048 決意とひらめきと
その日の活動はスタメンだけで行うことになった。メンバーでない残りの何人かは、脇で模様を動画撮影したりするのが役目だ。
清々しい滑走音を立てながら、三台のロボットが鮮やかに室内を駆け回る。『積み木』に見立てた段ボール箱を掴んでは、続々と積み上げてゆく。
「いーなぁ……」
練習光景を見つめながら、渚はさっきから七度目のそれを口にした。
「そんなに羨ましいの?」
つい気になって──いや、気にならない方がおかしいと思いつつ、聖名子は渚に尋ねた。渚は頭の後ろで手を組んで、背中を壁にもたれさせる。
「当たり前じゃん。あたしだってこのチームの一人なんだもん」
「そりゃそうだけど」
「むしろミナは悔しくないわけ?」
いきなり自分に流れが向いて、聖名子は戸惑った。私? 私は……。しばし自問して、答える。
「……そこまで羨ましいとは、思わないけど」
ふーん、と渚はつまらなそうに鼻を鳴らした。
その目線が、だんだんと天井に向けられる。
「やっぱみんな、そんなもんなのかな。あたしがおかしいだけ?」
「そんなことないと思うよ」
「でも現にあたし、さっき先輩たちみんなに変な目で見られたし」
走り回る長良や米代たちをちらちらと見遣りながら、渚はぼそりと言った。渚の言うことも、確かにもっともだ。
「むしろ、なんでそんなに出たがるの? 去年も中三の代は出場してないんだろうし、何も例外になろうとしなくたっていいじゃない」
聖名子は尋ねずにはいられなかった。渚は聖名子を見て、今度は床を見る。僅かに下がったその目尻には、記憶の断片でも噛み締めているみたいな苦悩が滲んでいる。
「……あたしはさ、ミナも知ってるだろうけど、中二で他の部活から移ってきたんだよね。実は、きっかけがあって。前の部活で人間関係のトラブルを起こしちゃって、居続けられなくなっちゃったからなんだ」
聖名子は小さく頷いて、先を促す。毒舌家のナギサならトラブルくらい起こしそうだな、なんて酷な所見は口には出さないでおいた。
「完全にあたしのせいで起きたトラブルだったんだけどね。だからこそショックも大きくて、入ってからもしばらくは周りと仲良くするのが怖かったよ。またミスするんじゃないか、また軋轢を生んじゃうんじゃないかって、頭の中を恐怖がぐるぐる回ってるんだ。だけど──」
渚は照れ笑いしながら、先を続ける。
「そんなあたしを励ましてくれて、事情を知った上でも仲間に引き入れてくれたこの物理部には、だからこそすっごく感謝してるんだ……。だからあたしも、いつかそうやって誰かに未来を与えてあげられるように、強い先輩になりたい。だからこそ……早く、先輩たちの仲間入りしたいって、思ってさ」
その時、聖名子の見た渚の横顔は、これまでの付き合いの中では決して見せたことのなかった表情だった。
こんな優しくて強い視線を、あの渚が見せるなんて。あんまり意外だったので、ついまじまじと見てしまう。
「…………」
「……何?」
「あ、ごめん」
「気持ち悪いなぁ」
ほぼ三言の会話で聖名子の視線を引き剥がすと、渚は尚も熱心に練習の模様を眺めていた。
──ナギサ、すっごくしっかりしてるなぁ。何て言えばいいのかな……、軸がある。気がする。頑張る理由が、ちゃんとあるんだ。
私も頑張らなきゃいけないんだろうなぁ。聖名子は伸びをすると、渚と一緒に長良たちの様子を見続けた。
長良を中心とする山手女子フィジックスの今年の作戦は、概要を説明するとこういう感じだ。
元となるロボットは三台。持ち上げ積むロボット、そこまで持っていくロボット、そして大型のハンマーを備えた攻撃ロボットだ。それぞれは例年と違い、極めて簡素な作りになっているように見える。しかし、実は様々な加工や対策が施され、内部は例年以上に精密かつ複雑である。
そして例年とのもう一つの違いは、周囲の敵の戦い方に合わせて、大量のアタッチメントが用意されている事だった。例えば、必要に応じて高速化用の車輪に換える事が出来る部品などである。これにより、フィジックスのロボットはいつもにも増して柔軟に、かつ適切に試合を進める事ができるようになるのである。
長良たち幹部勢は、この案に絶対の自信を持っていた。今年こそは、あの宿敵『Armada閏井』を撃破し、万年二位などという不名誉な称号を捨て去らなければならない。悠香たち以上に、ここフィジックスにとって閏井のチームは大きな壁なのだ。
「芦田、調子はどう?」
「上々ね。改造の手順はばっちり覚えた。本番でも換装には三十秒あれば足りる感じ」
「米代、そっちは?」
「攻撃ロボットの操作にもだいぶ慣れてきました。この調子なら、本番もそんなに苦労しないで操作できます!」
「……よし」
汗を拭った長良、ふと西の空を見た。もう夕刻だ、西向きの窓からは輝く夕陽が部屋の中へとぎらぎら侵入してくる。眩しくて、しょうがない。
──大丈夫、私。自信を持て、私。もう失敗なんてしないんだから。
いつものように胸の中で唱えると、長良はふっと目を閉じた。
「……あの子たちも今頃、頑張っているのかな」
つい、声が出た。
誰も聞いていなかったようだ。ほっと息をつくと、長良は窓サッシに腕をついた。
そしてもう一度、言った。誰にも聞こえないように、今度は小声で。
「あの時はああ言ってしまったけど、私たちの敵にはなって欲しくないわよね……」
◆
へくしゅ、と間抜けな声が帰り道のアスファルトに響き渡った。四回目である。
「ちょっとハルカ、どうしたの?」
陽子に背中を摩られながら、悠香はふらふらと頭を振った。「誰かが、四回も、私の噂をしてるっぽい……?」
「だとしたら人気者だねえ」
菜摘はあくまでも暢気である。四回目のくしゃみは風邪の証拠というが、本当に大丈夫なのだろうか。残りの三人は地味に心配であった。
「そうそう、それで。本題に戻ろうよ」
ずずっと鼻を啜り上げた悠香は、指を立ててみせる。
「今日の試験と練習を踏まえた上で、何かアイデアとかない?」
「……私」
真っ先に手を挙げたのは、麗である。
「提案なんだけど、『積み木』の間に接着剤を撃ち込むっていうのはどうかな」
「接着剤?」
「ああ──」
陽子は早くも理解したようだ。「要は、『積み木』を積んだ時に一緒に接着剤を間に入れて、固めちゃうってこと?」
以前に亜衣が言っていた、釘を打ちこんで塔を固めるアイデアの発展形であろう。
「うん。そうすると、会場のフロアにも接着しちゃうから、より頑丈になって倒れにくくなるの。例えば三メートル積み上げるとしたら、一つの重さが三十キログラムの巨大な『積み木』を作るのと同じ……って感じ」
亜衣も菜摘も理解したようで、うんうんと首を振っている。悠香も主旨は理解したつもりだ。だが、しかし。
「そんなの、どうやって作ればいいんだろう?」
そこまで思い至っていなかったらしく、麗は黙ってしまう。誰一人として考え付かぬまま、五人は駅前の幹線道路に出た。
都心からのアクセスの良さゆえ、この道沿いには大型の商業ビルやスポーツセンターが多く立地している。悠香たちは全員、このすぐ下を走っている地下鉄に乗らねばならないのだが。
「──あっ!」
閃いたのは他でもなく、悠香だった。
「あれだよ! 糊を銃みたいに発射しちゃえばいいんだ!」
「銃?」
「見て」
先に答えが見つかったのが誇らしくて、にやにやしながら悠香は前方を指差した。そこには、団地跡地の再開発で竣工した駅直結のショッピングモールがある。あの軒先が、悠香の発想の源だ。
「ほら、あそこの夏物先取りコーナーに水鉄砲が置いてあるじゃない? あれを改良して、水の代わりに糊の弾を打たせれば……」
おお、と唸り声が上がった。つまりはグルーガンを応用すればいいのだ。
「案外作れるかもしれないね、それ」
「今度秋葉原に行くときに見てみよっか。サバイバルゲームのお店とかに売ってそうだよね」
「よし、そうしよう!」
口々に飛び出る賛同意見と共に、麗の提案は見事に可決した。悠香は麗に目配せをした。麗もにこやかに笑って返した。
亜衣といい麗といい、やっぱり昨日の和解があって以来、みんな大きな変化を見せている。
ロボットも無事に完成し、早くも改良案まで作られている。一週間近く前、解散の危機に絶望していた頃の自分に、この未来を見せてあげたかった。悠香は改めて、晴れやかな気持ちになった。
──これで二台のロボットも完成したし、あとは練習するだけだよね! 出場までの間、まだまだ頑張らなきゃ…………?
ちょっと、待った。
悠香はたった今の自分の発言の中にふと抱いた違和感を、培養してみた。何か、おかしい。おかしいような気がする。
「ああっ!」
突如悠香の上げた叫び声に、メンバー全員がぴくりと動いた。
「……どうしたの」
尋ねてきた陽子に、悠香は自身の発見を訴えた。「私たち、二台しかロボット作ってない!」
「それが何か──」
言いかけた陽子も、ぞっとしたような顔を悠香に返した。そうだ、思い返せば悠香たちはロボットを『三台』作らなければならないのだ。
大変なことに気づいてしまった。今日は四月の半ば、ロボコンまではもう半月程度しかない。危機感はすぐに全員に伝播し、悠香たちは不安そうに互いの顔を見合わせた。
「……どうしよう」
「どうしようもこうしようもないよ、作らなきゃ」
「けど、今から設計図書くの? 間に合わないよ」
「……確かにそうだよね」
焦りばかりが募る。悠香たちにできないのならば、誰に頼めばいいだろう。
「とりあえず、明日までに各自対策を考えてこよう。そうするしか、ないよ」
悠香は必死に心を落ち着かせながら、そう言った。四人も深刻な顔をして、静かに首肯した。
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