 アタシの問いに、お母さんが応えてくれる。

 その時、初めて『花言葉』というものを教わった。


 花ひとつひとつに、意味が込められている。

 色や咲き方で、同じ花でも花言葉が変わったりするのだそうだ。

 なんだかそれを知って、アタシは無性に花に対して興味が湧いた。


「リカも、大人になったら恋の喜びが分かるよ」

「えー? 恋とかよりも、かっこいい花言葉ないの? 爆発! とか、無敵! とか」

 小学生のアタシには『恋の喜び』なんてあんまり心ひかれるものじゃなかったんだ。

 あの頃は女の子と遊ぶより、男の子に交じって、ヒーローごっこなんてやってたっけ。

 でも、アタシが女の子だから、一緒に遊ぶ男子は、アタシをヒーロー役にはしてくれなかった。


 ともかく、アタシが『花言葉』に興味を持ったのは、この時である事に間違いないだろう。

 色んな花言葉を調べては、実際にその花を見て、納得したり首を傾げたりした。


 やがて中学生になる頃には、花言葉の熱は少し冷めていた。

 周りに出来た友人がアタシの知らないものを色々教えては、アタシの心をツンツンと心地よく刺激してくれるからだ。


 友人の一人、西野蘭は可愛い服が大好きらしく、ファッションと云うものをアタシに教えてくれた。

 ……もっとも蘭の好みとアタシの好みはあんまり合わなかったが。(蘭は女の子らしいものを好んでいたけど、アタシはどうもそういうのは恥ずかしかった)


 蘭の幼馴染の月島麻衣は、蘭とは真逆の性格で、静かで少し近寄りがたい空気を作っていた。

 でも、音楽が好きらしく、一度麻衣からCDを借りてからはアタシも音楽に目覚めた。御互いにCDを貸し借りしたり、一緒に金を出し合って好きなバンドのCDを買ったりした。


 二人の他にも色んな知り合いが中学で出来た。

 その度、アタシの知らない色んなものを伝えてくれる。

 アタシは、人と繋がっていくのが好きになっていた。自分の知らない何かを教えてくれる、人との繋がりが――。


 それから、ちょっとした事件があったんだけど、それはとりあえず置いとこう。

 今回、アタシが語りたいのは『花言葉』なんだから。


 高校に上がると、アタシはバイトを始めようと考えていた。学校の友達だけでは広がらないアタシの社会欲求は、仕事をする事によって満たされるのではないかと考えた。

 ……まぁ、そんな難しい言い方で誤魔化してもしょうがないので白状すると、つまりは社会勉強がしたかったのだ。

 部活に入る事は考えず、バイトを頑張ろうと考えていたアタシは親に許可も貰って、いざバイト探しとなった。


 バイト情報誌やネットをあさって、色んなバイトがある事を知った。

 世の中にはこんなにも多様な職業や仕事があるんだなと思い知ったのだ。

 何をやろうと悩んでいたが、高校生可、なるべく近場で、と条件を絞ると悲しいかな、選択肢はあっという間に減った。


 ハンバーガーショップ、コンビニ、花屋……。


「花か……」

 その時になって、アタシは『花言葉』に夢中になった時期があったな、と思い出していた。

 思い出すと、なんだかもう一度『花言葉』について色々と知りたくなってくる。

 スマホを買ってもらったので、今はネットで簡単に調べたいことが調べられる。

 だけど、花の画像を見ることはできても、その香りや手触りを確認は出来ない。


 花屋にいれば、色々と身近に草花を見ることも出来るだろう。

 そんな程度の理由で、アタシは花屋でバイトする事に決めたのだった。


 バイトの面接後、翌日には採用の電話を貰った。

 あまりにも早くて少し驚いた。

 家族にバイトが決まったことを報告すると、なぜだかダイのヤツがムキになって絡んでくる。

 なんでバイトするんだ、とか、花屋なんか似合わないだとかうるさかったので、アームロックで黙らせてやる。

 最近は、ダイが何かと突っかかってくるし、ナオなんか、アタシの胸を揉んだり裸見たがったりとアホになっている。

 この年頃の男の子ってのは、なんというかアホだなーと思う。

 その点、サンタはとっても素直で可愛い。

 サンタは二人に似ないで、成長してもずっと素直で可愛いままであると思いたい。

 サンタまでアタシにちょっかい出してくるようになったら、いくら面倒見の良いアタシでもアホの弟三人の相手は疲れるからなぁ。

 まったく、お姉ちゃんは大変だぜ……。


 バイトに入りだして初期の頃は、花の世話や茎の切り方とか、まったく知らないことを恥じながら、店長にたくさん教えてもらった。

 花言葉に興味がある程度の理由で、仕事を始めるなんて、いいかげんなアタシが続けていけるんだろうかと少し不安になったりもしたけど、仕事場の空気はよかった。

 店長も、他のバイトのセンパイもアタシに良くしてくれた。

 なんだかんだでそのまま、数ヶ月が過ぎて高校一年の夏がやってきた。


 夏休みはバイトを頑張ろうと多めにシフトを入れてもらった。

 それから、割と仕事にも余裕が生まれてきたので、良く来るお客さんと会話するなんて事もできるようになっていた。


 そして、その日は八月七日――、アタシの誕生日でもあった。

 お昼から夕方までのシフトでバイトに入っていたアタシは、夏の日差しに負けず仕事に精を出していた。


「すみません、ちょっといいですか」

 店に入ってきた男性が声をかけて来た。見た目四十代ほどのスラリとした体躯の物腰やわらかな人だった。

 白のワイシャツにベージュのスラックスというよくある服装だが、どこか他の人とは違って見えた。

 声は低いけれど、テレビ番組のナレーションでも聴いてるみたいな綺麗な響きでまさにジェントルマン! って印象だったのを覚えてる。


「あ、はい! 何かおさがしですか?」

「ええと、実は今日、娘の誕生日で。何か花でもと思っているんですが……あまり花は詳しくないもので」

 娘の誕生日に花! こんなお父さんが日本にいるのか! と自分の父親を思い浮かべて軽くショックを受けながら(アタシのお父さんだったら、誕生日に焼肉に連れてってくれるくらいだ。いや、嬉しいけど)、そのジェントルマンの要望に応えようと少し考えた。


「今日、誕生日なんですね。おめでとうございます! へへ、実はアタシも今日誕生日なんです、一緒なんですね」

 なんだか人事とは思えず、少し気持ちが緩んで馴れ馴れしく対応してしまった。

 ちょっと調子に乗っちゃったかなと反省しかける間もなく、お客さんはニコリと笑って「それは、おめでとうございます」と柔らかく対応してくれたのを見て、アタシはちょっとだけその人に見とれた。

 紳士的な大人の男性の瞳は本当に優しくて、アタシの周りの男性にはない包容力を感じてしまった。

 もしかしたら、少し顔が紅くなってしまっていたかもしれない。


「あ、えと、それじゃあ、その……この花はどうでしょうか」

 勧めたのは紅い『サルビア』の花だった。


「『誕生花』ってご存知ですか? 生まれた月日にちなんだ花があるんですよ。八月七日はこのサルビアなんです。えっと、花言葉は……『家族愛』だったはず」

 少し照れ隠しもあって、早口になりかけていたアタシの説明を聞いていた男性は、笑顔でいてくれた。

「ああ、いいね。ぴったりだ」

「……は、はいっ」

 男性はサルビアとアタシを見比べて、低く透き通る声でゆったりと言ってくれた。

 『ぴったり』と言ったのは彼の娘に対してだろう。だけど、なんだかアタシに言ってくれたみたいで、どうにもこうにも恥ずかしくてこそばゆくて、嬉しかった。


「では、サルビアをください」

「ま、まいど!」

 思わず上ずった声で八百屋みたいな対応をしてしまった。たぶん、アタシの顔はサルビアに負けずに紅かったのではないだろうか。


 男性はサルビアの花束を購入し、胸に抱いて「ありがとうございました」とアタシにまた笑顔を向けてくれた。

 落ち着いた男性の、心地よい微笑みがまたアタシの心をあったかくさせる。


「いっ、いえ! 娘さん、喜ばれるとおもいます!」

 アタシもその笑顔に負けないように精一杯、笑って見せたつもりだった。

 うん、と男性はひとつ頷いてから、胸の花束からサルビアをひとつ抜き出した。

 そして、それをアタシに差し出した。


「誕生日、おめでとう」

 赤の花が、アタシの目の前に捧げられた。

 何をされているのか、最初は受け止められずにキョトンと目を丸くしてしまった。


「……えっ?」

 呆けた顔のアタシに、男性は「うん」とゆっくり頷いた。

 アタシに……くれると言っているのだろう。

 アタシの誕生日を祝ってくれたのだ。


 アタシはまだ、状況を理解できてないような、頭がフワフワしたままにそのサルビアを受け取った。


「えっ、え!? あの! いいんですかっ?」

 こんな事をされたのは初めてだった。

 まるで、ドラマかマンガのシチュエーションじゃないか。アタシの心が膨らんで、夏の太陽に負けないくらい眩しく煌めいていた。

 そんなアタシのうろたえっぷりとは対照的に、男性は「はい」と短く告げて、軽く会釈した。

 そのままきびすを返して、夏の日差しの中へ歩み去って行った。


 男性があまりにも颯爽と行ってしまったので、アタシはお礼の言葉すら言いそびれて、呆然とそのまま立っていた。

 手元に紅いサルビアが咲いている。まるで、心の中に芽吹いた温もりみたいに。


「ありがとうって、言い忘れた……」

 もし、またあの人がお店に来たら、その時は絶対にお礼を言おう。


 高一の夏、十六歳の誕生日――。

 アタシは、ツツジの花言葉を思い出していたのだった。


 その日、家に帰ると、サルビアの花を花瓶にさっそく活けた。

 お母さんがそれを見て、「あら、買ってきたの?」と聞いてきた。


「ううん、貰ったんだ。誕生日プレゼントって」

 たった一輪だけど、アタシには宝石みたいに綺麗で、見ているだけでも胸が温かくなるのだ。


「姉貴! 遅いぞ! みんな待ってたんだからな!」

 ダイが二階から降りてくるなり迫ってきた。

 その後ろにはナオが嬉しそうに「やきにく♪ やきにく♪」と盛り上がっていた。


「行くぞ、準備しなさい」

 お父さんが車のカギとサイフをポケットにしまいながら、短く言ってくる。

 そうだ、アタシの誕生日は外食で焼肉パーティーなのだ。

 それがこの大守家の慣わしだ。


「お姉ちゃん、どうしたの?」

 遅れて二階から降りてきたサンタが、見上げていた。

「んーん、なんでもない! おなか減ったー! めっちゃ喰うぜぇー!」

 いつものバタバタとした大守家の空気。

 うるさい弟二人に、寡黙な父。大人しい末っ子に、面倒見がいい母。

 毎年の恒例、誕生日焼肉は、当たり前のように進行する。

 ロマンチックなんてないけれど、だけどやっぱり安心する。


 アタシの誕生花『サルビア』。

 花言葉は『家族愛』。


 うん、あの人の言う通りだ。やっぱりアタシに、似合ってる。

 花瓶のサルビアは、騒がしい大守家で明々と活きていたのだった。

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