「島を愛する人(前)」2
「なんだか響きがちょっと懐かしいな。妹がね、私をお姉って呼んでたから」
その響きはどの位ぶりだろう。
美紀ちゃんと一緒に居ると、彩を思い出さずにはいられなくなる。
美紀ちゃんはストローを
「妹は今、何処に住んでんの?」
「――もう、居ないの。死んじゃったから」
美紀ちゃんの動きがピタッと止まる。今までは、自ら彩の事を語ろうと思った事がなかった。だけど美紀ちゃんには無性に伝えたくなった。
「私には妹しか居なかったから、今となっては家族が一人も居ないの。だから何処に居ても同じ。私が居なくなっても、心配する人が居ない。だからね、行く宛てなく旅に出てるんだ」
なんとなく美紀ちゃんには知っていて欲しかった。
私には家族が居ないこと、大切な妹が居たことを。
美紀ちゃんはじっと私を見つめた後、にかっと曇りのない笑顔を見せた。
「美紀と一緒だね」
「え?」
「恵利姉と出逢ったのは、そういう事だったのか」
初めて見たその笑顔は、正に十代の女の子という感じだった。
冷めた瞳で都会を見る女の子ではなく、年相応の純粋な少女。
本当は心が綺麗な子なのではないかと、その笑顔がそう思わせる。
「傷を舐めあう仲間と出逢ったって事だよ。ぶっちゃけ美紀は男が良かったんだけどぉ」
思わず微笑み返した。
少しだけ、美紀ちゃんとの間の距離が縮まった様な気がしたから。
「ねぇ、バス来るまで時間あるからさぁ、オケる?」
「――ごめんね、どういう意味?」
「カラオケ!」
なる程と納得し、視線を上に向け何度か頷く。やっぱり若者の言葉って苦手かも。それに付随してカラオケも苦手。なので、他を提案しようとした。
「私、歌は苦手だか――」
「はい決定!行くよーん」
美紀ちゃんは勢い良く席を立ち、腕を強引に引っ張ってくる。 昨日から色んな人に引っ張り回されてばかりだと気付き、やるせない気持ちになった。
歩いて数分の場所にカラオケボックスがあった。
美紀ちゃんはこの街に詳しいのか、探す様子なくすんなりお店に入っていく。
店員さんに促され入った一室は、小さな箱部屋で煙草の残り香がした。薄汚れて落書きだらけの壁に都会らしさを感じる。
「美紀ちゃん私、歌わないで聞いてていいかな?」
「ラジャリー」
カラオケが久しぶりすぎてきょろきょろ見回していると、曲を選ぶ機械を弄りながら美紀ちゃんは、耳を疑う様な発言を口にした。
「美紀初めてバージン失くしたのって、カラオケボックスなんだよねー」
突然の告白に戸惑ってしまう。だけど美紀ちゃんの様子は告白という雰囲気ではなく、普通に交わされる日常会話の様にさらっとしていた。
「15ん時さ、義父が酔って暴れてうるせーから家出てフラフラしてたんだー。そしたら、おっさんがカラオケだけで5万くれるから付き合えって声掛けて来たの。15からしたら5万てヤベーじゃん!あん時、男の下心とかよく分かんなかったから、まんまとついてったってなわけ」
そう言いながらマイクの音を調整している。あまりにも普通に話すその様子に、違和感を覚えずにはいられなかった。
「んでさぁ、暫くしてからおっさんが襲ってきた。15のガキが中年おっさんの力に勝てる訳もなく、あっちゅー間に美紀のバージンはロストしましたーってな感じ」
疑う事を知らなかった無垢な美紀ちゃんを想像し、聞きながら胸を痛ませた。
こんな汚い場所で知らない大人に襲われて、どんなに怖かったのだろう。
なのに、どうしてこんなにも普通に話すのかが理解出来ない。
悲しくて涙が出そうだった。
「美紀の耳元ですぐ良くなるからって言ったおっさんの声、思い出すと今でもまじキモイ」
「辛く、なかったの?」
「辛かったよ。すんげぇ痛かったし、これはいつになったら終わるんだ?この地獄からいつになったら出られるんだ?って。だけどおっさんが昇天っつー名の天に
そう言って美紀ちゃんは手を叩いて笑う。
私には、こんな悲しい話の何処が可笑しいのか全く分からなかった。
「5万手に入れてさぁ、うわぁ美紀って5万なんだぁって。一人の人間を値段で表す事が出来るんだなって思った。泣きながら家に帰ったら、母親になんて言われたと思う?」
聞けば聞くほど落ち込んでいく。
美紀ちゃんに向かって、何も言わずにただ首を横に振った。
「男んとこだろって。もうやったのかって聞いてきやがった。そんで、早くその男に処女失くしてもらって稼げるようになれって」
「え?」
耳を疑ってしまい、思わず睨む様な目つきになってしまう。
「父親の酒代がばかにならねーって。ったくさぁ、美紀の体はろくでなしのおっさんの酒代かっての。今美紀は涙流してんのに、見えねぇのかよこの腐れ母親って思った」
言葉を失くしてしまった。 聞いているだけで辛く息苦しくなったくらい。
その苦しさを少しでも和らげようと、深くため息を吐いた。
美紀ちゃんは変わらず、なんて事ない様子で話し続ける。
「毎日毎日母親が泣き叫んでうるせぇから、美紀はそれから援交して金あげてやったんだ。金あげれば、あの腐れ母親が泣き止むからさ」
幼い頃に両親を亡くしてしまったけど、もしも生きていたらきっと、何処にでもあるような普通の生活を送れると思ってた。だけど美紀ちゃんの話を聞いていると、何が普通の家族なのかも分からなくなってくる。この世には、想像も絶するような酷い親が存在する。その事実に酷く失望してしまった。
「美紀ちゃん―― その話を、誰かにしたことある?」
「うん、友達に」
「何て言われた?」
「何人かは可哀想って。親なんてそんなもんだって言ってた。美紀より可哀想な奴らだって居たし」
“親なんてそんなもん”
今の話が、そんな一言で片付けられるなんて――。
「美紀ちゃんよりも酷い親に育てられた子が居るの?」
「うん。腐ってんだ、この世の中」
そう言った美紀ちゃんの瞳が冷めた様に陰りを見せる。
美紀ちゃんみたいな子が沢山居るとしたら、この世の中は一体どうなってしまうのだろう?そんな風にさえ思う。
「まぁーいいべ、歌おっと」
色々と考え込んでしまい、つらつら歌詞が流れる画面をただ無意味にじっと見つめ続けた。
『お姉ってさぁ、東京って感じしないよね』
『なにそれ、どうせ私は子供くさいですよ』
『いや、なんつうか、東京合わないって感じ?』
『どういうこと?』
『汚れを知らないね。昔の時代の東京なら合うかも』
『古臭いってこと?』
『違うよー、何て言ったらいいか分からないけど、慎みたいな人間はまさに東京って感じ?』
『ああ、それは分かる』
『それか田舎のヤンキーみたいな。あ!ねぇ、今度三人でさ、ど田舎とか行ってみたくない?』
『ど田舎?』
『そう、村みたいな?そしたらぜってーお姉馴染むと思うなー。逆に彩と慎は浮きまくりかも!』
『コンビニは何処だのカラオケは何処だの言い出しそうだね。それにしても突然どうしたの?』
『今日ね、本屋でチラッと立ち読みしたのに良い言葉が書いてあったんだぁ』
『どんな?』
『明けゆく毎日をお前の最後の日だと思え』
『素敵な言葉だね』
『彩疲れてんのかな?それ見たらさ、東京だけじゃなくって色々な所に行ってみたいなーって思ったの』
『例えば何処?』
『うーん、分かんないけど、さっき言った村みたいな感じの所とかさ、自分の知らない町や人に沢山出逢ってみたくない?それは国内でも海外でも、何処でも良いんだけど』
『だけどそれって、結構な勇気と決断が要るよね』
『何言ってんのぉー、彩とお姉が一緒に居れば失くすものなんて他に無いじゃーん。ま、慎を連れて行かなかったら超うるさそーだけど』
『そうだね』
『いつか一緒に旅に出たいね。今日が最後の日だと思ってさ――。』
――
―――
誰かに体を揺すられゆっくり目を開けた。
美紀ちゃんの顔がどアップで視界に入り、驚いて飛び起きる。
「おっ、起きたし。てかぁ恵利姉、人がオケってる時に寝るなっつのー」
いつ寝てしまったのか覚えてない。今週のカラオケランキングと書かれた画面をぼーっと見ていると、美紀ちゃんが携帯電話の画面を見せてきた。
「あのさ、そろそろ行かないとヤバくね?」
頭があまり働かず、最初は何を言っているのか分からなかった。
少し経ってから、表示されている時間を思わず二度見する。
「え!?あと5分しかない。行かないと!」
側にあった荷物を掻き集め、無造作に抱えた。
「え――。 恵利姉、ちょっと待ってよー!」
もたもた支度する美紀ちゃんを強引に引っ張りこの場をあとにした。
そして、なんとかギリギリで夜行バスに乗り込んだ。 一番最後に乗り込む私達を、先に居たお客さん達が冷ややかな目で見ている気がする。ぺこぺこ何度も頭を下げながら、指定された席についた。
美紀ちゃんは隣でぜぇはぁ言いながら呼吸を荒くしている。
「恵利姉、自分は寝といて勝手すぎっべぇ。久々に走ってまじダルビッシュだしー」
そう言ってスカートをぱたぱた仰がせながら足を広げた。
それを見て、咄嗟にその手を押さえつけた。
「足広げないの。パンツ見えちゃうでしょ」
「ああ、いいのいいの。ノープロ」
「何ノープロって、駄目!」
備え付けられてある毛布を膝の上に掛けてあげると、抵抗して剥ぎ取ろうとする。
「ノープロブレムってことぉー!あっちぃってぇー」
「駄目。言う事聞かないと、連れて行かないんだから」
その言葉でやっと大人しくなる。そして、子供みたいに口を尖らせた。
「減るもんじゃないのにー」
「減るの」
美紀ちゃんは渋々といった感じで、掛けられた毛布を正した。
ふと、美紀ちゃんの着ている制服を見つめる。所々薄汚れていてぼろぼろになった服。どうしてこんな事になったのだろう? 駅で眠っていた美紀ちゃん、その前に一体何があったのか気になった。
「ねぇ美紀ちゃん、どうしてあんな所で寝てたの?」
「あー、なんか金になるっつー仕事紹介されてさ、行ったらなんとAVの仕事でね」
美紀ちゃんは気にする様子なく笑いながら言う。
「なんか知らねーとこ車で連れてかれてさ、信号で停車した時に慌てて脱走したんだぁ。地面でごろごろ転がってぇ、美紀、アクションスターいけっかもって感じ?」
そして褒めてくれと言わんばかりの、誇らしげな顔を見せる。
なんて危ない事をしてるのだろう。一歩間違えば大怪我をする事になる。
そう思い、口を開けて呆れた表情を返した。
「そんな事したら、危ないでしょ?」
「逃げない方がヤベェし!そっから夢中で走って大道路に出てぇ、なけなしの金でタクシー拾って駅まで戻って来たの。だけどもう終電なくってさぁ、仕方ねーからあそこで寝てたってなわけ」
「友達とかに電話して、助けに来て貰うことは出来なかったの?」
すると美紀ちゃんは露骨に嫌な顔をする。
そして、ジャケットから無造作に携帯電話を取り出し何やら操作し出した。
「信じてた友達に彼氏取られた。ほら見てよ、誘ってきたのは向こうだからだって、謝りもしねーし」
そう言ってメール画面を見せてくる。それを見て、考えずにはいられなかった。
さっきから美紀ちゃんが話す人達は、よくない人ばかり。そんな人達に囲まれる様な悪い子ではない気がする。 何とか正しい道に戻してあげたいと思った。
美紀ちゃんは爪を弄りながら、なんてことないような素振りで言う。
「別に良いんだけど。たいした男じゃなかったし、友達なんてもう信用しないし」
「ねぇ美紀ちゃん、これからは援助交際の事とか、初めての相手の事とか、そういう事を人に話したら駄目だよ」
すると顔を上げ、目を丸くして見つめてきた。
「何で――。」
「あまりそういう事を簡単に人に話しちゃ駄目。それと、援助交際はもう二度としないでね」
あんな風にまるでネタの様に話すなんて、美紀ちゃんという人が軽く思われてしまう気がする。そういう所がきっかけでよくない人達が集まってくるのかもしれない。 美紀ちゃんは暫く私を見つめた後、何も答えず窓の外に目を移した。
何となくだけど、こういう事を人に言われた事がないのだろうなと思った。
思わず説教臭くなってしまうのは、美紀ちゃんを放っておく事が出来ないから。
美紀ちゃんと彩を、重ね合わせているのかもしれない。
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