Ⅴ章 ──不死鳥の辞書に不可能の文字はない

071 いざ出陣!







 二〇一五年五月七日、水曜日。


 明るく萌える緑に囲まれ、心なしかずっと遠くまで輝いて見える、そんな五月晴れの陽気の下。

 東京都江東区の東京国際展示場ビッグサイトには、午前早くから多くの客が詰めかけていた。

 周辺の駅から続く行列の正体は、見物人だ。観覧は五百円の有料であり、また平日であるにも関わらず、来場者の数はかなりの数に上り、そしてそのすべてが一つの大会に向かっている。

 そう──『全日本スーパーロボットコンテスト THE-BATTLE2015』に、である。




「……なにこれ、すっごい人だかり」


 りんかい線の国際展示場駅に降り立った悠香の母は、そのあまりの人の多さに目眩さえ覚えたくらいだった。

「こんなに集まっているなんて……。自由席制と言ってましたし、あんまりいい席は手に入らないかもですね」

 横で呟いたのは陽子の母である。あらかじめ悠香たちに決められていた電車に乗った五人の保護者たちは、全員さっきの駅の改札口で合流したのだ。

 駅から目的地の東ホールまで辿り着くのに、いったいどれほどかかるのだろう。先は長いな、と五人は覚悟を決めざるを得なかった。

「あの子ももっと早くから言ってくれたら良かったのに……。急に休みを取ったから、明日会社でどんな顔をされるか不安ですよ」

「実は、私も」

「細かい話まで聞かせてくれなくてもいいんだから、概要だけでも、ねぇ?」

 などとぶつくさ愚痴を垂れている合間にも、五人を巻き込んだ行列はどんどん進んで行く。茶色の屋根で繋がれた通路の先には、ビッグサイト独特の巨大な逆三角形の会議棟が既に見えている。

 いやが上にも、テンションだけは上昇するというものだ。


「それにしても、妙に背広姿の人や外国人らしい人が多いような気がするんですけど……」


 ふと、周囲を見回しそう感想を述べた悠香の母の真上を、羽田を離陸した旅客機が白い雲を引きながら越えてゆくのが見えた。







 出場する選手のことを、このロボコンでは『挑戦者エントラント』と呼称している。

 事前に言い渡されたスケジュール通り、挑戦者エントラントは全員既に会場に入っていた。二次レギュレーション検査として、各種の最終チェックやルール確認を行うためである。

 確認を受けたチームには、それぞれに控え室が割り当てられる。広大な客席スペースのすぐ真下に合計五十箇所設けられたそこは、一部屋あたり縦八メートル横十メートルと、けっこうな広さがある。荷物起きに、準備を済ませるのに、これだけあれば十分であった。この時点では他所のチームの状況は掴めない。だが一対一の対戦ではないのだから、調べたところで特に大きく有利に働くこともない。


 私立閏井高等学校チーム『Armadaアルマダ閏井じゅんせい』のメンバーは、終始落ち着いた様子で準備を終わらせた。

 そこには、同じ外見をした中型ロボットが二台、大型のフォークリフト型のロボットが一台、天井のLED照明に照らされて銀色の金属光沢を放っている。

「よし、終わったな」

 すっと立ち上がったのは、リーダー──川内せんだいだ。目の前には他に四人のメンバーが立っている。一人はパソコンを、一人は工具箱と双眼鏡を持ち、残る二人は服の色が白と黒だ。

 ロボットを一つひとつ触れながら、川内は指を立てる。

「確認するよ。輸送ロボット【BREAKブレイク】一号機を管理するのが、有田。お前だな」

「おうよ!」

 元気に力瘤を作ってみせたのは、有田ありた寿ひさし。白服である。

「次、二号機担当は物部」

「やってやりますって」

 隣の黒服がにやりと口を歪める。彼が物部もののべ匠士たくみだ。

「整備担当は奥入瀬だ。この前も言ったと思うけど──」

「分かってる」

 空いている手をヒラヒラさせながら、工具箱を持った奥入瀬おいらせもときは頷く。「他のチームの情勢把握は俺の役目だ。分析は任せる」

「頼むよ。……最後に十勝、三台のロボット全ての管制だ」

「ああ」

 十勝とかち恵太けいたはパソコンのキーボードをぱちっと打った。ライトを反射した眼鏡が、きらりと輝いた。

「──にしても、うちのチームほど完璧な配剤もないんじゃないかね。この中でパソコンを使うのに一番慣れてるのは俺だし、ロボットそのものに精通してるのは奥入瀬。有田と物部は運動部も兼部してるもんな。んで、リーダーはお前と来てる」

 ふ、と川内は口だけで微笑した。誉め言葉として受け取っておこうと思う。

 まだ開会式すら経ていないのに、適度にまぶされた緊張感が心地よかった。やっぱりロボコンの舞台は大好きだ、と改めて思った。

「じゃ、作戦を確認しよう」

 プリントを取り出すと、川内はそれを読み上げる。

「知ってるだろうが、僕たちの【BREAK】は攻撃と輸送を同時に行う複合多機能機体だ。ただし、攻撃手段には『積み木』を用いる。間違って意味もなく攻撃しちゃったら、せっかく見つけて運んでいた獲物を投げ棄てる事になる。それだけは勘弁してくれな」

 輸送ロボット担当の二人が、無言で首肯した。

「他のチームの情報を掴むのは奥入瀬だけど、これは無理のない範囲でいい。お前がいくら注意力に長けてるからって、肝心の修理が疎かになったら元も子もない。そこんとこはまぁ、臨機応変にやってほしい。積み上げロボット【BABELバベル】の様子も、適度に見といてやってくれ」

 奥入瀬は工具箱を振って賛意を示した。がらがら、と中身が軽い音を鳴らしている。

「このチームの動きは、僕と十勝が相談して決める。各自、自分の動きを常に確認しながら、僕らの出す指令にも耳を傾けてくれ」

 耳のインカムに手をやりながら、川内は全員の耳をも確認した。よし、ちゃんと着いている。


 しんと部屋が静まり返った。

 客がもう入ってきているのだろうか、頭上を細かな歩行音がいくつも通り過ぎていく。

 無言の空気に了解の意を感じ取り、よし、と独り呟いた川内は、最後に付け加えた。


「頑張ろうな、みんな」







 一方。

 悠香たち『山手女子フェニックス』メンバーもまた、割り当てられた控え室に入っていた。

 荷物を置き、会場内の搬入口から運び込まれたロボットたちの確認も済ませてある。重くてこっちに持ってくるのが大変なので、一旦向こうに置きっぱなしにしてあるが。


「緊張するね……」

「うん……」

 言葉少なな五人は、端から見ても緊張で凝り固まっているのが明白だった。

 まずい、まだ開会式さえも始まっていないというのに。そうは誰もが思っているのだが、意識するだけで緊張が解せるなら人類に苦労はないのである。

 ともあれ、今のうちに着替えようと悠香が言い出し、控え室に戻った五人は競技中の服に着替え始めた。全員、上は近所の衣料品店で揃えた赤いデザインのシャツだ。着替えは義務付けられているわけではないものの、分かりやすくなるし去年も他所の多くがやっていたので、悠香たちも便乗するつもりだった。

 のは、いいのだが。


「ハルカ、その服……」

 尻切れ蜻蛉になった亜衣の言葉に、悠香は身に付けた自分の格好を眺めた。

 昨夜決めた通り、下はグレーのスカートである。

「どうしたの?」

「スカートってハルカ、正気の沙汰なの?」

「えっ」

 問題ないと思ったのだが。

 かく言う亜衣のボトムスはグレーのショートパンツである。陽子の下は同じくグレーのレギンス、菜摘の下はキュロットだ。

「ハルカ、動き回る役目でしょ? そんな無防備だと見られちゃうよ?」

 ……ようやく事情を察した悠香の顔が、さっと青く変じた。これではその、ちらっと見えてしまうかもしれないではないか。

「考えてなかった……」

「馬鹿」

「だってだって! 火の鳥フェニックスっぽいのがいいから、上は赤で下はグレーがいいねって決めたのは私だし──あっ、私だった」

「ハルカ……」

「そ、そんな残念なモノ見るような目で見ないでよっ! いや残念だけど!」

「いやぁ、別にいいんじゃない? ハルカって羞恥心あんまりなさそう」

「あるもん! 甘える相手なんてユウヤしかいない──あっ」

 口を開けば開くほどに墓穴を深くする悠香。天然とはかくも凄いものか。正体の分からないため息を吐いた陽子たちだったが、悠香の次の台詞に思わず驚かされた。

「あっ! ほら、レイちゃんだってそうだよ! ほらスカートだよ!」

 振り返った先に突っ立っている麗は、確かに膝くらいまでのスカートであった。勝ち誇ったような笑みを浮かべる悠香の目の前で、麗は黙ってその裾をめくる。

「…………!」

 悠香は途端に敢えなくその場に崩れ落ちた。なんと麗は周到にも、さらに下にジャージを穿いていたのである。

「恥ずかしいのは、嫌」

 麗のその一言にさえ、返せる言葉は一つもない。


 小声で「どうしよう、どうしよう」と繰り返し始めた悠香を前にして、急に陽子は笑いが込み上げてきて、たまらず笑い出してしまった。

 その笑みに、菜摘が、亜衣が、そして当の悠香が釣られた。

 一分も経つ頃には、全員が笑い転げていた。麗でさえ、くすくす笑いを抑えもせずにいた。


 笑いというのは、極度の緊張や怒り、悲しみなど、心的作用の昂りを抑えてくれる効果があるという。

 悠香のお陰かどうかは定かではない。だが、気が付けば五人の心中に巣食っていた緊張と言う名の絡まった糸は、きれいにほどけていたのだった。


 しかし、笑いすぎた。館内放送が流れているのに気づかなかったのである。

《ロボコンに出場する挑戦者エントラントの皆さん、開会式を始めるので至急、フィールド中央に集まってください》

「──ってやばい、行かなきゃ! 他はもうみんな行っちゃってるよ!」

「急げえっ!」

 さっきまでのリラックス気分はどこへやら、全力疾走で飛び出す悠香たちであった。




『全日本スーパーロボットコンテスト THE-BATTLE2015』。

 今年をもって四回目を迎え、高い知名度に支えられ多くの観衆に見守られながら、日本最大規模のロボットコンテストはついに幕を開ける。

 午前九時半、開会式である。





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