第100話 団欒

新しい朝が来て、一家団欒の中で食事をとる。最高にみじめな朝だった。妻は笑顔で茶碗にご飯を盛り、子供たちは寝ぼけているのか、眼をこすりながら席についた。罪悪感で吐きそうだった。こんなこと、あるはずない。なぜなら妻も、この子たちも、昨日私が殺したはずなのだから。


旅行へ行こう、といって、数日前に妻へ切り出した。ぎこちなかっただろうか、不自然ではなかっただろうかと自問しながら、無理やり絞り出すようにして声にした。妻は嬉しそうに頷いた。スーツケースへ荷物を詰めた。遺書はまだ、鍵をかけたまま机の引き出しに入っている。子供たちが楽しそうにはしゃいでいた。娘がクマのぬいぐるみを大事そうに荷物に入れるのを見た。彼女が今よりもっと小さかったころ、私がプレゼントしたものだった。昨日、少し早めの夕食を食べた後に私たちは出発した。車でしばらく走ると、薬が効いてきたのか妻たちは静かに寝息を立てている。夕日はすでに沈んで、空には少し星が出ていた。窓を開けて走ると、夜風が気持ちよかった。時折すれ違う対向車のライトがまぶしくて、私は目を細める。車は海沿いの、人気のない道路を走っている。堤防よりずっと高い場所にこの道はあったので、どんよりと紫色に濁った海がこちらまで押し寄せているように見えた。舗装された道路が、かろうじてそれらを受け止める波打ち際のように感じられる。見晴らしの良い直線に差し掛かり、私はアクセルを踏み込んだ。あらかじめ決めてあった場所。ここで、私は死ぬ。車のエンジンは唸りを上げて速度を増す。遠くにカーブが見える。急速に近くなる。私はそれに突っ込む。激しい衝撃が私を襲った。車はガードレールを突き破り、海へと落ちた。エアバッグが作動し、視界を埋める。割れたフロントガラスと空けていた窓から水が押し寄せる。その冷たさ。口の中に血の味がして、まだ生きていることを実感する。死にたくない。思わず私はシートベルトを外して、窓から飛び出していた。自分がしたことに気付いて戻ろうとしたが、手を伸ばしてみても、車は暗くなった海に溶けてしまって、もうどこにも見当たらなかったのだった。


私は海に浮かんでいた。空は先ほどより星が増えて、透き通るような夜だった。私は嗚咽し、海の冷たさを感じていると、自分が心中に失敗してしまったのだという実感が湧き上がってきた。そのまま漂ってたどり着いた岸辺に上がり、大切なものを失ってしまったことよりも、自分がいまだにみっともなく生にしがみつこうとしたことを激しく後悔した。そうしてずぶ濡れのまま、未練がましく海を見つめていた。潮風と波の音が、私を責めるように辺りを埋め尽くしていた。

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