第73話 そして、神の階梯へ


 赤神は、自身の胸に刺さる封神剣を呆然とした表情で見下ろした。

 胸に刺さってはいるものの、そこに痛みはない。そして、夥しい出血に逆流するかのように、胸に刺さった封神剣は徐々に赤神の身体の中へと入り込んでくる。

 そしてその封神剣を中心にして、見る見るうちに自身の力──神気が減少していくのを彼ははっきりと自覚した。

「貴様……一体どうやって……この封神剣は、確かに先程破壊したはず……」

「小僧。貴様が破壊したのは封神剣ではないのだ」

 レグナムと赤神の決着が着いたことで、それまでじっと観戦していただけだったカミィが、ゆっくりと二人の元へ歩み寄る。

 そして赤神のすぐ傍まで来ると、つっとその黄金の瞳を動かした。

 それに釣られて、赤神も視線を動かす。いや、この場にいるレグナムとカミィを覗いた全員が、そちらを向いた。

 そこには。

 刀身が半ばで断ち切られた、一振りの小剣ショートソードが地面に転がっていた。

「あ、あれは……あの小剣は……」

 思わずそう零したのは、オルティア王国の近衛騎士であるカムリ・グラシアだった。

 彼はその小剣に見覚えたあった。彼が初めてそれを目にしたのは、《剣鬼》と呼ばれる傭兵と一番最初に刃を交えた時のこと。

 後に、その小剣が青神が祝福を与えた聖剣であったと知ったが、今では特別な力を全て失い、単なる業物の小剣に過ぎないその剣。

 それはかつて《剣鬼》がその師匠より譲られた、以前に青神の「神の息吹」を宿していた小剣に間違いなかった。

「相変わらず貴様は真っ直ぐな奴なのだ。少しは他者を疑うことを覚えるべきだな。特にレグナムのように、他者の心の隙を突くのが上手い奴を相手にする時には、な」

「おいおい。それだとオレが他人を騙してばかりいる、詐欺師みたいに聞こえるじゃねえか?」

 それまでカミィと赤神のやり取りを、黙って聞いていたレグナムが口を挟んだ。

 彼は今、それまでの戦いの疲労のため、地面に座り込んで荒い息を吐いていた。

「似たようなものなのだ。貴様の先程の戦い方は詐欺みたいなものだっただろう?」

 にっこりと微笑みながらそう言うカミィに、レグナムはただ苦笑を浮かべる。

 実際、レグナムが赤神との戦いに勝利したその勝因は、カミィの言うように詐欺のようなものだった。

 先程、一旦二振りの聖剣を鞘へと納めた時。それは赤神を挑発する目的もあったが、実際は切り札である小剣をすり替えるのが目的であった。

 不朽剣は、元々レグナムが愛用していた長剣ロングソードに、カミィが祝福を与えたものだ。そのため鞘もレグナムの腰に存在していた。

 だが、封神剣の方には鞘がない。封神剣は今日までずっとカミィの体内にあり、その強大な神気を封じ続けていたのだ。

 だからレグナムは封神剣を腰の後ろに隠すようにたばさみ、次の機会にかつて青の聖剣だった小剣を抜いた。不朽剣ではなく聖剣だった小剣をまず抜いたのは、その形状から赤神に誤解させるためだ。

 青の聖剣だった小剣と、封神剣の意匠は当然ながら異なる。そのため、少し注意して見れば、すぐに違いは分かるだろう。

 そのため、レグナムは赤神に小剣を注視させる隙を与えなかった。

 赤神に肉薄し、至近距離からの小剣の一撃。赤神は懐に潜り込んだレグナムが繰り出したのが小剣だったため、その小剣が自分にとって最も効果のある封神剣であると勘違いしたのだ。

 まさかあの状況で、力を弱めているとはいえ神である赤神に全く効果のないただの小剣を用いるとは、誰だって思いもしないだろう。

 そしてレグナムの企み通り、赤神はかつて聖剣だった小剣を破壊した。

 自分にとって最も脅威である封神剣を破壊したことで、赤神の心にほんの僅かだが生まれた隙。

 その隙を生じさせるために、レグナムは剣が破壊されたことで放心する演技までしたのだ。

 確かに赤神も、純白の始創神が造った聖剣が簡単に壊れたことは疑問だった。だが、その時のレグナムの呆然とした表情と隙だらけの状態を見て、思わず追撃を行ってしまった。

 まさにそれこそが、レグナムの狙いであるとは思いもせずに。

 次に襲いかかってきた頭上からの一撃を半ば受け損ね、体勢を崩して赤神に背中を晒すことになったが、それもまたレグナムの筋書き通り。

 背中を見せた状態から赤神へと振り向いた際、レグナムは腰にたばさんでおいた本物の封神剣を再び抜き、間近まで迫っていた赤神に振り向きざまに投擲したのだ。

 この投擲のために、レグナムは先程の一撃をあえて利き腕ではない左腕で保持した不朽剣で受けた。

 左腕では赤神の一撃を防ぎ切れないことも、体勢が崩れることも、そしてカミィが加護を与えた不朽剣が絶対に折れないことも、全て考えに入れた上で。

 レグナムは封神剣を赤神の身体に当てることに成功したのだった。




「これを詐欺と言わずになんと言えというのだ?」

 赤神だけではなく、その場にいる一同にもレグナムの取った手段を解説したカミィは、とても楽しそうに最後に一言そう付け加えた。

「……確かにあのボンクラぁ、昔から騙し討ちとかは得意だったっけなぁ。疲れたように見せかけるとか、死んだフリとか……そういった演技もまた妙に上手かったから、何度か騙されそうになったモンだぜ」

 弟子の過去の諸行を思い出しながら、剣聖がしみじみと語る。

「……ンだよ? 自分より強い相手に勝つためには、何だって利用して相手の意表を突けって教えてくれたのは師匠だろ?」

「確かにそうだがよぉ? それで実際に神まで騙しちまうなんざぁ、誰にでもできることじゃねぇだろ? ま、人を騙すことに関しちゃ、てめぇは儂以上だってことだぁな」

 くっくっくっくと喉の奥で笑うをヴァンガード。だが、その表情にはどこか晴れやかなものが垣間見えている。やはり、愛弟子の成長ぶりが嬉しいのだろう。

 実際彼女の愛弟子は、例えその力を極限まで弱めていたとしても、仮にも剣神と呼ばれる存在に勝利したのだから。

 レグナムとヴァンガードの楽しそうなやり取りを眺めつつ、カミィは地面に両手を着いている赤神へと振り返った。

「慢心したな。自分ならばどんな奇策を用いようとも、真っ正面から撃破できる……貴様のことだから、大方そんな考えだったのだろう?」

「……御方……」

 自分の心を見透かされ、赤神は力なくその顔を上げた。

 今や封神剣は完全に彼の身体に潜り込み、その力を果てしなく低下させている。今の赤神の神気は、レグナムと出会った時の目覚めたばかりのカミィよりも低いだろう。

「なあ、カミィ。これから……どうするつもりなんだ?」

 カミィと赤神の会話が聞こえたからか、レグナムはカミィの傍まで来ると、力なく地面に四肢を着いた状態の赤神を見下ろした。

「貴様はどうしたいのだ?」

 カミィはレグナムへと振り返る。その表情は、それまでとは違ってとても硬い。

「貴様にしてみれば……こやつは憎んでも憎みきれない存在なのだろう? なんせ一度は完全にこやつに殺され……二度目も死ぬ寸前だったのだからな」

 確かにレグナムにしてみれば、赤神は憎むべき敵だ。

 レグナム自身は覚えていないものの、かつては赤神の魂送剣で斬られたことで、彼の魂は何百年も冥界の迷宮の中を彷徨ったのだ。しかも、二度目もその直前までいっている。今回は黄神の助力などもあって迷宮に堕ちることはなかったが、それでも普通ならば殺しても殺し足りないほど憎んで当然だろう。

「だが……それを承知で貴様に頼む。どうか、これでこの小僧を許してやって欲しいのだ。今のこやつは少々強い程度の人間と大差ない。それをこやつの罰として許してやって欲しい」

 カミィは、それだけ言うと静かにレグナムに向かって頭を下げた。

 強大な力を誇った神の一柱が、人間よりも少し上程度の力しかふるえないのは、確かに何よりも辛い罰であろう。

「……もしも……もしも、それでも貴様がこの小僧を許せぬと言うのであれば……その時は小僧の代りに我輩を好きにすればいい。我輩を犯そうが身体を斬り刻もうが、貴様の好きにして構わないのだ。それでこやつを許してやって欲しい」

「……どうして、そこまでこいつの肩を持つんだ?」

 訝しそうに細められるレグナムの黄金の瞳。そこには一人の男としての嫉妬が含まれていることに彼自身も気づいている。

「……こやつはこれでも我輩の息子だからな。息子の不手際の責任は、親である我輩の責任なのだ」

 頭を下げたまま、カミィは優しげな声で呟いた。

 レグナムからは彼女の表情は見えないが、きっと今彼女が浮かべている表情も同じようなものだろう。

 そう考えたレグナムは、苦笑を浮かべるとぽんと目の前にあるカミィの頭頂部にその掌を置いた。

 そしてカミィが顔を上げるより早く、いつものように彼女の頭をぐりぐりと撫で付ける。

「ったく、おまえにそこまで言われたら、許さないわけにはいかないだろ?」

 カミィは自分の頭を蹂躙する彼の掌の温かさを感じながら、そっとその目を細めた。

 一方、レグナムはカミィの頭をぐりぐりしながら、ちらりと横目で赤神の様子を見る。

 彼は今、相変わらず四肢を地面に着けたまま呆然としていた。

 時折、「……息子……我は御方にとっては息子……息子でしかないのか……」と小さくぶつぶつ呟いている。

 どうやら、力を封じられたことよりも、カミィから息子扱いされたことの方が彼の神にとっては大きな罰のようだ。

 と、レグナムはちょっぴり彼に同情しつつ、その肩をひょいと竦めたのだった。




 それから。

 ようやく動き出したラブラドライトの王族や、オルティア王国からの客人たち。

 彼らはレグナムとカミィを取り囲むと、口々に先程の戦いに関する称賛や、どれだけ心配したのかを訴えた。

 そんな家族たちにレグナムも素直に謝り、カミィも一緒になって頭を下げる。

「あー、まあ、悪かったよ。でも、オレだっていきなり不意打ちを受けたわけだし……」

「うむ。悪いのは我輩の息子なのだ。ここは我輩に免じて許してやって欲しいのだ」

 当事者である二人に揃って頭を下げられては、彼らも許さざるを得ない。

 しかも、頭を下げているのはこの世界を造りたもうた始創神でもある。そんな文字通り雲の上の存在に頭を下げられては、サンバーディアスに暮らす敬虔な人間が抗えるはずがない。

 そして、一通りの謝罪を済ませたカミィは、改めてレグナムへと向き直った。

「これから……貴様はどうするのだ?」

「どうする……とは?」

「記憶と力を取り戻した我輩は、神々の座へと戻らねばならん……ああ、そう言えば言い忘れていたのだ」

 カミィはレグナムたちから少し離れた所で、ぽつんと一人佇んでいる赤神へと声をかけた。

「貴様は今後二百年、神々の座へ戻ることを禁ずるのだ。二百年経った後、貴様に埋まった封神剣は取り除いてやろう。それまで、貴様はこの地上で暮らすがよい。これもまた、貴様に科せられる罰だと思え」

 カミィのこの命に、赤神は神妙に「御意」とだけ答えた。

 彼女が赤神に下した二百年という歳月は、やはりレグナムが冥界の迷宮を彷徨った月日と同じだ。これもまた、彼女なりの罰の一部なのだろう。

「実際にその目で人間たちの暮らしぶりを見て見ろ。人間たちは我らに比べれば遥かに弱くて儚いが、それでも力強くこのサンバーディアスで生きているのだ。そこから貴様なりに学ぶといいのだ。さて────」

 カミィは改めてレグナムに向き直る。

「先程も言ったが、我輩は神々の座へと戻る。その時────」

 カミィは、これまでレグナムが見た中で一番の笑顔で彼に告げた。

「貴様も我輩と共に来い。我輩が貴様を神の階梯へと引き上げてやろう」

 す、とレグナムの前に差し出されるカミィの繊手。

 それは、レグナムにとってはこの上ない至福への誘いだった。

 今、目の前の小さくて白い手を取れば、自分は愛する彼女と共に永遠を手に入れることができるのだ。

 だが。

 だが彼の口から出たのは、その至福への誘いを否定するものだった。


「…………断る。オレは……おまえの手を取ることはできない」

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