061 穏やかな時間




 その日の放課後、いつものように悠香たち五人はロボット操縦の練習を始めた。

 いつもと変わらず机を押しやってパソコンを起動し、組み立てたロボットを並べる。掃除用具入れの上に仕舞ってあった『積み木』モドキを取り出せば、準備は完了である。

 いつもと違うのは、ギャラリーが多いことだった。なにせ、ロボットが何かしらの動作をするたびに歓声が上がり、

『なんでそんな風に動けるの⁉』

『ハルカたち、どんな勉強したらそんなロボット作れたの⁉』

 なんて質問がひっきりなしに飛び交うのだ。

 練習と調整の合間に休んでいた悠香たちも初めは喜んで説明に応じていたが、さすがに後半になると飽きてきた。逐一丁寧に教えるのは、意外と難儀するのである。


 時計が六時を回り、やっと五人は練習を終わらせる事にした。その頃にはギャラリーもすっかりいなくなり、あんなに騒がしかった教室には隅々まで静寂が至っていた。

 模擬『積み木』を手に取って教室の端に積み上げながら、悠香は陽子に尋ねる。

「ねえ、ヨーコ。みんなもう知ってるんだしさ、ロボットとか『積み木』をわざわざ仕舞い込む必要ってないんじゃないかなあ」

「あー、確かにね。組み立てるのめんどくさいし」

 陽子も賛成する。組み立て担当の二人にしてみれば、その手間が省けるというのは大きいのだ。

「じゃあ、ここに置いとこっか」

 悠香の示した位置に、リモコンを持った亜衣と陽子がロボットを誘導する。夕陽も沈み、鮮やかな橙色に照り輝く空の色を金属製電池カバーの表面が反射して、きらきらと目映く光っていた。

 これでよし、と悠香はみんなを振り返った。「さ、帰ろう!」

「うん!」




 学校から駅まで延びる道路に、五人分の影が仲好く並んでいる。

 各々、腕を伸ばしたり鼻唄を口吟んだりしながら、悠香たち五人は練習で疲れた身体を癒していた。でもやっぱり、一番の癒しになるのは会話だ。

「ぶっちゃけさ、あんなに注目されるとやりづらかったよね」

「うん。フツーに覗き込まれたし」

 亜衣と菜摘は言い合いながら笑った。と、隣の陽子がぽつりと呟く。

「でも、あたしたちもこの計画に携わる前はあっちの人間だったんだよねぇ。レイがぺらぺら専門用語を口にするのを聞きながら、なんでそんな事を知ってるんだろうって不思議だったもん」

──懐かしいなぁ。

 悠香は空を見上げながら、陽子の言葉にそんな事を思った。思い返せば受験者が減ったというニュースに慌ててから、かれこれもう二ヶ月以上が経つ。

 過ごした日々の事はひとつ残らず、悠香ははっきりと覚えている。入学してから二ヶ月前までと二ヶ月前から今日まででは、きっと後者の方が何倍も密度が高かったに違いない。


「私さ」

 亜衣の蹴った小石が、排水口で跳ねてカンと音を打った。

「今日、何回も声かけられたんだ。『アイが毒舌吐かない!』『別人みたい!』って」

「へえ……」

「私、そんなに変われたのかな」

 亜衣の声には自信が全く感じられなかった。「自分を客観的に見るのって、難しいよ。みんなはどう思う?」

 少し、沈黙が続いた。このチームが再結集したあの日でも、思い出していたのだろうか。

 そんなに答えるの、大変な事かな。そう思った悠香は周りを一度だけ見ると、口を開く。

「私は、すっごく変わったと思うよ。意図的なのかそうじゃないのか分からないけど、アイちゃんの物腰は見違えるみたいに柔らかくなったもん。この中で一番に罵声を浴びやすい私が言ってるんだから、間違いないよ」

「……それも新手の自虐?」

「ほえ?」

 言っている事が分からなくて咄嗟に聞き返してしまった。亜衣を中心に再び沈黙が展開され、慌てて悠香は言葉を繋ぐ。

「あっ! 他のみんなも変わったと思う! アイちゃんみたいに! レイちゃんは積極的に意見してくれるようになったし、ナツミちゃんも違う時は違うって言ってくれるし、ヨーコもいい意味でみんなを引っ張ってくれるようになったし!」

「ホントかねぇ……?」

 誉められた陽子は、あははっと苦笑いした。

「あたしもアイの気持ちが理解できるよ。ハルカの言葉に説得力がないとは言わないけどさ、今こうして言われてみても、実感がまるでないもん」

「実感がある方が気持ち悪いよ。私もないや」と、照れ笑いを暗闇に隠しながら菜摘。

「本当に、ハルカの言ったみたいに変われたのなら、嬉しいな」と、一歩遅れて歩きながら麗。

 実は五人が五人とも、さっきの練習中に『変わったね』と声をかけられていた。何も事情を知らないクラスメートでさえ、ロボット作りを経て得られた変化を敏感に感じ取っていたのだ。

「みんな、成長したってことなんだよね、きっと」

 悠香は頭の後ろで組んだ手を反らせ、遥かな天空を仰いだ。黒と青の混じったような色の空には、星がぽつぽつと疎らに輝いている。

「……あとは、変われていないのは私だけかぁ」

 嘆息混じりに溢すと、後ろで四人が一斉に噴き出した。びっくりして振り向いた悠香に、先頭の陽子が呆れ笑いもあらわに指摘する。

「何言ってんのよ。一番変わったのはハルカだよ」

「えっ? それはないそれはない!」

「あるって」

 陽子の後ろで、残りの三人も首を振ってその言葉を肯定している。

「……そっ、かぁ」

 照れ臭くて、でも嬉しくて、悠香は表情を逃がすように再び空に目をやった。星たちの輝きが、心なしか力を増したように感じた。




 それからしばらくまた、沈黙が続いた。


 駅が近付くにつれて、高いビルや彩り豊かな光が視界に溢れてくる。煌めきの中から、賑やかな人の会話までもが聞こえてきそうなくらいに。

 そんな光を見つめながら、悠香はずっと考え事に耽っていた。陽子に『ハルカは変わった』と言われてから、ずっとだ。

──仲直りしてチームを再結成した時、私たちは自分の悪いところを変えたくてロボコンに挑むんだって、それぞれ目標を言い合った。それがもう為されているのだとしたら、これからの私たちは何を原動力に努力すればいいんだろう。また前みたいに惰性で挑むのなんて、嫌だし……。

 やはりこういうのは聞くのが手っ取り早いか。ふと思い付いた風を装って、悠香は四人に声をかける。

「ねえ、みんな。いざロボコンの会場に立ったとしたら、どうする?」

「何それ、唐突だね」

「ちょっと聞きたくなって。私だったら緊張でガチガチになって何も考えられなくなっちゃうなぁって思うから」

 なんだそりゃ、と陽子たちは笑う。実際、悠香は本番になったらそうなってしまう気がしなくもなかった。

「そりゃー、挑むんだから目指すは優勝でしょ!」

 いきなり菜摘が大きな事を言い出した。「物理部フィジックスを蹴散らして私たちが優勝しちゃったら、高梁も目をひっくり返して驚くよ! あの腹立つ高梁を出し抜いてやりたい!」

「悪くない」と、不敵な笑みを浮かべる陽子。

「ついでに物理部の先輩たちの鼻も明かしてやれるしねぇ」と亜衣。「一石二鳥、いや数学的にはn鳥だよ」

 そこまで色々と言ってもらえると思わなかった悠香は、すぐに反応するすべを持たなかった。

──なんだ、これなら私たち、まだしばらくはロボコンに挑む闘志を絶やさないで済みそう。

 一先ず、ほっとした。同時に、こんな悩みを抱えているのはリーダーの自分だけなんだろうか、とも思った。


 と、その時。

「そうそう、それ聞いて思い出したんだけどさ」

 亜衣が切り出したのだ。

「どうしたの?」

「昨日、秋葉原から学校に向かう時にレイと話してたんだ。私たちの挑戦するロボコンが、どういうモノなんだろうって」

 どういうモノ、とはどういう意味だろうか。亜衣の隣を歩きながら、麗が話を継ぐ。

「ずっと気になってたの。世間一般のロボコンと違って、あのロボコンがどうしてあんなに自由っていうか、ロボット要素以外の部分を大切にしたがるんだろうって」

 その話を境に、場の空気が少し変質したように五人には感じられた。

 悠香は、ああ、と理解した。悠香だって疑問に思ったことがあるではないか。あのロボコンが何を目指し、あのような特殊なルールを課しているのかについて。

「話してるのはなかなかに楽しかったけど、私とレイじゃ結論は出なかった。そんで私、昨日調べてきたのよ。他のロボコンがどんなのか、ってね」

 亜衣は一度そこで息をつくと、スマホを起動した。

「日本で開催されてるロボコンで、あれだけ大規模なのは全部で四つ。世界各国で開催されてる『RoboロボChampionチャンピオン』とか、二足歩行ロボット限定の競技会『ROBO-BL』、あとはNHKが主催してる『ワールドロボコン』……。けど、他はどれもロボットの発想力とか性能面を重視しているみたいだし、私たちの挑むロボコンとは何となく雰囲気が違うように思った」

 ふーん、と何でもなさそうに唸りつつも、陽子の顔には何事かを考え込んでいるように皺が刻まれていた。菜摘も、そして悠香も同じだ。

 思い出したように亜衣が付け加えた。

「あと、文部科学省とか何とかの監修が入っているのは、私たちのロボコンだけだった」

「じゃあ、政府から見ても特別なのかな」

 菜摘の案に、陽子は首を傾げる。「政府とロボットと、何か関連があるのか?」

「さあねぇ……」

 情報が何もない以上、限りなく当て勘に近い予想をするしかない。うーん、と四人は思考に入ってしまったようだった。


 もしかしたら、と思った悠香は、取り敢えず口に出してみた。政府という言葉を聞いて、思い当たる節がふっと思い浮かんだのだ。

「私が風邪引いて休んでた時、テレビの特番で二十年前の阪神淡路大震災のことをやってたんだけどね。あの地震を機に、日本のロボット工学って一気に進展したんだって」

「そうなんだ?」

「うん。東大工学部の狩野っていう先生が、そう言ってた」

「狩野?」

 亜衣が大声で尋ね返してくる。「その人、私たちの出るロボコンのサイトに載ってた! 確か、審査員だった気がする」

「え……!」

 耳を疑う悠香に、亜衣は起動したスマホの画面を翳した。眩しい光の中、確かに『狩野文子』の名前が見てとれる。ということは、ますます関連性は高くなったと見なすべきか?

「その先生がね、日本で主流のロボット工学として、災害救助とか宇宙空間とかいう未知の場所で活動するロボットをテレビで挙げてたんだ。で、狩野先生は災害救助の方からロボット工学に関わり始めた先生なの。だからもしかしたら、狩野先生や政府はそういう所が見たいのかもよ?」

 腕を組んだ陽子が、さっきの悠香のように空を見ている。

「……なるほどなぁ、そしたら瓦礫を突破しなきゃならないだろうから攻撃兵器の存在理由もあるし、チーム戦法を重視する理由もあるわけだ」

「あ、あくまで私の感想だよ?」

 納得している周囲を目の当たりにして、急に不安に陥る悠香。「だってそれなら文科省より消防とか警察とかの方が大事だろうし、狩野先生がいるからってそうと決まった事にはならないし、そもそも一介の審査員でしかないんだし」

 もし自分たちのロボットが災害救助に使用されるなら、なんて有り得ない妄想をしてしまったのである。だいたい、冷静になって考えてみれば、そんな大学生レベルの技能を要しそうなテーマを高校生以下限定のあのロボコンに導入するだろうか?

「何にせよ、私たちは私たちに与えられた任務ミッションを、淡々とこなすのみ」

 麗が終わりを締め括る。そうだね、と亜衣も笑った。

「どんなロボコンだとしても、私たちがすべき事に変わりはないよね」

 五人は代わる代わる頷き合った。銀色に輝く月が彼方の雲を上から優しく照らす、静かな夜だった。







 少しずつ、少しずつ。

 悠香たちは変わってきた。

 きっとこれからも変わるのだろう。いい方向にも、悪い方向にも。

 ただ一つ言えるのは、そうした変化を繰り返すたび、ロボコンが着実に近付いてきている、その事だけだ。


──何事も、為せば、為るよね。

 悠香を、物理部をも含めた誰もが、その時ははっきりとそう思っていた。




 嗚呼、哀しいくらいにはっきりと。







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