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「この構成は、『シンプレックス・システム』か?」


 ――との質問は、ほんとうに重要な話へと進む前に。

 にでも聞いてみようか?……そういった程度の、軽い調子に聞こえた。


 それを言うBBLバルブラウさんの表情もまた、もう次の質問を考えてるという感じで、僕が居眠りのが判ればいい……位の応えしか、期待してないようにみえた。

 でも僕は。(ずいぶん意外な用語が出てきたな!)と思って、反射的に――


「え、自動車のシステムでも『シンプレックス』って言うんですね。」


――って、口に出た後で(あっ、しまった!)と思って、硬直した。

 なんでかと言うと。「シンプレックス」とか「デュプレックス」とかの専門用語って、業界によって微妙に……ひどいときは全く、意味が違ったりするからなのだ。


(『シンプレックス』って……僕らのような小規模ITインフラ屋と、通信屋さんが使うときとで。ほんとうにだったよな……)


 そして、どんな業界でも。その中で、泥臭く地道に真面目にやってる技術者エンジニアの皆様ほど。よその業界や消費者からの……要するに「素人さん」からの、半可通わかったようを。強烈に嫌悪するものなのだ。

 だから、僕が「地元のジモティ」感覚で適当に答えたのが、そのまんま自動車オートモビル専門の技術者さんに伝わった日には……。


(な、なんか非常にまずいこと、引き受けちゃったような)


 調子よく反応した直後に青くなり。脂汗を流しながら黙りこんでしまった僕……をみて、BBLバルブラウさんもを察したようで――


「君の業界では、『シンプレックス』はどんな意味になる?」


――と、助け船が来て。もう観念して、飛び乗らざるを得ない僕だった。


「障害が起ったときに、全体を止めずに動かし続けるのが無理なものを『シンプレックス・システム』と、そう呼んでますね。」

「例えば?」

「たとえばスマートフォンは……モバイル通信やWiFiでインターネットに接続する機器ですが、中の通信チップで障害が起きれば、スマホごと再起動しないといけませんね。こういうのはシンプレックスです。」


 少し眉をひそめておられる。わかりにくかったかな。


「そうだとすると、再起動が不要のスマートフォンもある……ということか?」

「そういうのはないと思いますが、同じようにモバイル通信でインターネット接続するシステムの中には、機器に障害が起きても繋いでいられるものはありますよ。」

「例えば?」

ここ第二のシステムがです。」


 それで早速。ここのLTEルーターは2台あって、通常は片方でデータ通信しているけど、これをもう片方で監視していて。それで異常検知したときは、自動的に通信を交代する仕組みである……と(内心、ちょっとだけ鼻を高くしながら)説明した。


「ふぅむ。そういうのは何て言うんだ?」

「『デュプレックス』ですね。」


 BBLバルブラウさんは、ちょっと考えておられて。


「それと同じ意味でかまわない。ここのペダルの扱いをどう思う?」


……と、尋ねながら。

 エアコンの風でビリビリ震える図面の、左上のほうを指さした。


 一番左は、「アクセル・ペダルへの力」と書かれた四角形で。そこから右へ矢印が伸びて、「ペダル・アッセンブリ」と書かれた点線の四角形の中へと突き刺さっている。


(点線の四角形は、独立した電子基板ということかな?)


 矢印は。点線の枠の中で、さらに右に延びる中で。上下の二股に別れて、「ペダル・センサー1」「ペダル・センサー2」と書かれた四角形へと刺さっていた。


 そこからさらに右へ。僕は(無意識に)指で辿っていく。そのための場所を空けようと、BBLバルブラウさんは。とした右手を引っ込めた。


 二つ上下に並ぶ四角い枠。それぞれのペダル・センサーから生えた矢印には、「VPA1」「VPA2」との添え字を通って、さらに右へ。点線の「ペダル・アッセンブリー」を脱出して、遙かに巨大な点線枠へ。つまりECM内へと突入して、その中の「モニターCPU」と書かれた逆L字型の実線枠の、「縦棒」の部分へと突き刺さっていた。


(ん? ここから一体どこへ………お? あった、あった。)


 いったん途絶えた「VPA*」ズは、ふたつとも。少し下方で、「モニターCPU」の点線から右方へと脱出していた。

 そして、直ちに「メインCPU」の中に、揃って突入していくのだが。待ちかまえていた「ペダル指令 及び リンプ・ホーム・モード・フェイルセーフ」と書かれた実線の四角形のところで終わっていて。

 その(長い名前の)四角形のなかで、さらに右に線が引かれて「スロットル・アングル」が生み出されるのが分かる。

 は、要するに……エンジンへ送り込む空気を取り入れるか?指示するもので。そこから先の、さらに伸びていく「矢印」は。最早、となっていた。


(ちょっと、キリがないのでは)――と、BBLバルブラウさんの顔を窺うと、また。


でいい。どうだ?」


 ――と、こちらを察した感じで、促してくれた。


 ではさて。

 この範囲で「シンプレックスかどうか」を聞いているとすると。やっぱり、この「あからさまに2つある」要素について、「こんなの2つあったって、実のところシンプレックスなんじゃないの?」……と、聞かれているのだろうか。というか、そのようにしか思えないのだが。


「左端のアクセルペダル・センサーは、踏み込みの量を測定するものですよね?」


 無言でちょっとだけ頷かれた。

 反応が乏しいので、こちらからもっと喋らなければいけない気がしてくる。ふたつあるセンサーのうち、通常片方を使うようにしていて、もう片方が予備なのか……。だとしたら、主センサー側の異常を感知する機構が……あれっ?


 違和感を感じて、何度も図を見返す。

「ペダル・センサー1」「ペダル・センサー2」のどちらにも。刺さりこんでくる矢印は、一番左方の「アクセル・ペダルの力」から来ているものだけなのだ。

 これらの異常を検知するのであれば、なのに、何もない。

 メインCPUから左へ戻ってくる矢印が、ないのだ。


(ペダル・アッセンブリーの中身が、省略されているんだろうか?)


 この点線のなかに(実は)制御マイコンがあって、それらが2つのセンサーをチェックしていないと、無理のような気がしてきた。


「ペダル周りの、もう少し詳しい図もある。」


 また、こちらの戸惑いを読まれてしまった。

 BBLバルブラウさんは、クリアファイルからB4サイズの図面を取り出して。最初の図面の上に重ねる。それで、ビリビリいうのが少しおとなしくなった。


(あれ?)


 B4サイズ……にみえたが、A3プリントアウトの上下を後ろへ折り込んでいるようだ。「ペダル制御機能のブロック・ダイアグラム」図の上下に「地の文章」が覗いていた。

 そして、その図は。今は下敷きになっているA3の図面の、アクセルからスロットルまでの範囲を切り取って。その中の構成を、さらに詳しく説明するもののようで……。

 それなのに、あるはずのものが。


「ありませんね。」

「何が?」


 思わず声に出てしまった。


「ペダル・アッセンブリーに、センサーの異常を監視するチップがありません。本当にセンサーの値を出すだけみたいですね。右側ECMからの問い合わせもないですし。」

「センサーだから、それでいいのでは? 2つもあるし。」


 そういえば、監視機能がないのに「ふたつ」あるのはどうしてだろう?「VPA1」と「VPA2」は、モニターCPUでは右に流すだけで。さらに右のメインCPUの中で、両方とも「診断」Diagnosticsという四角に吸い込まれて、そこで「有効」Enableとなった値を「フェイルセーフ・リミッタ」へと送っているようだ。


 シェヴラのアクセルを踏み込まず、足の裏で感じながら考えてみた。ペダルの踏み込み量を「診断」するのだから、マイナスとかの異常値になってないか?……は診れそうだ。でも、ふたつあるのは何でなのか。


「あ、そうか。」

「何が?」


 思わず。間抜けな「気づき声」が出ちゃったけど、そのまま続けた。


「これはですね。デュプレックスのもっといい奴に、2機の装置で常時同じ処理をさせるのがあるんです。」

「ふむ?」

「で、その両方の処理の結果を比較する。違ってたらおかしいということになります。それでダメな方を——」


 あれ?……でもこれ、が「ダメ」ってどうしたら判るんだろう? VPA1とVPA2のどちらも(所謂)異常値ではないとして、このふたつの間で「食い違い」があったら。んじゃないだろうか……?

 とりあえず「値の低い方」を使えば安全かもしれないけど。……いやいや、両方おかしくなってるかもしれないから、それもダメだ。


「それで?」

「ごめんなさい、今のはちょっとナシでした。」

「?」

「この仕掛けは、ペダルセンサー側の異常を検知するだけのもので。『メインのセンサーがダメになったらもう片方に交代する』仕組みと思います。」

「じゃあ、どうするんだ?」

「わかりませんが。シャットダウンするか、セーフモードか何かに切り替えるか……するんじゃないでしょうか。」


 最初の図面にある「リンプ・ホームやっとこさ帰りつく・モード」という言葉に。何か、聞き覚えがある気がした。


「で、結論は?」

「これで『デュプレックス』はないですね。」

「どうして?」

「異常検知できますが、その後に処理を続けられないので。『シンプレックス』だと思います。」

「そのシンプレックス……システムだとして、問題はあるか?」


 また、すごく軽い感じで聞かれたので、僕も「これはいいのでは……」と言おうとして。何か「違和感」がこみ上げて、思いとどまった。


(何かひっかかる……何が?)


 また指で図面の流れを追っていて、気づいた。異常検知のかなめである「診断」をしているのが、メインCPUの一カ所だけなのだ。モニターCPUは通過させているだけで。


(シンプレックスでいいのだから、それでいいんじゃ?)


 そうも思ったのだが。きちんと異常検知できないと、異常な踏み込み値をもとにして、異常な「スロットル・アングル」が出来上がるかもしれない。それはだろう。

 で、そう言う目で見ると。は……。



 深く、一呼吸をついて。

 話し始めた。


「さっきの話ですが、『デュプレックスのもっといい奴』のこと、覚えてますか。」

「ナシだったんじゃないのか。」


 うっ。いや、そうだけど。


「……ええ。でも、あれが『もっといい奴』である理由は、障害を発見しやすいことなんです。」

「ふむ?」

「また、ここの通信環境の話で恐縮ですが。」

「デュプレックス、なんだろう?」

「ええ、そうです。メインのLTEルーターを、サブのLTEルーターで監視しています。しかし……『逆』はありません。」

「どういうことだ?」


 BBLバルブラウさんの表情に。少しだけ、これまで見たことのない「何か」が掠めた。


「サブのLTEルーターがおかしくなっていても、わからないということです。」

「本当にそうだったら。メインのほうをチェックできないだろう?」


 ずいぶん、反応が早い。


「そうです。死活監視heart-beatくらいはしてますが。なまじ、生きて動いているほうが厄介なんですよ。処理そのものが重要なので、処理結果をみてないといけないです。」

「ふむ。」

「二台同時に動かして、お互い処理結果を監視しあえば。どちらの処理に異常があってもわかります。」

なるほどallright。だから?」


 少し間をおいて、心の中で「タメ」を作る。一呼吸で、喋り切るように。勢いのまま。


「この図では、次々に来るVPAたちの監視を――担当する側が。『診断』部、つまりメインCPUの一カ所しかありません。モニターCPUのほうは監視を担当していないようで、もったいないことですが。」

「つまり、問題はあると。」勢いを殺さず、

「ここだけ見れば、です。」

「ふむ。」


 BBLバルブラウさんは。あ、そう……というぐらいに、軽く頷いていたので。


 このとき、図面の構成のある要素A/D Converterを……。それに絡んで「もっといい奴」との重要な違いを……僕が、見逃していたことも。

 そういった、専門外の平凡な技術者から出た反応だからこそ。あるを……BBLバルブラウ代理人アトーニーが、固めるに至ったことにも。


 もう全然、気づいていなかったのだ。

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