「島を愛する人(前)」4

こうして私達は長い時間をかけ、やっと島へと辿り着いた。フェリーを降りて地に足を着けたのと同時に、美紀ちゃんは荷物を放り投げ大きく伸びをする。



「うわー、やっと着いたしー」


「長かったねぇ」



この旅一番、時間が掛かった。船を使ったのも初めて。

島を見渡してみると、人の気配があまりなく、潮の香りとかもめの鳴き声だけを感じた。目の前には、日に照らされ海がきらきらきらめいている。



美紀ちゃんに目を移すと、何かを探すようにかばんを漁っていた。取り出されたのは、ピンク色のヘアーゴムで縛られた複数の手紙。



「これね、二年くらい前に見つけたんだ。母親が隠してやがった」


「誰からの手紙?」



手紙の束を持った美紀ちゃんの手にぎゅっと力が込められる。

暫く沈黙のあと、落ち込むような声で言った。



「婆ちゃんから。母親が再婚する前の、美紀の本当の父親のお母さん」



その手紙は、もう何年も経っているのだろう。色が変色してしまっている。

ほこりを被りながら年月を経て、やっと美紀ちゃんの手に渡ったのだと物語っていた。



「父親が生きてた頃の母親は優しかった気がする。父親はね、美紀が小さい頃に病気で死んじゃったんだ」



化粧をしていないせいか、美紀ちゃんの顔は迷子になった子供みたいに見えた。



「婆ちゃんさ、美紀に会いたいってこの手紙で何回も言ってた。また遊びにおいでって」


「もしかして、お婆さんこの島に居るの?」


「この手紙もう何十年も前のだから、生きてないかもしんない。だけど婆ちゃんの住んでた所、一度で良いからまた来てみたかったんだ。美紀、昔来たらしいし」



だから美紀ちゃんは此処に来る事を望んでいたんだ。

そんな事情があるとは知らなかった。



何も言えずに一緒になって手紙を見つめる。会えるといいなって思った。

そうすれば、美紀ちゃんの荒んでしまった心も、お婆さんの愛で癒されるんじゃないかと思う。



「こんなにいっぱい書いてさ、そんなに美紀なんかに会いたかったのかな」



“美紀なんかに”

その言葉が悲しく胸に響いた。



親の愛情をろくに受けられず、何につけてもそう思って生きてきたのだろうと感じた。 思わず美紀ちゃんの手にそっと触れる。元気づけようと明るい声を出した。



「そこに書いてある住所に、行ってみようよ」



此処に来る途中、何も願ったことはないと言っていた。そんな美紀ちゃんが望んでいる事を叶えてあげたい。すると、上目遣いで私を見つめてくる。



「――でもさ、どうやって?」



うーんと唸ってそのまま黙り込んだ。辺りにタクシー乗り場やバス乗り場が見当たらない。まったくをもって此処の地理が分からないので、どう移動しようか頭を悩ませた。



「あそこの人に聞いてみっかなー」



美紀ちゃんの指差した方向に、三脚を立て写真を撮る背の高い男性が居た。

白色の短髪で、黒色のTシャツにベストを合わせ、すらっとした長い足にジーンズを履きこなしている。なんだか小洒落たお爺さんに見えた。



写真を撮ってるって事は、観光の人とかじゃないのかな?そう思い黙っていると、美紀ちゃんはその人のもとへ走って行ってしまう。



慌てて後を追った。



「あのぉ、ちょっと聞きたい事があんすけどー」


「ちょ、待ちぃ。今ええとこや」



その男性はレンズに食いついたままこちらを見る素振りがない。



「ねぇ美紀ちゃん、手紙の住所を見てもらったら?」


「うーん、分かるかな?」



そんな会話をしていたら、やっとこちらに顔を向ける。

丸い形のレンズの眼鏡を掛けていて、恐らく歳はとってはいるけどスマートな顔立ちだった。若い頃はもっと素敵だったんだろうなと想像させられる。



「おまえら、東京のやっちゃなぁ」


「おっさんさぁ、所ジョージに似てね」



美紀ちゃんは初対面とは思えない程の慣れ慣れしさでそう言い放つ。

だけどその男性が不快に思っている様子はなく、それ所か豪快に笑い出した。



「わっはっは!俺ぁ、あんなに車は持っちゃねぇな」


「あのさおっさん、この住所知らない?」



美紀ちゃんが手紙を見せると、その人は人差し指で眼鏡をくいっと上げまじまじと見つめ出した。 時折目を細めたり丸くしたりしていて、なんだか驚いている様にも見える。



「なんね?何でうちの住所書いとるん?」



思わず美紀ちゃんと目を合わせた。

その男性も不思議なものを見る様に、私達を交互に見ている。



「あの、この子のお婆さんが、住んでるみたいなんですけど」



美紀ちゃんを指差しそう告げると、その人は謎が解けた様な表情を見せた。



「ちゅー事はあれか?松島の婆さんとこの孫か?」


「美紀ちゃんの苗字って、何ていうの?」


「旧姓は、松島」



美紀ちゃんは驚いているのか理解していないのか、呆然と立ち尽くしている。

その男性は顔をくしゃっとさせ、心から嬉しいという様子で微笑んだ。



「やっぱりなぁ!小さい頃の写真、見せてもろうた事あるんやで」



着いてすぐに知っている人に会えるなんてと、少し感動をしてしまった。

だけどその男性は、笑顔から突然悲しい表情に変わる。



「せやけど、ちと遅かったなぁ」


「――死ん、だの?」



美紀ちゃんの問いに、その人は悲しげに微笑んだだけで何も答えなかった。

その様子を見て、もう亡くなってしまったんだなと察した。

美紀ちゃんは顔を俯かせ、束ねられた手紙をゆっくりかばんにしまう。



「あんたら、行く宛てあるんか?」



美紀ちゃんは俯いたままで何も答えない。

変わりにと、その人に向かって口を開いた。



「いいえ。何も考えずに、来たものですから」



これからどうしようかな。家に案内してもらっても、もう美紀ちゃんのお婆さんは居ないんだよね。だけど美紀ちゃんは行ってみたいかもしれない。

問い掛けたりせず、美紀ちゃんの言葉をただ待つ事にした。



その男性は私達の横で黙々と三脚を片し始める。

何も案が浮かばずに立ち尽くしていると、男性が私達を見ずに言った。



「ついてきーや」



そして三脚を担ぎ、すたすたと何処かへ向かい歩き出す。

私達は戸惑いつつも、言われるがままその人の後をついて歩いた。



少し歩いた先に、古ぼけた白のワゴンが一台停めてあった。男性はそのワゴンの前で鍵を取り出し、振り返って私達を見る。



「ほれ、はよ乗り」



その時美紀ちゃんがこそっと耳打ちをしてきた。こそっとと言っても仕草だけで、大きな声だった。



「美紀が言うのもなんだけどさ、こんな見知らぬおっさんについてって大丈夫かなー?」



絶対に聞こえたと思い恐る恐る男性に目を移す。

すると、にっと微笑んでから運転席を開けた。



「聞こえとるぞー。おまえ内緒話し下手くそやなぁ。そいになぁ、こないな小さい島でおまえら売ろうが殺そうが、何の得にもならへんやろ?」



その男性の言葉に美紀ちゃんがポンッと手を叩く。



「そっか、言われてみりゃそうだね!」



さっきの用心深さは何処へやらで、美紀ちゃんは何事もなかった様に後部座席の扉を開ける。



「わっはっは、東京の娘はアホやなぁ」



なんだか悪い人には思えない。

何の根拠もないけど、自分の直感を信じて私も車に乗り込んだ。



車内はむわっとしていて外よりも暑い。旅に出た頃の寒さを忘れる程の暑さだった。 思わず窓を開けてふーっと息を吐く。 美紀ちゃんは、相変わらずさっき会ったばかりとは思えない程の馴れ馴れしさで口を開いた。



「おっさんおっさん、何処行くの?」


「美紀ちゃん、年上の方には敬語を使わなきゃ」



背中を軽く叩いてそう注意すると、男性はまた豪快に笑い飛ばした。



「かまへんかまへん。んな事で怒る若さ残ってへんわ」



車が発進するのと同時に、側で煌く海から潮の香りがふわっと風に乗って届く。

その心地良さに浸る様に目を閉じて、息を吸い込んだ。



「二人は姉妹なんかいな?」


「美紀は恵利姉に拾われたの。まー、姉妹のよーなもんかな!」



そう言いながら私に笑顔を向ける。 本当に誰にでも人懐こい。美紀ちゃんの様な、彩の様な人懐こさは、私にとって凄く羨ましいと思える所。



「あの、私は笠井 恵利と申します。お名前を聞いてもいいですか?」


「俺は楠木くすのきっちゅーもんや」


「おっさんさぁ、もう歳なのに俺とか若くね」


「美紀ちゃん――。」


「わっはっは、東京の娘はおもろいなぁ!」



楠木さんは大きな声でよく笑い、外見よりもとても若々しい人だと感じた。

美紀ちゃんは後部座席から身を乗り出し、これまでにない笑顔で会話を楽しんでいる。どうやら楠木さんを気に入った様だった。



「ねぇねぇおっさん、あだ名とかあるー?」


「あるで。楠爺くすじいとか、楠木マスターなんてよう呼ばれよる」


「マスター?」


「小さいカッフェのマスターやっとるんや。凄いやろ」



すると美紀ちゃんが大きな声で笑い出した。



「カッフェて何だよ、カフェだよカフェー!」


「ええやん、カッフェで」



先程から通っている道は山道で、目立つお店が特にない。この島にもカフェがあるなんてにわかには信じがたい。



「カッフェ作るなんてナイスアイディアーやろ?なんでも東京じゃ、なんや?スッタバが流行っとるらしいやんか」


「キャハハ、マジやめて!ネタっしょそれー!」


「楠木マスター、スタバです」


「ええやん、スッタバで」



面白い人だなと思い、小さく微笑んだ。 美紀ちゃんは暫く横で笑い転げていて、それを見ていると一緒に可笑しくなってくる。



「いちいち小っせー“っ”入れんの、まじつぼった」



この島に初めて来て、こんなに面白い人に会えて、それでいて美紀ちゃんのお婆さんの知り合いなんて―― なんだか今回の旅は、幸先が良い気がする。



「お店の名前は、何ていうんですか?」


「スッタバやとパクリやからな、カッフェ楠爺くすじいや」



美紀ちゃんは再び吹いて笑い出す。



「マジ?店の名前に小っさい“っ”入れちゃった!?マジかー!」



さっきから楽しそうに笑っていてホッとする。



東京でぼろぼろになって横たわっていた美紀ちゃん――。

あなたが笑っていると安心する。まるで隣で、彩が笑ってくれているみたいで。

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