第38話 街を覆う影


 何かおかしい。

 それがモルバダイトへ到着した時の、レグナムが抱いた感想だった。

 モルバダイトの街は、オルティア王国北部では最大の街であり、隣国であるラブラドライト王国との国境に最も近い街でもある。

 そのため、両国からの旅人が常に訪れ、様々な交易品なども溢れる活気のある街のはずなのに。

 今、レグナムの目の前を行くモルダバイトの住民たちは、皆目を臥せ、足早に歩き去っていく。

 まるで、何かを恐れるかのように。

「どうかしたのか、レグナム?」

 立ち止まり、街の様子を見回していたレグナムを不審に思ったのだろう。カミィがその美貌をやや曇らせ、かくんと首を傾げながら尋ねてきた。

「いや、ちょっとな。街の様子がどうも変なんだ」

「そうなのか?……確かに、貴様から聞いていたよりも道行く人々の数が少ないようだな。それに……」

 カミィは周囲の匂いを確かめるように、その可憐な鼻をひくひくと動かす。

「…………気のせいか……? いや、ほんの僅か……本当にうっすらとだが、しんを感じるのだ……」

「神気だと?」

「それは本当ですか、ご主人様?」

 怪訝そうな顔を向けるレグナムとクラルーに、カミィは至極真面目な表情で頷いた。

「よし。じゃあ、情報収集も兼ねて、まずはオレの知り合いの宿屋へ行くか」

「何? 宿屋だと?」

 レグナムが宿屋へ向かうと言った途端、カミィとクラルーの表情が期待に輝く。

「その宿屋の食事は美味いのか?」

「そうです! それは重要なことでございます!」

「ああ。期待していいぞ」

 レグナムがびしっと親指を立てると、カミィとクラルーは先程より更に嬉しそうな顔になる。

「しかし、貴様は行く先々に知り合いがいるのだな」

 ふと思いついたのか、カミィが突然そんなことを零した。

 考えてみれば、彼女がレグナムと出会ってからというもの、行く先々の殆どの街や宿場町に彼の顔馴染みだという者が少なからずいたのだ。カミィでなくとも誰もが疑問に思うだろう。むしろ、ようやく疑問に思ったカミィが遅すぎると言うべきか。

「まあ、なぁ。師匠の元から独り立ちしてから今日まで、師匠の命令もあって武者修行がてらに傭兵として各地を回ったからな。それから四年……いや、もう五年か? 大陸の主だった所は殆ど行ったし、時には群島の方まで足を伸ばしたこともある。大抵の場所に知り合いの一人や二人はできるってものさ」

 自分の過去を振り返り、懐かしそうにそう語るレグナム。

「……そうだな。そろそろ、一度師匠の元へ帰ってみるのもいいかもしれないな」

 誰に言うでもなくそう呟いたレグナムは、カミィとクラルーを伴って目的の宿屋へと足を進めて行った。




 酒を意味するジョッキと、宿を意味する寝台を図案化した看板が掲げられた一軒の店。

 『月光の誘い亭』と書かれた扉を開けると、すぐに中から若い女性の声がした。

「いらっしゃー……あら?」

「よ、プリメーラ。久しぶりだな」

 年齢は二十代の半ばから後半。赤めの茶髪に髪と同じ色の瞳をした、取り立てて美人ではないものの愛敬のある容貌の女性が、しゅったっと手を上げて挨拶したレグナムを見て目を丸くする。

「れ、レグナムじゃない!」

 プリメーラと呼ばれた女性は、それまで行っていた酒場の掃除の手を休めると、小走りにレグナムに駆け寄りそのまま彼に抱きついた。

「久しぶりね! 元気だった……って、あなたが元気じゃないわけないわね!」

「おいおい、人を元気だけが取り柄みたいに言うなよな?」

「うふふふ。ごめんなさい。でも、久しぶりに会えて嬉しいわ」

 プリメーラはレグナムから離れると、そのまま店のカウンターの向こうに声をかける。

「ラティオ! ラティオっ!! 早く来て! レグナムが来たのよっ!!」

 その声に応じるように、カウンターの向こうから三十歳前後の男性が姿を見せた。

 燻んだ金髪で濃い茶色い目の、長身の男性である。

 その男性──ラティオは、ちらりとレグナムを一瞥するとすぐにカウンターの奥──厨房へと姿を消してしまう。

 そんなラティオの態度に、レグナムは小さく苦笑を浮かべる。

「ははは。相変わらず寡黙で無表情だな、ラティオは」

「でも、あれでもレグナムに再会できて喜んでいるのよ?」

「ほほう。さすがに良く分かっているな?」

「当然。だって夫婦ですもの」

 そう言ってプリメーラが微笑んだ時、再び厨房からラティオが姿を見せた。

 彼はその手に酒の入ったジョッキを三つ持ち、無言でそれらを一つずつレグナムたちに手渡すと、再び厨房へと戻ってしまう。

 レグナムは手渡されたジョッキに目を落とし、次いでプリメーラに向き直る。

「なるほど。プリメーラの言う通りだ」

「でしょ? ところで──」

 プリメーラがちらりとレグナムの背後へと視線を向ける。

 そこにはカミィとクラルーが、ラティオから渡されたジョッキの中身を実に美味しそうに喉へと流し込んでいた。

「あちらのお嬢さんたち、あなたとどんな関係なのかしら? その辺の事情も含めて、あなたがここ最近どうしていたのかをしっかりと教えてもらうわよ?」

「仕方ねぇな。ま、こっちも聞きたいことがあるし、まずは荷物を置いて身軽になってからな?」

「ええ、それでいいわ。では、改めて……ようこそ、『月光の誘い亭』へ。店主のラティオと女将のプリメーラは、あなたたちの来店を心から歓迎するわ」




「行方不明……?」

「ええ。十五歳前後から二十五歳ぐらいまでの女性が半年の間に八人。ある日突然行方が分からなくなるっていう事件が起きているの」

 借りた二階の部屋で旅装を解き、身軽になって改めて一階の酒場に降りてきたレグナムたちは、プリメーラからこのモルバダイトの街を覆っていた影の原因を聞き出していた。

「……十日ほど前、うちの酒場で働いていた女給のも行方不明になっちゃって……」

「この街の衛兵たちはどうしている?」

「もちろん、ご領主様の指示の元、いろいろと動いてくれているわ。でも、いなくなった女の子たちの行方は一向に……」

 我が身を抱き締め、ぶるりと身体を震わせるプリメーラ。

 レグナムの視界の隅では、厨房にいるラティオが無表情な視線を自分の妻に向けている。それなりに付き合いのあるレグナムには、彼が彼なりにプリメーラを心配していることが理解できた。

「しかし、若い女ばかりが連続していなくなる……か」

 腕を組み、レグナムは若い女性が突然いなくなりそうな理由をいろいろと模索する。

 すぐに彼の脳裏に浮かんだのは、どこかの奴隷商人などに秘かに誘拐され、商品とされることだった。

 この大陸には大小様々な国が存在するが、その中には奴隷制度を認めている国もある。

 大陸で最も力のある三つの大国、オルティア王国と隣国のラブラドライト王国は奴隷制度を認めていないが、もう一つの大国であるアレキサンドライト帝国は、奴隷制度を公然と認めている国なのだ。

 それ以外の小国にも奴隷制度を認めている国はあるし、公には認めていない国にだって、裏に回れば秘かに奴隷を密売している組織なども存在するだろう。

 このオルティア王国の中にだって、奴隷を密売している組織が存在しているかもしれない。そのような組織が、商品の「入荷」のために暗躍しているとしたら。半年という比較的短期間に八人も行方不明者が出たのも納得できる理由ではある。

 とはいえ。

「仮に奴隷の密売組織が動いているとして……果たして、アシがつきやすい同じ街で何度も誘拐するものか……?」

 同じ場所で誘拐を繰り返せば、当然それだけ捕まる公算は大きくなる。

 もしも自分が奴隷を秘かに集めるとしたら、大きな街よりも旅の途中の旅人や行商人、もしくは辺境の小さな村などを襲うだろう、とレグナムは考える。

 旅人が何らかの理由で旅の途中で命を落としたり、行方が分からなくなる危険は常にあるものだし、辺境の村ならば衛兵が常駐していないことも多い。

 もちろん、同じ場所では犯行を繰り返さずに別の場所へすぐに移動する。そうすれば、国や領主などの目に止まる危険も少なくなって、アシもつきにくくなるに違いない。

 だが、実際に事件が起きているのはこのモルバダイトの街なのだ。近隣の町や村で同様の行方不明事件が起きているのかは不明だが、この街へ来るまでの間にそのような話は一切聞かなかった。となれば、やはりこの事件はこの街のみで起きていると考えるべきだろう。

「……だから、レグナムたちもこの街にいる間は気をつけてね?」

 プリメーラの言葉が、レグナムを思考の海から浮上させた。

 彼女の方に視線を向ければ、プリメーラは心配そうにカミィたちを見ていた。

「カミィちゃんもクラルーさんも美人だから、狙われるかもしれないもの。ちゃんとレグナムが守ってあげないとだめよ?」

「…………いや、こいつらを守る必要なんてあるのかね?」

 オレより強いぞ、こいつら。という言葉を心の中で付け加えるレグナム。

 カミィたちのことは、仕事の都合で一緒に行動している傭兵であると伝えてある。さすがに知り合いとはいえ、いきなり神だとか神獣だとか言っても信じてはもらえないと思ったからだ。

「もう、そんなこと言って。大切なんでしょ? 二人のことが」

「まあ……大切じゃないと言えば嘘にはなるな」

 自らが信仰する神と、その下僕の神獣。付き合いこそ短いものの、今やこの二人はレグナムにとって掛け替えのない存在となっていた。

 特に、輝くような美貌を持った、信仰すべき対象である少女は。

 それが信仰によるものなのか、それとも別の感情から生まれる想いなのかは、レグナム自身にはよく分かっていないのだが。

 再び思考の海に沈もうとした時、レグナムはプリメーラがにまにまとした顔で自分をじーっと見つめていることに気付いた。

「な、なんだよ? オレの顔に何か付いているのか?」

「うふふふふ。まぁた、そんな強がりしちゃって。そっかー。レグナムにもとうとうそういう存在ができたのねー。この話を聞いて、一体何人の女の人が泣くのかしらー?」

 プリメーラが暗に示しているところを理解し、レグナムの顔が一瞬で朱に染まる。

「お相手は大人の女性の魅力溢れるクラルーさん? それともすっごい美少女のカミィちゃん? 大丈夫よ? どっちにしてもあなたとはお似合いだから。あっ! も、もしかして、二人とも……」

「ちっがああああああああうっ!! カミィとクラルーはそんなんじゃねえっ!!」

「あっらー? だったら、どうして今日借りた部屋は一部屋だけなのかなー? 普通なら男の人と女の人、二部屋借りるわよねー?」

 にまにま笑いを消すことなく、プリメーラが鋭い指摘をする。

 二部屋借りたとしても、どうせどこかの娘さんは気付けば自分の寝台に──相変わらず全裸で──潜り込んでいるのだ。ならば、二部屋借りるだけ宿賃の無駄というもの。

 そんな理由から最近、宿場町などで宿を取る時は四人部屋を一部屋だけ借りるようにしていたレグナム。この『月光の誘い亭』でも、いつものように一部屋だけ借りてしまった。

 そのことが、プリメーラの誤解を助長させたらしい。

 まだまだ年若いとはいえ、主婦であり、同時に宿屋の女将でもあるプリメーラ。どうやらその辺りの噂話には、ご近所の奥さん連中同様に目がないようだ。

 真っ赤な顔であたふたするレグナムと、そんな彼をまるで弟をからかう姉のように、微笑みながら見守るプリメーラ。

 そして、もう一方の当人とも言えるどこかの主従は、そんな二人の様子などまるで興味がないかのように、提供された料理に揃って舌鼓を打っていた。

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