36

 注文しないままカンピーニを出ていくニック(だった男?)――の、後ろ姿が見えなくなって。


「どうしてわかった?……うちの、午後の業務がなくなるって。」


 ……と、不思議だったことを口に出したのだが。ファラの答えは、けっこう意外なもので。


うちの社バレンデルの社員が一人。この州の陪審員候補jury poolに入ってて、選任されそうなの。今日それで裁判所に詰めてる筈だったんだけど、午後になったら出社してきて。『予定、なくなりました』って。」

「それは。でも、ずいぶん几帳面な人だね。」

「まあそうね。」


 しかも、何か馴染みのある話であり。


「今日、当事者双方の代理人アトーニーと、顔合わせか何かする筈だったらしくて。でも、あの身代金ランサムウィルスとかで。裁判所の方が、それどころじゃないんでしょう? ローヤーの皆さんも『今日はもう仕事にならない』って、引き上げていったそうなの。」

「それって。まさか」


 今日、ボスとビルとがお昼前に出ていったのは。そういえば、予備尋問voir direとか……その種の仕事だったような気がして。恐る恐る口に出してみたのを、ファラは一笑に付した。


「まさか、うちが代理人アトーニーやってる事件では……?」

「ふふ、はわからないでしょう。社員だから……って聞くわけにもいかないし。」

「あぁ、まあ。そうだね。」


 馬鹿な事を言ったと思った。陪審員には守秘義務が課せられている。勤め先で訴訟のことをペラペラしゃべってしまうようなタイプは、早々に候補から外されるだろう。


「自動車事故の被害者なら、最初から連邦裁判所フェデラル・コートに行こうとは思わないでしょうし。製造物責任訴訟ともなると、州裁判所でも。州都ここの裁判所でないと荷が重いでしょうから。」

「なるほど。」


 ファラの方が、僕よりよっぽど詳しそうだ。正直言って、管轄jurisdictionとかは今でもさっぱり分からない。D&Dが扱うUA事件ケースでも、連邦裁判所フェデラル・コートのがあった気がするし、あのMD……多区域訴訟マルディは西海岸の連邦裁判所でやってるのだけど。


「従業員数が少ないと、陪審にとられるのは痛くない?」

「そうね。でも、うちの社バレンデルとしても、ここの裁判所とは良い関係でいたいの。色々あるので……」


 上品な口元が、ティーカップで隠れていく。


 最後の「色々」が気になったが。いくら僕でも「色々?」と突っ込むような神経は持ち合わせていない。それより何より、僕と話す機会を窺っていた様子なのが気になっていた。彼女との接点はいろいろあるが、ニックが席を外したということは。「学校」絡みのことではない筈だ。つまり、おそらくは。


 ファラに合わせてコーヒーを啜ったあと、僕の方から切り出した。


ファームのほうで、何かあったの?」

バレンデルうちの事業が、それなりに好調なのは知ってるでしょう?」


 ファラは。僕が尋ねるのを待っていたかのように、質問で返してきた。


「多角化しているファームのなかでは、うまくやっている方だと。」

「ええ。ナマズcatfishから、海老やハタグルーパー。それにスギcobia沖合養殖offshore cultureもやろうとしているわ。でも、実際に育てて売るほうよりも。育て方とか、機械とか、システム。ソフトウェアとかのほうが実入りがいいわね、今は。」

「……そうなんだ。」


 また、カップで口元が隠れて。僕もタイミングを合わせた。


「それはよかった。」

「でも、調子のいいところばかりじゃないわ。」


 彼女の顔には。とくに眉間あたりに、若干の緊張があらわれていた。ファラがこういう表情かおをするときは……。出てくるであろう話に、僕は身構えた。


「じゃあ……。」

「あなたの叔父……クァンテーロの家は、思わしくないようね。バレンデルにも薬剤とかの注文があるんだけど、支払いが遅れるようになってきてね。じっさい――」

「……。」


 こんどは、僕が口元を隠す番だった。これでもうカップは空だ。


「じっさい、クァンテーロの池はうまく行ってない様子で。お父様を気に入っていた総合スーパーGMSさんが離れちゃって。まあ天候不順もあるんだけど、F1とかを一切やろうとしないのが裏目に出てるって分析してるわ。」

「F1?」……レース?

「お父様の得意だったあれよ。異種間交雑。」

「ああ……」


 それで思い出した。僕の父は、M州立大学をドロップアウトしていたのだが、そのときに培った人脈のおかげで。州の支援を受けて、かなり早い時期から「交雑種ハイブリッド」を導入していたと聞いた。父は「交雑種ハイブリッド」のほうが「純粋種」よりも。太らせやすく、また病気に強いのだと……よく言っていた。

 父が死んで、その養殖池とともに髭々ヒゲヒゲのF1たちも。クァンテーロ側に引き取られた筈だが……? あ、そうか。


「たしか、F1は子供を産めないから、毎回交配しないと……だったね。」

「ええ。自分のとこで子をとれないなら、業者ハッチェリーから買えばいいんだけど。それすらしていないのよ。」

「頑固なひとたちで……」

「まったくね。」

「でも、きちんとやってはいるんだよね?」


 几帳面でならした叔父たちの顔を思い出しながら。


「そこはまあ。でも昔とは違うから。病気にしても、市場にしても……」

「やはり、輸入の『バサ』 が?」

「ええ。そこが大きいわね……バレンデルが多角化しているのも、それバサが原因。」

「あちらは、『ナマズ』と表示して売れないのに?」

「あれだけ大騒ぎしてれば。罪も、後ろ暗いところもないんだから。『バサ』の知名度が上がるだけよ。」

「そうだよね。」


 バレンデルが懇意にしている(と聞く)あの連邦議員も、表示法を通そうと頑張ったのだろうか……?


「聞いてるでしょうけど、『バサ』も含めて――ナマズ類シルリフォルメスについては。連邦政府の管轄を、食品管理局FFAから農務省FMAに移す動きになってるから。それでもっと『あちら』を厳しくしてもらえば……価格への転嫁を強いられて、多少はマシになるかもだけど。楽観はできないわね。」

「……え?」


 聞いておりませんが。


「管轄を、移す?……でも、海外だよね?バサは。」

「海外だろうと何処だろうと、農務省に管理してもらうのよ。FFAよりも厳しくね。魚と言っても家畜同然なんだから、牛と同じで当然でしょ?」

「え。ぇえ――……?」


 そ、そこまでしてバサの安売りを阻止しようというのか?――と。どうしても、そう感じてしまうのは。僕が故郷を離れたせいだろうか、「ドン引き」ぶりが顔に出ないようにするのが正直とても大変だった。


「当座はそれでバサの攻勢を凌げても、それで立ち行くとは考えてないわ。それはクァンテーロも同じ……ラビーニャを覚えてる?」

「もちろん。」


 一番末の従妹で、僕に一番辛く当たっていた彼女ラビーニャを忘れる筈がない。とにかく、一家の「ルール」とか「規律」とか。そういうのに、異常なまでに厳しい子だったのだ。末っ子だから、上からいろいろ言われる立場だったのだろうが、でもねぇ……。


「彼女、すっごく綺麗になってるわよ……?」

「そう。」


 どんな目に合っていたのか、も知っている筈と。皮肉を込めてに放った一言も、ファラには効かない。


「クァンテーロの兄たちがだから、現場は彼女が切り盛りしてるわ。といっても、もちろん代表は叔父様のままだし。お世辞にも上手くいってる――とは言えないけど。」

「えっ……そうなの?」


 そう言われて、従弟である「兄たち」の顔を思い出した。長兄のジュリアンをはじめ、それはそれは徹底して地味仕事を嫌がっていた面々であったから、そのころの性根のままであるなら。頑張り屋のラビーニャに尻を叩かれている……というのも想像できる気がした。もちろん、僕が「切り盛り」されるのはごめんだけど。


「それで、知ってたのよ。彼女。」

「何を?」


 嫌な予感に、胸が。ざわっ……とした。


「貴方が、ノヴァルの仕事を受けていること。……ですって。」


 

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