天国発見

katatsumuri

第1話  雷雲

陸軍機キ-45改戊がタキ2号電探(レーダー)を装備したのは射撃制御用で遠方の敵機を索敵するものではなかった、したがって探知距離は3㎞がせいぜいで索敵性能は肉眼のほうがましなくらいだった。しかし、前方を大きく阻む積乱雲に視界を阻まれ現在新次郎が頼れるものは低性能のこの電探のスコープのみであった。しかしその奥に見る映像は理解しがたい反応であった。いくら制空権の無いに等しい状況にしろ、白昼本土上空10000mに1000機の敵機は存在しない、大きな島ぐらいもありそうな反応を見せている。いつもの作動不良だが作動不良もここまで来ると度を越している。舌打ちをして新次郎はスコープから目を離した。

陸軍に限らず日本製の電探は真空管等の品質不良が原因で稼働してもその性能は低く、そしてまた作動不良は非常に多くて索敵においてはまだまだ実験段階の補助手段でしかなく米軍には大きく後れを取っていた。米軍はP51ムスタングのような小型機にもすでに後部警戒レーダーが装着されているのにも関わらずだ。これは技術の差もあることながら あらゆる物資が不足し精密機械の製造には限界があるのが主な要因だ。いわば国力の差と言ってしまえばそれまでなのだが。

目の前の積乱雲はまるで生き物のように変化し、物凄いスピードで膨張してゆく。双胴で鈍重なこの大型の戦闘機というよりは襲撃機といった呼称がすんなりくるこの屠竜とよばれる機体は今暴風雨に翻弄され続け、失速寸前である。新次郎は操縦かんをしっかり握ってはいるが視界は完全に0で計器飛行しようにも機体が揺れに揺れて計器が読み取れない。ひょっとして機体は背面飛行しているのかもしれないが判断がつかない。バリバリっと雷鳴と閃光が始終機体を包む。新次郎は機体への落雷は経験が無いが今度はほとんど観念した。頭の中をチラッとラバウル前線基地での熱帯特有のスコールを思い出した。あの頃はこの程度のスコールは毎日のようだった。


1941年の12月に始まった日米間の戦争は序盤を除き日本軍は劣勢が続いた。そんな中パプアニューギニアのニューブリテン島ガゼル半島東側にあるラバウルは激戦の連続であった。海軍航空隊だけでなく途中陸軍航空隊も加わり総力戦の様相を呈してきた。機材の補充もままならない状態で陸軍海軍ともに善戦したが劣勢を挽回するには及ばずもっとも日本が避けなければならない消耗戦に引きずり込まれていった。

新次郎も隼の搭乗員として当地へ進出するももはやこの地の戦闘の勝敗は歴然としていた。毎日生きているのが不思議なくらいで戦闘で死亡する者ももちろんだが陸軍の歩兵の消耗は激しかった。

栄養状態以前の話で戦闘どころではなかった。蛇やネズミまで食べて生きてゆくのがやっとの状態である。優遇されている航空食を食べている新次郎は気の毒で歩兵たちの顔をまともに見ることはできなかった。

敵の弾痕を隠すパッチだらけの隼の胴体はもはや平時ならとっくに廃機になっている機体を整備兵の渾身の整備で奇跡のように毎日羽ばたいていた。とにかく皆この地を守るという事より早く決着がつけばいいと思っていた。決着が意味することは皆それぞれ違ったがとにかくそれだけは皆の実感であった。

来る日も来る日もバケツをひっくり返したようなスコールを見つめながら新次郎はその時間だけが自分が生きている気がした。新次郎にとってスコールは生きている証になっていった。蒸し暑い南方の地でこの一時は涼を感じさせる一瞬であり、明日はこの一時を味わえるかどうかは全くわからないのである。

新次郎のこの地での戦闘は不意に終わる、ある朝司令より呼び出されトラック島への転任を命令され、その朝の内に雲上の人となった。内心ほっとしたがトラック島への移動が搭乗員の間では空飛ぶ棺桶といわれる海軍の一式陸攻での移動とわかるとうなだれた。

日本軍機に共通したことだが防弾処理が甘く、数回の被弾で発火してしまう、充分な援護があれば戦力になるのだろうが現在はそういう事を望むことはできない、思った通り単機での飛行の予定であった。それだけでなく一式陸攻は海軍の航空機である。海軍の機に陸軍の兵が乗るのは極めて異例で、というか新次郎は今まで聞いたことがなかった。たまたま便があったからとは思うがやはり時節がひっ迫してのことだろう。隼での移動を希望したいがそんなわがままが言える状況でないことは理解していた。

幸い敵機の攻撃も受けずにその日の内にトラック島に到着し、ほっとして荷をほどく間もなく矢継ぎ早に今度は本土防衛のための士官候補生教育係として同じ日に転任の辞令を受けた。思わぬ僥倖に新次郎は信じられなかった。しかも今度は100式司令部偵察機での飛行予定である。ある意味今の時点で一番生還の可能性が高い機ともいえる。100式司令部偵察機は名前の通り偵察機なので危険地帯の偵察からの生還を考え高速設計になっている。その分敵戦闘機からの攻撃も避けられようよいうものだ。

新次郎はようやく生気が体に戻るのが自身で感じられるようになった。そして、1週間後には埼玉県所沢の陸軍航空士官学校分校の教官となった。実家のある広島とは離れていて、なおかつ転任の日程が厳しいため母親の待つ実家には戻れなかったが、年老いた母親は手紙で帰還の喜びを紙面いっぱいに伝えてきた。

新次郎はしばらく教官としての任務につくが今までの血で血を洗う戦闘からのあまりの日常の変化に体より精神のほうがとまどってしまったがそれもしばらくして慣れた。生徒は皆少尉候補生ばかりであり、実践経験など皆無である。その中で新次郎の戦歴は輝いており皆の尊敬の的であった。

そんな中、またもや辞令が交付されこんどは第11師管への転属となった、第11師管は実家のある広島であり新次郎は喜んだが矢継ぎ早の辞令交付は戦線のひっ迫を物語っており喜んでばかりもいられなかった。辞令は即日即時交付でその日の午後に100式司令部偵察機で移動した、郷里に帰ったのはうれしかったが連絡する暇もなくまたもや母との面会はかなわなかった。その日の内に司令に呼び出され少佐への昇格の辞令と奇妙な任務を言い渡された。その奇妙な任務とは新型の電探の試験及びに現存機の保全命令である。現存機の保全命令?つまり最近特に激しくなってきた敵の空襲から陸軍機の退避飛行である。早く言えば米軍の空襲がきたら陸軍機を離陸させせっせと疎開地方面へ逃げ隠れして空襲が終わったころに基地に帰還せよとの任務だ、新型電探の試験はとってつけた付随任務でプライドの高い操縦士に対する申し訳程度の任務感を持ってもらる為のものだ。さすがに新次郎もこの任務を聞いたときは肩を落とした、司令も申し訳なさそうに目で謝っていた。

しかし逆に考えればこれほど生存可能性の高い任務はない、特攻同然の海軍の昼間雷撃や、あろうことか特攻そのものに参加する者達から比べれば申し訳ないほど恵まれている。やりがいこそ皆無だが、、、


新次郎は今機体が逆さに反転してるかどうかも判断つかない状況で懸命に機の操作をしていたが、失速は免れず落下傘の操作を確認したほうがよさそうだった。一部

落下傘の装着をせず飛び武勇を誇張する搭乗員がいるにはいたが、新次郎は意味の無い危険な行為とそのような話をする搭乗員に冷淡だった。しかし今はその自分の考えは間違ってないことが実感された。

双発の戦闘機に軽便な運動性能は無い、屠竜もそれにもれず運動性は悪く防火性能の堅牢なB29迎撃のために高射砲さながら40mm砲を強引に乗せるための実験機だった。高度を稼ぐための重量軽減を実施、旋回銃も降ろされた。しかし単座戦闘機と比べるとかなり大型機の為失速の危険は大きく、いったん失速してしまうと回復はまず無理である。翼面積が大きい為積乱雲の暴風雨の影響をもろに受けてしまう、あまり役に立たない電探の機首アンテナもこんな時には風の影響を増幅してしまい

余計に機を不安定にしてしまう。

機体の振動が極端に高まり、新次郎は機が失速以前に空中分解がま近いことを察知した。キャノビーを開けると物凄い大音響が機内に侵入して頭が麻痺する。意識のあるうちに脱出しようと揺れる機内の中から半身を起こした。瞬間目も眩むような

雷鳴がとどろき機体が真っ白に光る。すわ落雷したかと観念したが今のところ機体とわが身は生きている。操縦席に頭を強打して出血したらしく流れる血が目に入まわりが一瞬見えなくなったが操縦席に吹き込む雨が洗ってくれて視界はすぐに回復する。機が動転してるためか痛みは全く感じない。。

次の瞬間全身が何か堅いものに叩きつけられるものを感じ、新次郎の意識はそこで途絶えた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る