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「この……ハンドル横の透明カバー。奥に赤いボタンが見えるけど、どう思うこれ?」


 ビルが昼食と共に買い込んできた車雑誌は。皆で巻頭の「ノヴァル謎の新型車?!」にアレコレ言ってるうちに、段々と皴々しわしわになっていった。背表紙の側で大胆にも「谷折り」して、表紙みたいな扱いになった写真は……が「試作車」の運転席に入り込んで撮ったものらしい。


「電子キーを挿すところは、一応シリンダーになってるのね。」

「だから?」

「少なくとも、始動ボタンではないでしょう……キー操作だけで始動できるとすれば。」


 ロージーが分析してみせたとおり、電子キーの側には断面が角形となっている部分があって。入り込んだシリンダーを、そこで引っかけて物理的に回す感じにみえた。今となっては、古式ゆかしい始動方法で。だから「謎ボタン」は始動とは無関係……なるほどごもっとも、という風にジェンが引き継いで話し出す。


「そもそも、カバーが付いているわけだから。普段から押すようなものじゃないでしょうね。」

「つまりは、非常用?」

「ええ。わたしが思うに、これはアレよ……アレ……ほら、グラン・モータースが初めてつけた……」

「名前は忘れたけど、メーカー公式ユーザー・サポートの。緯度経度つきでコールセンターを呼び出す機能?」

「そうそれ。それじゃないかしら。」


 『非常電話』説を。自信たっぷりに披露しているジェン……の横で、ビルの目は。まだ時空をさまよっていて、話題に復帰する見通しが立たないようだった。この分だと、僕にお鉢が……


「マットはどう思うの?」×2


 わぁ、やっぱり来た。


「一時的にパワーアップするとか……じゃないですかね?バーッとこう加速が。」 

「パワー……?何に使うのよ。」

「追われたときとか」

「だから何に。」×2


『そりゃあ。悪徳警官とか、ドラッグ・マフィアとか、ゾンビ犬とか……あるでしょう?』とか、自然に口に出かけたところで思いとどまった。こういうのは、本来なら(頭の中の)ニックの台詞なのに。


「そういう、ゲームっぽい『願望』系のじゃなくて。」

「うーん、非常用ですか?」

「非常でなくてもいいけど。」


 簡単には押せないようにしているボタンの機能か。車の運転というものをしない僕には難題なんだよな……うーん。


「もしかすると。これ、簡単な……自律運転機能がついてるんじゃないかしら。」

「自律運転?」×2


 助け舟ではないのだろうけど。新たな説を唱え始めたロージーに、ジェンと僕の反応が被った。


「ハンドルのこれ、『ENGAGEおまかせ』って読めない?」

「たしかに……読めるけど。それが?」

「意味がわかりませんね。」


 僕たちの疑問に答えるように、ロージーの指が。写真の上を、「謎ボタン」の反対側……ハンドルの右へと滑った。


「インパネ中央のこの画面。ナビゲーションにしては大き過ぎでしょう。」

「だから?」「多分タッチパネルですね、これ。」

「パネルで『車庫入れ命令』とかを選択して、ハンドルの『ENGAGE』を押すと。あとは『手放し』でも、車が勝手にやってくれる……みたいな。」

「そういうのって、もうあるんですか?ジェン。」

「テストなら見たことある……実用化寸前とも聞くわ。」


 ジェンが他のページを捲り始めた。飽きたのではなく、センサーなど写っている画像がないか、探しているようだ。


「確かにクルーズ・コントロールのボタンとか、他には見当たらないけど。うーん、これだけじゃ何とも言えないわね。でも、自律機能があるから……それで?」

「自律機能を停止するボタンじゃないか……と。」


 それを聞いた僕は、何か「ヒヤリ」とするものを感じた。

 なるべく顔を動かさにように居室の奥を窺うが、ハバリ氏は。物陰と完全に一体化していて、身動き一つなかった。


 ジェンは。少し考えたのちに、異論を出し始めた。


「自律機能への介入なら、ハンドルやブレーキの操作でいいんじゃない? 今でも、クルーズ・コントロールとかはそうでしょ。」

「速度を一定にするぐらいの自動機能なら、それでいいと思うけど。自律運転で相当繊細なことをしているときだと……」


 言いながらロージーは、手放しの状態から……いきなりハンドルを掴んで右へ切るようなジェスチャーをした。


「このハンドル操作が、『突然』行われることになるから。危ないんじゃないのかしら。」

「そうなの?マット?」

「は?」

「『は?』じゃないでしょ。」


 ロージーの言わんとすることを考えているときに。突然指名されて、間抜けな声が出てしまった。


「大丈夫です、ええと。つまり……自律運転モードをキャンセルして、コンピュータから人間が操作権を奪い返すわけですよね。」

「ええ。」「そうね。」

「おそらくですが、その切り替えに必要な『時間』が問題になるのでは。」

「そんなの、一瞬でしょ?」

「一瞬でないと困りますが……」


 そのとき。ひたすら虚ろだったビルの目が、だんだん……話題に反応しはじめているように見えた。ハバリ氏のほうは、キッチンで凍り付いたように動かない。


「一瞬とはいっても、『一定』にはできない可能性がありますね。0.001秒で済むかもしれないし、0.05秒以上掛かるかもしれない。そうすると……」

「一体人間の操作が反映されるのか、ドライバーがわからない……ということね。」

「そうです、ロージー。多分それが……」

「問題なの?そんなことが?」


 まだジェンにはピンと来ていないようだった。ビデオゲーム……それも、入力が色々とシビアな格闘ゲームをやっていた人ならわかることが。同じタイミングで操作しているのに、技が出たり出なかったり……だと、非常に「不快」であると。コンピューターが前輪を右に曲げつつある状況で、ドライバーがハンドル操作で戻そうとするとき、実際に「戻り始める」タイミングが読めないとしたら……?

 とはいえ、運転というのは(コマンドで技を呼び出すのとは違って)連続的な操作であるし。自律運転車だといっても、これまで同様に「ハンドルが前輪と物理的に繋がって」いるのなら。自律機能が加えている「操作力」を感じ取れれば、そこまで問題にはならないかもしれない……――が。


「私は……そうね。仮に一定のタイミングで切り替わるとしても、車庫入れのような微妙な操作をしているときに、人間が途中から引き継ぐのは、単純に考えて色々あるだろうと。だから、一切の操作入力なしで自律機能を切れる必要もあるのじゃないか……と。そう感じただけよ。」

「なるほど。それがこの謎ボタンじゃないか……っていうわけね。」


 ロージーの説明に頷くジェンを見ながら、僕は別の事を考えていた。


 まさか、これが。

 電子スロットル制御を――いや、ECMそのものを。ボタンである、などということはありうるだろうか? まさに、工場で動かす装置にある「非常停止スイッチ」のように……技術的には十分、実装可能な筈だ。

 いや、それでは。電子スロットル制御が「暴走」して、フェイルセーフが効かないことがある――と、ノヴァル自身が認めたことになってしまう。それでは、数々の訴訟を「スロットルの電子制御で問題が起きることはありえない」で通したノヴァル側の姿勢や、和解合意の内容に合わないことになるだろう。自動車に非常スイッチがあるのは、そうしたことが「ありえる」前提だからだ。


 。多分、そう言われるに決まっている。


 のと同じだ……と。


 気味の悪い違和感があった。

 いったい、なんだろう? これは……

 ……

 と、柄にもなく真面目に考え込んでいたのが良くなかった。


「マット、まさかと思うけど。」

「はい?」

「『組込ソフトウェアの異常動作マルファンクションに備えた再起動スイッチでは?』とか……そんなことを考えてるんじゃないわよね?」

「★……ッ」


 ヒッイイィィ~!!………と、嬌声が漏れそうになって必死にこらえた。ジェンのって、前から時々あるんだけど。いったい何なの?怖いよ!!

 

「あー、やっぱり。顔に書いてあるのよ。」

「……!……!……!」

「え、ほんとうに?そんなこと思ってたの。」

「ほほぅ?」


 すー……っと「温度」を下げていくロージーの声……に被せるようにして。思わぬ声が、参戦を告げてきた。


「ほう、そうなのか?マット。ふむ……。

 それはな……それは。」


 なんと。最悪のタイミングで、ビルが復活してしまった。

 嗚呼……。 

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