行雲流水
深山なつ
プロローグ
目が覚めると、トンネルのなかにいた。
正確にはトンネルのなかのバスのなか、だけれど、この状況が不自然なことに変わりはない。バスはすでに止まっている。バス停というものはトンネルのなかにもあるものなのだろうか。詳しくは知らないのでわからないが、少なくともこの路線にはなかったはずだ。
腕時計をみると、時計の短針は八と九のまんなかを指していた。まわりにはだれもいない。いつもならこの時間には、会社帰りのサラリーマンやOLのお姉さんたちが何人か乗っている。ううん、どこか不自然だ。これ以上おかしな点を発見するのが怖くなり、ぼくはうつむいた。
とりあえずスマートフォンを取り出し、SNSにアクセスをする。いつもと何ひとつ変わらないトップ画面。タイムラインには友人のどうでもいい近況がぞろぞろと並べられている。よかった。いつもどおりくだらない。どんどん変わっていく街のなかでとりのこされた駄菓子屋をみつけたときのような安堵感につつまれた。ぼくも一応つぶやいておく。トンネルなう、と。
一人暮らしだから親が心配するということもないし、自分としては家のなかにできるだけいたくないからべつに、いつまでもここにいたってかまわない。だけれど。バスというものはどこかの会社とか団体が運営していて、それぞれ決まったところへ帰るものではなかったか。このバスは帰らないのだろうか?
ここで僕は、ひとつのことに気が付く。――否、気づいてはいたのだが目を逸らしていた。バスはひとりでは走れなくて、それを運転するヒトがいる。ということは、運転席にだれかいるかもしれないということだ。荷物を座席におき、ゆっくりと移動する。いちばんうしろの席からいちばんまえの席へ。もしだれもいなかったら、ぼくの心は絶望で埋めつくされてしまうだろう。ああ、見たいような見たくないような。二十メートルもなさそうな距離を一歩一歩、踏みしめた。あと一歩でその席がみえる。――そのとき、ぼくの足は小さな段差につまずいた。
「……!」
ころぶことを避けようとして出した右足が滑り、支払い装置に頭を強打する。すごく痛い。どうして自分はこういう大事なときにこうなるのだろうか。視界にうすく膜がはる。ぼくがぶつけた頭を押さえ、痛みにもだえていると、右からなにやら音がきこえてきた。あたまをゆっくりと持ち上げ、その方向へ向けると――、
「……ご乗車ありがとうございます」
そいつは言った。
「すいませんお客様、このバスが規定のルートを走る予定はありません。しかしどうしても、このバスから降り、自分の家に帰りたいとおっしゃるならば――」
左手には青いドライバー、右手にはカメラのレンズがついている装置。
「――ここで殺さざるを得なくなりますが。どうします?」
彼はその装置を置くと立ち上がり、痛むぼくの足を踏みつけ、ドライバーをつかんだままの右手を、ぼくの首へ移動させた。首筋に、つめたい金属の感触が伝わる。
「降車ボタンを、押しますか?」
彼はぼくにささやいた。
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