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 昨年の秋は、夏の終わりを引き延ばすように。厳しい暑さの残る日が、多かったように思う。


 皆が、ここのパーキングに出て。アンブレヒト・キーファー証人の乗ってきた新興国の珍車……「ウォレス・シェヴラテイン」を囲んでいるときも、気温は30℃にも昇っていた。


 当のキーファー氏は、とっくに居室でくつろいでいるというのに。シェヴラのエア・コンディショナーは付けっぱなしで。二人乗りだから、皆いろいろな理由を口にしながら、キンキンに冷えた車室に居続けようと頑張っている……ように見えた。


 むろん暑さがイヤなら、居室に待避していればいい。


 なのに。D&D法律事務所ロー・ファームの精鋭であり、「In re: NOVARU 個人的傷害・不法な死Personal Injury, Wrongful Death事件」におけるノヴァル側代理人アトーニーの筆頭である:リカルド・サンスン・バルブラウB B L Jr ジュニア氏が、のは。トグラさんにボス。そしてビルも一緒になって、照りつける日光の下でウロウロしているのは……。


 このとき佳境であった陪審公判で、ノヴァルが——

 ——原告から、追いつめられていたからに他ならない。


 反対尋問クロスのシナリオを練るにしても、実車を前にした方がイメージがしやすいのは分る。出張所ここでも、同年式の「キャブラ」を用意しておくべきだったかもしれない。だが、もう後の祭りであった。

 ボスの「パストーラ」はハイブリッド車であり、そしてビルの「マンファリ」はマニュアル車なので、普通のオートマチック車であるキャブラとは違い過ぎて。原告であるブックホルドさんと、同乗していたゲッテさんの……事故当時の状況をおさらいするには向いておらず、仕方なくシェヴラを使うことにしたのだという。

 まあ、もうこのころには。この車シェヴラテインをキーファーさんが所有しているのではなく、専門家証人として滞在する際の「足」として。ステイツ・ノヴァルが貸し出しているのだと判っていたので……。


(なお、ジェンのSUV「リワンゴD」は、室内がされていたので、使うことがはばかられた模様である……)


 僕はといえば。いつもの「定位置」から、マイクロ車シェヴラの周りで……いい大人たちがワーワーやっているのを眺めていたが。三人休憩に戻ってきた際に、屋外に残ったビルから手招きされて。


「行ってこい、ノヴァルの所有車だし……いざというときに動かせたほうがいい。」


——と、すれ違いざまにボスが。額の汗を拭いながら僕に声をかけてきた。

(そんなに特殊なのかな?)と思いながら、出ていってみると。


「後でBBLバルブラウさんから色々訊かれると思うぞ……!」

——と、ビルに耳打ちされた。


(何か、話が違うようだけど。これシェヴラを動かせるように……と、ボスから言われたことは、内緒にしたほうが良さそうかな?)と身構えたが。ビルが僕に差し出したものを見て、取り越し苦労だとわかった。

 

「キーはこれ。わかるか?」

「ふつうですね。始動も……ボタンじゃないんだ。」


 シェヴラという車は。二人しか入らない……前後より幅のほうが長いという車室キャビンが、ボディ後端へと偏った位置からポッコリ飛び出しているのだが。車内へ入ってみたら、違和感はそれほどないな……と感じた。

 ハイスクールの頃に借りていた車も、今うちでシェアリングしている車も、所謂「ミニバン」だった。それらと一番違うのは、シフト・レバーとパーキング・ブレーキが、運転席のすぐ右にあること位で。


「僕は、こっちのほうが良いかも……ですね。」

「新興国では、まだこっちのが普通らしい。しかも、こいつは商用バンを元に開発されたというから、おそらくそれで……」「あれ?」


 助手席側の窓から上半身を突っ込んで、運転席の僕に説明しようとするビル……を。また薀蓄かな?と、思わず遮ってしまった。


「その助手席、これで一番『前』なんでしょうか。」

「エンジンを右側に傾けて積んでるから、足下の関係で助手席を後退させてるんだ。後ろにも下げられないのは、ガソリン・タンクが座席の下にある所為だろう。」

「えっ、この下ですか。」

「そうだよ。おかげで、ワット・リンクという機構をデフ・ギアの後ろ側に配置できたんだ。こいつはね……」


——などと、色々説明してくれてたが、僕の記憶には殆ど残っていない。


 辛うじて覚えているのは。

 欧州の名門ブランド「ウォレス」を買収して「新興国の勇」と言われていた同企業が……このシェヴラテインを旗艦車種フラッグシップに掲げて、「バビュッサ」という走破力の高い万能車マルチパーパスを主力とする「尖った」ラインナップで若者向けの市場を狙い、ステイツ全州に展開しようとしていたこと。しかし、自動車ローンがらみの金融危機のせいで、第1号のショールームを開いた矢先に「全面撤退」してしまったということ位で。


「2005年式のキャブラも、運転席周りコックピットだけみれば。まあ……ほぼ同じと考えていい。」

「僕が、お役に立てるんですか?」


 あれだけ固執していたシェヴラで、エンジンもかかっているのに。相変わらず説明は多いものの、うわつく様子が全くないビルの様子に。僕は、だんだん緊張を覚えはじめていた。

 とうとう……「やってもらうぞ」が、来たのだろうか?


「陪審員の反応が、こちらの想定と違っている。」

「想定……って、模擬陪審mock juryのことでしたっけ。陪審公判の証人尋問の内容を聞いてもらって、陪審員がどう思ってそうかを探り出す……というので良かったですか?」

「ノヴァルは、陪審コンサルの費用をケチったんだ。一人だけ……それも身内ときた。」


 この日のビルは妙に「直球」ストレート「最短ルート」ショーテストで、少し気味が悪いほどだった。


模擬陪審モックをコンサルから雇うと、エンジン制御システムの重要機密が漏れるから……ですか?」

「それもあるが、MDマルディのほうに回したいらしいんだ。」

「もしかして、怒ってます?」

「……少しね。」


 いつもの表情が戻ってきて。ちょっと僕に、喋りすぎたと思っているようだった。


 右手でシフトレバーを握ってみる。

 根本のほうには、レバーが前後に移動するための溝があって、前から順に:P→R→N→D→3→2……と、シフト位置がマークされている。このうち「P」だけが点灯していた。

 右足でブレーキを踏み込むと、レバーの握りにある「Lock」ランプが消える。なるほど、これでレバーを「P」パーキングの位置から動かせるのだろう。


「今回の陪審は、ずいぶんとレベルが高い。」

「レベル……ですか?」

「コンピュータの話に、臆すところがない。」


 でも、ビルは本当に「コンピュータ音痴」なので。パソコンを普通に使えている人なら全員レベルが高く見えるのでは?……と失礼なことを考えてしまった。


模擬陪審モックのほうは、途中でもうを上げていたのに……は9名全員が、余裕でついてきている。」

「そうなんですか。でも……」


 ビルの表情は。もう、続きが期待できないかな……と感じたほど、堅くなっていた。


「確か……陪審員って、不適格な人を。前もって、抗議して落とせるんですよね? する人たちが、その……偏った考えの持ち主だと、困りますから。」


 ビルは、微かに頷いた。


活動家アクティビストみたいなのを含めて、自動車の安全性に関心あり過ぎの人などは……落とせているね。」

「ですよね。」

「もちろん、向こうさんバートン&ターレンも自動車業界に近い立場の人を落としている。結果的には、職種・年齢・人種・性別・そして収入インカムにも偏りがないように選べていた筈なんだが……」


 この州はこのところ景気がいいから、パソコンのスキルの高い——所謂「パワー・ユーザー」みたいな人が揃ってしまったのだろうか? でも……どうしてろう? 今まで割と、自信満々だったように見えるのだが……。


「次の公判は、明後日。」

「……それで?」

「公判戦略のやり直しで、ドタバタだ。今日は夜中までつきあってもらうことになるよ。」

「それは勿論……」

「今からね。さあ、BBLバルブラウさんが戻ってきた。」


『雷雲』Thundercloudの異名を持つ精鋭代理人が、フロント・ウインドウの向こうを回り込んできていた。歩きながら、僕の目を見据えている。


 そこで初めて実感した。ようやく「その日」が来たのだ……と。

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