1D

 引き続き、昨年十月のこと。

 ようやくやって来た「その日」は、ほんとうに暑かった。


「もう、始めるので? 涼しくなってからのほうが――」

「ん。いや、集中してやったほうがいい。この分だと、6時位まで涼しくはなるまい。」

「左様で。」


 そう言いながら、助手席ドアから身を離したビルに。迎えられるBBLバルブラウ氏の、あの……が響いてくるなか。運転席にいる僕には、フロント・ウィンドウ右端にある「柱」ピラーに遮られて。そのお姿は、まだ後ろ髪しか見えなかった。

 オールバックの流れのまま、首筋へ向かって流れ落ちる黒髪が……重力に逆らうように跳ね上がって渦を巻く。「雷雲」という異名は、そこからかな?――と、勝手に思っていた。


(それにしても、D&Dダイク&ドレイクのノヴァル担当男性陣って、黒髪の率が高いような。寧ろノヴァル側のほうが、明るい髪の人が多いよね……)

 ――などと。出張所の窓越しに覗くキーファー証人の、小ぎれいに整えられたプラチナブロンドなど見ていたら、いきなりドアが開いて。


「どれ、おじゃまするよ?」


 BBLさんが普通に助手席へ乗り込んできた。もう、五十代の半ばを過ぎている筈だが、大柄な身体を屈めて動くことを何ら苦にしていない。

 腰を落ち着ける前に、ドアを引き寄せながらウィンドウを上げる動作までやってのけた。ごく自然に排除されて、首を突っ込むつもりだった(らしい)ビルがびっくりしている……。


「彼のほうが休むべきだね。」

「そうですね……」


 完全に閉まった窓のむこうのビルへと。にっこり笑って手を振るBBLバルブラウさん……の表情に、とくに深刻な様子は伺えなかった。


「どうだね、この車。」

「これが新興国のものとは、言われなければ判りません。」

「そうか?」

「でも……ノヴァルだったら、もっとマトモになった筈とか。ビルから聞きました。」


 去っていくビルの背中を見ながら、そう言ったところ。BBL氏は、ちょっと驚いた顔をして。


「ウィリアムが?」

「ええ。確か、『ハート』がどうとか。」

「ハート……ああ、そういう意味か。」

「えっ?」

「いや、いいんだ。そうだな…」


 そのやりとりだけで、僕は思い出していた。

 5年ほど前から続く不名誉のこと。フロア・マット問題イシュースティッキーくっつき・ペダル問題イシュー、電極ウィスカ問題イシュー……そして(ノヴァルは認めていない)電制スロットル問題イシュー

 そのいずれも、ステイツ国内の自動車工場、世界がお手本にする「ノヴァル生産システム」によって生み出された、ベストセラー・カーの「キャブラ」に「キャレッタ」、そしてピックアップ・トラックの「バンデュイ」で起きたこと。

 その全てが『意図せざる加速事象U.A. Event』を起こしている――と言われ。連邦議会にまで呼びつけられて、なじられたことで。


 だから、この車シェヴラテインを「新興国だから……」「新参者だから……」と侮った目でみることも、もう自然には。できなくなっているのだ、と。



「だが結局。ステイツに、この車ウォレスの出番はなかった。」

「ノヴァルの業績も、上向きだと聞きました。」

「この困難は乗り切るだろう。ノヴァルが……必要とされている限りは、な。」



 ノヴァル車の一番の売りは、まさに『品質』にある。

 古くからあるステイツ国内の大メーカーは、グラン・モータースにしても、トーボにしても、フライスターにしても。この『品質』の点で、ノヴァルの後塵を拝してきた。そのぐらいは、僕でも知っている。

 そのノヴァルの電制スロットルが。本当にであれば、そういったメーカーのものなどは。一体、しまっているだろうか?


「最先端の技術は、最初に普及させた者が……ね、」

「はい?」

「そのリスクを負う。ノヴァルの番、ということだ。」


 こんどは僕が驚く番だった。


 確かに、スティッキーくっつき・ペダルの件は、「あのサプライヤーのモジュールは」という話が。市場に出た後で分かったのだと……ノヴァル自身も認めているようで。

 そして、そのペダル自体の設計も。エンジンに取り入れる空気の量を制御するスロットル・バルブを、モーターで操ることを前提としており。鋼線を引っ張っていた従来のペダルとは、全く違う構造になっていたと。

 問題となった「踏み込み過ぎると底にくっついてスティック戻らなくなる」点も。原因は素材の側にあったとはいえ、その構造だからこそ……だったそうなので、BBLバルブラウ氏がそう言われるのも当てはまる。


 しかし、である。

 電子スロットル制御システムE.T.C.S.のほうは、ハードウェアであれ、ソフトウェアであれ。ノヴァルは、一貫して「欠陥」ディフェクトの存在を否定し続けているのだ。

 だいたい、ノヴァルがそれを認めてしまえば、この訴訟を戦っている意味はない筈で。


(どゆこと?)と、僕が目を白黒させていたら。

 BBLバルブラウ氏は。左手の人差し指を、ご自分の耳の傍へもってきて。ゆっくりと回し始め、天井のほうへと上げていくものだから、もうニックも(頭の中で)歌い出すありさまで……!


『盗聴されてたらどうするの~? どうしよう?

 いっそ、この車ごと。空へ飛んでいきたい~♪』


 しかも、何故かBBLバルブラウ氏は……僕の戸惑う反応を見て、満足(?)している様子なのだ。そして、


建前はいいから、率直なところを聞きたいんだ。」


 ウインクしながら、そう言った。

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