1F
「この構成は、『シンプレックス・システム』か?」
――との質問は、ほんとうに重要な話へと進む前に。
ついでにでも聞いてみようか?……そういった程度の、軽い調子に聞こえた。
それを言う
でも僕は。(ずいぶん意外な用語が出てきたな!)と思って、反射的に――
「え、自動車のシステムでも『シンプレックス』って言うんですね。」
――って、口に出た後で(あっ、しまった!)と思って、硬直した。
なんでかと言うと。「シンプレックス」とか「デュプレックス」とかの専門用語って、業界によって微妙に……ひどいときは全く、意味が違ったりするからなのだ。
(『シンプレックス』って……僕らのような小規模ITインフラ屋と、通信屋さんが使うときとで。ほんとうに全然、違うことだったよな……)
そして、どんな業界でも。その中で、泥臭く地道に真面目にやってる
だから、僕が「
(な、なんか非常にまずいこと、引き受けちゃったような)
調子よく反応した直後に青くなり。脂汗を流しながら黙りこんでしまった僕……をみて、
「君の業界では、『シンプレックス』はどんな意味になる?」
――と、助け船が来て。もう観念して、飛び乗らざるを得ない僕だった。
「障害が起ったときに、全体を止めずに動かし続けるのが無理なものを『シンプレックス・システム』と、そう呼んでますね。」
「例えば?」
「たとえばスマートフォンは……モバイル通信やWiFiでインターネットに接続する機器ですが、中の通信チップで障害が起きれば、スマホごと再起動しないといけませんね。こういうのはシンプレックスです。」
少し眉をひそめておられる。わかりにくかったかな。
「そうだとすると、再起動が不要のスマートフォンもある……ということか?」
「そういうのはないと思いますが、同じようにモバイル通信でインターネット接続するシステムの中には、機器に障害が起きてもそのまま繋いでいられるものはありますよ。」
「例えば?」
「
それで早速。ここのLTEルーターは2台あって、通常は片方でデータ通信しているけど、これをもう片方で監視していて。それで異常検知したときは、自動的に通信を交代する仕組みである……と(内心、ちょっとだけ鼻を高くしながら)説明した。
「ふぅむ。そういうのは何て言うんだ?」
「『デュプレックス』ですね。」
「それと同じ意味でかまわない。ここのペダルの扱いをどう思う?」
……と、尋ねながら。
エアコンの風でビリビリ震える図面の、左上のほうを指さした。
一番左は、「アクセル・ペダルへの力」と書かれた四角形で。そこから右へ矢印が伸びて、「ペダル・アッセンブリ」と書かれた点線の四角形の中へと突き刺さっている。
(点線の四角形は、独立した電子基板ということかな?)
矢印は。点線の枠の中で、さらに右に延びる中で。上下の二股に別れて、「ペダル・センサー1」「ペダル・センサー2」と書かれた四角形へと刺さっていた。
そこからさらに右へ。僕は(無意識に)指で辿っていく。そのための場所を空けようと、
二つ上下に並ぶ四角い枠。それぞれのペダル・センサーから生えた矢印には、「VPA1」「VPA2」との添え字を通って、さらに右へ。点線の「ペダル・アッセンブリー」を脱出して、遙かに巨大な点線枠へ。つまりECM内へと突入して、その中の「モニターCPU」と書かれた逆L字型の実線枠の、「縦棒」の部分へと突き刺さっていた。
(ん? ここから一体どこへ………お? あった、あった。)
いったん途絶えた「VPA*」ズは、ふたつとも。少し下方で、「モニターCPU」の点線から右方へと脱出していた。
そして、直ちに「メインCPU」の中に、揃って突入していくのだが。待ちかまえていた「ペダル指令 及び リンプ・ホーム・モード・フェイルセーフ」と書かれた実線の四角形のところで終わっていて。
その(長い名前の)四角形のなかで、さらに右に線が引かれて「スロットル・アングル」が生み出されるのが分かる。
それは、要するに……エンジンへ送り込む空気をどれだけ取り入れるか?指示するもので。そこから先の、さらに伸びていく「矢印」は。最早、一本だけとなっていた。
(ちょっと、キリがないのでは)――と、
「そこまででいい。どうだ?」
――と、こちらを察した感じで、促してくれた。
ではさて。
この範囲で「シンプレックスかどうか」を聞いているとすると。やっぱり、この「あからさまに2つある」要素について、「こんなの2つあったって、実のところシンプレックスなんじゃないの?」……と、聞かれているのだろうか。というか、そのようにしか思えないのだが。
「左端のアクセルペダル・センサーは、踏み込みの量を測定するものですよね?」
無言でちょっとだけ頷かれた。
反応が乏しいので、こちらからもっと喋らなければいけない気がしてくる。ふたつあるセンサーのうち、通常片方を使うようにしていて、もう片方が予備なのか……。だとしたら、主センサー側の異常を感知する機構が……あれっ?
違和感を感じて、何度も図を見返す。
「ペダル・センサー1」「ペダル・センサー2」のどちらにも。刺さりこんでくる矢印は、一番左方の「アクセル・ペダルの力」から来ているものだけなのだ。
これらの異常を検知するのであれば、問い合わせにくる矢印がある筈なのに、何もない。
メインCPUから左へ戻ってくる矢印が、ないのだ。
(ペダル・アッセンブリーの中身が、省略されているんだろうか?)
この点線のなかに(実は)制御マイコンがあって、それらが2つのセンサーをチェックしていないと、無理のような気がしてきた。
「ペダル周りの、もう少し詳しい図もある。」
また、こちらの戸惑いを読まれてしまった。
(あれ?)
B4サイズ……にみえたが、A3プリントアウトの上下を後ろへ折り込んでいるようだ。「ペダル制御機能のブロック・ダイアグラム」図の上下に「地の文章」が覗いていた。
そして、その図は。今は下敷きになっているA3の図面の、アクセルからスロットルまでの範囲を切り取って。その中の構成を、さらに詳しく説明するもののようで……。
それなのに、あるはずのものが。
「ありませんね。」
「何が?」
思わず声に出てしまった。
「ペダル・アッセンブリーに、センサーの異常を監視するチップがありません。本当にセンサーの値を出すだけみたいですね。右側ECMからの問い合わせもないですし。」
「センサーだから、それでいいのでは? 2つもあるし。」
そういえば、監視機能がないのに「ふたつ」あるのはどうしてだろう?「VPA1」と「VPA2」は、モニターCPUでは右に流すだけで。さらに右のメインCPUの中で、両方とも
シェヴラのアクセルを踏み込まず、足の裏で感じながら考えてみた。ペダルの踏み込み量を「診断」するのだから、マイナスとかの異常値になってないか?……は診れそうだ。でも、ふたつあるのは何でなのか。
「あ、そうか。」
「何が?」
思わず。間抜けな「気づき声」が出ちゃったけど、そのまま続けた。
「これはあれですね。デュプレックスのもっといい奴に、2機の装置で常時同じ処理をさせるのがあるんです。」
「ふむ?」
「で、その両方の処理の結果を比較する。違ってたらおかしいということになります。それでダメな方を——」
あれ?……でもこれ、どっちが「ダメ」ってどうしたら判るんだろう? VPA1とVPA2のどちらも(所謂)異常値ではないとして、このふたつの間で「食い違い」があったら。どちらも信用できないんじゃないだろうか……?
とりあえず「値の低い方」を使えば安全かもしれないけど。……いやいや、両方おかしくなってるかもしれないから、それもダメだ。
「それで?」
「ごめんなさい、今のはちょっとナシでした。」
「?」
「この仕掛けは、ペダルセンサー側の異常を検知するだけのもので。『メインのセンサーがダメになったらもう片方に交代する』仕組みではないと思います。」
「じゃあ、どうするんだ?」
「わかりませんが。シャットダウンするか、セーフモードか何かに切り替えるか……するんじゃないでしょうか。」
最初の図面にある「
「で、結論は?」
「これで『デュプレックス』はないですね。」
「どうして?」
「異常検知できますが、その後に処理を続けられないので。『シンプレックス』だと思います。」
「そのシンプレックス……システムだとして、問題はあるか?」
また、すごく軽い感じで聞かれたので、僕も「これはもうこれでいいのでは……」と言おうとして。何か「違和感」がこみ上げて、思いとどまった。
(何かひっかかる……何が?)
また指で図面の流れを追っていて、気づいた。異常検知の
(シンプレックスでいいのだから、それでいいんじゃ?)
そうも思ったのだが。きちんと異常検知できないと、異常な踏み込み値をもとにして、異常な「スロットル・アングル」が出来上がるかもしれない。それは非常にまずいことだろう。
で、そう言う目で見ると。これは……。
深く、一呼吸をついて。
話し始めた。
「さっきの話ですが、『デュプレックスのもっといい奴』のこと、覚えてますか。」
「ナシだったんじゃないのか。」
うっ。いや、そうだけど。
「……ええ。でも、あれが『もっといい奴』である理由は、障害を発見しやすいことなんです。」
「ふむ?」
「また、ここの通信環境の話で恐縮ですが。」
「デュプレックス、なんだろう?」
「ええ、そうです。メインのLTEルーターを、サブのLTEルーターで監視しています。しかし……『逆』はありません。」
「どういうことだ?」
「サブのLTEルーターがおかしくなっていても、わからないということです。」
「本当にそうだったら。メインのほうをチェックできないだろう?」
ずいぶん、反応が早い。
「そうです。
「ふむ。」
「二台同時に動かして、お互い処理結果を監視しあえば。どちらの処理に異常があってもわかります。」
「
少し間をおいて、心の中で「タメ」を作る。一呼吸で、喋り切るように。勢いのまま。
「この図では、次々に来るVPAたちの監視を――担当する側が。『診断』部、つまりメインCPUの一カ所しかありません。モニターCPUのほうは監視を担当していないようで、もったいないことですが。」
「つまり、問題はあると。」勢いを殺さず、
「ここだけ見れば、です。」
「ふむ。」
このとき、図面の構成の
そういった、専門外の平凡な技術者から出た反応だからこそ。ある重要な決意を……
もう全然、気づいていなかったのだ。
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