竜の愛でる花

紫焔

宝物だと思ったモノ

第1話

 紺のローブを着た男は、幌の着いた一頭立ての馬車を御者台から操りながら笑う。

「ざまぁみろだ!」

 狂ったように笑いながら、男は自身の額に触れる。

 指先に走るぴりりとした痛みの様な痺れに眉を潜め、男はすぐに不機嫌な表情を浮かべた。

「くそっ! こいつで金を作ったら、この呪印を解呪できる奴を探すか」

 呟きながら、男はもう一度額に触れる。

 この男の額には、毒々しい赤で文様が描かれていた。

 文様の意味は、破門だ。

 男は、異世界から来た稀代の魔術師の弟子のひとりであった。

 この世界の魔術師とは違う魔術形態に魅せられ、弟子入りし、才を研磨していた。

 師である魔術師は、正しく稀代の魔術師であった。

 この世界の魔術と彼の世界の魔術を融合させ、新たな魔術の流派を作り発展させた。

 それもこれも、稀代の魔術師が己の世界に帰還する為の物であった。

 世界を渡り、己の世界に帰るための研究。

 稀代の魔術師は一人娘と妻に会いたいがために、ひたすら打ち込んでいた。

 だがしかし、彼には寿命が足りなかったのだ。

 研究は完成される事なく、流派は弟子の一人に継承される事となった。

 しかし継承者は、男ではなかった。

 一番最後に入ったというのに、師である魔術師と同等の魔力と知性を持った少年が継承者として指名されたのだ。

 少年の才能に、己は遠く及ばない。

 それを知っていたが故に、どうにかして流派から追い出そうと苛めていた男。

 だがそれは師の知る所となり、流派を破門された上に魔術その物を封じられてしまったのだ。

 魔術を使おうとすれば頭を締め付けるような強烈な痛みに襲われ、魔術構築をする為のトランス状態には入れない。

 今の男は、ただの軟弱で非力な男でしかなかった。

 この事に猛烈な憤りを覚えた男は、師や後継者の少年、そして自分の追放に同意した他の弟子たちに対して復讐をすることを心に決めた。

 無論、彼自身の力でやれる事はたかが知れている。

 だがしかし、自身の力でできる効果的な復讐があるのを知っていたのだ。

 稀代の魔術師は高価な魔宝石を使って家族に似せた人形を作っては、育まれた自我が気に入らないと壊していた。

 そして男を破門する直前に娘に似せた人形を、作り上げていた。

 作り上げてすぐ目覚めさせていた筈なのだが、師はその“娘”を目覚めさせる事なく師がもつ知識を全て植え付け封印していた。

 後継者を補佐する為の人形として作ったのだと、師は言っていた。それ故、人形が無ければあの流派の者達は困るのだ。

 人形とは言うが殆ど人間と同じで、食事をとれば排泄もする。温もりもあり、傷つけば血を流す人間に限りなく近い存在だ。

 後継者の補佐になるとは言ったものの、師としては“娘”を気に入った後継者に嫁がせたかったのだと男は思った。

 だから後継者の少年から“娘”を取り上げ、師の知識を持つ人形を下賤な奴隷商に売り渡し、貶めてやる事にしたのだ。

 幼げではあるが整い、美しいと表現しても間違いない面立ちを持つ人形。

 師の技術を凝縮させた人形であるがゆえに強靭で、滅多な事では壊れない存在。

 しかし、幼い自我では直ぐに精神を崩壊させるだろう。

 そうなれば、数多ある知識など何の役にも立たない。

 下種な趣味を持つ男たちによって“娘”が汚され、壊れる事で男はようやく溜飲が下がるのだ。

 男は奴隷商人との待ち合わせ場所に馬を走らせながら、荷台を見る。

 白木でできた棺が鎮座しているのを確認し、また笑いの衝動が湧き上がってくる。

 だがそれを押し殺し、男は前を見る。

 そこで、彼は前方に大きな幌馬車があるのが見えた。

 三頭立ての立派な幌馬車が止まっている所は、待ち合わせ場所だ。

 目印が燦然と輝いているその場所に、速度を緩め馬車を止める。

「遅刻だぞ」

「仕方ねぇだろ、こいつを盗み出すのに時間がかかったんだ」

 馬車から出てきた身なりの良い男、奴隷商人に男は若干うるさそうに答える。

 御者台から降り、荷台の板を外してポケットから小さな魔宝石を取り出す。

 それを地面に落とし、キーワードを唱える。

 魔宝石が土を纏い、ゴーレムへと変化し男の前に跪く。

 それに満足げに頷きながら、男は告げる。

「その棺を降ろせ」

 男の言葉に従い、ゴーレムは棺を軽々と降ろして地面に置く。

 棺を見た商人は胡乱とした表情を浮かべ、舌打ちする。

「おい、どういう事だ。こんな安物の棺を、オレに売りつけるつもりか?」

 不機嫌その物な声音に、男は僅かに嗤う。

「魔力がある魔術師を連れて来ておいた方が良い、そう言ったはずだぜ」

「連れてきてはいるが……骨折り損だったな。こんな白木の棺、二束三文にしかならん」

「あんたじゃ、こいつの価値が分かんねぇから魔術師を連れて来いって言ったんだよ。いるんだろ?」

 男の台詞に商人は不快気に眉を潜め、舌打ちをしながら馬車の後ろに声をかける。

 呼ばれた事に気が付いたらしい薄汚れてはいるが紺のローブを着た魔術師と、剣を腰に差した戦士に弓矢を背負ったレンジャーが歩いてくる。

 若干面倒くさげな男達であったが、魔術師は棺に目を止めて息を飲んだ。

手を震わせ、ふらふらと棺に近寄ってくる。

「おいおい、どうしたんだ?」

 仲間の一人であろう戦士の問いかけに、魔術師は感嘆の溜息を吐く。

「いや、素晴らしい物を見せてもらった」

 心底そう思っているであろう声音と表情で、魔術師は言う。

 そんな彼の様子に眉を潜め、レンジャーは肩を竦める。

「お前の言う素晴らしいものは、どこにあんだよ」

 仲間の問いかけに、魔術師は苦笑し商人を見る。

 商人もまた、魔術師の様子に訝しげな表情を浮かべている。

 それに気が付いた魔術師は、手にしている杖を掲げ呪文を唱える。

 魔術が完成すると同時に、棺を見ていた者達は息を飲んだ。

 ただの白木の棺であったそれが、美しく精緻な細工をされたものへと変わっていた。

 しかも、木の材質までも変わっていたのだ。

 霊木と呼ばれる木の中でも最高級であろう精霊樹と呼ばれる木でできた、美しく輝く木材へと変化していたのだ。

 棺を補強する為の金具は、全てミスリルでできている。

 あまりにも美しい棺に、商人は無意識にこの棺の価値を計算し始める。男はそれを見てにやりと笑いながら、口を開く。

「この棺は、魔力のない者にはただの棺に見える魔術がかかっている。今はそこの 魔術師の魔術で見えているが、一定時間後には先ほどの棺に戻るぜ」

「どうすれば、他の人間にも真の姿が見えるようにすればいい?」

「この魔術を解呪すりゃいい。おれでも、そこの魔術師でも無理だがあんたの伝手があるならできるはずだ」

 男の言葉に、むっと唸る商人。

 男の師は稀代の魔術師とこの世界でも言われるほど、素晴らしい腕を持っていた。その彼の掛けた魔術を解呪するなど、相当なお金を積まなくてはならない。

 だが、それをしても惜しくないほど目の前の棺は美しく、価値があると商人は素早く計算する。

「中身も、しっかりと入ってるんだろうな?」

「勿論だ。機動前のまっさらな、処女が入ってるぜ」

 男はにたりと嗤い、商人に告げる。

 商人はその言葉に男と同種の笑みを浮かべ、頷く。

「では、確認の為に棺を開けてもらうぞ」

「今のおれじゃ、棺を開けられん。あんたが連れてきた護衛に開けてもらう方が確実だぜ」

 男が肩を竦めていうと仕方ないと商人は舌打ちし、魔術師に目くばせをする。

 それを受けた魔術師は頷き、杖を掲げ呪文を唱えようとした瞬間に硬直する。

空を見つめているはずのその目は、夕焼けに染まりつつある空の一点を見つめていた。

「? おい」

 唐突に動きを止めた魔術師の姿に、商人が声をかける。

 同じように剣士が魔術師の肩を叩くと同時に、影が差す。

 木々の陰ではなく、空から舞い降りてくる巨大な物体の影だ。

 馬車に繋がれた馬はいななき、怯え、その場から逃げようとする。だが、どちらの馬車の馬も逃げないようにと近くの木に手綱を結ばれている為、身動きが取れない。

 悲痛ないななきを上げる馬はもがき、口から泡を吹いている。

 その間にも影は大きくなり、物凄い威圧感を感じその場にいる全員は空を見上げ眼を限界まで見開く。

 空から降りてくるのは美しい白金の角を持ち、青く輝く黒い鱗を持つ世界最強の生物であった。

 緑の眼を真っ直ぐに棺に向け、大きな翼を広げた竜はふわりと地面に足を付ける。

 物凄い巨体をかがめ、興味深そうに棺を一心に見つめている。

 それを見た男も商人も、護衛達も、あの棺が竜が気に入るほどの財宝なのだと直ぐに悟った。

 商人はその事にごくりと喉を鳴らし、緊張で渇いたのどを潤そうと必死だ。

 目の前にいる竜は、誰がどう見ても知性あると言われている竜の中でも更に力を持つ、古代竜であろうと推測できるほど美しく威圧感がある。

 竜は本能で財宝を集め、巣を豊かにすると言われている。

 亜種の竜ですら宝石を貯めこんでいる事があるので、ほぼ常識といってもいい。

だがしかし、知性ある竜は決して人の手では倒せない。

 亜種までは何とかなるが、倒すまでの犠牲が尋常ではないのだ。

 無論、その分竜の素材となれば超高額で取引をされる。

 商人にとって、目の前にあるのは生きた宝の山に見えてしまうのだ。

 だがしかし、どう転んでも今の状態では生きて帰るのが難しい。なので、商人は機転を利かせて生き残らなくてはならないのだ。

 最高なのは、竜に棺を諦めてもらうか代わりになるようなモノを頂けるかのどちらかだ。

 どうやって竜を丸め込むかを考えながら、男は掠れた声で呼びかける。

「竜のお方、よろしいでしょうか?」

 商人がそう呼びかけると、竜は煩わしそうに緑の眼を商人に向ける。

 そして、竜はそのまま周囲の人間を一通り睥睨して目を細める。

『下種な人間だな、てめぇら』

 流暢な人語で竜は言い、ぎろりと睨み付ける。

 唐突な言葉に反論しようとした商人は、濃厚な殺気に息すらできず喘ぐように口を開く。

 護衛達ですら、その場にへなへなとくずおれるしかできない。

『ここにいる誰も彼も心根が腐り果て、恨みすら心地よく感じているような奴らだ。俺がここで処断しちまっても、問題ねぇだろ』

 さらりと死刑宣言をし、竜はすうっと息を吸う。

 男はとっさに背中を向け、逃げ出そうとしたが遅かった。

 背後から放たれたブレスにまともに当たった男は、物凄い熱さを感じたと同時に意識が途切れた。

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