029 秋葉原リベンジ





「────で、なんであんたが付いて来るのよ」


 電気街口の改札を出た陽子は、すぐ後ろを追いかけてきた悠香にそう問いかけた。

 憮然とする悠香。

「えー、いいじゃない。私なんてどうせ計算もできないから、検算組には回れないし」

「だからってわざわざ秋葉原まで来なくても……」

 言うだけ無駄だと思ったのだろう。型番のメモを見ながら再び歩き出した陽子の隣に、悠香が並ぶ。

 計算間違いが発覚した翌日の秋葉原に今、二人は来ている。平日午後のこの街は、土日ほどではないにせよ多くの人々が行き交い、少し鬱陶しいくらいの薄い熱気に覆われていた。

 今日ここ来たのは、昨日の件で新たに買わねばならなくなったモーターの入手と、新たに作り始めるロボットの部品の調達のためだ。

「一万円かぁ、けっこうかかるなー」

 そうこぼした陽子の横で、悠香はふと疑問を口にする。「……ねえ、ロボットが全部完成するまでに、どのくらいのお金がかかるんだろう」

「いくらだろ。小っちゃい部品ばっかり買ってるけど、それでも十数万とかかな。でもきっとめちゃくちゃ高いはずだよ。そんだけ払うんだから、失敗は許されない。頑張らないと」

 十数万円。

 お年玉の最大値が三万円だった悠香には、その額面の大きさがいまいちパッと想像できない。咄嗟の返答に困っていると、陽子はニヤッと口を歪めた。

「十万円あったら荻窪駅前のコンビニのおにぎり買い占められるな、とか考えてないわよね」

「考えてない!」

 憤慨する悠香。どうしてそうなった。

 さすがにそこまで子供じゃないもん、とでも言い返したかったが、それをまたからかいのネタにされそうなので諦めた。

 二人の頭上に、あの看板が迫ってきていた。『TSUKUBA』だ。




「…………これ、か」

 棚から目的のブツを手に取った陽子は、それをじっと見つめた。

 間違いない。外見はあまりにもそっくりだが、本来あのロボットについているべきだったのはこのモーターだ。

 電磁石と永久磁石の力を利用して電力を回転力に変換する装置・モーターは、運動装置アクチュエーターと呼ばれる電子機器類の一つである。アクチュエーターとは、電気的なエネルギーを運動に変えるものを総称し、目的の動作をさせるもの。人間で言えば脳や神経の指令に従って動く筋肉の役割を果たす機構だ。しかしながらこんな小さな機械が強力な回転を生み出すなんて、アクチュエーターの原理を理解した今でも陽子には信じられない。こんなものを生み出す物理工学って、不思議なものだと思う。

──しかもパッと見は同じで性能があれだけ違うんだから、ほんとに面倒臭いんだよな……。

 色々と放り込まれて重たくなったカゴにモーターを入れたところで、ふと陽子は気づいた。

 悠香の姿がない。

「ハルカ?」

 陽子はちょっと背伸びして、店内を見渡した。

 いた。向こうの書籍コーナーで、何かを立ち読みしている。

「なに、それ」

 カゴを手に歩み寄ると、悠香は本の表紙を陽子に向けてきた。『電子工学丸わかり!』という文字が踊っている。これはかなり初歩的な参考書ではないか。

「その、分かんないこととかまだまだあるから、買ってみようかなあって」

「……そのレベルなのね、まだ」

 思わず苦笑を漏らすと、悠香はムッとしたように陽子を睨んだ。

「ヨーコ、今ぜったい私のことバカだって思ったでしょ」

「思ってないよ」

 口にした瞬間、今のは嘘だったなと自覚した。

「いいもん! 私だって、みんなの足手まといにはなりたくないし! 自分のペースで頑張るんだから!」

 言うなり、悠香はくるっと回れ右をした。やはり腹が立っているようだ、そのままたたっとレジに向かって駆け出す。

「ちょっと!」陽子は叫んだ。「店内で走ったら誰かにぶつか────」


 ぶつかった。


 ドンッ!

 レジの手前の棚を見ていた学ラン姿の人に、悠香は正面から体当たりした。

「あ痛っ!」

 響く小さな悲鳴に、陽子はその場から逃げ出したい衝動に駆られる。ああ、だからあれほど言ったのに。というか、まただ。

 ぶつかった悠香とぶつかられた学ランは、同時に頭を下げる。

「ご、ごめんなさい! ちゃんと前見ていなくって──」

「あ、いや俺こそ通路を塞いでましたし──」


 あっ、と言ったのは悠香だけではなかった。

 なんと、相手は以前にこの店に来たときにも悠香がぶつかった人だったのだ。

 完全に言葉を失い、意味もなく口をぱくぱくさせる悠香に、学ランは語りかけた。

「……君、確かこの前も……」

「……あ、あの……その節は、どうも……」

 ぶふっ、と思わず陽子は吹き出した。







 学ランの高校生は、川内せんだいさとしと名乗った。

閏井じゅんせい高校……ですか?」

 財布をしまいながら、こくんと川内は頷く。台東区に立地する私立閏井中学高等学校は、東大入学者数全国一位を誇る都内最強の進学校だ。ちなみに男子校で、山手中高と並び称せられる男子四天王校の一つである。

「ちょっと部品を調達したくて、放課後にここへ寄ったんだ。君らは? 制服じゃないみたいだけど」

「うちの学校、制服ないんですよ」

 陽子が答えると、へえと川内は声を上げた。心当たりでもあるんだろうか。

「私服ってことは、女子校だよね。僕が知っている辺りだと……、山手女子とかかな」

「なんで分かったんですか⁉」

「山手に通ってる友達がいるからさ。経営母体も経営理念も一緒だった気がするから、じゃあ制服がないのも一緒だろうなって」

 あはは、と川内は笑う。系列校から判断するとは、さすがだ。悠香と陽子は示すべき反応が分からず、顔を見合わせた。

 部品の調達というのは一つだけだったらしい。買い物を済ませた三人は店の外に出て、立ち話をしているところだった。すぐそばにメイドカフェも多く、勧誘のコスプレイヤーの視線がちらりちらりとこちらを窺っている。

「あの店にいたってことは、君らもロボットを作ってるの? もしかして、物理部とか?」

 やっぱり、ロボットを作っていると物理部所属だと思われやすいのだろうか。二人とも首を振る。

「あたしたち、有志でロボット製作をしてるんです。ロボコンに出場したくって」

「ロボコンか……」

 呟いた川内の目線が、空中でぴたっと静止した。

「まさかとは思うけど、あれじゃないよね。『全日本スーパーロボット──』」

「あ、それです」

 川内は目を丸くした。

「じゃあ、今年は山手女子はダブル出場か。すごいもんだなぁ」

 山手女子から例年物理部が出場していることを、川内は知っているようだ。

 さては、毎年大会の模様をテレビで観ているのだろうか。前回の大会の最後を見ただけの悠香たちにしてみれば、少しくらい有益な情報があれば聞いてみたい。

「あたしたち、参加はおろか観た経験もほとんどなくて、何もかもが初心者なんです。うちの物理部フィジックスがどのくらい強いのかも分からなくって……。何かこう、強さの秘訣みたいなことって観ていて分かりますか?」

 陽子が尋ねると、腕組みをした川内はふっと高い空を見上げた。

 少し西に傾いた日が、煌びやかなビル街のてっぺんだけを黄色に染めている。


「──あそこの強さは、技術力だと思うな」


 天を向いた川内の口から、言葉が溢れ落ちた。

「山手女子がどんな理系教育をしているのかは分からないけど、あそこが作ってくるマシンは毎度毎度恐ろしいよ。リニアモーターだの磁力加速器だの……、あれは高校生とか中学生の作るものじゃない。とても技術じゃ勝てないから、戦術でカバーするのが僕たちには精一杯だったなぁ」


 ふっ、と苦笑を口元に浮かべた川内を、悠香も陽子もじっと見つめていた。

 今の言い方は、川内たちもあのロボコンに参戦しているということを明確に示している。

 しかも、『カバーするのが』と言った。意訳すれば、カバーには成功しているのだ。


 思い返せば、『閏井』という学校名にもっと早くに注目すべきだった。以前、電器屋の前のテレビで見たロボコンの模様が、この時になってようやく二人の脳裡をよぎった。

 その校名を、悠香たちは知っている。

「まさか、川内さんたちって……」

 乾いた陽子のセリフに、川内は二人を振り返った。


「──僕たち『Armadaアルマダ閏井』は、去年の大会で優勝を収めたチームだよ。『山手女子フィジックス』は、二位だった」




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