072 開会式
『それでは、
真上に設置されたスピーカーががなり立て、会場は拍手に包まれた。
高さ五メートルほどの位置に作られた表彰台を見上げた川内は、ふっと腹式呼吸で力を抜いた。
手元の原稿の無事を確認し、いざ壇上へ。代表とは、川内のことなのである。
──この高さまで、僕たちは積み上げるのか……。
壇上からの景色を臨みつつ、そんなことを思う。人の背丈の三倍はあるのだ、このロボコンのテーマとされるには十分な高さであろう。
すうと息を吸い込んだ川内は、目の前の紙に目を落とした。
《宣誓》
マイク越しの声が、分厚い静寂の立ち込める会場内を揺らした。
《私たち──『JRC2015』
2015年五月七日、私立閏井高等学校チーム代表、川内惺》
……読み上げた壇上の川内は、拍手に包まれながら丁寧にお辞儀をし、階段を下りる。
「あそこに立ってると、かっこいいなぁ」
菜摘は思わず呟いていた。タイミングがあんまり良かったので、亜衣は完全に勘違いしてその台詞を捉えてしまった。
「……ナツミ、あの人に惚れたの?」
「違うよ!」
目を剥く菜摘。アイじゃあるまいし、とまで口走りそうになって、慌てて別の言葉を継いだ。
「……ただ単に、あんな風に壇の上に立って演説してみたいなって」
ああ、と亜衣は呟いた。
亜衣にもその気持ちは理解できたのだ。たかだか宣誓を読み上げる程度だって、晴れの舞台には違いないのだから。
「ね、アイも分かるでしょ?」
「そのためには、今年ちゃんと優勝を決めなきゃダメね」
亜衣の言葉に、菜摘はこくんと頷く。
陽子や亜衣ならともかく、運動部系の大会出場経験が完璧にゼロの菜摘にとって、こんな風に選手を集めての開会式に出ることそのものからが初めての体験であった。それだけに、わくわくするのにも似たこの高揚感をどう処理すればいいのか、さっぱり分からない。
──ま、テンション上がってる分には構わないよね。私たちは所詮はチャレンジャーなんだし、楽しんでいかなきゃ!
あくまでもポジティブシンキングを心掛ける、菜摘である。
それとは対照的に悠香は、開会式が始まった辺りからほとんどぴくりとも動いていなかった。
「ハルカ、どうしたの」
さすがに不審に思って尋ねた麗に、悠香はがくがくとロボットのように顔を向ける。「……フィールドだ、フィールドだよレイちゃん……」
「…………?」
「私たち、ここに立っちゃったんだよ……。もうあと少しで、始まっちゃうよ……!」
悠香の目は足元に釘付けになっている。早い話が、
だからと言って、悠香を責めるのは酷だろう。悠香たちの前には今、ロボコンの本番でないならば到底有り得ないような景色が、視界いっぱいに広がっているのだから。
横並びの東ホール三つ分をぶち抜いて作られた、縦二百七十メートル横九十メートルにも及ぶ、ビッグサイト自慢の特大空間。
数えきれないほどの照明に照らされた中央のフィールドを取り巻くように、のべ一万席にも及ぶ客席が設置されている。そしてその多くが、早くも埋まろうとしている。
テレビで見るのとはわけが違う。この圧倒的な規模こそが、このロボットコンテストの全容なのである。
《それではこれより、各チームによる自由練習時間とします。時間は一時間です》
アナウンスが高らかに天井で跳ね返り、いくつものチームが動き出した。
フェニックスはまだ、その場に留まっていた。なぜって、悠香が動かないからだ。
「…………」
相変わらずかちこちに凍り付いたままの悠香の背中を、いきなり陽子がバンッと叩いた。
「痛あっ⁉」
前向きに吹っ飛び地面に突っ込んで、悠香は叫び声を上げる。その背中に向かって陽子は呆れたような声を投げた。
「シャキッとしなさいよ! もう自由練習の時間、始まるよ!」
「あ、ごめん……」
「本番前からそんなに固まってちゃ、やっていけないよ?」
陽子の忠告はもっともだ。もっともだが、だからといってどうしたらこの緊張を消すことが出来るだろう?
「……ヨーコたちは、どうやって緊張しないようにしてるの?」
悠香が上目遣いに尋ねると、陽子は目を丸くした。「何言ってんのさ、緊張してるのはあたしたちだって一緒だよ。度合いの問題だって」
……悠香は思わず陽子を二度見してしまった。こんなにリラックスして見えるのにか?
「……どうしたのよ」
「だって一番、緊張してなさそうに見えたから」
「……そう?」
羨ましいよ、と呟く悠香。陽子は周りの面子を眺めたが、残りの三人も頷いていた。間違いない、この場で一番冷静に見えるのは陽子である。
悠香も立ち上がると膝をぱっぱっと払って、もう一度、上を見上げた。
──実際、ヨーコの言う通りだよね。
目を閉じながら、悠香は念じる。
──みんな緊張して当たり前だよ。むしろ私はリーダーなんだもん。私が一番、落ち着いていなきゃ。
深呼吸すれば、少しは気持ちを落ち着けられるような気がした。
悠香は大きく息を吸い込むと、──その背中を菜摘がぐいっと押す。
「ほら、いい加減に行こう行こう! 時間無くなっちゃうよ!」
「わっ、ナツミ走りながら背中押さないで! 痛い痛い!」
「おーいいぞいいぞナツミ! そのまま控え室まで行っちゃおう!」
「ちょっとみんな、待ってよー! 歩く! 歩きます自分で歩きますっ!」
◆
下の悠香たちの騒ぎが、よくよく見える位置。
「この辺でいいかな……」
長良はそう言うと、よっと声を出しながら席に座った。すぐ隣に、北上が収まる。二人は今日、授業を休んでここまで来たのである。
「お、ここだったらよく見えそうね」
「この前の練習の時、フィールドの端に陣取るって言っていました。この辺りなら問題なく見えますよね」
控え室の方へと悠香たちが消えてゆくのを見ながら、長良はそう答えた。横長なこのフィールドは、反対側に移ろうとすると百八十メートルも移動しなければならない。あの低速なロボットでそんなことをするとは思えないから、控え室の側に悠香たちは陣取るだろうと踏んだのだ。
「うん、私もここでいいと思うよ」
北上も、長良の意見に同意する。長良はふと、北上の視線が気になった。どこを見ているのだろう。
と、北上の向こうから二人の人影が。
「せんぱーい! ここでしたか!」
あっ、と長良は声を上げた。誰かと思えば、渚と聖名子ではないか。
「二人とも、学校は?」
自分たちの事は棚に上げて北上が尋ねると、二人は顔を見合わせ悪戯っぽく笑う。
「退屈な授業よりこっちの方がずっと勉強になるかな、ってナギサと話し合って」
「自主休講してきました!」
「…………」
いいのだろうか。……まぁ、本人たちがいいならいいのだろう。私は知らないからね、とあらかじめ心の内に予防線を張っておく長良である。
二人は仲好さげに長良の隣に座る。渚が尋ねてきた。「ハルカたち、どの辺にいました?」
「さっき控え室に入ってったよ。楽しそうだった」
適当な感想を付け加えると、渚はその場でぴょんぴょん跳ねる。「いいなぁいいなぁ! あたしも出たかった! ハルカ気まぐれで代わってくれたりしないかなぁ……!」
「ハルカ……?」
その時、長良の隣からそんな声が聞こえてきた。
男性の声だ。それも、高校生くらいの。
「?」
長良が振り返ると、私服姿の二人の男性がこちらを向いて目を丸くしていた。
「その……ハルカ、っておっしゃいました?」
「……私じゃないですけど、言いました」
「もしかして、玉川?」
「はい」
なんだろう、突然。警戒心も顕にそう返事した長良だったのだが、男性は途端にさらに驚愕の表情へと変化した。
「あなたたちもハルカのチームの応援なんですか」
「あの、失礼ながらどなたですか?」
口を開きかけた長良の後ろから、先に北上が質問する。むっと北上を睨んだ長良の耳に、男性の返答が飛び込んだ。
「玉川ユウヤです。一応、ハルカの兄です」
──⁉
目の前の北上の顔が驚きに染まる。ついでにその向こうの渚と聖名子もだ。
「一応って何だよ、一応って」
「あ、いや、そう答えるのが習慣になっててさ」
「変なの」
一通りのやり取りを済ませると、今突っ込んだ方もひょこっと顔を出す。「あ、俺は石狩って言いまーす」
──玉川ハルカのお兄さんか。だとすると年齢も近そうだし、なんかやりづらいな……。
長良は苦い唾を飲み込んだ。なにせ女子校生ゆえ、悠香ほどに男性に慣れてはいないのだ。とはいえ二人ともに名乗られたら、こちらもそのままというわけにはいかず、渋々頭を下げる。
「長良です」
その後ろから、あからさまに他所行きの雰囲気を纏った北上が名乗りを上げた。「北上と言います。私立山手女子中高物理部の部長を務めております」
部長、との単語を耳にした友弥は、少し眉を上げた。
「あ、あなたが部長さんですか」
「そうですけど」
「妹がよく部長さんのことを口にしていました。北上さん、とおっしゃるんですか?」
へぇ、玉川さんが。低く低く呟いた北上は、何だかちょっと機嫌が良さそうである。私は口にされないんだ、と少しだけ悲しくなる長良。比較してもしょうがないのだが。
そんな二人のさらに後ろから、少しずつ大きくなってきたざわめきに負けないように渚が声を張った。
「お二人も、ロボコンを見に来たんですか?」
「妹が出てるんで」
友弥は即答すると、深く腰かけて眼下のフィールドに目を向ける。準備の早いチームなのだろうか、もう既にそこにはいくつかのロボットが姿を現している。ほんの僅かではあるが、本番の空気とやらがぴりりと肌に染み込み始めている。
「妹は──ハルカはあんまりこういうアクティブな活動に参加することがないので、なかなかないチャンスだと思って来る気になったんです。ちょうど今日、創立記念日なものですから」
後頭部を掻きつつ、友弥は苦笑いした。
──思ってたほど、やりづらくないかもしれないな。
長良は秘かに漏らした。
同年代の男性だからといって警戒していたが、意外にも話しやすそうというか、普通に相手ができそうだ。
隣にもっと気不味そうな観客が来るよりは、いい。そう思うことにした。
「ハルカが活躍するかどうかは神のみぞ知る未来ですけど、もしもしてくれたなら激レアなんでカメラ持ってきました。苦労が無駄にならないようにしてほしいですよ」
「やべぇ、その気持ちよく分かる」
呼応するようにぼそっと溢した渚の言葉が可笑しくて、六人はくすっと笑う。ずる休みしてきた物理部勢にしてみれば、休み損にだけはなってほしくないのである。
周囲の席ももうかなり埋まってきて、下手に動くことももはや難しい。
「……袖振り合うも何とやらと言いますし、一緒に見ましょっか。敬語だとか堅苦しいのは、このさい抜きにして」
北上の提案に賛同しない者は、誰もいなかった。
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