「島を愛する人(前)」1

「美紀ちゃん、って言うの?」



その子は私を見ずに、顔を俯かせたままこくんと頷く。

痛々しいその手首から目が離せないでいた。躊躇ためらった傷が無数にある。

それを見ていたら、何も考えずに気付けば声に出していた。



「私と一緒に、暖かい所へ行く?」



言い終えてから驚いた。

美紀ちゃんも同じだったようで、顔を上げ目を丸くしている。



こんな行き先のない旅に他人を誘うなんて思ってもみなかった。

だけど放っておけない理由が、私にはある。



「変な人だと思うかもしれないけど、この間までは大阪に居てね、その前は秋田に居たの。色々な所を転々としてるんだ」



そう言う私を真っ直ぐに見つめたまま、目を離さない。

崩れたアイラインの目元、その中に見える瞳はまだ何も知らない子供の様に澄んでいた。飾られた睫毛がそっと下を向いた時、それに合わせて表情を曇らせる。



「――変な人間なら、腐るほど見てきた」



そして何かを決意するように、再び顔を上げた。



「お願い、連れてって」



震えながら呟いたその声は今にも泣き出しそうだった。

それを宥める様に笑顔を作って微笑んだ。



「ちょっと待っててね。チケット買って来る」



チケット売り場に目を移すと、三田さんが心配そうに私達の様子を眺めている。

私と目が合ったのが分かると、こっちに向って手を大きく振り出した。

小走りして三田さんのもとへ戻ると、身を乗り出して詰めってくる。



「あの子大丈夫でしたか?」


「はい――。」


「そうですか。なら良かった。それで、あの、笠井さんはまた何処かへ行かれるのでしょうか?」


「はい。えっと、夜行バスで沖縄までは、行けないですよね?」



常識知らずな質問にも、三田さんは変わらずに丁寧に笑顔で答えてくれた。



「申し訳ありませんが、夜行バスでは無理ですね。行けたら良いのですが」


「そう、ですよね。やっぱり四国にしようかなぁ」


「ねぇ!」



驚いて振り返えると、いつの間にか美紀ちゃんがすぐ後ろに居た。



「四国なら美紀、香川に行きたい。行きたい所があるんだよね」


「何処?」



すると美紀ちゃんは、俯きがちにぼそっと呟く。



「――小豆島しょうどしま



やり取りを聞いていた三田さんが、パソコンを操作しながら話し出した。



小豆島しょうどしまだと、まずは高松行きのバスに乗って、高松からフェリーに乗れば行けますが――。」



そう言いながらチラチラ私達を交互に見る。

その顔は、その子を連れて行くんですか?とでも語っている様だった。

驚くのも無理はない。今知り合ったばかりの子を連れて行くなんて、頭が可笑しいと思われたかもしれない。そんな心配をしていると、美紀ちゃんは気にもせずおどける様にベッと舌を出した。



「もしかして美紀、ちょづいた系?」


「ちょづいた?って?」



一体何処の方言だろうと頭を悩ませる。

それに対し、さらっと当たり前の様に言われた。



「調子乗った?って意味だけど」



その時やっと気付いた。もしかしてこれは、若者語?

若者語が理解出来ない自分に少し落ち込んだ。

歳を取ったという事をお知らせされた様な気になったから。

此処で落ち込んでいても仕方がない。気を取り直して三田さんに視線を戻した。



「じゃあ、その高松行きを二枚お願いします」



赤の他人の私にお願いするほどだから、何か特別な理由があるのかもしれない。

そう思って、一緒に香川に行くことを決意した。



三田さんは目を泳がせ、分かり易く慌て出す。



「か、笠井さん、ご一緒に行かれるのですか?」


「あ、はい」



美紀ちゃんは私達の様子を気にも留めず、大喜びで腕を掴んできた。



「マジ!?あざぁす!」


「私も実は四国に用があって、この子も行きたいみたいなので、どうせならその、一緒にと思って――。」



用なんてない。咄嗟とっさに繕った些細な嘘にも、なんだか罪悪感を抱きドキドキした。 三田さんはそれ以上何も聞いてこず、いつもの可愛らしい笑みに戻った。



「そうなんですね。あ、夜行バスだとまだお時間ありますが大丈夫ですか?」


「はい」


「では、ドリーム高松号二枚をお取りしますね」



財布を出して支払おうとすると、突然美紀ちゃんが大笑いし出した。



「ドリーム高松号ってうける!お笑い芸人で居そうじゃねぇー!?」



その様子を苦笑いで見つめる。なんだか若いパワーを感じて、これから二人で大丈夫か不安になった。 一抹の不安を抱える中、それを吹き飛ばすような柔らかい笑みで三田さんは言う。



「笠井さん、良かったら今までの旅の思い出をいつか、聞かせてくれませんか?」



少し垂れた愛らしい目が真っ直ぐに向けられる。

見とれてしまったのと驚きで、何も言葉が出なかった。

こんな行き当たりばったりの話を聞かせられないという思いもある。



「何故か惹かれるんです、笠井さんに」



目を丸くさせて何て答えようかモゴモゴしていると、三田さんは「あ」という顔を見せた。そして少し顔を赤らめる。



「えっと、変な意味ではないんです。純粋にお話を聞いてみたいだけなんです」



申し訳なさそうに俯くその姿を見ていたら、なんだか微笑ましくなった。

忙しい人が多い中で、こんなふらふらと旅に出る人なんて滅多に居ないのかもしれない。だから三田さんにとって私は、物珍しい存在に違いない。そう考えて笑顔で答えた。



「こんな私の話で良ければ」



すると顔を上げ、嬉しそうな笑みを作ってチケットを差し出してくれた。



「ありがとうございます。笠井さん、良い旅を」


「いってきます」



チケットと一緒に受け取った三田さんの笑顔。それを見て、やっぱり三田さんに見送って貰うのが心地良いと感じた。チケットを手にし振り返ると、美紀ちゃんが難しい顔をして携帯電話を弄っている。



さっきまではしゃいでいたのにどうかしたのかな?と見つめていると、はっとした顔をしてから私に目を移した。



「ごめっ、えっと、出発まで時間あるんだよね?美紀マクりたい」



捲くりたいって、一体何を? 何も言わずに考えていたら、美紀ちゃんは呆れた顔で都会の中心を指差した。



「そこのマック!行かない?」



見慣れた“M”の看板が目に付く。それでやっと言葉を理解できた。

もとから世間についていってないけど、私やっぱり小母おばさん化しちゃったのかもしれない。 落ち込みながら美紀ちゃんの後ろをついて歩いた。



昨日沢山お酒を飲んだから、胃がむかむかする。ジャンクフードという気分ではないので、飲み物だけを注文した。 美紀ちゃんはお腹が空いていたのか、セットと単品にアップルパイなど沢山注文していた。



私達は二階にあるカウンター席に並んで座る。目の前には横に長い窓が広がっていた。窓の外は、多くの人が慌しく足を進めている。ぼーっと眺めていると、むしゃむしゃ食べ物を頬張りながら美紀ちゃんが問い掛けてきた。



「ねぇ、名前なんての?」


「あ、言ってなかったね。笠井 恵利です」


「どこ高?」



一瞬頭の中が真っ白になった。そんなこと聞かれるなんて思ってもみなかったから。 美紀ちゃんはすました顔でハンバーガーを一口食べる。み出たケチャップを指で拭い、固まる私なんてお構いなくで話し続けた。



「頭良いとこっしょ?あんた地味地味だもんなー、金も持ってそぉだしぃー」



驚きすぎて否定するタイミングを逃してしまった。



そんなに幼く見えてるのかな?確かに今まで出逢った人たち全員、私の年齢を聞いて驚いていた。だけどまさか十代に思われてるなんて、全然嬉しくない。子供だって言われてる気がして悲しい。 意を決して美紀ちゃんの言葉を遮った。



「あの、美紀ちゃん、私もう28歳なの」



ぴたっと美紀ちゃんが黙り込み、長い沈黙の時が流れた。

店内で流れる音楽に談笑する人達の声、それらがクリアーによく聞こえてくる。

暫くしてから、美紀ちゃんが大声を上げた。



「えええー!?」



突然の発狂に、周囲の人達が一斉に振り返る。周りの視線を一気に集めてしまった。 人差し指を口に当て、慌てて“シー”という合図を送る。

だけど美紀ちゃんの興奮は治まらない様子だった。



「詐欺だべ詐欺!なんでそんなに垢抜けねーの!?」



垢抜けてなくて詐欺。こんな年下の子にそんな言われ方をするなんて思わなかった。 注意する気力もなくし、ため息交じりに肩を落とした。



「マジ信じらんなーい、美紀より年下だと思ってたしー!」


「え、美紀ちゃんいくつ?制服着てるって事は、高校生だよね?」


「高校は去年卒業したし」


「え、どういうこと?」


JKじぇーけーって言った方が儲かんの」



当たり前の様にそう言って飲み物を口に運んだ。私の頭の中は“JKって何?”という状態。今までの流れからか美紀ちゃんがそれを読み取った。



「あ、ちなみに女子高生って意味ね」



少し恥かしい気持ちになりながらも、さっきの発言が気になりだした。



「儲かる―― って?」


「援交」



心臓がドキッと強く音を立てる。



「それって、いつからしてるの?」


「15からだけど」



この子って――



「嫌じゃない?」


「別に。皆やってっし」



この子って本当に、学生の頃の彩みたい。

そう思うと少しずつ悲しい気持ちになっていった。



「私の時代にも援助交際はあったけど、全く興味なかったな」


「周りでやってる奴居なかった?」


「あ、うん。妹が」


「ふぅん。聞いたときって、姉貴としてはどう思うもんなの?」



その時の感情を思い返した。 怒りと悲しみが混ざり合った様な感情。

そして、何も出来ない自分の不甲斐なさ。



「――嫌だったな。怒っちゃったし」



美紀ちゃんはハンバーガーが入っていた袋をくしゃっと雑に丸める。

そして冷めた目で呟いた。



「援交したら怒る家族も居るんだね」


「それが普通だよ。親が知ったら怒るし、凄く悲しむと思うよ?」



美紀ちゃんの表情が瞬時に曇る。聞いてはいけない何かに触れた気がした。

その後何事もなかった様にポテトに手を伸ばし、冷めた目で作業の様に黙々と食べ始める。



「うちの家族いかれてっからさ」



そう言うと、怒ったり悲しむ様子なく、日常会話の様にさらっと話し始めた。



「父親は本当の親じゃねーから関係ないと思うし、母親はむしろ風俗で働いてもっと稼げとか言ってるし。美紀を金稼ぐ道具としか思ってないと思うよ」



そんな現実があるのかと耳を疑う。驚いてしまって何も言えなかった。



彩が援助交際をしたと聞いた時、両親が生きていたらきっと凄く悲しむ。怒るに違いない。それが家族だからと、当たり前のようにそう思っていた。その当たり前が壊され、話を聞き入れるのに時間が掛かった。黙り込んでいると、美紀ちゃんがふと私に目を移す。



恵利姉えりねえんとこは?」


「恵利、姉?」


「うん、一応年上だから」




『おねえ




脳裏に過ぎるのは、私を呼ぶ彩の声。

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