068 先輩の吐露






「変な事、言うと思うけど」

 彼女は顔を伏せ、告げた。

「謝らないで。私の方こそ、謝らなきゃいけない事はたくさんあるんだから」


 早口で言われたその言葉を、悠香は半開きの口の奥で咀嚼する。

──えっと、どういう、意味だろう? 私、この先輩ひとに何か、貸しでも作ったっけ? 

 作ったはずがない。むしろ日本円に換算して缶ジュース二本分程度の借りが、悠香の側にあるくらいだ。首を傾げる悠香に、北上は弱々しく微笑む。

「本当は、ロボコンが終わったら言おうと思ってたの。でも、ついでだから今、話してしまう事にしようかな……」

「は、はぁ……」

 いつもの流れと違う。雰囲気さえも違う。何だか怖くなって、悠香はただひたすらに北上を見つめることを意識した。

 そうすれば少しは、自分の居所が分かるだろうと思って。


「私はね、してはいけない禁を犯したの。まだ色んな事を知らなくて迷ってた玉川さんを、無理にあのロボコンに参加させるように誘導した」

 北上の語りは、いきなり衝撃的な告白から始まった。穏やかではない言葉に、悠香は目を白黒させる。

「そんな、誘導されたなんて感覚は、私には」

「簡単かつ本人には気づかれないように出来るものなのよ、誘導マインドコントロールっていうのは。私は明らかにその気だったからさ」

「……なぜ、そんなことをしたんですか?」

 訳が分からなかった。そもそもそれはいつの話なのだろう。チームが空中分解した時か? 

──私たちに、ロボコンに挑み続けてもらわなきゃいけない理由があったのかな。だとしたら、ちょっと強引だったあの日の相談までの流れも、すんなりと理解できるんだけど……。

「私たち物理部が去年、あのロボコンでどんな結果になったか、玉川さんは知ってる?」

 問われた悠香の頭に、ずっと前に電器屋の前のテレビで目にした光景が流れる。さらにそこに、秋葉原で遭遇したあの川内の話し声が混ざった。そうだ、悠香は知っている。

「テレビで見ました。最後、強そうな学校に競り負けて、そのまま二位になっちゃったんですよね。ええっと確か……閏井っていう学校に」

 当たりだ。北上は頷いた。


 そして、語り出した。、昨年の大会に関するすべての経緯を。

 そこには無論、悠香の知らない話や展開もあった。だが、悠香にはそれらは妙に現実感のある話として聞こえてきた。

 北上の言う通り、似ているからかもしれない。







 今年で四回目となる『全日本ロボットコンテスト』は、全国の中高生の叡智が結集する場所だ。そのルールは毎回変化するが、共通することも無いわけではない。それが、各チームに求められる『攻撃性』だ。

 他チームのロボットを攻撃し破壊する行為は、全ての回において禁止されていない。そればかりかルールを見ると、そうした攻撃行為を否応なくせざるを得ないものが多いのが特徴なのだ。それゆえにこのロボコンには、『人間不在の格闘技』『無人格闘技』といった様々な異名が付けられている。

 危険を伴うロボコンに挑むチームの多くは、適切な指導をコーチや顧問に仰ぐことでリスクを回避し、同時に高いレベルのロボットを開発している。


 しかし、山手女子は違う。

 高梁はあまりにも生徒に無関心、と言うより意図的に距離を置こうとしていた。 『生徒の自由』を前面に掲げる山手女子の部活動ではよくある光景だったし、少なくとも先代のメンバーはその体制で銀賞を取ってきていたのだ。だから北上も初めは不安など抱いておらず、そればかりか肩に背負った初優勝への希望に胸が膨らむばかりだった。

 しかし現実は非情だった。発表されたルールは、それまでの二年間のものよりもずっとハードに設定されていたのだ。

 後に運営委員会が雑誌上で発表したところによれば、始めの二年間はあくまでも様子見であり、これから少しずつロボコンの難易度を上げて、理想のロボコンにしていきたいのだという。しかしそんな話、現場の北上たちにとってはどうでもよかった。

 さらに二重苦となって北上を責めたてたのは、プレッシャーだった。先代の部長たちに頼ろうとしても、返ってくるのは『あなたなら出来る』の一点張りだった。部員にすらも疎まれる存在だった高梁は、案の定関わりを持とうとしない。頼れる存在もいないまま、孤立無援の状態で北上たちは必死にロボットを組み上げた。物理部が毎年出場する中で積み上げていたノウハウだけが、北上の道標となった。


 そして、そんなノウハウなど通用しないことを教えてくれたのは、誰あろうロボコンだった。

 結果的に山手女子フィジックスは、皮肉にもロボットの技術面では出場チーム内でも最優秀の部類にあった。しかしそこに、どうしても越えられない壁があった。そう、それこそがチームワーク重視で戦術的・戦略的なプレイを展開した、私立閏井高校チーム『Armada閏井』だ。巧みなロボット操縦と、多種多様の状況変化に対応するロボットの万能性に、山手女子フィジックスは終始翻弄されっ放しだった。

 そして、負けてしまうのだ。最後の最後、必死にかき集めたラグビーボールの三分の一近くを閏井にごそっと持って行かれ、保有数に大差をつけられて。




「あの時の私は、玉川さんと同じ立場だったんだ」

 再び腰かけた悠香の隣で、北上は腕を伸ばす。その瞳に太陽が煌めいて、かえって瞳孔の奥が暗く見えた。それとも映っているのは、そんな太陽を隠すように手を広げている雲の方か。

「悔しかった。どうしようもなく悔しかったよ。それもただ負けたんじゃなくて、ちゃんと理由があった。それを私は分かっていたのに、改善させる事がついに叶わなかった。その結果として突き付けられた敗北に、私は文字通り三日三晩くらい泣いて暴れて、復帰できなかった。したくなかった」

「…………」

 北上のイメージがだんだん崩れ始めてきた、と悠香は思った。おしとやかでオトナなイメージの北上が、泣いて暴れたなんて想像に難すぎる。

「負けた理由が、分かっていたんですか?」

「一応、私なりにはね」

 北上は虚ろな目の先を、地面にまで下げた。

「一つには統率が取れていなかったこと。前にも話したと思うけど、集団の意思統一って簡単じゃないの。物理実験がやりたいって志を持って入ってきた部員たちのはずなのに、ロボットをやりたいってロボット班に参加してくれた子たちのはずなのに、意欲も本気度も、あまつさえ緊張感も、チームと呼ぶにはあまりにバラバラだった」

「統率……」

「二つには、ロボコンの側の無茶振りとも言えるテーマね。去年と一昨年では去年の方がずっと厳しいお題を突き付けてきて、それに対応できるようなロボットを作るのは大変だったの。作戦実行の困難さと技術力の限界に、私たちはロールモデルも無しに立ち向かわなきゃいけなかった」

「…………」

「三つ目には、部活であるがゆえの活動の限界だった。私たちはいつも定時に帰らされたし、基本は顧問がいないと活動できない。お金の運用にも何もかも制限があって、何だかんだ言って自由な活動なんて、大してさせてもらえなかった……」


 だんっ!

 北上は勢いよく拳をベンチに叩きつけた。

 隙間の暗く光るその手が、わなわなと震えていた。


「それがなければ、私たちは絶対にあの年、優勝を勝ち取ることができたはずなんだ……。メンバーの仲も良かったし、みんな頭が良かったし、だからこそ、悔しくて……」


 驚いて肩を跳ね上がらせた悠香は、しばらくそのままの姿勢で固まっていた。


 やがて、改めて思った。

 悠香の思っていた北上の人物像は、もしかしたら少し、事実とは違っていたのかもしれないと。


「くよくよしても始まらない。次の年度に活かさなきゃならない。そう思った私は、一年下の長良さんたちの代に期待した。でも、駄目だった」

 北上は虚しい息を吐く。五月のふわふわと暖かな空気に溶けるように、それは静かに透明になっていった。

「長良さんたちも優秀な世代だった。でも悲しいかな、あの子はプライド高くて真面目すぎたの。与えられた責務を全うしようって何でも頑張ろうとするけど、自分で頑張りすぎるせいであんまり周りは見えてなかった。何だかんだで毎年銀賞を取ってくる私たち先代に対するプレッシャーも、相当に重かったろうなって思う。だから、意思統一の時点でいきなり達成できそうになくて、でも口出ししたくはなかったから、私は早い段階でもう、諦めてたんだ」

 そこまで言ってから、あ、と北上は忘れ物を思い出したような声を上げる。「……この話、長良さんたちには内緒ね」

「……分かってます」

 そんな事をしたら悠香が殺されてしまうと思った。凶器は多分、ハンダ鏝だ。

 長良や芦田の顔が、天空を漂う雲の凸凹うたかたに浮かんでは消えた。いい人たちなんだけどな、と思った。いや、誰もがみんな、いい人には違いない。

 ああ見えて、長良も葛藤していたのかもしれない。苦労のベクトルが、悠香たち五人とは全くもって違っただけで。


「そんな矢先に、玉川さんたちと出会った」

 そこで初めて北上は悠香を見、そして空を見上げた。

 暢気な風が耳元を通り過ぎ、上昇気流に乗ってどこか遠くへ流れてゆく。その行方を、北上は探しているようだった。

「天が味方してくれたのかと思ったよ。玉川さんたちなら、私の感じた課題の全てを乗り切れるチカラがあると思ったからさ」

「乗り切れるチカラが、私たちに……?」

 何の冗談だろ、と思ってしまう。その思考も読まれているのであろうか、北上は悠香を一瞥すると、また話し始めた。

「まず、私たち物理部と違って有志で集まっている玉川さんたちなら、みんなが共通で『ロボットを作る!』って意思に燃えているはずだと思った。意思統一なんて必要ないだろうってね。それに前年のトラウマも実績の重圧もない玉川さんたちの方が、どんな無茶なお題が提示されたとしても心理的な壁は低いはず。なおかつ旧来からの部活として参加していないから、部活特有の足枷はないも同然。ねっ、前提の時点でもう既に、私のさっき挙げた課題を突破してるでしょ?」

 なるほど。確かに北上の立場からすれば、反証を挙げろという方が無理な話だっただろう。

──だから私たち、期待されてたんだ。

 ようやく悟った悠香は、北上を見た。だからこそこの人は、チームが解散の危機に陥った時に……。

「私がチームの維持に必死だった理由、分かった?」

 北上は笑った。いや、嗤った。


 その対象は恐らくは悠香ではない。

 もしかしたら、悠香と同じ場所に霞んでいるもう一人の幼い『北上汐里』だったのかもしれない。




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