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 薄汚れた灰色のミニバンに……スライドドアから乗り込むと、三人には十分すぎる程のスペースで。二列目のシートに、ハートさんと座るのも贅沢に感じてしまったのは。知らず知らずのうちに、シェヴラの車内に馴染んでいた所為かもしれない。


「最後まで閉めなくていいか?」

「はい、モーターでやりますから。」


 運転席に入った「男」の言うとおり、ハートさんの手から離れたスライドドアが。軽い唸りとともに、スルスルと閉まっていった。その直後、彼の肩越しに見えている計器盤インストルメントパネルで。座席をかたどったマークに、赤い『×』のサインが灯るのを見て。僕は、慌ててシートベルトを締めた。


(今どきの車……各席に感圧センサーがあるし、シートベルト締めないと警告音チャイムが煩いからな。それもこれも、車載ネットワークでつながったECUコンピュータのおかげか。でも大丈夫かな? エンジン電子制御モジュールは……)


 そうした心配など知らぬ(であろう)ハートさんも、シートベルトを締めたので。右側に座る僕との間に、まるまる一人分の隙間が生じた。そして――


「出します。」


 何の感情も読み取れない、乾いた声とともに。ゆっくりパーキングを離れようとするミニバン……から。なんとなく、後ろのほうを振り返って見ていると。窓越しに、事務所の正面が現れてきて。その、かつては入口であった四角いうろの……真横に立て掛けられたを見て。僕の口から、


「へっ……?」


 と。妙な声が出てしまって、ハートさんも振り返る結果になった。問題のは、埃で白っぽくなった「販促くん」の上半身で……「頭」の部分に放射状のヒビ割れが生じており、そのど真ん中に、明瞭な弾痕bullet holeが見て取れた。


「あれって、三発目の……ですか……ね。」

「うむ。射撃で倒れたのを、彼らが起こしていた……知らなかったか?」


 端正だった男優の顔は、額の弾痕に向けて凹むように歪んで割れており。二年前のハローウィンのとき、僕とビルが共謀して。ボスを驚かそうと「目」に仕込んだ電飾LEDが。電源コードとともに剥き出しになっていたので……『人造人間アンドロイド、抹殺さる!』とでも書き込んだ画像をネットに上げれば、瞬く間に拡散していきそうな馬鹿馬鹿しさを醸していた。あれではまるで……


「まるで、冗談で撃ったように見えちゃいますね。」

「うむ、狙ったのかもしれない。殺意はなかったと……主張する根拠になるように。の……射撃の腕前は、中々のものだと聞くから。」


 すかさず、疑っていることを聞いた。


「そんな精度で撃てるなんて。軍か、警察の方だったのですか?」

「むむ……どう言ったものだろう。」


 口髭の奥で言いよどむハートさん……を助けるように。運転席から、意を決した声が――


「貴方の動向監視から、私のクライアントが手を引いたことで。ひどく立腹され、憤慨されている方です。」

「クライアント?」


 ――発せられたので。僕は、ハートさんに口を挟ませないように。素早く聴いた。とはいえ、その答えが、まさか……


「貴方は、クライアントの『リスト』に載っていました。治安上の脅威になりうる人物として……それ以上は勘弁してください。」


 な。what ?

 ち……、だって? この僕が?

 じゃあ、なにか。『ハッカーとして連邦警察に監視されてるかも?』って、僕の妄想…………じゃ、なかった……と。いうことなのか?


 う、うぉおおおおおおお――――!?


「クルーザさん、恐れ入ります。よろしいのですか……?」

「ええ。何度か手を抜いて、この方を脅かしてしまったのは、この私の……責任ですから。」


 目を剥いて固まってしまった僕をよそに、ハートさんとドライバーの会話が進んでいた。


「まだ、クライアントではあるのでしょう?……貴方にとっては。」

「リストの監視は依然、私どもの仕事です。外れたのは、この方だけで……」

「……では、僕が外れたのは」


 何とか声が出て、割り込めた。


「裁判の影響ですか? 集団脱獄で、刑務所……が。警備システムの開発元を訴えた――」

「イエス、ご存知でしたか。と、全く同じ症状でしたから。システムの欠陥であったと、立証された……ので。クライアントとしても、貴方をリストに載せておく理由がなくなったのです。」


 この……クルーザ氏の口調も、それを聞いているハートさんの表情も。僕のハイスクールで起きた乱射事件を、ものだった。だから、もう――僕に躊躇は無かった。


「では。どうして、あの……射撃犯が『憤慨』することになるのですか? 調査遺族会の一人だろうとは思っていましたが、その。『リスト』のことを知っている……というのは?」


 運転席から、息をのむような感じと……躊躇いが伝わってきた。ハートさんも、それを察して。


「その答えは、わたしから言おう。」

「いえ、ご心配なく。本来であれば……」


 そこでまた、かなり躊躇いがあって。ようやく――


「本来であれば、学校の事件は終結した筈でした。それでも貴方がリストに載り続けたのは、の意向を……クライアントが無視できなかったからなのです。」


 ――クルーザ氏の口から出たのは、僕の想像をはるかに超えるだった。

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