36
注文しないままカンピーニを出ていくニック(だった男?)――の、後ろ姿が見えなくなって。
「どうしてわかった?……うちの、午後の業務がなくなるって。」
……と、不思議だったことを口に出したのだが。ファラの答えは、けっこう意外なもので。
「
「それは。でも、ずいぶん几帳面な人だね。」
「まあそうね。」
しかも、何か馴染みのある話であり。
「今日、当事者双方の
「それって。まさか」
今日、ボスとビルとがお昼前に出ていったのは。そういえば、
「まさか、うちが
「ふふ、それはわからないでしょう。社員だから……って聞くわけにもいかないし。」
「あぁ、まあ。そうだね。」
馬鹿な事を言ったと思った。陪審員には守秘義務が課せられている。勤め先で訴訟のことをペラペラしゃべってしまうようなタイプは、早々に候補から外されるだろう。
「自動車事故の被害者なら、最初から
「なるほど。」
ファラの方が、僕よりよっぽど詳しそうだ。正直言って、
「従業員数が少ないと、陪審にとられるのは痛くない?」
「そうね。でも、
上品な口元が、ティーカップで隠れていく。
最後の「色々」が気になったが。いくら僕でも「色々?」と突っ込むような神経は持ち合わせていない。それより何より、僕と話す機会を窺っていた様子なのが気になっていた。彼女との接点はいろいろあるが、ニックが席を外したということは。「学校」絡みのことではない筈だ。つまり、おそらくは。
ファラに合わせてコーヒーを啜ったあと、僕の方から切り出した。
「
「
ファラは。僕が尋ねるのを待っていたかのように、質問で返してきた。
「多角化しているファームのなかでは、うまくやっている方だと。」
「ええ。
「……そうなんだ。」
また、カップで口元が隠れて。僕もタイミングを合わせた。
「それはよかった。」
「でも、調子のいいところばかりじゃないわ。」
彼女の顔には。とくに眉間あたりに、若干の緊張があらわれていた。ファラがこういう
「じゃあ……。」
「あなたの叔父……クァンテーロの家は、思わしくないようね。バレンデルにも薬剤とかの注文があるんだけど、支払いが遅れるようになってきてね。じっさい――」
「……。」
こんどは、僕が口元を隠す番だった。これでもうカップは空だ。
「じっさい、クァンテーロの池はうまく行ってない様子で。お父様を気に入っていた
「F1?」……レース?
「お父様の得意だったあれよ。異種間交雑。」
「ああ……」
それで思い出した。僕の父は、M州立大学をドロップアウトしていたのだが、そのときに培った人脈のおかげで。州の支援を受けて、かなり早い時期から「
父が死んで、その養殖池とともに
「たしか、F1は子供を産めないから、毎回交配しないと……だったね。」
「ええ。自分のとこで子をとれないなら、
「頑固なひとたちで……」
「まったくね。」
「でも、きちんとやってはいるんだよね?」
几帳面でならした叔父たちの顔を思い出しながら。
「そこはまあ。でも昔とは違うから。病気にしても、市場にしても……」
「やはり、輸入の『バサ』 が?」
「ええ。そこが大きいわね……バレンデルが多角化しているのも、
「あちらは、『ナマズ』と表示して売れないのに?」
「あれだけ大騒ぎしてれば。罪も、後ろ暗いところもないんだから。『バサ』の知名度が上がるだけよ。」
「そうだよね。」
バレンデルが懇意にしている(と聞く)あの連邦議員も、例の表示法を通そうと頑張ったのだろうか……?
「聞いてるでしょうけど、『バサ』も含めて――
「……え?」
聞いておりませんが。
「管轄を、移す?……でも、海外だよね?バサは。」
「海外だろうと何処だろうと、農務省に管理してもらうのよ。FFAよりも厳しくね。魚と言っても家畜同然なんだから、牛と同じで当然でしょ?」
「え。ぇえ――……?」
そ、そこまでしてバサの安売りを阻止しようというのか?――と。どうしても、そう感じてしまうのは。僕が故郷を離れたせいだろうか、「ドン引き」ぶりが顔に出ないようにするのが正直とても大変だった。
「当座はそれでバサの攻勢を凌げても、それで立ち行くとは考えてないわ。それはクァンテーロも同じ……ラビーニャを覚えてる?」
「もちろん。」
一番末の従妹で、僕に一番辛く当たっていた
「彼女、すっごく綺麗になってるわよ……?」
「そう。」
どんな目に合っていたのか、きみも知っている筈と。皮肉を込めてぶっきらぼうに放った一言も、ファラには効かない。
「クァンテーロの兄たちがああだから、現場は彼女が切り盛りしてるわ。といっても、もちろん代表は叔父様のままだし。お世辞にも上手くいってる――とは言えないけど。」
「えっ……そうなの?」
そう言われて、従弟である「兄たち」の顔を思い出した。長兄のジュリアンをはじめ、それはそれは徹底して地味仕事を嫌がっていた面々であったから、そのころの性根のままであるなら。頑張り屋のラビーニャに尻を叩かれている……というのも想像できる気がした。もちろん、僕が「切り盛り」されるのはごめんだけど。
「それで、知ってたのよ。彼女。」
「何を?」
嫌な予感に、胸が。ざわっ……とした。
「貴方が、ノヴァルの仕事を受けていること。一族として誇らしい……ですって。」
なんだと?
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