SEE YOU じゃあな。

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 それから、交わす言葉も殆ど無しに。トグラさんとハバリ氏が、慌ただしく立ち去った後は。元第二ここには、ボスと僕だけが残されて。二人だけで。ドアを失った入口を通じて、夜の街道の響きを。ただ、ぼうっと聴いていた。


「本当にいいのか?」


 いつものボスの口調だった……すらも、僕から明瞭な同意を引き出すための「制御コントロール」かもしれなかったが。それでも、もう……


「いいんです。……ただ、」

「ただ?」

「聞いてもいいでしょうか。結局、あの方ハバリさんは……いったい?」

「長いこと部品調達の仕事をしていた……と、聞いたよな。」

「ええ。でも……それを言ったのは、確かボスでは。」


 静かに苦笑いが返ってきた。


「実際は、修理用部品の……ロジスティクスの方が長いそうだが。俺が知っているのは、ぐらいさ。」


 沈黙を恐れず、無駄な解説は一切しない。その点でボスは徹底していた……昔から。でも、聞かないと多分。二度と、チャンスは来ないだろう。だから僕は、ボスが話したくなるようなを、頭の奥から引っ張り出そうとして。


「部品調達?……を担当していたから、ECMプログラマーとも……お知り合いだった?」

「よく聞いてたな。」

「トグラさんの言っていた、ソースコード漏洩の件は。僕も、お聞きしたことがあります。」

「ジェンから?」

「ええ。タイツォータさんも言ってました……結構、な話なんですね。」


 有名、と言うところを強調してみて。それで……どうやら、ボスも観念したようだった。スゥッ……と息を吸って、


は漏洩したものではなかった。」

「……どういうことです?」

「ノヴァルのコード保管センターが、移転したのを知っているな。」

「ええ。」

移転したか、聞いてるか?」


 バイエル氏が、同僚とともに原告の専門家証人エキスパートとして。キャブラなどのECMソースコードを解析するために通ったコード保管センター。ここと同じようにノヴァル側の「番犬」が張り付いて「シャワールームまで追っかけてきた」という施設……バイエル氏らがノヴァル側の技術協力を得て、シャシーダイナモ上の実車キャブラで「障害注入fault injection」試験を行ったその施設は、その直後に廃止され。もう存在していないのだ。


「確か、原告側の証人が大勢出入りして、セキュリティに不安が出てきたから……だと。」

「実は、に決まっていた。」

「移転が?……その、漏洩騒ぎのせいで?」

「うむ。それでそのとき、『棚卸』をしたらしい。」

「保管されているコードの……?」


 ボスが軽く頷いたのを見て。僕は記憶を巡り、ノヴァルが最初にスロットル電制を導入した2002年式から2010年式位まで、様々な年式のコードがあった筈だ……と思い出していた。


「ノヴァルへ強請ゆすりに来たメールは、秘匿経路Torに対応したwebサービスのアドレスからで。である証拠としてサンプルが添付されていたんだが、施設に保管されていたバージョンの古かったらしい。だから『施設からは流出していない』だから『移転する理由はない』という理屈になるが。それでもホンゴクは納得しなかった……と。」

「え?じゃあ……」


 流出したのは、宇宙開発局NUSAが解析するためにD&Dで預かったコードでもなかった訳か。うぅ~む………いやいや、そっちじゃない。重要なのは……。

 僕はちょっと考えて、こう言った。


「少なくとも製品版、ということですよね? つまり……」

「うむ。」


 街道の向い側で。パーキングに入れようと後退中の車がいるらしく、ボスの顔が非常に明るく照らし出された。眩しさに目を細め、光跡が逸れた後で。ボスはこう続けた。


「当然、『初期の開発者が怪しい』となった。それで、ノヴァルOBのタノン=モウド氏も、マークの対象になったらしい。」

「OBというと、もうノヴァルには籍がない?」

「本社に居たのは一瞬だけ。関連会社も十年以上前に辞めていて、どこにいるかも判らなかった。ところが……」


 その瞬間、パキッ……と。

 入り口のほうから、何かが折れるような音がやってきて。ボスの続きを遮った。夜の街の響きからは、明らかに「浮き上がって」いたが。そんなに大きなものではなかったので、思わず耳を澄まして……も、本当にっきり。続きはなかったが、何かが動いている空気……というか雰囲気があって。思わず、ボスと顔を見合わせた。この夜更けに、来客だろうか?


「あのー。誰か、いらっしゃいました?」


 返ってくる答えはなく。不測の事態に身構えながら、様子を窺っていると。居室側から入口へ向けて、ゆっくりと。ゆっくりと、倒れていく影が見えた。その、板のような薄っぺらさは……明らかに、人間ではなく……ええと、要するに。圧し折れた「販促君」の「上半身」でしかない。


「あーもう、驚かせないで……って、えぇ!?」


 急いで駆け寄った僕の声は。下半身側と合わさって「二つ折り」になった有様を見て、途中から裏返ってしまった。


「どうした?」

「この販促パネル、スチレンの裏に合板plywoodが……」

「合板?……その大きさを自立させるんだ、それぐらいは」

「幅10インチ、厚さ半インチの合板が、真っ二つですよ!!……壁の側も大穴が開いてます。いったい何をしたら、こんな……?」

「壁じゃなくて、目隠しのボードを貼ったところじゃないか?」

「そうですけど……」


 ボスもやってきて、僕の肩を手で軽くたたいた。


「安心しろ。ハバリ氏が、そこにられたわけじゃない。」

「じゃあ、何がどうなって、ここまで……?」

「出ていくときに、蹴っ飛ばしていったんだよ……ドアもな。ヒールもなかったし、鉄板でも入ってたんだろう。」

「え?」

「靴だよ。」


 何で、じゃなくて。誰が?……という問いが、口から出ることはなかった。もう明らかに、いないからだ。でも、そのような……激しい怒りに身を任せて。あの長い脚で、器物にあたる彼女など。思い描くこともできなくて。


「お前も、今日は大変だったな……ファーレルさんには報告済みだから、安心しろ。」


 そして。ボスにも、もう。

 それ以上、僕に説明する気はないようだった。


「後は任せる。ヘッドクォータからは、今日を最後に……と撤収の指令が出ているんだ。」


 その通り……ダリル・ライカン、ウィリアム・ブリックランド、ジェナダイン・キャナリー。そして、ローザ・ユーグランディーナといったD&Dの弁護士ローヤーたちが、この……元自動車販売店ディーラーへと、集まってくることは。この日を境に、二度となかった。


「預かった鍵束だ。じゃあな、マットロウ=サン。」


 その最後の一人であるライカン氏が、至極あっさりと別れを告げて。ご自分のパストーラで走り去った……後の。あるじを失った建屋に、ひとりだけ。とり残された僕は、ノヴァルの従業者として……何をべきか、考えることも、思いつくこともできず。30分ほど、呆けたように座っていた。

 とはいえ……まあ。


(こうしていても、仕方がないか)


 取りあえず、この入口だけ塞ぐとかして、ガレージの側から出ていくことに決めたのだが。無惨としか言いようがない有様の「販促君」……を片付けるとき、裏側の合板がぶつかって開いた「壁穴」の奥に。


 (ん?)


 妙な破片かけらが飛び散っていることに気付いた。それは、ほんとうに芥子粒くらいのサイズで。黄色っぽい表面が……携帯LEDの白色光を反射して、テカついている。その正体に暫し悩んで。思い当たったとき、思わず声に出ていた。


「これ……プリント基板PCじゃないのか?」

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