6C

 バレンデルの側からすれば。手元には無かったものの、社有車が事故を起こしたのだから。かなり早い段階で、ファラやニックも知っていた筈だ……運転していたバリフォード・トランが退職者で。「車が勝手に加速した所為だ」との理由で、トラックへの賠償を拒否しており。バレンデル自身も、事故の相手側から訴えられたことが。


水産会社シーフードからすれば、社有車で損害が出たわけだが……まあ、ボンボンを訴えるのは無理だよね。とはいえ、モール側も変な借りは作りたくない。だから、こんな話がある……」

「なに?」

君んとこノヴァルのことになるけど、いいかい?」


 嫌な予感がしたが、頷いた。


「スバリ『和解金狙い』さ。暴走事故の欠陥訴訟……ノヴァル車に限っては、ドライバー側に有利なんだって?」

「ん、まあね……。」


 ロッドが言っているのは。西海岸の裁判所で進められている、集中和解手続intensive settlement process……ISPのことだ。


「今回の件では、倉庫の側も騙されてた。問題のブツは高級魚だった筈なんだ……書類上はね。」

「へえ。」

「でも、実は医療用の何かだったわけで。じゃない……普通に保管できる物の依頼でも、もう受けないぞ?ってなるよね。倉庫からすればさ。」

「……。」


 正直。ロージーに何回言われても、よくわかっていないのだが。「意図せざる加速」で怪我をしたり、亡くなったり、物を壊したり……といった趣旨の訴訟は、たとえ同じ欠陥が原因だとしていても、原告ごとに賠償して欲しい被害内容が異なっているので。ある日突然「あなたは原告になりました!」と通知がきて、しばらく経っての補償金が送られてくるような……いわゆる「消費者クラスアクション」にはらしい。だから、ISPのような手続きが必要になるのだと。


「じっさい、いったんそういう話になったようなんだ。所有者が変わらないからといって、曰く付きのブツを預けるような客はちょっとね。今回の事故だって、本当に”高級魚”だったら。あの程度で、全部駄目になったりしなかっただろうし。」

「……。」


 通りいっぺんに同じ額の賠償では片付けられないから、尺度というか基準は必要なので。典型的な事件ケースからまず和解して。それでできた……を、残った事件に適用していく。そういった感じなのかな、と。


「ところがだよ、何が起きたと思う?」

「わからない。何?」

「モール側の役員が出てきて、とりなしたんだ。倉庫さん、それはあんまりに気の毒じゃないかい?……ってね。」

「ふうん、それは妙だな。」

「だよね?」


 そこまでは想像つくのだけれど。和解というのは、要するに「ノヴァルは電制スロットルECTSの欠陥を決して認めないけど賠償はする」というものだから。例の連邦規則CFRの裏返しで、ので。後から後から湧いて出る「意図せざる加速」事故の被害者も、同じように「電制スロットルECTSの欠陥」を主張できてしまうのだ。


「……なんか生返事じゃない?」

「そんなことないよ?」


 本来ISPは、その時点で起こされていた訴訟を解決する仕組みなのだろうが。防水フロアマットみたいな、電子制御原因が見当たらない暴走オーバーランなら。ノヴァルを相手取って、同じように電制の欠陥を主張すれば、同じ電制スロットルECTSを搭載した車両について、同じ証拠をもとに、同じ専門家証人expert witness達が出てくることは明らかなので。

 そう。あたかも「シュレディンガーの猫」のごとく:陪審がドライバーを「嘘つき」だと言えば欠陥による事故ではなかったことになるし、ドライバーは「真実を述べている」と評決すれば事故は欠陥の所為であったことになる……という。どちらにもなりうる、相反した状況が。重なりあって収納されている「箱」を、陪審員に無理やり「開かせて観測させ」ることになるのは、既に係属中の各事件と同じなのであって。ノヴァルがISPに乗っているのは、を陪審にさせたくないからだとすれば。新たに起きた訴訟でも、原告が希望するのならISPへ参加させざるを得ないのだろう。


 だから。たとえ2014年の「今」であっても、特定の年式のノヴァル車でUA事故に遭ったなら。被害者は、ローヤーから『裁判で争う姿勢を見せれば、西海岸のISPで多額の和解金を掴めますよ?』と唆される状況のままで。実際D&Dの人達も、そういう印象を持っていて。後から後から訴訟が湧いて出る度に、モゴモゴと口の中で悪態をついておられた。とはいえ勿論、被告側の代理人としては。なるべく取り下げて頂く方向にもっていかなければならないので。撤退戦とはいえ、それも仕事には違いないのだ。


「だからね、噂が立つわけ。モールの仲介で、欠陥の被害者としてせしめた和解金の一部をね。シーフードさんに渡しましょうっていう方向で。合意できてるんじゃないか……って。」


 えっ、そんなことが?……と。一瞬、驚いたが。少し考えてみれば。


「それはつまり……被害者とノヴァルとで和解出来ても、ドライバーには。単に『事故の責任がない』というだけで、1セントも入らないからか? 怪我も損害もないから?」


 ロッドは、頷きつつも。「今になって気付いた」というように。人差し指を立てながら、上半身を揺すった。


「不思議だよね。あきらかに原因は社用車のほうで。そこに被告が二人いて、メーカーのせいなら、ドライバーのせいじゃあない……って。しかも、メーカーは和解に走るというし。被害者はノヴァル車を所有していなかったのも幸いで。周りからすれば、そりゃあ方向に行くよね。」


 僕は。一連のUA事件の詳細をあまり知らないロッドが、何となく正しい理解をしていることに驚いた。とはいえ、ノヴァル車をという話が……どうして幸いなのか分からなかったが。それに、もう一つ……腑に落ちないことがあったので——


「でもさ。被害側の弁護士が……そんな取引を進めるだろうか?」

「うんまあ。誰かがね、モールに『入れ知恵』をしたんじゃないか?って。そう言われてる。」


 まさか、バレンデルが……? そう思ったのと同時に、ロッドの口からも。


「ストレートに考えれば、水産会社シーフードだよね?」

「……。」

「きみんとこでは、どういう話に?」

「…………。」


 模擬陪審モックをやらされたので、電制スロットルECTSの仕組みには関心が出てきたけれど。第二で扱っていた事件について、細かい点は聞かないようにしていた。訴訟支援クラウドNLSCでも、そういったデータにはアクセス権がなかったこともあって。ECTSの問題について勉強したのは、公開されている情報からなのだ。

 つまり。僕と同じ程度の理解に達するのは、ファラやニックたちでも十分可能で。弁護士に調べてもらうなら、さらに簡単なことなのだ……どうして気付かなかったのだろう?


うちの社バレンデルの社員が一人。この州の陪審員候補jury poolに入ってて、選任されそうなの。』


 ファラがそう言って、僕はドキッとしなかっただろうか? たしか……第二で扱っている事件じゃないか?って。

 そのUA事件は。確か、前世紀の古いモデルで起きたもので。電子制御ではない、機械仕掛けのスロットルが……物理的に固着して起きたのだと聞いた。『つぎの陪審公判ではね、電子制御について原告側の専門家に証言させないって。裁判官に認めてもらったよ』と。ビルが言っていたのを覚えている。

 だから、キャリスが衝突した事件とは……明らかに。


「違う事件だと思う。」

「え?……なにが……何と、違うって?」


『自動車事故の被害者なら、最初から連邦裁判所フェデラル・コートに行こうとは思わないでしょうし。製造物責任訴訟ともなると、州裁判所でも。州都ここの裁判所でないと荷が重いでしょうから。』


 違う事件だが。僕たちが扱っているのが、州都シティの裁判所でやっているはずだと。彼女ファラは知っていて、そこでランサム・ウィルスが暴れた影響で、第二うちが半ドンになっているだろうと想像したのだ……と。そう言っていたのだけれど。


うちの社バレンデルとしても、ここの裁判所とは良い関係でいたいの。色々あるので…』


 僕がかどうか、探っていたのではないだろうか……UA事故を起こした2010年式のキャリスが、バレンデルのものであることに。そして、この年式はまだ。とされるECTSを積んでいることに……?


『で、この車は大丈夫なんだよね?』


 と、ニックが僕を送ってくれたキャリスは、次の世代のモデルで。バイエル証人も、新しい設計のECTSは非難していなかった……ことも。ニックはとうぜん知っていて、そのうえで僕の反応を見ていたのだとしたら……?


『2010年以前のモデルなら、クラスアクション合意の対象車だそうだよ。』

『何だって?』

『ディーラーに持ち込めば、無料で”ブレーキ・オーバーライド”のソフトウェアを入れてくれるって。』


 あのときのやりとりから、ニックは。UA事故を起こした2010年式キャリスが、バレンデルの社有車だったと。僕が知らないことを確かめたはずだ。

 だが、僕はブレーキ・オーバーライドの話に行ってしまい、ECTSそのものに難点があることを言わなかった。

 しかも、バイエル氏の証言によれば……


Q:『ブレーキ・オーバーライド・システムのお話ですが。ノヴァル車のスロットル制御システムで、タスクXが「死亡」して。UAが発生したとき、ブレーキ・オーバーライドは作動しますか?』

A:『いいえ。』

Q:『何故です?』

A:『ペダル入力を監視しているのが、当のソフトウェアだからです。ブレーキ・オーバーライドがあるのは、タスクXの中です。何しろ「キッチンシンク」なので……』


 要するに。電子制御の暴走によるUAは、リコール修理で導入したブレーキ・オーバーライドでは抑えられない。

 なのに、僕は。有名な大事故がフロアマットのために起きたことで、ブレーキ・オーバーライド・システムが必要になったこと……だけを喋り。……と。シェヴラテインの中で、ロージーがしてくれたような。シンプルな助言を、ニックにはしてあげなかった。そうしていれば、「欠陥がある」とまで言わずとも、気遣ってはいることが伝わった筈なのに。

 それなのに。完全に、ノヴァル専売店のスタッフのように喋っていた。だからニックも、ノヴァルの僕をために「陰謀」の話を持ち出したのだ……と。つまり、僕は。ああ……



「だ……だいじょうぶかい、ほんとうに?? になってるよ。何か、変なこと聞いちゃったみたいで御免な。さあもう無理しないで、もっと楽な格好に着替えて。明日まで横になってれば大丈夫、また元気になるよ。それじゃあ、お邪魔したね。また明日。」


 そう言って、ロッドがドアを閉める音も。天井から降ってくる、飛行機の音までも。


 僕には、別れを告げているように聞こえた。

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