「島を愛する人(前)」5

車で走ること約30分。



“カッフェ楠爺くすじい”という看板が飾られた二階建てのカフェに到着した。坂の上にあるそのカフェから振り返ると、建物の隙間からさっきまで居た海が見える。 所々に立ち並ぶ白い建物と、緑に色づく木々の間から見える海。それは昔映画で観た、ギリシャの町の風景によく似ている。



その風景に感動している傍らで美紀ちゃんは、看板を指差し相変わらず笑っていた。



「マジだー!マジでカッフェー!」



カフェの看板と扉は茶色の木で作られていて、外壁は白く比較的新しい建物に見える。



楠木マスターは笑顔で扉を開けてくれた。



「東京娘お二人さん、いらっしゃい」



開けられた扉の中からふわっとコーヒーの良い香りがする。

誘われる様に中に入ると、海外のアンティーク物を基調としている様な家具ばかりが目に付いた。そっとカウンター席に手を添え、楠木マスターに目を移す。



「ここにある家具達は、何処の国で造られた物ですか?」


「おお恵利ちゃん、あんた目が利くなぁ。ほとんどヨーロッパのアンティーク家具や」



小洒落た楠木マスターと同じ。歳はとっているけどお洒落で落ち着く、そんな店内。美紀ちゃんはきょろきょろしながら手当たり次第置いてある物を弄っている。



「楠爺、ヨーロッパになんて行ったことあんの?」



楠木マスターはカウンター席に腰掛け、煙草を取り出し火を付けた。



「そうや。昔は色んな国を旅しとったからなぁ」


「へぇ、恵利姉みたいじゃん」


「私は国内を転々としてるだけだよ」


「ほぉー恵利ちゃん、女やのにやるなぁ」



少し照れて顔を俯かせる。カウンター席に腰を下ろすと美紀ちゃんも隣に座った。

カウンターも木で出来ていて、何年も時を経たのであろう色合いに何処か哀愁さえ感じる。



「昔なぁ、俺が若い頃にイタリアで世話んなったカッフェがあってな。そこ真似て造ったんやぁ此処は。今じゃとおに無くなってもうてるけどな」


「若い頃ってさぁ、ぶっちゃけ楠爺いくつなの?」


「俺ぁ、今年で72やで」


「まじで!?恵利姉といい、まじ若く見える」



私も正直驚いた。背筋もピンとしていて背も高いし、何よりもとても元気だから70代にはとても見えない。



「72にしてはイケてるから、美紀がもっと早く生まれてたら付き合ってたかもねぇ」


「俺ぁ嫌やねー!おめぇみてーな派っ手な女ぁ」



美紀ちゃんはぷぅーっと頬を膨らませ、拗ねるような表情を作った。



「なんだとー、カッフェのくせにー!」


「わっはっは!」



二人とも今日会ったばかりだとは思えない。ずっと前からの知り合いみたいに仲が良い。



楠木マスターはカウンターの中に入り、そっと私達の前にコーヒーカップを置く。銜え煙草をしたまま、そのカップにコーヒーを注いでくれた。



「このくそ暑い時期に――。」



そう言う美紀ちゃんを体当たりで注意する。その様子を見た楠木マスターが笑顔になった。



「美味いコーヒーに、季節は関係ないんやで」



真っ白なカップに湯気立つ出来立てのコーヒー。良い香りに誘われ一口飲んだ。

砂糖も何も入れてないのに苦くなくて、それでいて香ばしくて不思議とまろやかな味。今まで飲んだ事のない味わいだった。美紀ちゃんも気に入ったみたいで、何度も口に運んでいる。



「うっま、楠爺すげぇ!」


「凄いですね、これはどうやって?」


「そらぁ、企業秘密やん」


「こんなちっけー店で、何が企業だよ」



楠木マスターは誇らしげに微笑み煙草を吹かしている。凄く優しい人なのに、居るだけで貫禄があった。それは重ねてきた歳のせいか、辿ってきた人生からなのか、どちらなのか気になる。



「美紀、この店に見覚えないか?」



美紀ちゃんはカップを置いて目を丸くする。



「此処は元はといや、松島の婆さんの店やったろ」



すると美紀ちゃんはカウンターに身を乗り出して、きょろきょろ店内を見回し始めた。そして、覚えていない事を表す様に首を傾げた。



「松島の婆さん、前は此処をレストランとして経営しとったんや。美紀がちっさい頃やと思うから覚えてへんか?それに俺がリフォームしてしもうたからなぁ。まぁどちらにせよ、松島の婆さんな、美紀に会いたがってたで」



それを聞いた美紀ちゃんは、落ち込む様にしょぼんと肩を落とす。



「だって知らなかったんだもん。バカ母親が、婆ちゃんの手紙全部隠してたから」



楠木マスターは二本目の煙草に火をつけた。



「バカ母親か」



ゆっくり煙を吐きながら、俯く美紀ちゃんを優しく見つめている。



「そのバカ母親のせえか?手首の傷痕は」



その言葉に美紀ちゃんが慌てて手首を押さえる。リストバンドをしているのに、手首の傷痕をいつの間に見ていたのだろうと、私も驚いた。



「松島の婆さんは、五年前にこの島で亡くなったんや。俺が旅から戻った時、一番世話してくれたんが松島の婆さんでな。そいで俺がこの店を引き取ったんや」



美紀ちゃんは顔を俯かせたままだった。触れる事の出来なかった、美紀ちゃんの手首の傷痕。だからこそ、なんて声を掛けようか迷った。

だけど楠木マスターは、気にしていない様子で美紀ちゃんを見つめる。



「美紀、顔あげぇ」



美紀ちゃんは目だけを上に向けた。

すると楠木マスターは、優しく微笑みながら言う。



「悟りとは平気で死ぬことではない。平気で生きていくことだ」



すると顔を上げ、楠木マスターをじっと見つめた。



「俳人、正岡子規まさおかしきの言葉や」



そして再び俯き目に涙を溜めている。誰も何も言わないまま、静かな時が流れた。

素敵な言葉を知っているんだなぁと考えていた時、ふと、彩が言っていた言葉を思い出す。



「あの、楠木マスター、明けゆく毎日を お前の最後の日と思え。という言葉を、知っていますか?」


「おお、モンテーニュの言葉やんな」



モンテーニュ、確かフランスの哲学者だった。前に本屋で目にした事がある。



「俺な、色々な本や詩集から良い言葉を書き写して覚えんのが趣味でなぁ。今度そのノート見せちゃるわ」


「是非見たいです」



楠木マスターは煙草を灰皿に押し付け、私達のカップに手を付けた。

そしてそれを、カーテンで隠された一室に持って行く。ちらっと見えた中は恐らくキッチン。そこから楠木マスターは、私達に向かって大きな声を出した。



「んでもってなぁ、美紀と恵利ちゃん!寝泊りは此処でしい?」



思わず美紀ちゃんと顔を見合わせた。 良いのかな、こんな見ず知らずの私達を。

そんな事を思っていると、楠木マスターが再びこちらに戻ってきた。



「その代わり、この店しっかり手伝えや」



そう言って微笑む楠木マスターの笑顔――

その顔を見ると、何故か心が温かくなる。



温かくて面白くて、そして全てを包み込む様な優しさと強さ。

それが楠木マスター。 私達が香川の旅で、最初に出逢った人だった。





                 ・・・・・


                  彩へ



私は今、香川県にある島に来ています。


此処に来る前にある女の子と出逢って、その子と一緒に来たの。

美紀ちゃんっていって、どことなく彩に似てるんだ。


出逢った頃の美紀ちゃんは身も心もぼろぼろで、自分を傷つけて苦しんでいる子だった。だけどこの島に来てからは、少しずつ変わってきてる気がする。


凄く濃い化粧をしていたのに、最近ではあまり化粧をしていなくて、表情も豊かで元気によく笑う19歳らしい女の子って感じになったんだよ。

島の人達ともすぐに仲良くなって、とても楽しそう。


それを見ていたら思ったの。

彩もきっと、此処に来たらすぐに馴染むだろうなって。


私達は今、とあるカフェで住み込みをさせて貰いながら働いています。


そのカフェの2階に部屋が3つあって、私と美紀ちゃんと、カフェの家主の楠木マスターという人と、3人で住んでいます。


楠木マスターは凄く親切で面白い人で、詩の言葉などを集めるのが趣味なんだ。

あとね、毎日カメラでこの島とお店の様子を撮るの。自分のホームページに毎日欠かさずそれを載せるんだって。


このお店には、楠木マスターの娘さんの咲さんと、その娘さんの6歳の息子さん晃君と、5人で働いてるんだ。


まぁ晃君は、看板娘というか、看板息子?の様な感じだけど。


お店には馴染みのお客さんが毎日来てくれる。

毎日同じお客さんだから、なんだか此処は学校みたい。


私ね、暫くこうして過ごしてみて心から思うの。

この島とこのお店、そして、この島の人達が大好き。


彩が前に言っていた通り、私にはこういう場所が合うみたい。

穏やかでのんびりとした島なの。 彩もきっと気に入ると思う。



一緒に居てくれたらどんなに良いだろうって、最近よく考えるんだ。





                 ・・・・・

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