17

 天気も段々と悪くなり。

 いつの間にか……霧のような雨になっていて。ボスのパストーラハイブリッドが戻ってくる様子もなく。

 その、空っぽの指定席――の隣に佇むマンファリマッスル・カーは。エンジンフードやルーフから、ウィンドウやボディサイドへと……艶やかな煌めきが垂れ下がり。周りが灰色に塗り潰されていくなかで、その黄色の車体だけが――生命ある者のように浮かび上がっていた。

 ビル自慢のマンファリだけど、どこに行くにもそれで……という感じは全くないのが正直、意外で。かといって、丁寧にカバーをしたり、ワックス掛けたり……という感じでもない(正直そんなに綺麗でない)から、「走ると汚れるじゃん?」というのでもなさそうなのだ。


「ビルの車って、やっぱり相当に大食らいなんですかね……?」

「あら、こないだもそれ訊いてなかった?」

「本人に訊いたら、『そんな……たいしたことないよ』って。はぐらかされました。」

「まあ、クライアントの手前もあるでしょうしね。」


 ジェンがそう言うのは、マンファリのようなマッスル・カーや、(僕の故郷では)スタンダードなピックアップ・トラックみたいな――要するに燃料の消費が多そうな車種は。5年ほど前の金融恐慌を境に、売れ行きが滞る状況になり。ノヴァルでも、マンファリは勿論、その廉価版であるマンティコアまでも。型式終売ディスコンティニューせざるを得なくなった……という事情があるからだ。

 この種の車がステイツで廃止されるということは、実質的に「死刑宣告」なのだという。超富裕層都市のスーパー・カー市場を頼んで生き残るには、もっともっと尖っていないといけないらしい。


 マンティコアはともかく、高価なマンファリは台数が少ないらしく。ノヴァルの重役の方達ですら、D&Dを訪れたときなど、ビルの愛車を見て興奮するという。話題の「掴み」に活躍するだけでなく、実際に「運転させて欲しい」という要望もよくあるそうだ。


 そんな自慢の一品(?)なのに、借家とここの往復にしか使ってないように見えるのだが……。景気は回復してガソリンも安いし、ビルの奥様(すごい美人らしい)も相当高収入だというので、不思議との印象が強まるのだ。


「確か……どこかのスーパー・カー開発者の人が、専門家証人エキスパートのなかにいたでしょう?」

 ロージーが口を挟んだ。大手二社で、エンジニアリング部門の責任者を渡り歩いた……という人だったかな?


「うん。あの人はだけど、凄いので裁判所へ乗り付けて来た!――という話、残念ながら聞かないのよね。」

 ジェンの言うことだから確かだろう。間違いない。正しい。


「むしろ、うちのアレが目立っていたわね。」

 ――と、ロージーがディスプレイの向こうをしゃくって言った。


 コンクリートの壁の向こうの元整備場は、僕の自転車と充電器もあるが、専門家証人の方のために駐車場としてリザーブされている。

 ――のだが、4ヶ月ほど前の公判のときから一台だけ置きっぱなしになっていた。それが、ウォレス・シェヴラテインWallace Chevrotain


 マンファリの半分位……というと大げさだが、僕などは「こんな小さな車があるの?」という印象で。後輪はともかく、前輪が小さいのは初めて見たように思う。車輪が車体の四隅ギリギリにあるのに二人乗りで、異常なまでに後ろのほうに乗るのだ。なのに背が低いわけでも、屋根が開くわけでもない。シェヴラ自体のことではないが、

「キーファーさんはノヴァルの人で専門家証人なのに、ノヴァル車じゃないのに乗ってきた!」

……というのも強く印象に残った。

 そう口に出したら、「すっかりノヴァルうちに毒されちゃって!」と、トグラさんに呆れられたけど。


 まあ、何というか妙なだけで大した車には見えなかった……のだが。事実、ロージーも「アレ」呼ばわりしている位で。


 ところが。アンブレヒト・キーファー証人がで到着した瞬間から、ビルの目の色がもう(略)って。脱いだ帽子を素早く頂戴して、「販促くん」に掛けてあげながら、さりげな~く車を誉めようとするのだが。に敏感なのか(?)キーファーさんは「クルマの濃い話」になるのを徹底的に避けられて。「どうってことのない移動手段」として扱う姿勢を、最後の最後まで(ここにほったらかすまで)崩さなかった。

 そう、可哀そうなシェヴラは。キーファーさんが公判の後、ノヴァル役員のアーテラスショーファー・ドリブン・カーに拉致……同乗していったきりで、引き取りに来ないものだから。これ幸いとばかりに、ステアリングを握る口実を捻り出すビルを諦めさせるため。ここで預かっている「鍵」は。ボスの命で、地下室にて厳重保管されているほどだった。



 だいぶ話がそれたけど、マンファリは相当目立つので、裁判所へ乗っていったりするのは避けてるのでは?……というのがロージーの推測だ。


「思い出した。それがねフフフ……ちょっと意外な理由なのよ?」

 ちょっと吹き出してしまいながら、ジェンが予告する。


「意外な理由?」「何です?」

「ビルと外で一緒に食べるとき、おや?……って思ったことない?」


 いったい、ジェンは何を言い始めたのか?話の流れが、全く掴めないのだが。


「卵好きなんだなぁ……とか?」

「ターキーとか、スカロップも頼んでたわね。健康志向?……とも思ったけど、そんなに意外かしら。」

「ん――。」

「わからない。何?」「同じく。」


 ジェンは、口元に手を当てて。ちょっと俯いた姿勢で身を乗り出し、肩をふるわせながら切り出した。


牛肉ビーフよ。いちども頼んだの見たことないでしょ?」

「そうでしたか?」

「そういえばそうね……」

「何でだと思う?」


 そう聞いてくるジェンの表情に「ぜったいにわからないとおもうけど?」って書いてあるから、逆らわない。


「何なの?」「何でです?」

「ベス……ビルの奥さんに聞いたんだけど、すごく気にしてるそうなのよ。」

「ビーフ食べ過ぎると心臓病に……っていうあれですか?」「奥様のことはよく聞くという話よね。」


 ジェンは首を横に振った後、急に恥じらいながら。


「牛ってね、ゲップベルチするんですって。」

「ゲ……は?」「それぐらいするんじゃないですか?牛でも。」

「で、いっぱい出るんですって。」

「何が?」「待って、聞いたことあるような……」

「メタン。温室効果ガスよ。」


 平均気温が上がっていく説のことだと思うのだけど、話が飛びすぎてついていけない。

 

「もともと牛肉大好きだったらしいのよ。それこそレストランのテーブルに着いたら必ず、かならず何かしら注文する位。ステーキ。ローストビーフ。スペアリブ……それが。ある日突然、チキンとかを頼むようになって。すわ、天変地異かって。」

「それは心配しますよね。」

「ん、それで問いつめても『あー、もー、飽きたかなー』とかしか言わないんで。『これはおかしい』と思って」

「思って?」「思って?」

ハモった。

「旦那のパソコンで閲覧履歴を漁ったら…」

「うわぁ」「聞かなかったことにするわ。」

「交通機関や工場から出る炭酸ガスに匹敵する量的レベルの温室効果ガスを、牛が出してるよ――って言ってるコンテンツなど出てきたわけですよ。」

「それ、ほんとなんですか……」「聞いたことある、確かFAOの報告よ。」

「昔からマッスル・カーに乗ってて、それなりに風当たりを感じていたらしくて。その上に『おまえが好きな牛肉だって、なんだぞ』という話なわけでしょう? ノヴァルもどんどんCO2抑制の方向に行くし……」

「それで、心が折れた?」「それで、奥様は?」

「問いただすのを止めて、そのままだそうよ。」

「なるほど、『ちょい乗り』にも抵抗があるわけですね。」


 何か、純粋に気の毒?な話にも思える。


 ビルのマンファリ。獰猛な姿にも似合わず、物悲しく見える理由は……そう。他にもあった。


 あれは、今からちょうど一年前。


 ノヴァルからの機密流出の件が、かなり時間が経ったこともあって「あれは結局、事件に便乗したフカシだったのでは……」という説が出始めたときのこと。


「いいえ、あれは本物です。本当にノヴァルの内部文書が流出していました。」


――と、言い出す人物が現れたのである。

 それも、ネットの掲示板などではなく、曲がりなりにも一般紙に、しかも実名で登場して。大量の内部文書があると示したうえで、これこの部分が「市場」へ売りに出ていた――などと解説を始めたのだ。

 この人物はいったい? そんなもの、どこから入手したというのだ? それこそフカシではないのか?

――その答えになったのは、裁判所の証拠開示命令ディスカバリによりノヴァル・ホンゴクから出てきたを、翻訳する仕事を受けていた立場だということ。


 しかもである。その人物の「本命」は、過去に漏洩していない文書のほうだったのだ。「市場」に出ておらず、裁判でも証拠に採用されていない内部文書。

 その極めつけが、ホンゴクの王族専用車種「アーテラス・シンボル」の……ある車両において、原因不明の「意図せざる加速事象」が多発していた!というものであった。ノヴァルの王室対応部隊が、スロットルボディの清掃やエンジンECUの交換などで右往左往している様子を、その文書は物語る。

 確かに……いくら何でも、運転手ショーファーが。アクセルとブレーキを頻繁に踏み間違うなど、するわけがない。UA事象の大半は低速域で、スロットル開度も大きくはならず、事故にならなかったのは本当に幸いであった。


 幸い、ノヴァルの代理人アトーニーたちは。どの事件においても、この内部文書を「証拠」として許容させないことに成功した。

 その根拠のひとつは、この車種のエンジンが稀少なV型12気筒式であること。同じエンジンを積む他車種で「意図せざる加速クレーム」が報告されておらず、訴訟にもなっていない……ということであった。


 もしかしたら、ここでもそういった異議などの話をしていたのかもしれないのだが。そのときの僕にとっては寝耳に水のニュースであったので、僕にしては珍しくもシェアハウスの寝床などでホンゴクのニュースサイトなどを探し回っていた頃がある。

 しかし、ホンゴクにおいてこの件は。全くといっていいほど報道されていないようであり、その後も一切取り上げられる様子がなかったので、僕は大変驚いた。


「ホンゴクって、王族よりノヴァルのほうが偉いんでしょうかね……?」


 例の件で調べてみたんだけど……とジェンに訊いたところ、僅かの間。彼女のかおに歪みが通りすぎていくのを見た記憶がある。


「ホンゴクには、すごい技術力で稼いでいる産業が色々あるんだけど、消費者向けの商品で競争力を維持できたのは――車とか、カメラとか――要するに。かなり減ってきているのよ。」

「国の貴重な屋台骨だから、王族側も目を瞑ってあげている……ということ、ですか?」


 その答えを聞くことはできなかった。すぐ傍にいたビルが、静かに涙を流し始めたからだ。良く見ると、首筋に細かい震えも走っている。


「……え。ど、どうしたんです?」

「マット、ちょっと外へ出ましょう。」


 それで。実車を眺めながら、ビルの「事情」をジェンから聞くことになった。


 ビルの愛するマンファリが……くだんのアーテラス・シンボルと全く同じ、V12エンジンを積んでいること。

 王族向けでない「通常の」アーテラスはV8エンジンで、これはマンティコアと同じであること。

 なので、王族向けと同じエンジンであることが、ビルの自慢の一つであったこと。

 出張所ここを立ち上げる直前あたりのディスカバリで、この文書があることが判ってから、ビルは。すっかり変わってしまったのだということ……を。


「いいエンジンなんだ、ノヴァル史上最高といってもいい………なにも。問題など無い、のに。」


 唯一の救いは、このマンファリの動力伝達装置トランスミッションが、手動変速マニュアル・シフトであること。つまり、クラッチを踏みさえすれば、エンジンの異常は強制的に遮断されることであった。


 そうして、すっかり哀愁を帯びて見えるようになったマンファリ。鼻先に着く「V12」のオーナメントを目にする度に、僕が考えてしまうのは。


 が、裁判文書翻訳者リーガル・トランスレータのキャリアを投げうってまで「暴露」を行ったのは、裁判の進行自体に危惧というか、不満があったのだろうか……ということ。

 実際。そのすぐ後の、ブックホルド事件の公判トライアルでは。の解析結果が決め手となり、実質的にノヴァル側の責任を認める結果となって、数百件の集団和解交渉へとつながっていったのだが。そうなったのはこの「暴露」によって……ではない筈なのだ。いや、このときの報道を陪審員が目にしていた可能性も否定できないだろうか。


 少なくとも、僕が受け取ったメッセージは……こうであった。


「UA事象イベントは、身分の貴賤を選ばない。」

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