第58話 代休さえあればいい。②

「お疲れ様です武村士長。あれ、どうして迷彩服なんすか?これから外出なのに。え?代休取り消し?しかもこれから支援?んまーお気の毒。気をつけて行って来て下さいね(草)」


「あれ武村、今日休みなのに鉄帽テッパチなんか被っちゃって何処行くん?は?これからドライバー支援で管理班へ行くですと?あらあらまあまあ、そりゃ大変だ。さっきまで余裕ぶっこいて食堂で優雅に飯食ってなかった?はは、ご愁傷様ぁ(爆)」


「あははははははは武内士長!あははははははははははは!」


「あ、武村士長。西山士長から伝言で『とろりんシューは?』だそうです」


武村の代休取り消しは瞬く間に中隊内に知れ渡り、多数の励ましの言葉を投げつけられつつ準備の整った武内は中隊事務室へと再び顔を出した。

「た、武村。すまん」

「いや、自分は大丈夫っすよ。それより長谷川士長の方こそ大丈夫っすか?顔すっげー真っ赤なんですけど」

フラフラながらも何とか中隊にたどり着いた長谷川士長は、事務室に入ってすぐ右側にある車両陸曹の席にだるそうに座っていた。

被っていた鉄帽テッパチ雑嚢ざつのうが火器陸曹の机の上に無造作に置かれている辺り、本人の重症度が窺える。

鉄帽テッパチ雑嚢ざつのう、ここに置いとくと火器陸曹ブチ切れるんで下置いときますよ」

「あぁ、すまない」

「いつから熱あがったんです?」

「うーん、今朝早出で0430に起きたんだけど。その時は何だか少し寒気がしてて、だけど朝早いからそれで寒く感じるんだと思ってたんだ。でも、管理班に着いたらあっちの人に『顔真っ赤だけど大丈夫か?』って挨拶よりも先に言われちゃって」

そして演習場管理班の隊舎で体温を測った所、38度5分もの熱がある事が分かり原隊復帰となったそうだ。

「よし、武村!外に長谷川が使ってたパジェロ(73式小型トラック)があるから、それで行って来てくれ。事故の無いようにな」

訓練陸曹に見送られ、武村はパジェロを走らせた。


演習場管理班の施設は東富士演習場の少し外れた所にある。

演習場管理班は駐屯地業務隊の管理部に所属する。主として演習場の維持・管理を担当し、演習場の整備や射場の警備、演習場内で不発弾を発見した時の受付窓口にもなっている。

「いやあよく来てくれたね!助かるよ。私は演習場管理班の磯崎だ。今日はよろしく頼むよ」

満面の笑みで出迎えてくれた管理班の磯崎曹長は、白髪交じりのレンジャーカットで身体も大柄。胸ポケットにはレンジャーバッジ…ではなく、スキー徽章が縫い付けられている。武村の肩をバンバンと叩くと説明するからと言って入室を促した。

室内には東富士演習場と北富士演習場の地図が、大きく貼られている。部屋の隅には無線機があり、その隣には電話機が置いてある。緊急の際に関係機関に連絡するための、電話網図が数枚貼ってあった。

「長谷川士長は大丈夫だったかい?」

「はい、なんとか中隊に帰れまして、これから富士病院で診てもらうそうです」

「そうか。いやあ、安心した。帰隊途中で事故でもしたら申し訳ないと思ってたんだ」

長谷川士長が無事帰隊できたと聞いて、磯崎曹長は安どの表情をした。他中隊の陸士でも心配してくれる気遣いに、武村は関心した。

「武村士長も、今日は別の訓練とか入ってたんじゃないか?急に変更してしまって、そっちの方は大丈夫だった?」

「いえ、今日は代休だったんですけど、他にドライバーがいないって事で急きょ命ぜられたんで大丈夫です」

の変更はなかったので、訓練陸曹には調整などの手間が掛かってないので大丈夫です、という意味で答えた。

それを聞いた磯崎曹長は、申し訳ないという表情をし、

「それはスマンかった!折角の代休を取り消してしまって」

と平謝りをするので、武村は慌てて言った。

「いえ、別の日に貰える事になってますし、特に用もなかったので」

「そうか?そう言ってもらえると少しは気が楽になるよ。今日は出来るだけ早く帰すように…努力するから」

確約はもらえないんですね。まぁ分かってましたけど。

磯崎曹長は気分を変えるように軽く咳払いすると、武村に聞く。

「武村士長は、北富士演習場には行った事はあるかい?」

「はい、FTCと行軍で何度かは」

「そうか。じゃあ、東富士から直接演習道を通って来た事は?」

「うーん、1回車両行進で来た事あるくらいですかね。ものすごく道が悪かったのを覚えてます」

「そうだね。装輪そうりんだと滅多に通らんよね。あそこは主に一般道を走れない装軌車そうきしゃが使うから、道が抉れてしまうんだよ」

戦車などの装軌車が通る演習道は、直線はともかくカーブでは履帯りたいにより深く掘られている事が多い。気付かずに進入した場合、掘られていない道の真ん中部分に車体が乗っかってしまい亀の子状態になり、要救助状態になってしまう事もある。

「我々管理班はそういった演習道などの補修や、弾着地域の不発弾清掃や実弾射撃時の射撃区域の警備なんかも担当している。まぁ、演習場に関わる事は全部我々が受け持っていると思ってくれればいい」

武村の今回の支援は、磯崎曹長のドライバーとなり演習場内を巡察する事だそうだ。午前1回午後2回。昼食は富士学校の隊員食堂で喫食するという。

磯崎曹長は腕時計をちらりと見る。

「現在時0815。早速だけど、行くか。経路は畑岡道経由で畑岡射場に寄って、黒トーチカで曲がって戦車道を目指し……」

磯崎曹長の説明に武村は頭の中で演習場のカーナビを広げ、経路をイメージする。

「とまあ、そんな感じかな。分からなくても俺が隣で指示するから」



『実弾射撃実施中です。危険ですから、演習場内に入らないで下さい』

【射撃中】と表示された電光掲示板には大型スピーカーが付いており、そこから流れるアナウンスが車内に聞こえてくる。

この時間の畑岡道は訓練に向かう部隊の車両が多く行き交うので、砂煙が舞い視界が悪くなる。パジェロの前には3t半が3台連なって走っており、巻きあがる砂煙で後部に乗っている隊員たちはタオルや首巻などで顔を隠している。

武村も車間距離を空け、視界の確保に努めた。

暫くすると砂利道から舗装された道路に出ると、一瞬車体が揺れたかと思うと戦車の射撃独特の衝撃波と音が身体全体を揺さぶった。

『じゃ、そこのポストから射場に入って』

磯崎曹長は先ほどの衝撃波を全く気にしてない素振りで。武村に指さしで指示した。ポストから出てきた警戒員は磯崎曹長の左腕に巻かれた【演習場管理班】と書かれた赤色の腕章を見つけると、敬礼をして遮断機を上げた。

射場には90式戦車6両が少し離れた前方に等間隔で並んでいた。戦車には、射撃中である事を示す赤旗が立っている。そして後方、総火演では観客席になっている辺りには90式戦車が数両と、特大型とくおおがたと呼ばれる普通の3t半より車体が長いトラックが2台駐車されていた。

武村はそこから少し離れた場所に車を停めると、

「私は射場指揮官のとこに行ってくるから、武村士長はここで待っててくれ」

そう言って磯崎曹長はファイルを持ってパジェロを降りた。



射場では基本的に喫煙は禁止されている。喫煙は、予め指定された場所に煙缶えんかん(灰皿)を設置し、そこでのみ許される。

戦車の射撃実施部隊の設置した喫煙所は武村のいる位置からそう遠くない所にあったが、非リアな武村は他部隊の隊員に「ここで吸っていいですか?」と言えるほどコミュニケーション能力がロースペックなので、パジェロの裏に回り隠れてタバコを吸う事にした。

ドゥン!!ドゥン!!

戦車は不規則な間隔で射っている。小銃射撃で言う所の点検射なんだろうか。

武村は戦車の射撃は総火演の時に見た事はあったが、今回の様に間近で見るのは初めてだった。訓練では戦車に空砲を何度も至近距離で射たれた事はあったが、やはり実射は衝撃波と音が全然違う。

主砲から弾が放たれる瞬間の火球、マズルフラッシュが膨らみ切る直後に戦車の辺りが一瞬だけ歪む。衝撃波だ。衝撃波は砲口を中心に膨らみ、砂煙を一気に巻き上げる。

射出された弾は光を発しながら遠くに設置されたてきめがけて飛んで行き、てきに弾着した瞬間、停弾堤ていだんていの土が煙と共に巻き上がった。

タバコに火を点けたものの、射撃に見入ってしまった武村は曹長が戻って来たので結局吸わないまま携帯灰皿に押し付けて消した。

「随分真剣に見てたな。そんなに珍しかったかい?」

畑岡射場を出ると、磯崎曹長が聞いてきた。

「珍しいと言うか、普段訓練で掘っている掩体えんたいとか、戦車の弾が飛んで来たら防げるのかなぁ?って思いながら見てました」

「掩体か。まず防げんな。弾着した瞬間に掩蓋えんがいごと吹っ飛ぶわ」

「マジっすか」

「あぁ。よしんば頑丈に作られていても、弾のエネルギーで弾着面が押されて土で押し殺されるだろうよ」

「ほぼ一日かけて作った掩体でも、戦車の弾では一瞬で……」

「安心しろ。そんな敵戦車が陣地内に入って来た時点で撤退命令が出ている、はずだから」

「てことは残留して戦う事もありえるんですね」

黒トーチカと呼ばれる広場を曲がり、再び砂利道に入る。

「次は…はく(迫撃砲)のとこに行くから」

「自分、はくの射撃見た事ありません」

「おぉ、そうか。じゃあ丁度いい機会だ。また私が出てる間に見学すると良い。120ぱくの射撃だそうだ」


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