「崖っぷち」4

「 DEARあなたへ


ただ歩いているだけで

泣きそうになる


あの遥か彼方に

あなたは居るの?


あなたが歌っていた

懐かしいメロディを私に


みんなが時を進める中

私は時を求めてる


そしてあの頃の色を

あなたの色を探している


あなたという色を失って

だけどモノクロの

この世界を生きていかないと


手を伸ばせば掴めるかな

一緒に居た日々を


声が枯れるまで歌ったって

声を失わない


ずっと立ち止まったままでも

未来はやって来る


顔を上げて

あの色とメロディーを私に


私に



DEARあなたへ


憧れていた物を

この手にしても


思い出せないあのフレーズ


あなたが居なければ

完成しないあの曲は


何度夜が明けようと

陽の目を浴びることのない幻


空っぽで意味がなくたって

世界は回っている


あなたが聴かせてくれた  

あの愛を


あなたが届けてくれた

心の安らぎを


あなたがくれたあの歌を


どれか一つでいい

何度も夢に見るよ


もう一度あの歌を

分かち合えたなら

 

願い事はもうなくなるね 


誰かは大切な人を裏切る

誰かは自分しか見えてない

誰かは人の命を奪う 

 

何も響かない届かない

何も         



DEARあなたへ  


あなたが歌っていた

懐かしいメロディを私に


DEARあなたへ


手を伸ばせば掴めるかな

一緒に居た日々を


DEARあなたへ


何も響かない


顔を上げて


思い出せないあのフレーズ


あなたが聴かせてくれた

あの愛の歌を 」




胸がいっぱいになって、呆然と立ち尽くしていた。

歌い終わった梨香さんの手が微かに震えている。その手をぐっと握り、表情を変えずに立ち上がった。そしてゆっくり、お客さんに向かってお辞儀をした。

さっきまでブーイングを送っていた人達が、あっけにとられたかの様な顔を見せている。 梨香さんは顔を上げ、足早に舞台袖へとはけていった。



プロとして事務所に所属していただけある。ピアノの腕も歌唱力も、今まで此処で歌っていた人達の中で群を抜いていた。 売れなかったのが不思議なくらい。



放心状態で誰も居ないステージを見つめていると、時間差で拍手喝采が沸き起こった。ライブハウスが振動を起しそうな程の数だった。



勇作くんの目には涙が溜まっている。

それをぐっと拭ってから、無理に笑顔を作った。



「あー、久々に聴いた」



頭の中では未だに、聴いたばかりのメロディーが流れている。

あの歌には、思い出を背負って生きていく辛さが詰まっている気がする。 彩を思い出さずにはいられなかった。



「この歌はさ、梨香が大切な人を想って出来た曲なんだ」



勇作くんの言葉にこくんと頷く。



「そっか」



だから私も、思い出したんだ。



「俺にとっても、大切な人だったんだ」



その真実に驚き、顔を上げ勇作君を見つめた。



「俺さ、梨香と同じ事務所で歌手してたって言った事あったろ?ダンっていうオーストラリア人の親友と、二人で歌ってたんだ」



私は全くテレビを観ない。テレビどころかメディアには疎くて、勇作君がどのくらい活躍していたのかは分からない。だけど酔っ払ってたまに口ずさむ勇作君の歌声は、とても綺麗なものだった。



「留学した頃に出逢って二人で歌う様になった。まぁまぁ売れてきた時に―― あいつ、事故で死んだんだ」



その人が、梨香さんの大切な人ってことになる。

何も言葉が出ないまま、じっと勇作君の言葉に耳を傾けた。



「ダンは仕事仲間で大切な親友だった。あいつさ、本当、あっという間に死んじまった」



聞いているのが辛くて話す顔を見られない。俯きながら痛む胸を押えた。



「ダンが死んでから梨香は歌わなくなった。だから今日はさ、本当、良いもん聴けた」



今もなお、拍手喝采で包まれるライブハウス。だけどその裏で、梨香さんが泣いている様な気がした。







その後、ライブハウスを閉めて帰ろうとした頃、梨香さんはひょっこり現れた。

皆は気を利かせてか、歌については触れずに“また明日”と言って散っていく。

帰り道、何も話さない梨香さんの後ろを黙って一緒に歩いた。

そして家に着くなり――。



「もう寝る」



そう言ってすぐに部屋に閉じ篭ってしまう。 何も聞かないほうが良いだろうなと思い、寝る支度をして、いつも通り手紙を書き出した。

手紙を書いて数分のこと。



「なあ」



気付くと後ろに梨香さんが立っていて驚いた。



「お、起きてたの?」


「その手紙さ―― いつも誰に書いてんだ?」



寒そうに体を揺らしながら私の隣に座り出す。



「答えたくなきゃ良いけど、なんか気になってさ」



梨香さんは赤の他人だけど、一緒に生活する中で徐々に心を開きだしていた。

そんな思いもあって、正直に答えることにした。



「大切だった人に書いてるの。届かない、けどね――。」


「ん?」


「住所ね、もう無いと思う。家を引き払ったばかりだから」



おかしな事をしてると思う。こんなおかしな事、人になんて話せないと思っていた。だけど梨香さんなら、分かってくれる様な気がした。



「じゃあ、手紙全部戻って来てるのか?」


「ううん。こっちの住所書いてないから、きっと処分されてるね」



すると梨香さんは、ふっと優しい笑みを見せる。



「迷惑な奴だな。何でそんな事してんだ?」



いつもだったら、何も答える事が出来なくて黙ってしまう。

だけど今日は何故か、全てを話してしまいたい気分だった。



「気持ちが、少し楽になる。届かなくても届くかもしれないなって、あり得もしない期待が、今の私の支えなの」



梨香さんは黙って何かを考え込んでしまう。

私は再び目線を落とし、何事もなかったように手紙を書き進めた。

少し経ってから、梨香さんが肩を揺すってきて便箋を催促してきた。



「私も書いてみっかなー」



そして隣で一緒になって手紙を書き出す。

きっと、ダンさんにだと思った。



「梨香さん、何処に出すの?」


「オーストラリア」



そう言って手帳を開き、封筒に住所を書き出す。

まるでラブレターでも書いたかの様に、優しい表情をしていた。



「家はまだ、あるの?」


「んー、知んね」



いつも通りあっけらかんとして笑う梨香さんに、ホッとして心が安らいだ。

それから私達は、届かない手紙を一緒に書いた。

この時間がとても好きだった。





                 ・・・・・



                  彩へ



こっちに来て、もう二ヶ月が経った。

彩を失った心の傷は癒えないけど、それなりに不自由なく生活を送っています。

それは今、隣で一緒に手紙を書いている梨香さんのお陰だと思う。


不思議だね。知り合って日が浅いのに、一緒に居ると凄く落ち着く。

もしかしてこれは、初めて出来た友達なのかも。

暗くて大人しい私と一緒に居てくれた人は、彩以外誰も居なかったから。


今考えると、十代の頃は友達も作らず恋もせず何をしていたのかな。

勉強だけだったのかも。 十代は青春の時期というけど、私にとって十代は、何もなく一瞬で終わっちゃったな。


彩が居てくれなければ、話し相手さえも居なかったと思う。

あ、慎は例外よ。あの子は腐れ縁だから。


梨香さんのこと、彩に紹介したかったな




                  ・・・・・




外は今にも雪が降りそうなほど寒い。木は身包みを剥がされたように、茶色一色の細い姿になっていた。 気付けばもうすぐ今年が終わろうとしている。

そんなある日のこと。



テーブルに置いた携帯電話が震え出した。それをちらっと覗き込んで心の中で呟く。



ああ、また慎だ。



家を出てから毎日着信があった。

このままじゃ一生掛かってくる様な気がして、渋々通話ボタンを押す。



「もし、もし」


「あああ!」



返って来たあまりの大声に、思わず電話を遠ざけた。



「やっと出たー!」



うるさい――。

このデカイ声と高いテンションが、虫の居所を悪くさせる。



「おまえ今何処に居んの?何やってんの?何で電話出ねーの?」



質問攻めにウンザリした。 何で慎ってなだけで、こうも苛々するのかは分からない。普段はあまり苛々する事なんてないけど、慎はきっと、人を苛つかせる才能があるんだと思う。



「――答えるの嫌」


「嫌っておまえ」


「もう切って良い?とにかく、生きてはいます」


「おい、恵利っ――。」



――ブチ、ピー(電源OFF)



よしっと気を取り直した所で、買い物に行っていた梨香さんが大きな荷物を持って帰ってきた。



「ただまー!何か今、一人で喋ってなかったか?」


「あ、ちょっと腐れ縁の人がね、しつこく電話してきてたんだけど――。」


「へえー!恵利にそんな奴が居たとは意外だな」



そう言って笑い飛ばす様子を見て、そんな奴ってどんな奴?関係性が表せないほどの間柄なんだけどと思い、思わず顰め顔を作ってしまう。



「自分が消えても心配する奴はいねぇって言ってただろ。けど居んじゃん?心配してくれる奴」


「え」



慎が心配してるわけがない。あの子は根っからのチャラ男で、本当に中身が空っぽだから。絶対に暇つぶしにかけてきてるだけ。



「そういう奴は、大事にしろよ」


「あの子は私が居なくても人生やっていけるし、複雑な関係なの。そもそも、普通なら絶対に接点ないタイプで――。」



すると梨香さんは、ストップと言った感じで顔の前で手を広げた。



「はいはい、わーかったよ。夕飯作るぞ」



もう、勘違いされたら本当に嫌。

モヤモヤする。



複雑な気持ちを抱きながらも二人でカレーを作っていた時、突然玄関から扉を強く叩く音が響き渡った。その大きな音に驚いて思わず体が飛び上がった。

梨香さんはというと、包丁片手に玄関に向かって睨みをきかせている。



「何だよ、誰だ?こんな乱暴な客は」


「新聞の勧誘かな?」



怯える私とは真逆で、梨香さんは堂々とした様子で扉に向かって叫んだ。



「はーい、どちらさん!?」


「俺だ、俺!」



逃げ腰だった私は、その声を聞いてホッと肩を落とした。

梨香さんも表情を柔らかくし、扉に手を掛ける。



「なあーんだよ、勇作かよ」


「り、梨香っ――。」



勇作君は急いで来たのか、肩で息をしながら梨香さんを見つめていた。

何かあったのかと心配な気持ちになる。

いつも落ち着いている勇作君が、いつになく慌てている様子だったから。



「梨香おまえさ、オーストラリアに手紙書いた?」



梨香さんの表情が瞬時に強張った。

勇作君は続けて、握ってある手紙を掲げる。



「店にエアメールが。オーストラリアから。しかもこの住所って、何で――。」



梨香さんは目を大きく開き、素早くその手紙を奪い取る。

そしてトイレに閉じ篭ってしまった。

その様子を見てぽろっと言ってしまった。



「返事が、返って来た」



呆然としていた勇作君は、我に返ったように玄関の扉を閉め中に入ってくる。



「どういうこと?」


「内容はよく知らないけど、時々一緒に書いてたの。梨香さんはきっと、ダンさんに」


「だけど、ダンが死んでもうすぐ一年経つ。家はもう、ないはずなんだけど」


「返事が来たってことは、ダンさんの実家に宛てて書いたんじゃないかな」


「いや、あの住所はダンがオーストラリアに持ってた自分の家だ。もう無いはずなんだ」



ということは、梨香さんは私と同じで、届かない手紙を書いていたということになる。だとしたら一体、誰が返事を?



頭の中が整理出来ず、真っ白になる。ふと脳裏を過ぎったのは、有り得ないことだった。



「死んだ恋人から、返事が?」



そんな事が起こり得るはずがない。だけどそれ以上何も思いつかなかった。

勇作君と二人、しばらく沈黙の時が流れる。 傍からみると沈黙の状態だけど、私達の頭の中では、色んな考えが飛び交っていたに違いない。



そんな中、トイレの扉がゆっくり開き、俯きがちに梨香さんが出てきた。

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