第66話 車両競技会でしょでしょ!?②

 駐屯地には車両倉庫がある。昭和を感じさせる古いトタン板で覆われ、飛行機の格納庫にあるような大きな引き戸は立て付けが悪く戸を揺らさないと開かないことがある。

中は2室に分かれており、片側は整備に使う工具の他、ランプ類、冬タイヤなどが各中隊ごとに保管されている。その隣は整備室になっており、3t半が2輌入るくらいの広さがあり簡単な整備はここでやる事が多い。因みにタイヤのはめ替えは別の駐屯地の車両整備隊(D/S)まで車両を持ち込んでやってもらう。オートバックス感覚。

岩波2曹は武村たちにパジェロと3t半を倉庫内に入れさせる。

「お前たちには既に車両競技会の通知書を渡してあるので知ってると思うが、再確認の意味でもう一度説明するぞ。『車両競技会は車両操縦能力及び整備能力の向上を目的とし、併せて車両事故防止の意識高揚を図るものである』

ドライバーの練度向上と、それに伴う意識改革だな。運転のテクが未熟ではいつ事故が起きてもおかしくないからな」

「岩波2曹、これって連隊で車両事故が多いから車両競技会やるって本当ですか?」「え、そうなんすか榎本士長?」

「ほら、今年に入ってやたらと事故あったじゃん?○中はLAV(軽装甲機動車)が演習道の側溝に脱輪しちゃって施設隊がクレーン出したって」

「あぁ、ありましたね。あれクソ重いからパジェロで引っ張れないんすよね」

「その1週間も経たないうちに今度は×中が一般道で曲がる時にミラー標識に当てちゃったってのもあったな」

「そうそう。で、今度は○管のWAPC(96式装輪装甲車)が演習場でタイヤのそとつら削っちゃっただろ」

「見たっすよそのW。営門通過する時タイヤ1個外して走ってたんで、『7輪走行だ』って見入っちゃったっす。コンバットタイヤって案外脆いんすね」

「コンバットタイヤは飛んでくる小銃の弾とか食らっても平気だけど、尖った石とかで削られるのには弱いんだ」

「へぇ。知らなかった。そういや業務隊長が、あまりにも事故が続くんで護国神社でご祈祷してもらうって話が…」

「待て待て!もういいお前ら!なんでそう他の中隊のことそんなに詳しいんだ!?」

「いやだって岩波2曹、駐屯地内の出来事は同期を通じてあっという間に広がり、その伝達力はツイッターをも凌ぐとも言われ…」

「もういいから!とにかく、お前らはその車両事故を起こしそうだからここに居るって事を忘れるな。まだ物損なら笑って済むけど…いや、済まないか。これが人身、特に一般人に怪我させたとなったら間違いなくクビだからな」

武村たちは口元を緩ませるのをやめ、真剣な眼差しになる。

それを見届けた岩波2曹は競技会の説明を続けた。

「競技内容は二つ。一つ目は車両操縦で、これは演習場でコースを決めて走る。3t半か高機動車、パジェロのどれかでやるんだけど、どれに乗るかは当日くじ引きってなってるな」

「うえ、自分ハズレだけは引く自信あるんでパジェロになるよう根回しをお願いします」

「はは、そりゃ無理だって平本。どれでも乗れるようじゃないと有事の際に『これぽっくん乗れましぇ~ん』って言い訳は通用しないからな」

「そうそう、武村。牽引免許持ってるやつはどの車輌になってもトレーラー引っ張って走るみたいだぞ」

「…マジすか」

陸士でも数少ない牽引免許所持者の武村は一気にトーンダウンし、それを平本は『ざまあw』という目で見ていた。

「あの、岩波2曹。自分も牽引は持ってるんすけど」

中隊先任士長の榎本士長が遠慮がちに聞く。すると岩波2曹は少し答え辛そうに頭を掻き、

「あぁ、それはお前ここ一年3t半に触ってないからな。もし競技会で車両事故でも起こされたら敵わんから、牽引免許なしって事で申し込んだ」

「ひどい!」

「それはともかく、続けるぞ。もう一つは点検整備だ。車両を点検項目に沿って点検していき、故障個所を見つけたら直すと。これも3t半と高機動車、パジェロを使用だな。故障は一人で直せるもので、電球交換からタイヤの着脱まで含まれているらしい。お、状況付与でチェーンを巻くってのもあるな」

「武村士長。自分チェーン巻いた事ないっす」

小さい声で平本が囁く。

「団の教習所でやらなかったのか?」

「やったっすけど、全然雪降らないんで巻く機会がなくて。武村士長はどうなんす?」

「私の時は免許取ったその年はドカ雪ばかりで毎週巻いてた覚えある。だから一応、自信あるけどやりたくはないな」

今度また教えて下さい、と言って平本は岩波2曹に視線を戻した。




「よし、じゃあ、はじめ!」

岩波2曹の号令と共に、武村は3t半に駆け寄った。これから行うのは、出発前の車両点検。操縦手は車両を使用する際に、必ず点検をする事になっている。駐屯地外へ出る時に所持する運行指令書の裏にも点検項目が設けられていて、使用前、使用中、そして使用後もレ点でチェックするようになっている。

点検個所は細部に渡り、タイヤにホイールナット、車体の傷にランプ類、バッテリーにエアタンク、車両に備え付けられているエンピやガソリン携行缶などを運転席からぐるっと一周するように点検していく。

一通り異状がなければこれで漸く乗車できるが、点検はまだまだ続く。

今度はエンジンをかけ、メーター類に異状はないか、エアーはしっかり貯まってるか、ランプ類は点灯しているか、などをチェック。

そして、ブレーキを数回踏んでペダルに手ごたえがあれば発車となる。

これら一連の動きは普段であれば良いのだが、競技会になるとこれに【呼称】が加わる。

「タイヤ空気圧、異状なぁし!」

「バッテリー液、異状なし!」

「ミラーの割れ、なし!」

といった具合に。しかも発声は明瞭に且つ指さしも忘れずに。乗車前も車両の前後に障害物がないか確認する。一つでも見逃してしまうと、

「武村。お前、それで発車できんの?荷台の中も見たか?本当にカラだったか?誰かが乗ってたら発車した瞬間にそいつ転倒して怪我してしまうかも知れんぞ」

一体誰が乗ってんだよ!などというツッコミは心の中だけで済ませ、「うす」とだけ軽い返事だけして運転席から荷台へと戻って確認する。

「荷台、良ぉし!」


エンジンのキーを回した所で「状況終了」の声がかかる。

「武村には競技会の実施要領に則って展示してもらったけど、とにかくお前ら指差呼称は大声でやれよ。審査員はそういう所も含めて見るからな。それと、点検個所は絶対に落とすな。一つでも漏れがあったら、その場では注意されなくても審査が終わった後に説教が待ってるからな。俺が!」

「岩波2曹が怒られるんすか」

「当たり前だろ!業務隊長、俺の新教区隊長だった人だからメチャメチャ厳しいんだよ。『お前は陸士に何を教えてんだ?』って言われちまうんだよ!」

「車両陸曹、一体新教の時に何やらかしたんすか?」

「そりゃあお前、身分証を…って今は関係ねぇだろ!ほら、次は平本だ。さっさとやれ!状況開始!」

平本は多少緊張はしていたが、武村の展示を見ていたお蔭で目立ったミスもなく点検を終えた。

「まぁ、武村のを見てるからこんなもんか。あ、でももう少し動きは機敏にな。ダラっと動いてたら減点になるぞ。じゃあ最後、榎本」

はい、と榎本士長はスタート位置に立つ。

「榎本には、キャブアップとエンジンルームの点検をやってもらう。これも実施項目に入ってるからな」

岩波2曹から見えないよう、榎本士長は露骨に嫌な顔を武村に向ける。状況開始の合図とともに運転席側に向かい、キャブの後部にあるレバー類に手をかける。ピンを外してロックを解除する。

武村はその様子を眺めながら、何か引っかかるものを感じた。

「どうしたんです?武村士長?」

「いや、榎本士長がキャブアップの準備してるの見て、なんか岩波2曹に言わなきゃいけない事が、あったような、なかったような」

「なんですそれ?」

「うーん、さっき展示が終わったときに3t半の車内で何かを見つけたんだけど、それが何か思い出せなくてさ」

ロックが解除され、キャブアップのため取っ手を握りこみ持ち上げる態勢になる榎本士長。あとは全力でキャブを持ち上げればエンジンルームが点検できるようになる。

「せーの!」

榎本士長が掛け声を発したと同時に武村はを思い出し、『待った!』を言おうとしたが、声を出す前に

~げ!」

と榎本士長がキャブを持ち上げてしまった。

3t半のキャブ、運転席の箱の部分は油圧で幾分負担は軽減されてるとはいえ、重いことに変わりはないので一気に持ち上げる事が要求される。中途半端な力では重さで戻ってきてしまい、もう一度トライしなければならなくなるからだ。

上がりきった所でロックがかかり、キャブは固定される。これでエンジンルームの点検へと移行できるのだが、キャブアップには注意点がある。それは、キャブアップの性質上、車内は大きく傾くので動きそうな物は固定するか、もしくは車外へと出すようにする。これを怠ると場合によっては大惨事になるのだが…。

ガチャン!とキャブがロックされる音がした瞬間、3t半のフロントガラスに何かの液体が捲き散った!

その液体は茶色く、フロントガラスの下部分を広範囲に濡らしていた。

「なんだありゃあ…」

岩波2曹と、キャブアップで体力を消耗した榎本士長が呆然と見る中、武村は言った。

「さっき私が展示してる時、ダッシュボードの上にコーヒーの缶が乗ってるのを見つけたんですが、降りたら忘れてしまって…」

「それはお前のコーヒーか?」

「いや、違います。誰のか分からなかったので、あとから聞こうと思ったのですが」

「…この3t半は誰が乗ってきた?」

重苦しい空気が流れる。が、陸士二人はある人物を指さした。

「お前か、榎本」

「え、いや、その」

「言い訳なら聞こう」

「あの、飲みかけだったコーヒーを置こうにも缶ホルダーがなかったので、ついダッシュボードの上に乗せてしまって。本当は訓練始まる前に撤去しようと思ったのですが、岩波2曹けっこう早く集合かけるんで回収する暇が」

「なんだ俺のせいか?」

火にさらにニトロを注ぎ、窮地に陥った榎本士長の顔色は死人も真っ青なくらい青かった。岩波2曹は榎本士長を睨みつける。

「原状復帰のため今から休憩とする。武村と平本はPXまで行ってジュース買って来い。カネは榎本士長が出してくれる。以上、質問は?」

榎本士長は「なし」と言うしかなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る