意図せざる加速

@deltelta

Preamble

1

 見た目は爽かな、青空の下で。


 暗く濁った緑色と、ひどく明るい萌黄とが。

 雑に絡まって、モビールmobileのように揺れている。


 伸び続けるつる と、干乾びた千茅かやと、吹き寄せた流れ藻drifting algaeの。

 よどんだ匂い達が、かわるがわる、は去っていく。


 係争あらそいまみれた僕らの国ステイツでもなければ、

 被告「ノヴァル自動車モータース」の本拠地ホンゴクでもない。

 どれほど遠いのか……も実感できない南国tropicにて。


 ただ一人……肩に提げた上着を揺り、超然と歩く「その男」は。この――絶えない臭気も、昨日離れたホンゴクと……比べられない蒸し暑さも。何ら苦にしていない。


 白っぽく、ひび割れた路面。こんがらがった緑の隙間で、鈍色に輝く水面みなもが覗き。強い日差しの下、滲み出てくる飴色は――「男」の目指す建屋だ。


(ずいぶん廃屋っぽくなったものだ)


 実際、「男」が見上げる折板屋根は、不穏なほど赤錆で侵されて。壁を垂る雨染のもとと成り果てた……その、さらに上からは。育ち過ぎた扇芭蕉Traveller's Palmの一群が――被り落とす大葉の影を、悪夢のような踊りに揺らし。十月ハロウィンといえなくもない。

 だが、その巨大な――熊手のごとき影たちは、開け放した扉や、縦に延びる窓から。落っこちてくる日を伝い、建屋の中をも撫で回しているのに。待ち受けるの醸し出す……ひどく気怠い雰囲気を。押し潰すことも、消し去ることもできないようだ。


「もう、商品価値commercial valueがない。そう言いに来たろう?…………この俺にも。俺の提案proposalにも。」


 訪問者の方を見ようともせず。諦念のすら、過ぎ去さりし——といった調子で。事務机の奥から、巨漢が切り出す。玉暖簾door beadsを潜った「男」は。ことわることもなく、その痩躯を長椅子へと収め。地を這うような低い声で――応じる。


解析結果アナリシスが、裁判に出たところで……」


 玉暖簾door beadsの揺れが。ちゃり、と鳴って収まる。


「……コードが機能しなくなったわけではない。払って、ドライバーと和解できたところで――」


 猫を乗せた自律掃除機robot vacuumが、ゆっくり通り過ぎていく。


「――実装済みのコードに影響はない。あの国ステイツを走る『キャブラ』は数十万台……その全てで。で走っている。我々ノヴァルが作り直して、リコールするまで。」

作り直すリファクタリング?」


 巨漢の側は、そんなことあるかい……といった調子である。すっかり禿げ上がった頭の下で、薄笑いを浮かべているようにも、苦虫を噛み潰したようにも。にも受けとれる表情かおだ。

 なので「男」は、言いかけたことを飲み込み。その淀みを痩躯に沈め、こう応じる。


ECMモジュールごと置き換えるのでなければ、自分にしかできない……そう言いたいのだろう?」

「上からモノを言って悪いがな。お奇麗なドキュメントで、手取り足取り教えてもらわんと……なんて根性だったら、は弄れない。読むだろうが、今のお前らノヴァルには無理だ。敵側むこう専門家証人expert witnessesでも二十カ月かかったっていうじゃねぇか、ん?」


 鼻持ちならない物言いに、「男」の顔が曇ることはなく。寧ろ、頷きながら巨漢を促す。


「そう聞くが。」

「ノロマとは言ってねえぞ、のコメントだぞ? あんなの翻訳しながら――で、やれるとは凄腕go-getterだぁ、素直に感心するよ。」

「ほう……?」

「といっても商売だから。四百ずつ……いや五百だったか、タイムチャージで毟り取っていくそうだがな? ハハッ、お前らからブン捕れると踏んで。」


 一を聴いて、十以上まくし立てるのに。痩躯の「男」は、難なく口を挟む。


「否定はしないんだな。」

「そうだよ、シンプルな事実じゃないか。三百万ってのも——だけの話だろ? 事故の裁判だけでも五百件近くあるのに、じゃ済まんだろう……これから。どうすんだ、ノヴァルは?」


 壁や天井のところどころに、濃く染めた割竹split bambooを並べた装飾があしらわれ。巨漢の早口がに反響し、あからさまに非難の色を伴って。このの意思のように感じられる……が。左方の壁で、割竹と割竹の間に掛かるカレンダーの――今日の日付2013年11月3日に。極太の赤マジックで「男」の来訪を示す渦巻スワールが……升から程だから。


「そんなに心配してくれるとはな……まあ、元気そうで安心したよ。こんなした処に、長く居過ぎじゃあないか? 県からリージェンシの助成もあって、緩々ゆるゆるのペースでも続けられてるのだろうが……」


 話の矛先を変えるだけで。巨漢の纏う空気も、まくし立てる口調も――あっさりと軽くなり:


「それを言うな。こっちにだって仕事はあるさ……そりゃあ、引く手数多あまたとはいかないが。」

「ほう。」

「最近ので言えば……前世紀の空調機に、いまさら除湿モードを追加したいとか。食用コオロギ飼育温度の上げ下げや、アオコ除去スピーカーの水中移動を、超音波で制御したいとか――何が来てもおかしくない処でな、あいつらも鍛えてる。」


 と、返す巨漢が目を向ける先は。一段だけ降りた緑色のフロアに、サイズのまちまちな作業台が並んでおり。現地ここでの採用らしい、三十歳前後の男性が一人……いや二人と。いちどに複数のディスプレイを見ながら、古ぼけたキーボードで何やら打ち込んでいる……のだが。それらの――いずれもタワー型の筐体PCは、資産番号を剥がした痕と思しき箇所が変色し。否応なしに、何らかの破局カタストロフを生き延びた……その後の年月を物語っている。そうしたパソコンのなかには、むき出しの電子部品と繋がっているものが多く。大きな作業台の上で、プリント基板の「緑」や「茶」の色合いや、天井から垂れ下がるケーブルの類といり混じって、皆が想像するソフトウェア・ハウスとは少し違う雰囲気を醸し出す。


「ちょいと勝手は悪いが、この商売なら支障ない。の壁、ぶち抜いたりもしたけどな……ハハッ。」


 巨漢が言うように、応接と仕切られていたのであろう開発エリア……は。外光の導入も、天井近くの摺りガラスだけで――不気味な影たちの入り込む余地はなく。猫を載せた掃除機robot vacuumも、事務こちら側から越境しようとしない――のは、十センチある段差から転げ落ちたくないからであろう。たしかに、が電気で吸わなくても。あの床なら……水を流して洗えるに違いない。


「少なくとも、に居るよりは稼げるぞ。」


 そう嘯く巨漢に目を戻すと。その分厚い身体を引き立てる、鮮やかな蒼コバルトブルーのTシャツは。右の裾から左胸にかけて、青白い幾何学模様が……規則正しく、と差し込まれており。何の柄なのか?に思い当たった瞬間、頬が緩むのを感じて。


(磁気コアメモリか。相変わらずだな……)


 そうした趣向から、巨漢の心にも余裕はあるのだと――感じとれはするが。表情や身のこなし……に、不規則な「ノイズ」が入るのを見ていれば。その体調が、二年前より遥かに悪くなっていることが伺えて。痩躯の男は、僅かな焦りを押し殺す。


「商品価値、ではないかもしれないが。ノヴァルうちを引っ張り出すことはできるぞ。」


 立ち上がって事務机へと歩み寄り、口紅大の物体を差し出す。


「モウさんな。連中あいつら結論いうことには、『木を見て森を見ずYou cannot see the wood for the trees』とか、『風が吹けば桶屋が儲かるone thing leads to another leads to another...』とでも?……とか。色々な」

「ふん。」

「言ってやりたいこともあるんだろうが。バラしてみれば、は間違っていないのだろう?……なら、これが使えると思ってな。」

「何だ、危ないモノか?」


 モウさんと呼ばれた巨漢が、慎重に摘み上げたは。した手指の下で、キャップが外れてUSBメモリだとわかる。


「モウさんなら、どう使うか……あいにく、俺はエンジニアではないからな。楽しみにしている。」

「もう行くのか?」


 そのまま、振り返ることなく。玉暖簾を潜り、開けっ放しのエントランスを出て、待たせていた車へと向かう間。踊る影のさらに奥……まだら模様の地面に、無数の穴凹が穿たれているのを、痩躯の男は眺めている。

 海岸に近いほうが、穴は大きく。また、光っているものもあり、水をたたえている様子だが、それ以上のをもたらすこともない。


 それらは嘗て。ホンゴクへと輸出される海老たちプローンの、養殖「池」であったものだが。赤い土壌から出る「酸」のために、遺棄せざるを得なくなった…と聞く。


 その後、どうしようもなく放置されている……と。


   *   *   *   *   *   *   *


 振り返ってみれば。


抜き身の刃naked blades」と一緒にブン回されて。にされぬよう踊っていたのは、ほんの数日間であったが。


 その試練じみた状況が、本当に「始まった」といえるのは……四か月も前の。「その男」が予告なしに「巨漢」を訪問した、まさにであり。不穏に渦巻く海老屋敷シュリンプ・ハウスに比べ、ステイツのこちらは――完全に燃え尽きて、虚脱感すら漂い始めた頃で。


 つまり。僕たちの法律事務所ロー・ファームで、加害者側メーカー・サイドを代理している「不法な死」訴訟ロングフルデス・ケースの。四年に及ぶ審理が、ようやく陪審員たちへと曝される……証人尋問を終えて、遺憾にも。被告メーカー「ノヴァル自動車モータース」が耐え忍ぶべきダメージを。抑えるか?という局面に至った、昨年の秋頃のこと……だったようなのだ。


 僕たちを、僕たちのを。根元から変えようと図った「その男」の――記すところに拠るとだが。

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