054 融けゆくわだかまり





「ハルカ!」

「もう大丈夫なの⁉」

 授業後、悠香のもとに口々に叫びながら四人が集まってきた。

「うん。寝たら治っちゃった」

 あはは、と悠香が軽やかに笑ってみせると、亜衣は安堵の吐息を吐く。「なんだ……。あれだけ重症っぽかったから、てっきりもっとやばい病気かと思っちゃったよ」

「それ、私も思ってた」

 菜摘も重ねてそう言った。口には出さなかったが、残りの二人も同感なのだろうか。


──心配、してくれていたんだ。

 そう思いはしたものの、悠香はまだ、あの不安を拭い去れてはいない。裏があるんじゃないか、本心は隠したままなんじゃないかって、無意識のうちに疑ってしまう。

 だから。

「ごめんね、みんな」

 悠香は立ち上がると、頭を深々と下げた。

「肝心な時にいられなかったなんて、私ってやっぱり情けないリーダーだよね。ほんと、ごめん。これからは私ももっと、身体強くしなきゃなって思うよ」

 空気がしんとする。誰も返事をしないので、悠香は顔を上げた。言うべきことは、もう一つあるのだ。

「それと、ありがとう。私のいられなかった間に、ロボット製作頑張ってくれて。ミナちゃんに頼み込んでまで、スケジュール通りに進めようとしてくれたんだよね。私、すっごく嬉しいよ」

 それは半ば、鎌掛けのつもりの台詞だった。もしも本当に心配してくれていたのなら、相応の反応が返ってくるはずだと思ったのだ。

 口にしながら笑顔の裏で、嫌味な感情が未だ渦巻いている。どうしようもないな、と悠香は絶望的な気持ちになっていた。この心はもう、どうあっても、目の前の四人を信じることはできないのだろうか……、と。


 が。

「何言ってんのよ、あたしたちチームメートだろ?」

 照れ笑いしながら、陽子はすぐに答えてくれた。

「チームのスケジュールを遅らせない努力をするのなんて、当然だよねー」

「そうそう、当たり前の事をしたまでだよ」

 菜摘や亜衣も、そう言ってくれた。麗は何かを言う代わりに、微笑んだ。

 悠香は思わず頷くのを忘れて、ぼうっと突っ立っていた。そんな悠香の背中を、陽子は優しく撫でてくれた。撫でながら、優しい口調で言う。

「……この前、ハルカのお兄さんが学校まで来て、会ったんだけどさ。聞いたよ。ハルカが製作に戻りたい、学校に行きたいって、悔しそうに泣いてたって」

 びくっと悠香は跳ねた。何だって? 友弥がそんな恥ずかしいことをバラしただって⁉

 羞恥心が頭の中でカルメ焼きのように膨れ上がる。頭を抱えた悠香だったが。

「……私たちだって、同じこと思ってたんだよ」

 菜摘のそんな声に、顔を上げてみんなを見た。

「ハルカがいないと、なんかやっぱり締まらないなってずっと感じてた。だから、ハルカがこうやって回復してくれたの、私たちもすっごく嬉しいな」


 その一言のショックが、悠香には一番に大きかった。

 素直に受け止めてもいいのか。そこにさえ沸き出す疑念はしかし、四人の表情に打ち消されて掠れていった。

 顔を見なければ、相手の考えや気持ちなんて本当に分かりはしない。悠香の不安とは裏腹に、四人はずっと悠香のことを意識していてくれたのだろう。その場にいないリーダーのことを思いながら、その思いによって纏まってくれていたのだろう。


──私…………。


 無理して学校に来ず、ちゃんと風邪を治してよかった。

 悠香は目を閉じると、目元に浮かんだ涙を拭った。

「メールで送ったと思うけど、昨日はここまで終わった。プログラミングも終わっているし、もう駆動部分のゴールは目前だよ」

 図面を見せながら説明を加えると、最後に陽子はぼそっと呟く。「……あの、よく分かんないハルカのお兄さんの知り合いが、ちゃんと上の部分作ってきてくれればだけど」

 くすくす笑う残りの三人。いや、麗は笑っていないので二人だ。

「…………?」

 冬樹を知らない悠香には、何が可笑しいのか分からない。ぽかんと見つめていると、ちょうど正面に立っていた麗と目が合った。

 麗は少し首を傾げて、微笑した。

「今日からまた、よろしくね。リーダー」







 その日、物理部室には久々に聖名子が現れた。

「あ、久しぶりねー」

 独り部室で本を読んでいた北上が、聖名子を出迎える。

「他の人たちはどこへ行ったんですか?」

「ええと、ロボット班は今日は体育館に行ってるわね。他の班は、今日は休み」

 なるほど、だから人が少ないのか。納得した聖名子は、自分も重い荷物をどんと椅子の上に載せた。他のメンバーを、追いかけなきゃ。

 本をぱたんと閉じた北上は、その聖名子に問いを投げ掛ける。

「瀬田さん、ここ最近出てこないってみんな言っていたけど、どうしたの? 学校には来ていたんでしょ?」

「え」

 聖名子は答えに詰まった。どうしよう、北上に言ってもいいものだろうか。自分のチームを外れ、敵対するチームの手伝いをしていましただなんて。

 少し悩んだが、思い直す。どっちみち白状させられるんなら、北上の方がいい。部員の好感度の高い北上の口から説明してもらえれば、少しはましに働くかもしれないではないか。

「もう一つのロボコンチームの方を、手伝っていたんです。リーダーが風邪で欠けちゃって、人手が足りなくて間に合わなくなっちゃうから、手伝ってほしいって言われて」

 そう言うと北上は、目を丸くした。「玉川さんが?」

「はい。高熱で学校を休んだって言ってました。今日復活したので、もう私は必要ないかなって思って抜けてきました」

 ふーん、と北上は鼻を鳴らす。が、すぐににやりと口を歪めた。

「……どうだった、向こうのチーム?」

「どうだった?」

「進捗度合いとか、ロボットの話よ。私もちょっと興味あるんだ」

 やや意外な発言に聖名子は驚いたが、言われた通りに記憶を探り始めた。向こうのチームの事情、向こうのチームの事情……。ああ、これは真っ先に言ってあげるべきであろう。

「複合昇圧電池を使ってました」

「へぇ! すごいな、それは」

「私もびっくりしました。あと、向こうはかなり手の込んだロボットを作ってます。私たちのみたいに縦積みじゃなくて、横積みする気みたいです」

「手の込んだ、かぁ……」

「それと……」

「それと?」


 そこでまた、言葉に詰まった。

 こればかりは、言っていいものか、悪いものか。

 疑問符付きの言葉を返した北上に対して、聖名子は立ち尽くしたまま硬直してしまった。


 初めて加わった日から、実はずっと気付いていたのである。

 悠香たちのあのチームは、物理部ロボット班に比して、雰囲気だとか空気感がずっとよかった。間違いがあればメンバーがちゃんと指摘するし、されたメンバーは素直に受け止めて修正をする。それが、お互い何の不満も作用しないうちに行われているのである。

 要約すると、みんな姿勢が真摯なのだ。自分に対しても、周りに対しても。そして物理部では、そういう空気は感じないのであった。

──物理部は学年差があるし、上下関係が厳しくなっちゃうのは仕方ないんだろうけど……。それだけじゃ説明しきれない気がする。なにか強い強い支えがみんなの中にあって、だから気持ちが落ち着いている。そんなようにも考えられるし。

 聖名子は毎日そうやって、頭を悩ませていたのだった。気のせいか、一緒に過ごしていれば過ごしているほど、物理部よりも悠香たちの方が楽しそうに見えてくるのだ。


 まるで話し始めるのを待っているかのように、北上はじっとしたままサナギみたいに動かない。

 静寂を破りたくなくて、聖名子は静かな声でそっと口にした。

「……私、思うんです。同じ学校に二つもチームがある必要なんてないなって。敵対する理由だってないじゃないですか。私たち物理部と向こうのチームが協力し合えたら、念願の一位だって為し遂げられるような気がします」

 北上はまだ、黙っている。

「い、今のはあくまで私の考えなんですけど。北上さんは、どう思いますか?」


 膝をぱっと払った北上は、それには答えずに立ち上がって大きく伸びをした。

 そのままの格好で数歩歩くと、窓際に寄る。四階にあるその窓は西に向いていて、けっこう眺めもいい。


「難しいよね」

 北上は唱えるように言った。

「この部室から、瀬田さんの教室が見えるんだよ。知ってる?」

「えっ?」

 聖名子は慌てて北上の隣に立った。本当だ、三-αが見える。

 つまりこの時間帯は、悠香たちが活動しているのが見える。

「楽しそうだよね、あの子たち。みんながみんな目標を持っていて、その交差した場所にロボコンがあるみたいな感じがする。私たちと違って既存の部活じゃないし、義務感から取り組んでいないからだろうね」

 誰に語っているのか分からない口調で、北上は滔滔と語り続ける。

「あとは技術さえあれば、とは私も思ってるんだ。そういう意味では物理部の方が圧倒的に上だけど、瀬田さんの言う通りこのチームにも欠陥はあるわ。両立したければ相互協力しかやり方がないのは、事実よね。だけど、物事ってそんなに簡単には進まない。あの子たちはともかくウチは、──特に長良さん辺りは、そういうの嫌がるんじゃないかなぁ」

 聖名子は痛いところを突かれた気分だった。

──確かに長良さん、そういう協力とかいい顔しないだろうな。あくまで物理部フィジックスの勝利が大事、とか言いそう……。

「まだ、時期尚早だと思う」

 そう言うと北上は、唐突に聖名子を振り返った。

「だけどが来れば、きっと協力しなきゃならなくなると思うよ。物理部と、あの子たちはね」


“『』って、何ですか? ”

 そう口にすることは、聖名子にはできなかった。





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